<第七話・迷い道>
柊空史という人物は、小学生時代から有名なテニス少年であったらしい。かの有名なテニス選手、ジョンソン・オードリーに憧れてテニスを始め、才能をめきめきと伸ばしていったのだという。残念ながら本人は身長がさほど伸びず、またやせ型であった為パワーテニスは出来なかったが――それを補って有り余るほどのボレー技術で、一躍有名人になったのだそうだ。
「ってことを、ファンクラブの子はそれはそれは嬉しそうに語ってくれたわよ」
駅に降り立ち、階段を降りながらも小宵は香帆に語り続ける。
「私はテニスの細かい技術についてはさーっぱりわかんないもんだから、ボレーが凄いとかいろいろ言われてもチンプンカンプンだったんだけどもね。まあ、とにかくネット前に出て、ボレーでひたすらガンガン攻めるような超攻撃的なテニスをする人だったんですって」
「へえ……なんか、すっごく性格が出てそうですね」
「そう。テニスとかみたいな個人スポーツって、プレイスタイルがものすごく本人の性格反映されてくるもんだと私は思ってるのよね。実際、中学までの柊空史は、超絶熱血テニス少年だったらしいわよ。イケメンだけど、いかにも少女漫画に出てきそうな病弱な美少年~とかじゃなくて。まあその正反対のね、ちょっと暑苦しそうなタイプ」
「ははっ……」
暑苦しそうって凄い言い方だ、と香帆は苦笑する。小宵は本当に、良くも悪くもモノをはっきり言う性格だ。まあ、だからこそ曲者ぞろいの新聞部をびしっと纏めていけるんだろうし、皆も皆で小宵の指示にはがっつり従って動いてくれるんだろうけども。
「それが、高校に入ってから……ね。本当に何があったっていうんだか」
文明の利器は素晴らしい。今はスマートホン一つあれば何処にでも行けると来たものだ。念のため、グーグル先生で病院の場所を再確認する小宵。この駅は出口が二つある。西口か、東口か。それによって出るべき改札も異なってくるので、反対側から出てしまうと非常に面倒くさいことになるのだ。なんといっても、線路の反対に出てしまうことになる。向こうに渡るにはお金を出して改札を通過するか、遠回りして歩道橋を使うしかない。
「うん、病院は西口の方ね。……ファンクラブの子達は当然、高校に入ってからも柊君はテニス一本で行くに決まってると思ってたわけよ。テニス部に入るのは当然、他の部活に目移りするはずもないってね。ところが、彼はテニス部とオカルト研究同好会を兼部することを選んだ……それこそ、聖君と同じように。いや、柊君はもっと極端だったそうよ。オカルトに興味がないどころか、嫌ってるレベルだったんですって」
「嫌ってる?」
「柊君と昔から仲が良いっていう男子も何人かこの学校に進学してたから聞いてみたのよ。そしたら、以前悪ふざけでホラースポット巡りに誘ったら断られるどころか、“そんなものが好きなんですか、最低ですね”って大激怒。不謹慎がすぎるって止められて……まあどうしても行きたいわけでもなかったから結局そのコ達も行くのはやめたらしいんだけど」
「……激怒するレベル、ですか」
歩きながら、香帆は考える。ホラーやオカルトといったものは、熱烈に好きな人間がいる一方で蛇蝎のごとく嫌いっている人間が一定以上いるのも事実だろう。ただ、嫌いである理由は恐らく人それぞれである。本気で信じていなくて馬鹿にしている場合もあるだろうし、信じる人間は宗教じみていて気持ち悪い、なんてことを感じている者もいるのかもしれない。あるいは、むしろ信じているからこそ怖くて、それを隠すために嫌っているフリをしているという者もいるのではないだろうか。
問題は、柊空史はどれに該当するのか、ということである。聖のケースがある。もしも本当は彼もまた幽霊の類が見える人間で、だからこそ友人達がそういう場所に行くのを止めるべく怒ったのだとしたらどうか。一応、繋がるといえば繋がるような気もするのだが。
「……本当は見えてるからこそ、嫌いってことにしてたパターンもあるんでしょうかね?」
香帆が自らの意見を聞くと、どうかしらね、と小宵は肩をすくめた。
「その可能性もあるとは思うけど……だったら尚更、堂々とオカルト研究会に入ろうとするのは不自然だわね」
「ですよねえ。ってことはやっぱり……」
「入部は強制なんでしょうね……1年E組の生徒になると。……しかも彼の場合は、この学校に入ってから……正確にはオカ研に関わってから、明らかに性格が変わったっていう話なのよ。というか実は彼だけじゃないのよね。1年E組の生徒って落ち着いた子や冷静な子が多いの。元、も含めてね。明らかに、オカ研で何かを見た、あるいは体験したとしか思えないってわけで……改札出たら正面の信号渡るわよ。押しボタン式だから気をつけて」
「あ、はい」
すっかり外は暗くなってしまった。そろそろ時刻は七時を過ぎようとしている。病院のお見舞いって何時までOKなんだろう、と香帆は思った。実際に柊先輩に会えるかどうかはわからないが、会えたところであまり遅い時刻になるのは不謹慎というものである。
病院はそう遠くはないようだ。押しボタンを押して、信号が変わるのを待つ。押しボタン式信号というのはケースによるが、大体は“前に歩行者側の信号が青になってから、一定時間が経過しないともう一度青にはならない”という仕組みになっていると聞いたことがある。その間隔がものすごい長いところと短いところがあるというだけで。――駅前のこの信号は利用者も多いだろう。香帆が押しても、すぐに青になるということはなかった。
「柊空史もそうやって……他のE組所属の生徒同様、今までの熱血ぶりがなりをひそめるようになった。それは彼のテニスのプレイスタイルにも影響されるほど。今まではテクニカルだけどどこか雑なプレイが目立っていたけれど、高校に入ってからはミスがなくなり落ち着いたプレイをするようになったんですって。以前のように、ボレーだけに頼りっきりプレイもしなくなった。サーブもいいけど、リターンが丁寧になって怖いプレイになった……みたいなことを言われたわ」
なるほど、テニスの成績そのものも上がっているということなのか。――それがまるで豹変したように見えるレベルともなると、長年のファンは複雑かもしれないが。
「あ、青になった」
話しつつ、二人は横断歩道を渡る。そのまま右ね、という小宵の指示に従ってそれとなく辺りを見回す小宵。この駅に降りたことは殆どなかった。一応駅の周辺は開けているようだが、かといって賑わっているというほどではない。七時代なら、一番サラリーマンやOLが歩いてそうな時間である。しかし、人影はぽつぽつとしか見えない。コンビニや薬局が並んでいるので、さほど暗くはないのが救いだろうか。
病院の建物は左手に見えている。次の角で左に曲がれば辿り付けるだろう。
「それで、柊先輩はどうして大怪我をしたんでしょうか。交通事故ってことになってるんでしたっけ?表向きは」
「そうね、軽自動車にはねられたんですって。……ただ、入院が妙に長いってことと……特定の人間としか面会が許可されないってのが非常に奇妙なんだけど。あと、実は柊君が救急車に担ぎ込まれる現場を偶然見たって子がいたんだけどね。……救急車が止まってたの、学校の前だったらしいの」
「え?」
「しかも交通事故なのに、近くに加害車両が止まっている気配もなく。そんでもって、ひき逃げなら警察が調べるはずなのにその様子もない。学校側からも新聞でも、普通に交通事故に遭ったってことしかなってない。撥ねた加害者の名前も出ない。妙なことだらけだと思わない?」
「た、確かに……」
学校で、何かがあった。ぞわり、と背筋が泡立つような感覚を覚える。どうにも、怪我をした事実そのものは間違いないようだ。だが、怪我をした現場が学校か学校の前。にもかかわらず車の影がない。交通事故、というのが何かを隠す嘘だと思えてならないのだが。
――学校で、何かがあった……?
大怪我をするようなことが、学校で。
香帆が思い出したのは、不吉な気を呼び込むような構造になっている校舎。霊山だった土地。そして、調べようとするとうえから圧力がかかる七不思議――である。やはり、学校に何かがあるとしか思えない。それも、人一人が長期入院に追い込まれても仕方ないほどの――。
「香帆ちゃん」
突然。小宵が立ち止まった。え、と思って香帆は振り向く。スマートフォンを睨む今宵の顔は、青ざめている。
「おかしいわ」
「どうしたんですか」
「私たち、信号渡ってからどれだけ歩いた?どうして左に曲がる道が現れないんだろうと思ってたのよ。そしたら、地図がおかしいの」
進んでないのよ、と小宵の声が震える。
「私たち、地図の上で……全然前に進んでない。そんなはずないのに。進んでも進んでも、点が動いていかない。……よく見れば、景色も」
アプリで見られる地図というのは便利で、現在地がきちんと表示されるようになっている。当然、携帯を持っている人間が歩けば地図上の現在地を示す青い点もそれにあわせて動いていくはずなのだ。
それが動かない、というのである。まさかあ、と香帆は思わず笑い声を上げた。
「そんなわけないじゃないですか。私達、ちゃんと歩いてますって。グーグル先生だってたまには調子悪い時あるし。あ、位置情報のスイッチ切っちゃったとか!そういうんじゃないんですか?」
我ながら間抜けな物言いだと分かっていたが、言わざるをえなかった。ここで冗談にしてしまわなければ、あっさり恐怖に飲み込まれる己がいることを知っているからである。
「そうだったら、良かったわね……」
小宵の声は、暗いままだ。
「さっきのコンビニ通り過ぎてから、ずっと同じ形のビルの壁が続いているのも、気のせいだったら良かったんだけどね……」
「……」
さすがの香帆も、言葉を失う。自分達が歩いていこうとしていた方向を、もう一度見た。地図の上では、すぐに曲がり角が現れるはずであったのだという。しかし、左手にはずっと同じ灰色のビルばかりが並んでいる。名前もないビルが。壁と壁をぴたりとくっつけて、けして左に行かせないぞと主張するような暗く重いコンクリートが。
後ろを振り返る。幸いにして、そちらは“まともな景色”であるように思えた。――だいぶ前に通り過ぎたはずのコンビニが、すぐ後ろで煌々を明かりを灯しているのでさえなかったら。
「……せ、先輩」
実のところ、まだ――ホラーだの、オカルトだの、幽霊だの七不思議だの――そんなものを信じきれていなかった己がいるのは事実だ。
でも、流石にこうなってしまっては、香帆も認めざるをえない。
「も、戻りませんか。……戻る方なら、戻れるかも」
有り得ない、なんてことは有り得ない。
自分が見たことのないモノ、触れたこともない現実。それらは確かに、存在する。
怪異と呼ばれる何かは確実にそこに在る。そして自分達の行き先を明確に――塞いでいる。
――何が起こってるの。……私達は今、“何処”に居るの?
季節外れに冷たい風が、ひんやりと自分達の背中を撫でて哂っている、そんな気がした。
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