<第二十一話・勇敢なる者>
長い黒髪の美少女は、艶やかに嗤う――嗤う。ぞっとするほど美しいことが、彼女からより一層人間味というものを奪っている。
当然と言えば当然だろう。目の前の存在は生きた人間ではないのだから。
むしろ――人間でさえ、無いのだから。
「カナコ、さん? え?」
香帆の言葉に、戸惑ったように香帆と少女を見やる小宵。
「な、何がどうなっているの? 彼女が、人間じゃなくて……侵略者ってこと、なの? それに、カナコさん? そんなはずないわ、だってカナコさんは……」
「“屋上にしか現れないし、金曜日の夕方にしか出会えないはず”……そうよね?」
「!」
少女の言葉に、ぎょっとしたように言葉に詰まる小宵、そして香帆。
そうだ、彼女の気配は完全に――自分が見た、あの侵略者のソレと同じ。でも、彼女はあのドロドロの黒い怪物とは違って一見すると人間のようにも見える見た目だ。何より、怪談と違っている。彼女達は、七不思議のルールを外れた行動はできなかったはず。何故、金曜日でもない校庭に現れるというのか。
「貴女の疑問は正しいわ。七不思議通りなら、私はこんなところに居る筈がないものね。……でも貴女達、気づいてるのかしら? どうして私が、原始にして最強の物語の化身だなんてそう呼ばれるのか。……そんな存在と目の前で対峙して、普通の人間が何も起きない狂わない、なんてことあると思ってる? そもそも七不思議通りなら、私と貴女達は言葉を交わすことさえ不可能であったはずでしょう?」
さあ考えてみて? と少女は微笑む。
その物言いがどこか、聖のそれと似通っている気がして。香帆は状況も忘れ、苛立ちを覚えた。もしかしたら彼女は、自分と聖の屋上での会話を聞いていたりするのだろうか。有り得る話だ。あくまで所定の時間でなければ“出会えない”だけで、その場にカナコがいなかったという保証はどこにもないのだから。
ましてや、聖はともかく香帆は普通の人間である。特殊な能力など何もない。異存在が傍にいたところで、それを察知することなど出来たはずもない。
――もしかして。
香帆は念入りに、カナコの七不思議を思い返す。屋上で招くカナコさん、は。本人そのものが、直接的に害をなしてくる怪異とは違う。本来危険であるものは、彼女に会いに来る人間の方なのかもしれない――そういう怪異だった。彼女は出会った人間のあらゆる願いを叶えてしまう存在。ただし、出会った人間の願いの“どれ”を“どんなふうに”叶えてしまうかは全く想定ができない。
それでも、どうしても叶うことのできない、叶いようのない願いの成就を求めてカナコに会いに来る人間は少なくないという。ならば彼女が此処に現れた訳は。彼女の正体は――。
「……あなたは、“カナコさん”そのものじゃ、ない……」
彼女の言う通りだ、と香帆は思った。自分も小宵も普通の人間。長年、学校の者達が倒せずに放置するしかなかった最強の侵略者が彼女であるならば。そんな相手が、自分達と出会って何の害も成さないとは思えない。そもそも、カナコは“出会ってしまった時点で”害となる存在とも言えるのだから。ならば。
「“カナコさん”に願われた“願い”があなた……。此処に居るのは、誰かの願いをあなたが叶えようと動いているから……!」
その願いは、何か。唐突に香帆は校舎の方を見る。まさか、と思った。小宵が小さく引きつった悲鳴をあげる。
校舎の窓ガラスが割れる、凄まじい音が響き渡った。
「長らく“侵略者”を水際で討伐するための“堰”として機能してきたこの学校、そしてE組と研究会。素晴らしい努力だと思うわ。そのおかげで、私達は未だにこの学校の向こう側へは殆ど侵攻できずにいるんだもの。でもね」
カナコ、の眼が三日月型に歪む。笑みと呼ぶにはあまりに歪、そして邪悪。
「学校の敵は、何も私達だけではないのよ。……この学校を、あるいはE組を。疎ましく思い、邪魔をしたいと考える“人間”もまた存在するの。私達は確かに貴女達にとっては侵略者なのでしょうけど、何もこの世界を滅ぼそうとしているわけじゃないのよ。ただこの世界を、私達の手で新たに作り変えようとしているだけ。その世界で、正気を保てる人間は少ないかもしれないけれど、私達はそれこそあるべき世界のカタチだと思っているから、そうしたいと思って行動しているだけなの。そして、そんな私達を、貴女達とは全く別の形で理解しようとしている者も時には存在するし……何も知らないけれど、ただE組が邪魔だと考える者も存在する。その誰かが、貴女達の失敗や犠牲を願い、それを私が拾い上げれば……“絶対に成就させる”のが、私の力。私の意味。そして、私という、“真理”」
割れた校舎の窓から這い出してきたのだろうか。真っ黒な塊が、這うように――あるいは転がるように、こちらに向かってくるのが見えた。最初に見た時よりはだいぶ小さくなっているようだが、それでも禍々しさは何も変わらない。
――そんな、聖……!
聖が倒し損ねたというのか。彼は無事なのか。いや、そもそもこのままでは自分達はどうなるのだろう。恐らく狙いは小宵。もしかしたら小宵を見捨てていけば、自分は助かるのかもしれないけれど。
――ふざけんな! そんなこと、できるわけないじゃん!!
「その勇気は、素晴らしいけれど。じゃあ貴女はどうするのかしらね?」
ふわりふわりとカナコの身体がさらに上へ上へと浮かび上がっていく。
「私が今回叶えた願いはただ“E組の者がちょっとした失敗をしてしまえばいい”という程度のもの。だから私がしたのはただ、白戸邦章が貼った結界が“たまたま紙が剥がれやすくなっていて”“運良く風に飛ばされてしまって”“不幸にもその結界の綻びを侵略者に見つけられて逃してしまう”という、そこまでのことなの。貴女達に対する不幸までは願われていない。だから、貴女達に直接何かをするつもりはないけれど……まあ、これは直接何かをしたのと大して変わらない結果なのかしら?」
「くっ……!」
「このまま行けば、貴女はそこの先輩もろとも“異次元エレベーター”に吸い込まれて連れ去られてしまうわよ。そうしたら、どうなるかわからない。完全に消えてしまうのか、気が狂うのか、身体がバラバラに引き裂けるのか……想像してごらんなさい、恐怖を。それが、私達の力になるのだから……うふふ、ふふふふふふふふあはははははははははははは!」
ぶわり、と真っ黒な霧に包まれ、そのまま消えてしまうカナコ。だがもう、香帆はカナコに構っている余裕はなかった。もう異次元エレベーターを模した侵略者は、すぐそこまで迫っているのだから。
「か、香帆、ちゃん……!」
気丈なはずの小宵は、震えてほとんど身動きできなくなっているようだった。校門まで走り抜けることはまず難しいだろう。そもそも、アレが学校の外まで追いかけてこない保証が何処にあるというのか。
――どうする? どうすればいい?
『その上でもう一度言う。お前は帰った方がいい。覚悟の上で現場に立っている俺達とは違う。怪異に触れれば触れるだけ、侵略者に狙われる危険性は上がっていく。お前はまだ一度も侵略者を見たことがないはず。歪みがないならそれだけ狙われにくいんだ。……今後の人生さえ変えてしまいかねない上に、戦いが始まれば守ってやれる余裕なんかないぞ。足でまといになられるのも非常に困る』
聖の言葉がリフレインする。
『それでもお前は。全てを見届けたいなんて戯言を言うのか、香帆』
――そうだよ、こうなるかもしれないから、それが分かってたから聖は忠告してくれてた。それなのに、それを突っぱねて見守ることを選んだのは私だ。
『……もし、私の手に負えないようなら。本当の足でまといになっっちゃいそうだったら。その時は私のことを守れなんて言わない。危険を承知で此処に来たのは私なんだから、その責任は自分で取る。私もあんたに、助けてなんて言わないから』
――自分の言葉と行動に、責任は持たないといけない。助けてだとか、守ってだなんて言わない……そんなことしたら、私は完全にただの足でまといだ! ウザい系守られヒロインとか一番アニメで嫌いなタイプでしょ、絶対それだけにはならないってそう私はあいつに、自分に誓ったはずじゃん!!
『その時は全力で逃げる。戦えなくても、怯えて座り込んで邪魔するようなことだけはないように頑張る。戦えなくても自分の足で絶対ちゃんと……逃げ切ってみせるから、だから!』
まだ終わっていない。考えることはできる。考える頭も、動く手足もある。小宵を連れて逃げ切れそうにないのなら、自分の力で彼女を守るか――戦う手段を探るしかあるまい。
そう、最低でも、最悪でも、1年E組の誰かが駆けつけてくるまでの時間だけでも、どうにか稼ぐ手段を――!
――ただの、無力な人間でしかない私に……出来ることは、何⁉
『侵略者とやらは、七不思議を使って私達の意識に介入し、この世界に侵入してくるわけでしょ。七不思議も、人の意識も、普通の人間が持ちうる想像力の一種。それが敵に影響するかもしれないなら、向こうの“七不思議”を妨害するような行為や思想を持つだけで、相手を引っ掻き回せう可能性は十分あるんじゃないの?』
己が聖に告げた言葉を思い出した刹那、香帆は目の前が開けるような感覚を覚えた。
それは唐突で突然な、命の危機に瀕したがゆえの本能だったのかもしれない。まるで夢から醒めたような――一瞬。
「香帆、ちゃん……?」
驚いたように小宵が声をかけてくる。彼女から手を離し、香帆は立ち上がっていた。どうしてだろう。己のやるべきことが、出来ることが、何故だか突然理解できたのである。
自分が何故、ああまで拘って、危険を承知でこの件に関わり続けることを望んだのか。それは、ほっておけば何処までも遠くに行ってしまいそうな、誰かさんのことが心配でならなかったからだ。離れたくない、離れなくていい資格が欲しいと――無意識のうちに、そう願っていたから。
離れなくていい資格、それは。
傍にいても邪魔にならない――“あらゆる場面で”助けになるだけの、強さを手に入れるということ。
聖を守る、力がいるということ。
「“変幻自在・転”!!」
叫び、香帆が伸ばした手の先で――まさに自分達を飲み込もうとしていた侵略者の動きが、止まった。そして。
「オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
呻き声を上げる侵略者の姿が、どろどろに溶けた泥の塊のようなそれから、一枚の扉へと変わっていく。ただしそれは、鎖でがっちり縛られて、扉を開くことはおろかほとんど身動きが取れそうにもない代物である。
異次元へ繋がるエレベーターから、香帆が“連想”した類似するものへ相手の存在を“転じさせる”こと。それが香帆が目覚めた、新たな異能力だった。
「で、できた……⁉」
確信を持って、頭に浮かんだ言葉を叫んだはずだが。実際にそれが現実になるともなれば、驚かざるをえない。眼を見開いて固まる香帆に、誰かの鋭い声が飛んだ。
「そのまま封じてろ、香帆!」
タン! と地面を蹴る軽やかな音。敵の真後ろから、今まさに飛びかからんと宙を舞う聖の姿が見えた。そして。
「“天衣無縫・斬”!!」
無数の糸が、身動きできぬ扉の怪物と化した侵略者をがんじがらめに縛る。そして、今度は縛るだけではなかった。次の瞬間凄まじい悲鳴のような声が響き渡り、侵略者の身体はバラバラの粉々に切り刻まれていく。
「ギ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
絶叫と共に、切り刻まれた侵略者の身体が、ぶわり、と黒い霧になって舞い散り、空気に溶けるようにして消えていく。あれが、聖の力。あれが、侵略者という存在。後にはもう、何も無かったかのように、すっかり日が暮れた夜の校庭の、静寂以外に何もない。
「た、倒したの……?」
「ああ。正確には“退けた”だけどな」
まるでゲームの主人公のように、綺麗に地面に着地した聖は。もしかしたら、香帆が生まれて初めて見るような顔をしていたのかもしれない。
どこか泣きそうな、安堵したような、それでいて不安でもあるような――複雑な泣き笑いの顔。涙が見えたわけではない。でも、その眼が泣き出す一歩手前であるように香帆には見えたのである。そして。
「色々言いたいことはあるが……香帆」
彼はまっすぐ香帆を見て、一言。
「無事で、良かった……」
その言葉で、漸くこの場に満ちていた緊張感が霧散する。香帆は全身から力が抜けて、その場に座りこんでしまった。
どうにか、終わったらしい。自分達は助かった、らしい。
もしかしたらこれは、実のところ多くの災難の始まりに過ぎない夜なのかもしれないけれど。
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