<第九話・ツッコミとハリセン>
ある意味、恐怖体験をしたことで開き直ったのかもしれなかった。翌日香帆は一発気合を入れると、HR前の時間に――隣の1年E組のドアを、がらりと開いていたのである。
「時枝聖は居る⁉」
おうなんだどうした、とざわめく室内。そういえば入学してから数ヶ月経過しているが、まだこのクラスに直接突撃したことはなかったな、と香帆は思い至る。
自分の教室ではない、別のクラスの教室というのは一種独特な雰囲気があると思う。同じ構造をしているし、机も教卓、黒板の位置も殆ど何も変わらない。それなのに、そこに存在する生徒と、黒板などに貼られたポスターやら、後ろのロッカーに突っ込まれている鞄や私物に違いがある。
まるで小さなパラレルワールドに迷い込んだかのような、ちょっとだけ奇妙な感覚。あまり人見知りしない方であるという自覚のある香帆だったが、それでも少し不思議な心持ちにはなる。それとなく、ぐるりと室内を見回した。全員がオカルト研究会に所属することを余儀なくされていると思しき、この学校に1クラスだけある奇妙なクラス。しかし、中にいる生徒達の雰囲気は、さほど異質なものではなかった。
強いていうなら、朝からきちんと来ている生徒が少し多いな、というくらい。
男子達はタブレットを覗き込んで何やら下ネタをぼやきあっている様子だし、女子は女子で携帯を見せ合ってきゃーきゃーと言っている。――これだけ堂々とよそのクラスの生徒が踏み込んできたというのに、我関せずとそのまま続行する生徒達のなんと図太いことか。それだけに、一見すると普通の生徒達であるようにしか見えないのだが。
「んー? あ、お前もしかして、時枝の嫁?」
そんな時、聞き捨てならない言葉を言ってくれたヤツがいた。ツンツン頭に明るい金髪、やせ型長身の男である。
「なるほどなるほど、アイツの好みってこういうタイプなの……あだっ⁉」
「誰が嫁だ誰が! あいつはただの腐れ縁なだけ! だから! 誤解招くようなこと言うなアホ‼」
「あだだだだわかった! わかったから! ていうかそのハリセンはどっから来たどっから⁉」
思わずマイ・ハリセンでスパーン!とやってしまった。あ、いけない。相手初対面だった。と気づいても遅い。
流石に周囲の視線は、すっかり香帆に集中している。
「そいつを突っつくのはやめた方がいいぞ白戸。特にそのハリセンの一撃は馬鹿にならん。……まあ遅かったみたいだけどな」
丁度教室に帰ってきたところであったらしい。香帆の探し人である聖が、どこか呆れたように教室の入口に戻ってきていた。忠告遅いってばあ、とハリセンの一撃を食らった金髪男は涙目で蹲っている。白戸、というのがこいつの名前であったらしい。
「聖クン、隣のクラスのお客さんだってよ。つか、千葉センセーなんつってた?」
「あー……後で話す。というか、多分HRで先生が言うと思うけど」
「そうか。ってことはそういう雰囲気か。まじかあ……」
どうやら、聖がいなかったのは教師に呼ばれていたからであったらしい。千葉、という苗字のつく教師は一人しかいない。1年E組の担任である、
問題は、そこではない。白戸少年と聖がそんな会話をした途端、一瞬教室の空気がぴたりと停止したのを感じたのだ。え、と思う香帆。全員が一瞬凍りつき――やがて、固まっていた生徒達はひそひそ話を始めた。なんだろう、この空気は。その千葉先生とやらの話は、そんなに大事な内容であったとでもいうのだろうか。正直、聖が先生に呼び出しを食らったというのも不思議なところであるのだが。コイツが呼ばれるとしたら、稀にあるなんとかのコンテストで入選したとか、あるいは授業中居眠りをしたのを咎められるとか、そういうくらいだ。居眠りをしたところで成績を落とすというタマでもないし。
――何? 何なの?
困惑する香帆をよそに、聖は香帆に向き直った。
「香帆。……用件は長くなるんじゃないか。今から始めると、ホームルームに間に合わない気がするんだが」
「え……あ……」
「昼休み、屋上にいる。そこで待ってる」
それだけ言うと、聖はすたすたと香帆に背を向け、自分の席へと戻ってしまった。
自分はまだ、彼を呼んだだけで何も言っていない。それなのに、香帆が何の用件で此処に来たのか予め分かっていたと言わんばかりの態度だ。
――……いいじゃん。やってやろうじゃん。
香帆は一人、拳を握る。
――そこまで堂々としてんなら、やってやる。あんたが、何を隠してるか絶対暴いてやるんだから……!
***
そして、昼休み。
超速で御飯を食べた香帆は、屋上にダッシュした。何が困るって、こういう時ばかり妙に働いてくれる自分の記憶力である。
七不思議の中でも――ほぼ唯一、この学校設立時から変わらず存在する七不思議。
屋上で招くカナコさん、がいるのは文字通りこの場所なのである。
――あーもーやだやだ! なんで思い出すかなあ、こういうの!
カナコさん、と出会える条件は限られている。今日の昼休みに屋上に行ったところで、きっと恐ろしいことなど何も起こらないだろう。わかっている。でも、一度思い出してしまうと恐怖が這い上がってくるのはどうしようもないのだ。
有り得ないことなど、有り得ない。
人の理解を超えた現象が現実に存在すると、それを知ってしまった今となっては。
「聖ー? いるー?」
声をかけながら中に入る。屋上は鍵こそかかっていないが、あまり中に入るのは推奨されていなかった。やはり事故が気になるためなのだろう。だったらどうしてドアに鍵をかけておかないのか不思議ではあるのだけれど――先生に余計な不興を買いたくない多くの生徒は、意図的に踏み込むということは滅多にないと言っていい。香帆ももちろん、そのうちの一人だ。七不思議の存在とは関係なく、この場所に入り浸りがる生徒は多くないのである。
果たして聖は、屋上のフェンスをつかんでぼんやりとそこに立っていた。昼ごはんもどうやら、既に食べ終わっているらしい。足元には空になったお弁当箱が置かれている。
「何で屋上なんかに呼び出すのよ。他の場所だって良かったじゃん、此処は……」
「知ってる。お前はできれば此処に来たくはなかったんだろ、香帆」
「!」
ぎょっとする。聖は振り返りもせず、香帆に告げた。
「原始の七不思議にして、最強の物語。此処には、“屋上で招くカナコさん”がいる。……カナコさんに会えるのは、金曜日の夕方四時から五時の間。出会ったカナコさんは、出会った人間と会話を交わすことはない。ただ黙って、ぼんやりとフェンスに寄りかかってこちらを見つめているだけ。……でも彼女には、全てがわかる。全てが見える。彼女は出会った人間の“願い”を読み取り、何でも叶える力を持っている……」
彼の唇が、すらすらと言葉を紡ぐ。
そう、香帆の足をすくませている、その原因となる物語を。
「この物語の恐ろしいところは。出会った人間には一切“拒否権”がないということ。カナコさんは、出会った人間の願いを何でも叶える。けれど、その人間の“どの”願いが叶うかは誰にもわからない。……そして、願いを叶えた後、それに応じた代償を強制的に出会った人間に払わせる。その人間が一番愛している人、もしくはその記憶。あるいは住み慣れた家。大事な人の命。恋人の心。……ああ、片腕だったり、片足だったり、内臓だったりなんてこともあったか。そのやり方は非常に残酷で、強引だ。それでも、カナコさんに会いたがる人間があとを絶たないから問題でもあるんだけどな……」
「……やっぱり、あんた……」
「七不思議について、こんなものは調べてる、の範疇に入らないだろう。これは七不思議に、普通に組み込まれているだけの物語だ。調べるまでもなくみんな知ってる、そうだろう?」
それはそうだけれど。こうも詳細に、生々しく語られると――やはり、気味が悪いというのは拭えないのである。聖の声が、淡々としすぎているから余計にだ。
「お前達、新聞部も調べてる。……で、何処まで調べたんだ?」
そして、先日と同じ質問を繰り返した。――このまま、雰囲気に流されてはいけない。香帆は己に言い聞かせる。何が起きているのかまるでわかっていないけれど、自分なりに全力で真実を探すと決めたのだ。ただ突っぱねて終わるのでは意味がない。同時に、のらりくらりとかわされないように手を打たなければ。
「……その前に、訊きたいんだけど。……私達確かに、七不思議を調べてるけどさ。それ、新聞部の外に漏らさないようにしてたはずなんだよね。だって、記事になる前にニュースの中身が知れちゃったら意味ないでしょ。……だから疑問なんだけど。アンタ、なんでそれを知ってんの? 新聞部の誰かが喋ったの?」
聖が素直に答えるとは思っていない。それでも、少しでもその反応から何かを探り出せればと思っていた。彼の幼馴染という立場を利用できるのは、自分だけの特権であることに違いはないのだから。
「なるほど、スパイを疑っているってわけか」
すると。くすり、と小さく彼は笑った。
「当たりであって外れでもある。というより、そんな疑念や疑惑に意味はない。俺達の眼や耳は何処にでもある」
「どういう意味?」
「そんなものがいてもいなくても関係ないってことだ。でもって、それを今のお前に話したところで多分意味なんかないんだろう。どうせお前は信じない。完全に理解の外だ。素直に話してもジョークか悪意だと思われるのが関の山なら、話をすることになんの意味がある?」
「何それ……」
忌々しいことには、そう告げる聖が浮かべる笑みが――どこか自嘲に満ちているように見えるということか。
何かを諦めたのか、あるいは悟ったのか。あまり、見ていて気持ちの良い笑顔であることは事実だった。
香帆は確信する。聖は、望んでそこにいるわけではないのだ、と。
「……それなら、私達が……七不思議についてどこまで迫ったのかだって、知っていて当然でしょ。それ、私の口から言わせる必要があるの?」
何かがあったのだ。聖の身に、何かが。
だからこの学校に入ってすぐ、オカルト研究会に入部することをイヤイヤながらも了承し、そして今でもそこに居続けているのである。
そうしなければならない、何らかの事情があるから。
「気になることならいくらでもあるけど、単刀直入に二つだけ訊く。1年E組と、オカルト研究会ってなんなの?私達が七不思議を調べたら、あんた達にどんな不都合があるっていうの?」
確信をストレートに突いているはずだった。聖はどう答えるのだろう、と思う。単に忠告だけがしたいなら、わざわざ自分を屋上に呼び出す必要もないだろう。朝の教室でただ一言、七不思議について調べるなと言えばそれで話が終わったはずだ。
場所を変えて、二人きりになろうとしたのは。彼が全く何も話さないつもりではないという、そういう意思表示ではないのだろうか。
「……そうだな」
やがて、聖は大きく一つ、息を吐いた。
「一体何を、何処から何処まで話すのが正解、なんだろうな……」
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