<第十六話・そこにあるための覚悟>

 聖が言っていることが至極真っ当であることは、香帆にもよく分かっているのである。

 自分は、彼のように侵略者への対策など何も持っていない一般人だ。見届けたい、なんていうのは本来ただのワガママだろう。小宵は“一般人でしかない自分達が出来ることを探すべきだ”と言ったが、結局香帆にはそれが何なのかもわかっていない。いざ戦いの現場になった時、果たして自分に出来ることなどあるのかどうか。それどころか聖が言うように、ただ足でまといになって終わる可能性は十分にあるだろう。

 それは香帆が大嫌いな――漫画やアニメの“お荷物系ヒロイン”と同じだった。以前見たあるアニメの、一番嫌いなパターンがそれだ。主人公が心配だからと、病弱な身でありながら一人病院を抜け出して主人公に会いに来て、結果巻き込まれなくていい危険に巻き込まれる妹キャラがいたのである。そして敵を前にして震えるしかできず、“助けてお兄ちゃん! だ。自分の身を自分で責任持って守れる格闘系ヒロインなら、結果的に敵に捕まってしまってもそれはそれ、である。しかし彼女はそうではなかったし、そもそも病弱だから一定時間ごとに薬を投与しないと命が危ないような体質だったのだ。

 そうやって、兄の足を引っ張り、予期せず捕まった妹を助けるために戦いのプランを大幅変更しなければならなくなった主人公を見た時――あれだけはなりたくないな、と思ったのである。

 戦う力がないなら、無いでもいい。でもそれならば、無力であることを自覚してきちんと後方に下がっているのが筋ではないか、と。傍で足手纏いになりながら“頑張って!”なんてことを言われたって実際は気が散るだけでなんの応援にもなりはしないのである。

 そして今の香帆も。聖に言われているのはそういうことなのだと分かっていた。ここでもし足手纏いになるようなら、香帆はきっと自分で自分を許せなくなるだろう。何よりそれでもし、聖や誰かの命に関わるようなことになったら――それはただ、後悔すればいいだけの話でさえなくなってしまうに違いない。


「……確かに、私は無力な人間だけど」


 香帆は、考える。考えた上で、答えを出す。


「ただの人間である私に、本当に出来ることはないの?」

「なに?」

「侵略者とやらは、七不思議を使って私達の意識に介入し、この世界に侵入してくるわけでしょ。七不思議も、人の意識も、普通の人間が持ちうる想像力の一種。それが敵に影響するかもしれないなら、向こうの“七不思議”を妨害するような行為や思想を持つだけで、相手を引っ掻き回せる可能性は十分あるんじゃないの?」


 正直なところ、たった今思いついたことを思いついたまま口にしているだけだった。でも、話してみれば案外的を射ているような気がしてならない。

 彼らが人の意識を介して姿を持つというのなら、誰かの意識によってその姿や能力に影響を与えることは十分可能なはず。そしてそれは恐らく、より強い想像力を持つ人間であればあるほど強く影響を受けるのではないのだろうか。

 自慢じゃないが、香帆は漫画やアニメが大好きだ。とても口にはできないけれど、影でこっそりエロい妄想したりだの、男同士の恋愛がどうのだの、という想像もちゃっかりしていたりするのである。いや絶対口にはできないけれど。同人誌の隠し場所には、いつも悩まされてばっかりであるけれど。

 つまり。妄想力でいうのであれば、それなりだという自負があるのだ、香帆には。


「……もし、私の手に負えないようなら。本当の足手纏いになっちゃいそうだったら。その時は私のことを守れなんて言わない。危険を承知で此処に来たのは私なんだから、その責任は自分で取る。私もあんたに、助けてなんて言わないから」


 怖くないわけがない、でも。そこは自分のプライドに賭けて、誓うべきことだとわかっていた。


「その時は全力で逃げる。戦えなくても、怯えて座り込んで邪魔するようなことだけはないように頑張る。戦えなくても自分の足で絶対ちゃんと……逃げ切ってみせるから、だから!」

「なんでだ」

「え」

「どうしてそこまでして、この一件に関わりたがる?」


 聖の声は、困惑に満ちていた。


「確かに、この学校にいる時点である意味既に巻き込まれているというのは事実だろうが。だからって、より危険な場所にお前が行かなければならない理由なんてものはないだろう。先輩が心配だというならそれもわかる。俺達のことが信用しきれないというならそれも納得はしよう。……でも、だからお前の手で解決できることではないことは、今の言葉からしてお前自身が一番よくわかっているんだと思うが?」


 その通りではあった。そして、どうしてこんなにも聖を一人で行かせたくないのか、それを上手に説明することが香帆にもうまくできずにいる。

 もちろん、小宵のことが心配であるのは間違いない。でも多分彼女のことがなかったとしても――最終的に自分は、聖のところに走っていった気がしてならないのだ。


「そ、それは……」


 考えて、考えようとして。

 複雑になった糸を解く必要さえなく――それは唐突に、すとんと香帆の胸に落ちていった。


「……あんたが心配だから、じゃ駄目なわけ?」


 素直にどうこう言えないのは、きっとお互い様だ。でも、このまま聖が一人で遠くに行ってしまうのが怖いのは、このまま置いていかれたくなくて、だから彼が本当のことをまるで語らずに隠し事ばかりするのが気に食わなくて――。

 どんな感情が隠れているにせよ、きっと結論はその一つなのだろう。


「昨日の話聞いてて、余計思ったの。……私は普通の人間かもしんないけど。あんたみたいに、不思議なもんなんて何も見えないかもしれないけど。多分あんたには……そんな普通で、平凡な人間も傍にいないと駄目なんじゃないかって思う。……私の勘だけど」

「お前は俺が嫌いなんだと思ってたけどな」

「嫌いなのはあんたが隠し事ばっかりするところ! 全部嫌いだったら、むしろそういうの全然気にしてなんかないんだから! もう少し察しなさいよねこのニブチン!!」


 あ、ダメだこれ、と香帆は赤面する。

 これではまるで、愛の告白でもしているようではないか。自分はけして、彼とはそういう関係などではないし、そういう関係を望んでいるわけでもないというのに。


「……変なやつだな」


 けれど。香帆のそんな様子を見て――聖はなんだか呆れたように、それでもどこか嬉しそうに、小さく笑ってみせたのだった。


「言質は取ったからな。……俺はお前を守らないし助けない。お前はいざとなったら自己責任で逃げる。……それで納得できるなら、勝手にしろ」

「ええ、勝手にしますとも!」

「ふん」


 なんだろう。やっと、胸の奥につかえていたものが、少しだけすっと溶けたような気がするのである。

 思えば聖の行動が気に食わないと言いながら、自分もまたちゃんと聖と向き合ってこなかったような気がしてならない。変わってしまったのではないか。そう思って、怖かったのは香帆の方だったのだろう。聖は隠し事ばかりしてきたが、それを暴こうとしなかったのも香帆だ。

 何もかも聖が悪いわけじゃない。むしろきっと聖は、香帆のためを思って距離を置いていたことだって、今ならわかっているのである。


――だからって。あんた一人で、戦わせようだなんて思ってないんだから。


 約束はした。自分は絶対、彼に助けなど求めない。ちゃんと逃げる――逃げて、生き残る。

 その責任を果たした上で見届けるのだ。これから起こるであろう、非現実を。


「俺達がなかなか敵を退治できなかったのは……物部佳織と太田守彦が消えた原因が、エレベーターであると特定できなかったというのもある。神隠し系と属される怪談は七つのうち一つだったが、他の怪談であっても一時的に人が消える可能性がないわけではなかったからな。今回はその“犯人”も、襲ってくるタイミングも図ることができた。そうすればやっと、俺達も仕事ができるようになる」


 聖に連れられ、香帆は一階のエレベーターの前に行く。外に階数ボタンがついている貨物エレベーター。今の自分には、ボタンにはカバーがかかったままだし、地下へ続くボタンも存在しているようには見えない。つまり、今の香帆はエレベーターに呼ばれた存在ではないということなのだろう。


「その瞬間が来ると、どうやら被害者は意識を奪われ、本人の意思とは関係なくエレベーターのところまで吸い寄せられてしまうらしい。普通に考えるなら、一階のこのエレベーターの前にもうすぐ前田小宵はやってくるはず。……前田小宵が来て、あのエレベーターが開けば……出てくるはずだ、そこから。俺達が叩くべき、侵略者が」


 ごくり、と香帆は唾を飲み込む。まるで何事もないかのように静まりかえっているオレンジ色の扉。本当に異変は起きるのだろうか。起きなければ退治することもできないというのが、非常にじれったいものである。


――見届けるんだ、最後まで。……びびるなよ、私!


 そうして、待機し始めて数分後のことである。

 廊下をおぼつかない足取りで歩く――少女の足音が、聞こえて来たのは。

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