<第八話・罠を張る者>

 あー面倒くさ、と白戸邦章しらとくにあきは欠伸をした。びくびくしながら手を繋ぎ合い、駅へと引き返していく少女二人を見送る。彼女達が思ったより聡明で、すぐに事態に気付いてくれて本当に良かった。なんといっても邦章の力は決まれば強力な分発動条件も厳しい。彼女らが学校の生徒であり、予め此処に来る可能性が高いことがわかっていたからこそ出来た芸当である。

 なんせ自分の力の発動には一定の準備が必要で、ついでに相手を識別する“名前”もなくてはならないのだから。


「……ほい、カーイジョ」


 すっと手を動かして、結界を解く。無関係の人間には何が起きたのかも、そもそも何かが起こっていたことさえ認識できないことだろう。邦章の力は実際の空間を弄るものではない。特定の存在の、特定の場所における認識を弄ること――それだけなのである。彼女達は病院に辿り着けず、そればかりか左に曲がる道さえなくなったように見えて恐怖したことだろうが現実は違う。

 彼女達はずっと、短い距離を自分達の足で行ったり来たりしていたのだ。曲がり角が見えなくて当然。二人は角の手前でかならず引き返して戻ってきていた。そして本人達はそれが認識できないようにされていた。ただそれだけのことなのである。邦章はただ、彼女達の意識の隙間にほんの少し干渉したにすぎないのだ。

 今、その結界は解かれた。ただ、元々邦章が干渉しようとしていない相手にとっては何も関係がないことである。病院が消えたわけでもない。道がなくなったわけでもない。強いて言うならば、邦章が対象とした付近の地面に、奇妙なチョークの落書きが見つかるだけである。


「これでまあ、暫くあのお二人さんは柊先輩の病院に近寄ろうとはしないだろうさ。恐怖ってのは早々拭えるもんじゃねーしな。……でもいいのかよ、聖。俺に言わせりゃ、お前の対応は随分中途半端だと思うんだけどな?」

「…………」


 実は、邦章は一人でこの場にいるわけではない。もう一人――前田小宵と倉持香帆の様子を見守っていた人物がいた。

 香帆が柊に会うのを阻止したいから手伝ってくれと、クラスメートの自分に依頼してきた友人、時枝聖である。


「香帆ちゃんだっけ?随分とトクベツ扱いしてぇんだな」

「そういうわけじゃない」

「そういうわけあるだろ。本当に幼馴染みってだけか?確かに俺らとしても、今コソコソ嗅ぎ回られるのはきついもんがあるし、情報が漏れたらセンセーに大目玉食らうからそれもごめんなんだけどよー」


 新聞部に入ったという、聖の幼馴染み。特別美人というわけではないが、快活で強気、度胸もあるというのが表情だけで十分に滲み出ている。さっきだってそうだ。潔く諦めて駅に帰る、というのはこの場において間違いなく英断だったことだろう。なんといっても、完全に想像の範囲外である奇妙な出来事が起きているのだ。特殊な力も何もない普通の人間が対処できるはずはない。取り返しのつかないことになる前に引き下がるのは臆病な判断ではなかったはずだ。

 その彼女が幼馴染みというのなら、聖が気にかけるのは当然といえば当然だろう。そして自分達もリーダーから、“オカルト研究同好会の関係者以外に情報が漏れないように徹底しろ”と言われていたのは事実である。

 自分達のネックの一つが、未だに入院したままの柊空史であることは疑いようがない。交通事故であるはずなのに不自然な数々の状況を怪しむ人間が出るのも仕方のないことではあっただろう。

 だが、実は今ここで自分が阻止しなくても、病院で空史に会えるのは決まった人間だけである。不法侵入でもしない限り接触することはできなかったはず。なんといっても、病院は病院で“見張り”が必ず立つことになっているのだから。

 それを、こんな病院に行く途中の道で防がなくてもいいものを。――しかも、能力を使うということは、それだけ自分達の力が彼女達にバレる危険度を上げるということでもあるというのに。


「明らかに“あり得ないホラー体験”をしてしまえば、いくら香帆でも警戒せざるを得ないはずだ。そして、少なくとも暫くは病院には来ない。人間の根源的な恐怖を最も揺らがすのは、“得体の知れない敵に追いかけられる”か、“得体の知れない場所から逃げられない”だからな。次は本当に閉じ込められるかもしれないと思えば、あいつも当然自重するだろうさ」


 だから仲間内でもお前に頼んだんだ、という聖。言いたいことはわかるのだ、邦章も。分かるからこそ、今回の協力を缶ジュース一本で引き受けたのだから。しかし。


「正論ではあるさ。でも。倉持香帆にだけそういう対応なのはやっぱり特別扱いってやつだろうよ」


 それにな、と邦章は続ける。


「こんなこと言いたかないし、先輩方や先生方の方針と矛盾するのはわかってるけどよ。完全に巻き込まないなんてムリゲーだぞ?……この学校の生徒になっちまった時点でな」

「……わかっている」


 そんなこと、言われるまでもない。招来学園は最初から“この学校そのものが堰”となる為に建築された学校だった。霊山を削り、鬼門に玄関を開き、校舎の中に不吉なものを溜め込む構造をあえて築いている。なんでそんな風に作った、と思う者は少なくないことだろう。だが理由を知っている者は生徒の中でもほんの一握りである。

 つまり。“侵略者”を退治するためには、あえて入り口を作ることも必要だった、ということだ。日本中にその扉が分散してしまっていては、対処できるものも出来なくなってしまうのだから。


――この学校が出来てから、必ず作られる実行部隊……それが1年E組と、オカルト研究会。だが、長い歴史の中で、新入生に“該当する生徒”がゼロだった年は今のところ一度もないのだという……。


 聖は断じて、すべてを知っていた上でこの学校を選んだわけではなかった。ただ学費が安くて、交通の便が良くて、自分の偏差値で楽して行けるところという基準に此処が該当していたというそれだけのことなのである。

 こんなとんでもない場所だと知っていたらきっと、自分は別の進学先を選んでいただろう。いや、それでも香帆がこの学校を受験することを知っていたなら――仕方なく此処に来ることを選択したのかもしれない。

 彼女の性格を考えれば。危険がそこにあるかもしれないと分かっていても――困っている誰かがいれば、グダグダ言いながらもほっておけないことは目に見えているのだから。


「……俺は、あいつに恩がある」


 自分だって、他の生徒達を差し置いて彼女だけ助けられればいいと思っているわけではない。

 それでも、聖は。


「それを返すまで、あいつに死んでもらっちゃ困る。理由は、それだけだ」


 きっと香帆は、あんな昔のことなど忘れてしまっているのだろうけど。

 聖は別に、彼女があの一件を忘れていても構わないのだ。これはただの、自分のエゴとプライドの問題なのだから。



 ***




 結局、自分と小宵は病院に辿り着けず、帰路につくことになってしまった。香帆はぐったりとして、自室のベッドに潜り込む。今日ほど、七不思議の中にシャワー室やらトイレやらに関連した話が無かったのを喜んだ日はないだろう。それを思い出してしまったら、お風呂の数分が地獄になったことは想像に難くない。


――もう、なんだっての……なんだっていうのさぁ……!


 あれが何だったのか、誰の仕業だったのかあるいは怪奇現象のひとつであったのかは分からない。何かの思い込みや勘違いだと思いたいのはヤマヤマだったが、さくがにスマホも自分達の感覚もおかしくなるなんてそうそうあっていいことではないだろう。いかんせん、遭遇したのが自分一人でないから尚更である。

 小柄な見た目に反して非常に男らしく豪胆なところがある小宵でさえ、帰りの電車の中では無口だった。恐怖もあるだろうし、混乱もあったのだろう。ただ黙っていただけなのか、恐怖に震えていたのか、それとも彼女なりに頭を回していたのかは香帆にもわからなかった。なんせ、香帆自身が小宵を気遣うだけの余裕をなくしていたのだから。


――誰かが、私達が病院に行かないように妨害してた?……駅の方に帰ろうとしたらもう何もおかしなことは起きなかった。私達を閉じ込めたかったとかじゃなくて、進ませるのが嫌だったってことだよね……。


 そう考えるのなら、自分達の邪魔をしたのは学校関係者かオカルト研究会の人間という可能性が高くなってくるが。

 それ以外の可能性も十分にある。あれもまた、自分達が知らない怪異の一つであったという可能性、だ。いやむしろ、そう考えた方が自然であるような気さえする。あれが学校関係者などだとして、じゃあどうやったんだ?という疑問は尽きないからだ。

 あんな、空間を歪ませて、道を塞いで、どこか得体の知れない場所に迷いこませるなんて――そんな芸当が、普通の人間にできるとは到底思えない。


――幽霊や妖怪と超能力、信憑性があるのがどっちかと言われたら、どっちもどっちだけどさあ……。


 今のところ、香帆の心はまだ幽霊の存在の方が信じられる気がする――に傾いていた。多分、小学校五年生の時の林間学校のアレを見たからというのもあるだろう。閉じ込められた経緯も、彼らの証言も謎だらけだったあの事件。実のところ狂言であった可能性もなくはないが、守彦達にメリットがあるかといえばそんなこともない。ハイキングがなくなって一番がっかりしていたのだって彼らだったのだから。

 でも、それでも窓が勝手に開いていた謎はそのままになっているし、その守彦が今回行方不明になっているというのとどうにも気になる話である。彼がいなくなるところを香帆自身見てしまったというのとあるなろう。ならば、人間の知識で計れない、人知を越えた存在がどこかにいると言われた方がまだ理解が及ぶというのはおかしなことだろうか。


――病院にもう一回行く……ムリムリ、さすがにムリ!昼間でも行きたくない!……行っても結局会えないなら無駄足だしさ。


 じゃあ、調べるとっかかりはやはり、七不思議しかあるまい。恐ろしいが、明日はそこから聞き込みと調査を開始しよう。少しずつ震えが収まってきた手で携帯を操作しようとした、その時だ。


「!」


 ぶるる、とマナーモードになっているスマートフォンが震える。LINEの着信だった。見れば小宵から、怒り心頭と言わんばかりに顔を真っ赤にしたクマのスタンプが送られてきている。

 そして、メッセージも。




『香帆ちゃん!あたしぜーったい諦めないからね!

 コケにされて黙ってられるもんですか、倍返しどころか十倍返しよ!!』




「……ま、こういう先輩だよね」


 思ったより元気そうだ。ヘコんでいる気配もない小宵の様子に香帆は苦笑する。

 実際、落ち込んでいる場合ではない。自分達は新聞部。真実を追い求めるのが、自分達の仕事なのだから。

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