<第二十話・一瞬の間隙>
E組の戦闘員は、それぞれ千葉の采配でバランスよく配備されている。
元々今回の作戦は最初に小宵を囮にして聖が真正面から侵略者を叩き、万が一逃しても邦章が校舎内に閉じ込めるという二段構えのやり方だった。そして、校舎内ではE組の中でも特に好戦的な部類である坂崎詩織と、その坂崎の索敵能力の無さをカバーする米田桃子の二人が待機している。逃げ出していった侵略者を追いかけ、詩織の高い火力で仕留めるという作戦。詩織の能力の便利なところは、聖とは違って“液体”で攻める分逃しにくいというところである。もちろん必ずしも彼女の能力の方が上位互換というわけではないが、今回のように不定形な相手ならば詩織の方がかなり得意分野であるのは間違いないだろう。
普段から、妙に聖に構ってくる少々うっとおしい女であるし、彼女がバディである桃子と喧嘩をすると殴り合いに発展するまで終わらない事も多いという困った人物ではあるのだが。こと実力に関しては、信頼を寄せていると言っても過言ではない。そもそも彼女は、能力を使いこなすのが早かったうちのひとりでもある。
聖のように、“見えるもの”はキツネであったというのに、目覚めた能力は何故だか糸だったという繋がりのないパターンは正直珍しいと言っていい。詩織の場合は、生まれつき全ての空間がゼリーのような重さと触覚をもった個体のようにしか感じられないという特異体質とハンディを持っていた。その特異すぎる触覚のせいで、敵の気配などの索敵能力の殆どが失われてしまっていると言っても過言ではない。そんな彼女が、要らないものすべてを液体で包み込んで消してしまう能力に目覚めるのは、一種自然なことだと言っても過言ではないだろう。
邦章も実のところ同じようなパターンである。彼はそもそも、何か特別なものが見えるタイプではなかった。ただ何となく、足場の悪い地面やひったくりが出にくい路地などを無意識に避ける能力が備わっていたというだけだ。何が見えるでも、何が聞こえるでもない。ただそちらに行くと“罠がありそう”というRPGのような直感があったという、それだけのことである。だから他の者達と比べると、奇異の目に晒されるような経験もないし、オカルト関係で余計なものが見えて苦労するということもなかったのだという。
そして、そんな邦章が目覚めた能力が、敵の意識に罠を張るという能力。実際彼は、守るべきものと言われて書いた紙に“人の心”と書いたらしい。なるほど、繋がっているといえば繋がっている。
聖の場合は“絆”と書いた結果、見えるものとは関係なく“糸”の能力に目覚めたのだろうという推測は成り立つ。正直なところ、正確なことは現時点で殆ど何も分かっていないのだが。
――詩織と桃子のコンビに任せておけばまず問題ないだろう。
彼女達以外にも、校舎の外で張っているメンバーはいるし、校舎内にも数名待機人員がいる。それでもまず、詩織と桃子で終わりになるだろうと聖は思っていた。万が一逃がしても、桃子の索敵から侵略者が逃れられるとは思えない。
そう、思っていたのだが。
「嘘だろ⁉」
唐突に、邦章が叫んだ。なんだ、と振り返れば彼は。
「封印が……一部、剥がれてやがる。そんな馬鹿な、俺はちゃんと一階の窓全部封じたぞ⁉」
とんでもないことを宣った。聖はあっけにとられて、冗談だろう、と呟く。
「全部封じたのに、剥がれた? 封じ忘れじゃなくてか?」
「そんな怖いことできるか! ていうか、先生や篠崎達とも何度もチェックし直したから、忘れてるとかありえねーって!」
「とすると……」
敵の気配は、随分弱くなっている。詩織にやられて、大幅に弱体化したようだ。だが、薄まった気配の残りがまだ校舎内に残っているのを感じる。それが、手負いの状態で何処かに移動しようとしている様子も。
「誰かが、封印を意図的に剥がしたっていうのか?」
邦章の力は、魔法陣を使って封じた範囲に敵の意識を止めおくことで、敵を特定空間に閉じ込めるというもの。つまりその魔法陣が壊される、はがされるなどすればその場所が出口として認識されてしまうという弱点を持つ。
魔法陣そのものは、ペンなら消せば落ちるし、紙なら剥がせばなくなってしまう。すぐに回収できるように、今回はすべての窓に外側から紙を貼るやり方で対応していた。つまり、誰かがその紙を外から剥がしにかからない限り、封印された領域が開放されるということはないはずなのだが――。
「犯人がいるとしたら、あいつしかねぇだろ……!」
ぎっ、と怒りを滲ませた眼で闇を睨む邦章。
「柊先輩に大怪我させた、アイツだ……! あの野郎、また俺らの邪魔をしようってのか!!」
***
校庭の中央付近まで逃げたところで、香帆の背中の気配がごそり、と動いた。
「……! 先輩!!」
声に出して呼べば、ううん、と寝ぼけたようなうめき声が聞こえてくる。やがて小宵の、かほちゃん?というまだ呂律の回らない子供のような声が聞こえた。
「あ、れ……あたし、どしたんだっけ……」
「覚えてない、ってパターンですか?」
「えっと……んっと、エレベーターの呪い見ちゃってやばい、急いでなんとかしないとって思って……香帆ちゃんと千葉先生のところまで行って……で、その翌日普通に登校したような、してないような……ごめん、そんなかんじ」
だいぶ記憶が曖昧になっているらしい。立てますか? と尋ねるとぼんやりした様子ながら彼女がうん、と言ったので、校庭の真ん中で申し訳ないと思いつつも下ろさせて貰うことにした。いくら彼女が小柄だからといっても、長々とおんぶして走るのはさすがに疲れるというものである。
「その“翌日”が今です。でもって、オカルト研究会の人達の言う通り、先輩は放課後すぐに研究会の人達の待ってる部屋まで行って待機してたはずです。で、そしたらその……七不思議に呼ばれるというか、なんというか。先輩はエレベーーターの前まで、操られるみたく移動しちゃったというかその……」
ダメだ、自分も結構パニクっている。上手い説明ができそうにない。わたわたしながら話せば、小宵もどうにか頭をはっきりさせようとしきりに眼を擦っている。幼い顔立ちに小柄な体格もあって、その所作だけ見るとすっかり子供だ。というか、変態が喜びそうなロリである。こんなことを言うと流石に機嫌を損ねそうなので、お口はチャックしておかなければならないのだが。
「今、聖達がその……侵略者と、戦ってくれてるところみたいで。とりあえずそれまで私達は、敵に襲われない場所まで逃げないといけません。先輩、立てるなら一緒に走ってください。多分学校の外まで行けば、逃げきれると思……」
「それはちょっと無理かしらね」
「!」
その声は、唐突にすぐ近くから発せられた。はっとして香帆は後ろを振り向く。自分達がまさに逃げてきた校舎の方向――いつからそこにいたのだろう、制服姿の少女が立っていた。
彼女は風もないはずなのに、長い黒髪をゆっくりと靡かせている。その顔は、まるで貼り付けたのごとく“個性のない笑み”だ。美しい顔立ち、ではあるのだろう。しかしそこに、人間らしい感情は一切見えない。削ぎ落とされたというより、最初から存在していないかのようだ。能面のようだと感じるのはそのためだろう。お面には、それそのものに何かを感じる心が宿っているわけではないのだから。
「……誰……?」
人間じゃない、というのはすぐに知れた。何故なら彼女のつま先は、ほんの少し地面から浮き上がっていたからである。
まるで宙に磔にでもされているかのように、彼女は空中に固定され、その両手両足はぴくりとも動く気配がなかった。髪だけが、ざわざわと無いはずの風に煽られている。まるで、彼女自身の力の強さを示すかのように。
「あら、分からない?私が誰なのか。……でも、私の姿が見えている時点で、貴女は私のことを“想像して”いるはずなんだけどね。想像しているということはすなわち……知識として、知っているということよ。私の物語を、ね」
くすくす。くすくす。
心を恐ろしくざわつかせる、鈴の音のように美しく艶やかなその声。既に、知っている――香帆は思い当たり、ぞっとして小宵の腕を引いて、後ずさりをした。
「香帆ちゃん……?」
「まさか、嘘でしょ。此処は校庭なのに……」
まだ頭がぼんやりしている小宵は気づいていないらしい。目の前に存在する“彼女”が、どれほど異質で恐ろしい存在であるのか。
『原始の七不思議にして、最強の物語。此処には、“屋上で招くカナコさん”がいる。……カナコさんに会えるのは、金曜日の夕方四時から五時の間。出会ったカナコさんは、出会った人間と会話を交わすことはない。ただ黙って、ぼんやりとフェンスに寄りかかってこちらを見つめているだけ。……でも彼女には、全てがわかる。全てが見える。彼女は出会った人間の“願い”を読み取り、何でも叶える力を持っている……』
その七不思議を聞いた時、誰もがそれとなく想像したのだ。
それほどの力を持つ“悪霊”ならばきっと――天下絶世の美少女であるのが相応しい、と。
『この物語の恐ろしいところは。出会った人間には一切“拒否権”がないということ。カナコさんは、出会った人間の願いを何でも叶える。けれど、その人間の“どの”願いが叶うかは誰にもわからない。……そして、願いを叶えた後、それに応じた代償を強制的に出会った人間に払わせる。その人間が一番愛している人、もしくはその記憶。あるいは住み慣れた家。大事な人の命。恋人の心。……ああ、片腕だったり、片足だったり、内臓だったりなんてこともあったか。そのやり方は非常に残酷で、強引だ。それでも、カナコさんに会いたがる人間があとを絶たないから問題でもあるんだけどな……』
だから、目の前に存在する彼女は美しいのだろう。
それが、その姿こそがこの学校の者達に望まれた姿であるからだ。
「貴女は……原始の七不思議、“屋上で招くカナコさん”……!」
香帆の言葉に。目の前の少女は、その真っ赤に濡れたような唇を、きゅう、と釣り上げてみせたのだった。
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