<第十五話・弱き者の抵抗>
報告した時の千葉教諭の顔に、慌てた様子はなかった。ただ一言、“被害に遭う前に教えてくれて助かった”と言われただけである。
そして結局、昨日は香帆も小宵もそのまま帰されてしまったのだった。拍子抜けと言えば拍子抜けである。その場ですぐ保護的なことをされるか、バタバタと対応に動き出すものかと思っていたのに。
「なんでよ! 女の子二人が怯えてるっていうのに、あっさりしすぎじゃないの⁉」
「自分で女の子とか言う割には、お前は此処にいるんだな。新聞部の部長さんはともかく、お前まで付き合う必要はなかったんだが?」
「もう私だって無関係じゃないんだから! 最後まで見届けたいと思うのは当然のことだと思うけど?」
そして、時間は翌日の夕方まで飛ぶことになるのである。香帆はぷりぷりと怒りながら、校舎に向かって聖と共に歩いていた。小宵はというと、現在1年E組をはじめとしたオカルト研究会の者達に守られ、別室で待機しているということらしい。詳しいことは教えて貰えなかった。お前は帰った方がいい、と繰り返し聖を含め皆に言われることになったのみである。
彼らがそう忠告する理由などわかりきっている。それでも香帆が此処にいるのは、半ば意地もあって強引に聖についてきた、というのが正しい。
「タイムリミットが、噂を聞いてから二日~三日だっていうのはわかった。他の人達もそうやって消えてるっぽいしね。でもその先がどうしても納得いかないの。なんでタイムリミットが来た時じゃないと対応できないの?先輩が攫われそうになる前に対処してくれたっていいじゃない!」
香帆が告げると、玄関で靴を脱ぎながら聖は告げる。
「それが出来るならとっくにやってる。そもそも事件が起きる前に七不思議そのものを叩いてる。お前は先日の俺の説明でそのへん理解したんじゃなかったのか」
「全然足りてないし!面倒くさがってあんたが適当なところでブン投げちゃうからでしょ!まあその後チャイムが鳴ったのもあるんだけどさ」
「言っただろうが、もう少し自分の頭で考えることを学んだ方がいいって。……まあいい。仕方ないから解説してやる。異世界からの侵略において、俺達ができることといえば“事件が起きた後の処理”だけなんだ。火事なら防災できる。放火されにくいようにゴミを外に出さないようにするとか、失火しないようにコンロにヤカンをかけたままにしないようにするとか、消防法に則って通路を塞ぐように荷物を置かないとかその他もろもろ。でも地震は、地震そのものが起きることそのものは止められないだろ。俺達も同じ、侵入そのものを止める方法を持ってないんだ」
明らかに“仕方ないなあ、面倒くさいけど”が滲む口調で言われてしまい、香帆は頬を膨らませる。こいつのこういう性格――馬鹿にしたり見下したりしているのではなく、本当に手間をかけるのが嫌なだけなのだ――がなければ、女の子にももっとモテるだろうに、と思わずににはいられない。
こいつをカッコイイ! とか夢を見ていた夏美と苺にも本性を教えてやりたいと思う。こいつを婿に貰ったら最後、ヒモされるのが目に見えてるけどそれでもいいのか?と。
「前にも説明とかいろいろしたと思うが。基本的に、世界同士は不干渉。無理に干渉しようとすれば、干渉しようとした側が罰を受けることになる。俺達の方も同じなんだ。いくら異世界が侵略しようとしてきているからといって、強引に向こうの世界に攻撃を加えようとしたらとんでもないペナルティが発生するようになっている。……この辺は俺もよくわかっていない、というか先生達も知らないと言った方が正しいか。試した人間が少なすぎるからな」
それは既に聞いた話だ。ただ、どうしても自分には“なんで他の世界に行ってはいけないんだろう”と首をかしげる気持ちもなくはないのである。
異世界のルールは、この地球と呼ばれる世界とは大きく異なっているらしい。酸素がないと生きられない人間が、酸素のない世界に行けば即死するという理屈はわからないことではない。でも。果たしてこの世界の人間が生きられる異世界というのは、本当に存在しないものなのだろうか?
そして別の世界から侵入を受けているのに、こちらから攻撃をする手段がないというのは正直なところ理不尽であるような気がする。先の理屈で言うなら、酸素がない空間であったとしてもその場所で息を吸わなければいいだけのこと。その向こう側にほんの少し手を入れて攻撃魔法を放つような真似くらいしてもいいような気がしてしまう――なんて思うのはライトノベルの読みすぎなのだろうか。異世界にトリップした主人公が無双するパターンは、ライトノベルでなくても珍しいものではない。
「お前が何を想像しているかわかるから言っておくが。別の世界に召喚された人間が好き勝手にチート能力を振り回す、なんてことは現実には“有り得ないし有ってはいけない”んだよ」
トントン、と上履きのつま先を揃えながら聖は告げる。
「野球でもサッカーでも、基本ホームグラウンドの方がチームの力が発揮できるだろう? 異世界ともなると、その影響が何十倍にも膨れ上がる。俺達が今何の支障もなく元気に、最大限の力を発揮できるのは“此処が俺達の世界”であるからだ。他の世界に行けば、下手すると生きていられたところで何万分の一まで力が落ちる。そういう風にセーブがかかるように出来ているんだ」
「どうして?」
「それが世界の意思ってヤツだかららしい。本来のその世界の流れ、歴史が妨害されないようにできている仕組みがそれらしいんだ。わかり易い話をしようか。白雪姫の世界にピーターパンがトリップして、白雪姫を助けるために毒りんご事件を起こす前のお妃様を殺害したとする。……すると、白雪姫はお妃様からの命令が来ないから森に逃げない、王子様どころか小人たちにも出会わない。物語が破綻すると思わないか?」
「た、確かに……」
彼女はお城でふつーに幸せに暮らしました。おしまい。それでは物語が物語として成り立ってないだろう。本来登場する人物の大半と、白雪姫は関わりがなくなってしまう。王子様とはもしかしたら出会う機会があるかもしれないが、少なくとも七人の小人と遭遇する機会が出るとは正直思えない。
「異世界からやってきたピーターパンが、その魔法の力を自由に持ったまま好き勝手に動くと、善意でやった行為が結果として白雪姫の世界の破綻を招くことになる。それは非常にまずい。だから万が一ピーターパンが白雪姫世界にトリップしても、無双行為なんかできないように制約をかけなくちゃいけない。魔法も使えない、飛べない、腕力も十分の一以下……ってレベルにまで落ちれば、ピーターパンに出来ることは殆ど何も残らないだろ? もちろん、その状態であろうとやりすぎた真似をしようとすれば世界から天罰が下る。そういうシステムを作ることで、世界は異世界からの干渉やそれによる破綻から世界そのものを守ってるってわけだな」
非常に納得がいった。同時に、香帆は少しだけつまらないなとも思ってしまう。
昔大好きだった漫画に、現実世界でいじめられっ子だった少年がファンタジーの世界に飛ばされ、超パワーアップして悪人たちをバッタバッタとなぎ倒す痛快アクションがあった。当時は面白いと思ったが、確かによくよく考えてみると本来その世界の人間ではない存在が世界を脅かす悪役を倒してしまっては、歴史を大きく変えていることに他ならない。もし悪役を倒すに相応しい、その世界本来の英雄がいたら? 活躍の機会を奪ってしまうし、その英雄が結ばれるはずのお姫様との結婚もなくなってしまうかもしれない。
もっと言えば、その悪役が世界を支配するのが本来の世界の歴史であるならば、そのままにしておくのが世界としては正しいことであるのかもしれなかった。――トリップしてチート無双!という夢を見る若者は多分少なくないだろう。そういう系列の異世界ファンタジーを求める者は、一種そういう爽快さを楽しんでいるのだろうから。現実には無理、あってはいけない、とバッサリ切られてしまうのはなんとも苦いものがあるというものだ。
「話が横道に逸れたが。とにかく、“どんなことをしても異世界に干渉が許されない”という意思を世界そのものが持っていることで、俺達は守られているとも言えるんだ。俺達に今、そのルールを破って危害を加えようとしてきている以外にも危険な異世界はいくらでもあるんだろうしな」
上履きを履いて、すたすたと歩き始める聖。本当に待っていてくれるつもりはないらしい。つっかかりそうになりながらも、香帆は慌ててその後ろを追いかけていく。
「だから俺達は、“奴らの侵入経路を特定し、侵入してきた結果弱体化した侵略者を撃退する”ことしかできないってわけだ。事件が起きる前に対処したいのはやまやまだが、奴らがこっち側に顔を出してくれるのは事件を起こすために奴らが踏み込んで来た時だけなんだよ。ゆえに予防策は取れない。理解したか?」
「言い方は非常にムカつくけど大体はわかった。……でも、事件が起きたのは今回が初めてじゃないわけでしょ。守彦君達が攫われるのは、防ぐことができなかったの?」
「尤もな意見だな。それが出来なかったから今まで苦労したと言っていい」
「?」
標的が不特定多数すぎるんだよ、と聖はため息を漏らした。
「“過去に侵略者を目撃したり、触れたりしたことのある人間”ほど、怪異に魅入られやすいのはわかっていた。だが、この学校にそういう人間だけでどれだけの数がいると思う? もっと言えば、怪異に過去触れたことのない人間だって安全なわけじゃない。今回のエレベーターなんて本当にタチが悪いんだ、エレベーターの横はほぼほぼ全校生徒が通る可能性のある場所だぞ? 警戒していても視界に入ってしまうような位置にある。誰が侵略者に魅入られるかなんて予想するのは不可能に近い。そして、あのエレベーターに近辺に誰も近寄らせないような対策を取ると、奴らは間違いなく“侵入経路を変えてしまう”のが過去に立証済みなんだ。この学校がいくら囮として機能しているからといって、侵入経路が学校外に移ってしまわない保証もない。それは非常にまずい」
なんとなく、香帆にも分かったような気がする。七不思議の危険性を正しく周知できない以上、生徒達の危機感もそこまで強いものにはなりえない。とすれば、七不思議のフラグを目にしたところで、それを誰かに報告しようなどとは思わないことだろう。恐らくは太田守彦も、物部佳織も、実際に神隠しされる前に学校側に報告が行かなかったゆえに消されてしまったということなのか。
彼らが敵を討伐するには、事件が起きる現場に彼らがいなければならないのだ。
「だから今回は……結果的には非常に助かったといっていい。そういう意味ではお前達に感謝はしている。神隠しが発生する前に俺達に報告を上げてくれたおかげで、あの厄介なエレベーターの侵略者を退治できそうだからな。今回退治さえできれば、あのエレベーターは怪異のない普通のエレベーターに戻る。同じ事件は二度と起きなくて済む。だから今夜、それを実行するというわけだが」
階段の傍まで歩いてきたところで、聖は立ち止まり振り返った。初めて見るような、真剣な眼差しで香帆を見つめる。
「その上でもう一度言う。お前は帰った方がいい。覚悟の上で現場に立っている俺達とは違う。怪異に触れれば触れるだけ、侵略者に狙われる危険性は上がっていく。お前はまだ一度も侵略者を見たことがないはず。歪みがないならそれだけ狙われにくいんだ。……今後の人生さえ変えてしまいかねない上に、戦いが始まれば守ってやれる余裕なんかないぞ。足でまといになられるのも非常に困る」
それは実に、妥当で正論な提案。
「それでもお前は。全てを見届けたいなんて戯言を言うのか、香帆」
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