<第十四話・逃れられぬ運命>

 小宵の言葉を飲み込むまで、しばし時間を要した。

 呼ばれた。エレベーター。時間がない――それらの言葉が断片的に浮かび、ようやく香帆の中で一つに繋がる。そして。


「……嘘ですよ、ね?」


 そんな馬鹿みたいな事しか、口にすることが出来なかった。それほどまでに目の前の小柄な先輩は酷く落ち着いているように見えたから。


――だ、だって先輩。さっきも平然と会議してたし、今だって。


「嘘だったら良かったんだけどね……」


 昨日の夜なの、と彼女は言う。


「昨日の夜、香帆ちゃんと一緒に帰って。……その後もう一度学校に戻ったの。病院に辿りつけなかった体験は怖かったけど、それはやっぱり……怪異のせいというより、オカ研か学校の人達に妨害されたんじゃないかって考えに辿り着いたから。今日の香帆ちゃんの話を聞く前だったしね。正直意地になってたんだと思う。何がなんでも、誰に邪魔されても七不思議について調べてやるんだって。……あの子を消したモノが幽霊なのかそれ以外のなんなのか、学校の七不思議を調べればその答えに近づける気がしたから」


 まさか、彼女は夜に一人で学校に戻って、エレベーターを確認しに行ったというのか。異次元に繋がる時があるという、あのエレベーターに。―現状、普通の人間が逃げることも避けることもできないとされる、最悪の神隠しスポットに。

 いや、確かにあのエレベーターの“地下へのボタン”を目にしてしまう可能性があるのは何も夜に限ったことではないのはわかっている。でも、わざわざ夜に見に行ったというのか彼女は。侵略者に当てはまるかどうかわからないが、幽霊の類であるのなら夜の方が活性化するというのはお約束ではないか。それなのに。


「なんで……先輩! 危ないの、わかってたじゃないですか! 現状対抗策だって見つかってないのに……っ」

「わかってる。香帆ちゃんが怒るのは当然よね」

「当たり前です!私にあんだけ協力しろみたいなこと言っておいて結局一人で突っ走って危険背負い込むんですか! なんで⁉」


 一年生が、部長相手に利いていいクチではないことくらいはわかっている。それでも言わざるをえなかった。自分だって彼女と一緒に、できる限り調査をしようと頑張ってきたつもりである。彼女が突き進むなら――そりゃあ、最初は巻き込まれた形であったけれど――この学校の危機というのなら無関係なことではない。

 無力な人間なりに出来ることを探そうという彼女の姿勢に、少し感動さえ覚えていたのだ、さっきまでは。それのなのに肝心の小宵は一人で危険な橋を渡っていたというのか。なぜ。どうして。


――先輩も過去に……侵略者らしき存在を見てる! 歪みを抱えてる! なら、エレベーターに魅入られる可能性は十分にあったんだ……!


 今彼女がエレベーターに誘われずとも、いずれそうなっていたかもしれない。だとしても、香帆が怒りを感じるのは当たり前のことではないか。


「……いくら怒られてもなんも言わないわ。全部聞いて今、あーバカなことしたなって反省してるから」


 でもね、と彼女は言う。


「この学校にいる以上、あのエレベーターに……あるいは他の七不思議に、誘われる危険は誰にでもあったことよ。今回危険な橋を渡らなかったところで、いずれどうなっていたかはわからない。……確かにあたしは、他の人よりも異世界ってものに興味を持ってる。あっちへ行ったら、ひょっとしたらいなくなったあの子に会えるかもしれないなんて、そう思ったことは否定しないわ。でも、それだけじゃないの。……反省はしても、後悔はしてない。自分が当事者になれば、堂々とオカルト研究会に接触する理由ができる。彼らももう、“部外者は関わるな”なんて簡単なことは言えなくなるはずよ。彼らの協力を仰ぐ、十分な理由になると思わない?」

「だからって……!」

「いなくなった物部佳織が、エレベーターについて友達に相談していたのは消える二日前。恐らくエレベーターのボタンを見て“条件”を満たしたからといってすぐに消えるわけじゃない。タイムラグがある。なら、その間にケリをつければあたしは助かるはずなの。少なくとも、あたしが消えるのは今夜じゃないはずよ」


 なんで、そんなに冷静なのだろう。消える、というのがどういうことなのか彼女は分かっているのだろうか。

 いなくなった二人は、現状“失踪した”としか解釈されていない。だが、実際今どういう状況であるのかなど誰にもわからないことなのだ。もしかしたら、もう生きていないのかもしれない。あるいは生きていても発狂していたり、化物のような存在に代わってしまっていることだって十二分に有り得るはずである。




『……お前が考えるほど、異世界なんていいものじゃない。場合によってはライトノベルにありがちな華やかで夢のような世界もあるのかもしれないが……少なくともこの世界を現在進行形で侵食してきている連中の世界は、はっきり言ってこの世界の人間が触れていいようなものじゃないんだ。空間そのものがドロドロに濁り、溶けて、物理法則も何もかもが通用しない。呼吸どころか触れるだけで即死するような恐ろしい異世界が、俺達が生きるこの世界の真横に存在しているんだ』




 呼吸するどころか、触れるだけで即死するような恐ろしい異世界――あの聖が、そう表現したのである。

 そんな場所に普通の人間が行って、果たしてまともでいられるだろうか。それはもしかしたら、死ぬよりも残酷なことであるかもしれないというのに。


「……怖くないはず、ないでしょ」


 気丈な小宵の声が、微かに震えた。


「でも、もう後悔したくないの。自分の身勝手のせいで誰かが危険に晒されるだなんて耐えられない。だから貴女に協力は要請したけど、最初から一番危ない場所には一人で行くつもりだったわ。誰かが目の前で犠牲になるくらいなら、自分がどうにかなった方が百倍はマシよ。……そしてその犠牲になる誰か、は。この学校の誰になるか全くわからないような状況でしょ? 大好きな友達や、先輩や……あたしを助けてくれる、香帆ちゃんになるかもしれない。それを指を咥えて黙って見ていたせいで取り返しのつかないことになって後悔するくらいなら、精一杯ぶつかって砕け散った方がずっといい! 香帆ちゃん、貴女もそういうタイプの人間なんじゃないの⁉」


 思わず、言葉に詰まった。それは初めて見る、小宵のトラウマが発露した瞬間だった。彼女は本当は、彼女自身が思っている以上に小学生の時の事件を引きずっているのだろう。

 自分がああしなければ。あんな馬鹿なことをしなければ。大好きなあの子がいなくなるなんてことはなかったのかもしれない。

 そうならない為に、やれることをしないのが耐えられない――小宵は、そういう人間なのだ。いや、そういう人間に変わったのだろう。それほどまでに、失ったものが彼女の傷となって突き刺さっているのである。


「……先輩の、考えはわかりました」


 そんな小宵に。まだ本当に恐ろしいモノを、何一つ見たことのない香帆が言える事はそうそう多くはない。彼女に過剰な説教をする資格が自分にあるとも思えない。でも。


「それ、ブーメランだってことだけは気づいて欲しいです。……先輩がそうやって頑張って、いなくなったら。私や新聞部のみんながどう思うのか、悲しむのか心配するのか……それだけは、忘れないで欲しいです。先輩は、私達にそういう想いをさせたいんですか」


 きつい口調にならないように、それでも強い気持ちをこめて告げれば。本当はわかっているのだろう小宵は、視線を逸らして俯いた。

 お約束な、感動的な映画のワンシーン。ヒーローを庇ってヒロインが攻撃を受けて、感動的に死ぬなんていうのはよくある流れだろう。あるいは死にかけたヒーローを救うためにヒロインが回復魔法を使いすぎて、代わりに死にかけてしまうという話もあった気がする。

 それは麗しい美談として語られがちで、映画の宣伝文句でも“全米が泣いた! 感動のラスト!”みたいな言葉で飾られたりもすることだろう。でも香帆は、実のところそういうものが好きではなかったりする。

 誰かを命懸けで救うというのは、尊い行為であるのかもしれない。その自己犠牲に、献身に、涙する人がいることを否定はしない、でも。

 本当に守りたい人がいるのなら。その人の代わりに自分が死ぬことでその守りたい人の心をどれだけ傷つけるのか、どうして分からないのだろう。守りたい相手であるというのなら何故、その人の心まで守る手段をギリギリまで探そうとしないのだろう。

 ヒロインの命を犠牲にして蘇った、あるいは助かった主人公が。助かってしまった己を生涯責めて生きていくかもしれないと、彼女は全く思いもしないのだろうか。

 本当に救いたい相手がいるというのなら、やるべきことは一つだ。二人一緒に生き残れる方法を最後まで探す、ということ。

 ハッピーエンドを、諦めない。それ以上に意味ある覚悟が何処にあるというのだろう。


――ああ、そっか。……だから私、聖に腹が立って仕方ないんだ。


 一人でなんでも背負い込もうとする聖が。そうやって香帆を遠ざけることで守っているつもりになっている彼が。

 今目の前の、小宵に重なって仕方ないからこんなにも苛立っているのである。


「犠牲になんか、させませんよ。誰かを犠牲にしなきゃいけない結末なんか、ハッピーエンドじゃないんですから」


 動揺に瞳を揺らす小宵に、香帆ははっきりと告げる。正確なタイムリミットはわからないが、それが明日の夕方から夜に来るというのであればもう躊躇していることなどできない。ケリは、明日の夕方までにつけなければならないはずだ。

 香帆はちらり、と時計を見る。オカルト研究会が何時までやっている部活動なのかはわからない。ただ彼らが本当に、聖の言うとおり異世界からの侵略者に対処するための精鋭として育てられる存在であるのならば――夜であろうと、ある程度対応できるようにしてあると考えるのが自然な流れである。少なくとも、1年E組の担任である千葉教諭がその件と無関係であるはずがない。彼ならば、高い確率でまだ職員室にいることだろう。


「行きますよ、先輩。まずは千葉先生に報告しましょう」


 このまま終わりになんて、させない。

 香帆は覚悟をもって、今宵の手を握った。

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