<第十話・見えざる者の手>

 憂いを帯びた顔で、黙ってそこに佇んでいれば――まあ、こいつは間違いなく絵になるのだろうな。聖を見て香帆は思う。つれない態度を取ることこそあれ、何も香帆は聖が嫌いだというわけではないのである。

 むしろ昔は性別を越えて、一番気心の知れた友人だとさえ思っていた。聖はけして、うわべだけのお世辞を言ったり、好きでもない相手と無理に迎合しようとしたりしない。嫌なことは嫌とはっきり言うし、周りが全員イエスと言うことでも自分が間違っていると思えばちゃんとノーを言える人間である。

 そして何より、一番肝心なところで嘘をついたり、しない。

 聖と付き合うのは非常に気楽だった。笑顔で手を振っておきながら、振り向くとすぐ舌打ちをして別れたばかりの相手の悪口を平気で言うような真似など、彼はけしてしないと知っていたからである。


――多分。……こんなに溝が出来たの……中学校上がってからとか、それくらいだった気がするな……。


 いつからだろう。こんなにも――聖のことが許せないと感じるようになったのは。

 彼が変わってしまったというより、香帆が気づいてしまったといった方が正しい。彼は嘘をつくことはしない。でも。誰かを守るためなら、その限りではない。そして。

 己が影でどれほど傷つけられたり苦しめられていても、己が我慢すれば問題ないと思えば平気で黙っている。それが、中学校に上がってからは余計に増えた。





『あんたは何もわかってない! わかってなさすぎ! ほんっとマジ最低っ!!』




 果たして、聖は気づいているのだろうか。香帆が一番怒った理由が、一体どこにあったのかということに。


「……香帆」


 たっぷり長く息を溜めて、聖は。


「小学校五年生……だったか。林間学校で、一部の奴等が肝試しをして……小屋に閉じ込められた事件があったのを覚えてるか」

「……覚えてるけど」

「じゃあ、その時に俺が話したことも?」

「覚えてる。それが何なのさ」




『だって、信じる信じないというか……仮に、人魂っぽいのが見えたとしてさ。それが“オバケ”であることをどうやって証明するんだとか。そもそも、証明すること自体が意味がないような気がしてならないんだよなあ。悪魔の証明ってヤツを知ってるか? 存在する悪魔を証明するなら、悪魔本人を連れてきてみんなに見せればいい。でも“悪魔は存在しない”を証明するのはほとんど不可能に近いほど難しい。だって、世界中を探し回ったところで、未開の土地全て探索し尽くすなんて無理ゲーだろ。“いない”ことをどうやって証明するんだよ』




『そもそも幽霊の場合、“居る”ことを証明するのだって難しいような気がしてる。例えば、今俺が幽霊が見える人間だったとして。あいつらが肝試しに行こうとしてる、宿舎裏のボロ倉庫の中にいっぱい幽霊っぽいのがいるのがこの窓から見えるとするだろ』




『それが文字通り、人魂みたいな姿で俺には見えてたとして。……でもそれが、本当は何なのかなんて誰にもわからないと思わないか? 俺には人魂みたいなものが見える気がするけど、他の奴らにそれが見えなかったら“目の錯覚だろ”で笑い飛ばされるだけだし。俺自身だって、自分の眼に見えるソレがなんなのか証明しようがない。見えて至って幽霊かどうか、科学現象なのかどうか、はたまたそのどっちでもないかなんてわかんないんだよ。……そう思ったら、なんていうかオバケが存在するだのしないだの、議論するだけ馬鹿馬鹿しくなってくるというか、なんというか』



 まさに、あの話を思い出して香帆は疑ったのだ。もしかしたら昔から、聖は幽霊の類いが見えていたのかもしれない――と。


「あの時言ったことが、俺の本質で今此処に居る最大の理由だ」


 聖はきっぱりと言い切った。


「俺には時々、特定の場所に“存在しないはずのもの”が見える時があった。それがどうやら俺にしか見えていないらしいと気づいたのは小学校に入ってからのことだ。……見えるのが当たり前で、生まれた時からそれは俺の景色の中に溶け込んでいた。それが“何”であるのか、俺にはどうしても分からずにいた。幽霊なのか、悪魔なのか、それとも何らかの科学現象が何らかの理由で俺にだけ見えているのか」

「科学現象?」

「子供だぞ? 難しい科学の知識があるわけでもない。俺が大人で、何らかの分野で優れた科学者だったなら話は変わっていたんだろうさ。でも俺は、何の知識もない子供だった。それが科学であるのかそうでないのかさえ証明する能力を持たない。そもそも俺にだけ見えてるんじゃ、それが何なのか人に訊いても答えはでない。……科学現象や幻覚である可能性をどうして否定できる? 生まれつき幽霊が見えたなんて人の話を時々聴くが、俺は半分以上は嘘だと思っている。だって、何でそれが“幽霊だとわかったんだ?”ってところが疑問で仕方ないからな。死んだ祖父母に会ったとかならともかく」


 つらつらと説明する彼。言っていることはわからないではない。

 確かに不思議なものが見えるとして、その正体を探るのはなかなか困難なことだろう。誰にも見えない理由が、自分の脳の中でだけ起きている現象だからなのか、科学的根拠があるものなのか、ファンタジーの産物なのか。誰も教えてくれないのだから、理解も証明もしようがない。


「ずっと見えるものの正体が知りたいとは思っていた。その反面、オカルトってものそのものは好きじゃなかった。何でもかんでも自分達の知識と認識で理解できるはずだと思い込んでいるように見えて腹立たしかったからな。……そもそも俺は、自分に見える“不思議なもの”が幽霊の類いだとはあまり信じていなかった。何故なら俺に見える“ソレ”は、総じて“狐の姿”をしていたからだ」


 狐。狐って、あの動物の狐だろうか。

 予想外の答えにきょとんとする香帆。その香帆をよそに、聖はぐるりと周辺を見回した。


「子供の頃に強く影響を受けたものの姿で、そういうものが見えることがあるらしい。多分、昔親に読んでもらった狐の絵本が印象に残ってたんだろうな、俺の場合は。今も見えている、この屋上に。今は連中もそこまで怖い顔をしていない。だから、“此処”が繋がってないのがわかっている」

「れ、連中?そんなにいっぱいいるの?此処に!?」

「いる。というか、奴等は何処にでも居るんだ。特別な場所にだけ見えるんじゃない。当たり前のように俺の視界にはウジャウジャしている。奴等がいない場所を探す方が珍しいし、時々は奴等で溢れすぎてて視界が埋まる。そういう時は疲れるから基本寝ることにしてるんだが」


 もしかして、授業中に眠っている時などもそういうことだったりするんだろうか。香帆は恐る恐る、自分の周りを見回してみた。しかし当然、香帆の眼におかしなものは映らない。ただの、真っ昼間の殺風景な屋上の景色が広がるばかりである。

 そして不思議なことに。聖の現実離れした話を、何故か疑うことなく信じている自分が居るのである。多分、なんとなく分かるからだろう。今の彼が、けして嘘などついていないということが。


――……わかっては、いるんだよ。


 ちくり、と胸の奥が痛む。


――あんたが真実を語るのも隠すのも。……大抵、私のためだってことくらいは。


 香帆よりずっと頭がいいはずなのに、同じ学校を受験してきた聖。それももしかしたら、香帆のためだったりするのだろうか。そこまで考えるのは、さすがに自惚れなのかもしれないけれど。


「……キツネの正体は、何だったの?」


 感情を押し殺しながら、どうにかそれだけ口にする。疑わないのか、と言わんばかりに聖は肩をすくめた。


「信じてくれるなら話は早いな。……そのキツネの色と顔で、俺はその場所がどれほど危険かどうかを知ることが出来る。赤いキツネ、黒いキツネがいるような場所には必ず何かがある。青いキツネや白いキツネがいる場所は安全だったり無害だったりする……そんな具合だな。ただ、“危険”の意味やレベルはその時々だ。老朽化していて危ない廊下だったり、人を殴りたくてウズウズしているヤバイ奴だったり、事故が起きる前触れだったりとかな。……奴等は生き物じゃない。“歪み”や“穴”が出来ている場所を示すため、俺が自分の認識でわかりやすいように視覚化したのがキツネだったっていうだけだ」

「歪みや、穴?どういうこと?」

「空間に、人に、モノに開いている見えない穴だ。もしくは穴が開きそうになっているモノと言えばいいか。この世界を裏側から、隙あらば穴を開けて入ってこようとしている存在が居るんだ。ソレが、長い間人々の知識に照らし合わせて、多くの場合“悪魔”や“悪霊”と誤解されてきたモノの正体なんだよ」


 そして聖は、とんでもないことを告げた。実に大真面目な顔で。




「この世界は常に侵略され続けている。異世界の住人によってな」




 さすがに――その方向は、予想していなかった。香帆は思わず口をあんぐり開けて固まってしまう。

 異世界と聞いて、思い浮かぶイメージなどそう多いものではない。


「異世界ってあの……異世界?転生したり、トリップしたり、魔王を退治する勇者様がいたり成り代わったりチート無双したりギャルゲーだったり夢小説っぽかったりするあの?」

「……言いたいことはわからなくとないがライトノベルと二次創作の読みすぎじゃないのか。異世界って言葉は本来“此処ではない別の世界”って意味しか含んでないぞ。なんでほぼほぼ西洋ファンタジー限定なのか謎で仕方ないんだが」

「で、ですよね……」


 すみませんちょっと妄想しました、と苦笑いする香帆。確かに、どうして異世界と言うと多くの場合勇者がいたり悪役令嬢だったり魔王だったりの西洋系ファンタジーになるのだろう。どこかにルーツでもあるんだろうか――まあ、今はそんなことはどうでもいい。


「と、とりあえず、続けて?」


 分かりやすく呆れている様子の聖に続きを促す香帆。ここで自分が彼の言葉を中途半端に疑う姿勢を見せるのはまずい。やっと、聖から本当のことが聞けそうだというのに。


「……お前が考えるほど、異世界なんていいものじゃない。場合によってはライトノベルにありがちな華やかで夢のような世界もあるのかもしれないが……少なくともこの世界を現在進行形で侵食してきている連中の世界は、はっきり言ってこの世界の人間が触れていいようなものじゃないんだ。空間そのものがドロドロに濁り、溶けて、物理法則も何もかもが通用しない。呼吸どころか触れるだけで即死するような恐ろしい異世界が、俺達が生きるこの世界の真横に存在しているんだ」


 夢なんて見るもんじゃない。そう言うように、聖は吐き捨てる。


「その異世界そのものが、ゆっくりとこの世界を食べようとしている。この世界を取り込み、自分達の領域を広げようとしているんだ。……その速度を早め、支配を強めるために奴等が送り込んできている尖兵がいる。俺らの仕事は、そいつらと戦うこと」


 聖の眼が香帆の後ろを見る。

 そこに居るという、キツネの姿の歪みを見ている。


「侵略者を倒すために、結成されたのが……オカルト研究会なんだよ」

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