<第四話・誘われた少年>
朝のホームルームの時間に、担任から聞かされた話に香帆は固まることになった。
A組の、太田守彦が昨日から家に帰っていない、のだという。
彼は柔道部に所属していた。小学生時代は悪ガキだったという記憶の強い少年ではあるが、中学以降からかなり真面目に柔道に取り込んでおり、高校も当然柔道部に所属していたのだという。ちょっと頭を染めるくらいのことをしていたくらいで、つまり家出をするような不真面目な人間でもなければ、暴漢に襲われてどうにかなってしまう類の人間でもないということである。
香帆が青ざめたのは、丁度彼のことを昨日思い出していたというのもあるが――皆に聞かされた守彦の身体的特徴が、昇降口で見かけた彼の後ろ姿と見事なまでに一致していたというのもあった。まさか、彼はあのままいなくなったとでもいうのだろうか。
その話をすると、教師は一言唸ってこう告げたのだった。
『うーんそうかあ。……柔道部なら、柔道場から直帰するはずなんだけどな。実際、柔道部の奴らは最後にそこで太田と別れたっていうし……校舎に忘れ物でもしたのかね?』
それはそのまま、昨日香帆が抱いた印象でもある。それでももやもや感が拭えないのは、守彦の歩みが異様なまでにゆっくりだと感じたからだろう。
そうだ、と香帆は思う。急いでいるどころか、普通に歩いているにしても妙にゆっくり歩いているなと感じたのだ。それこそ、スローモーション映像でも見ているのかと思うほどに。だから距離があったのに、彼の身体的特徴を後ろからゆっくり観察することができたのだ。
「それ、まるで“異次元エレベーター”あたりにでも誘われちゃったかんじじゃん?」
そんなことを言い出したのは、香帆が一番よくツルむ友人である夏美だ。
「七不思議の一つよー! あれはガチならやばいと思ってたかんね、あたしも。だって逃げられないタイプの怪異でしょ」
「“異次元エレベーター”?」
「ちょっと香帆ちゃん、新聞部なのに知らないの? 七不思議の中でも有名な方よー?」
そんなこと言っても、自分はまださほど調査を進めていないのだから仕方ないではないか。七不思議の調査は他の教師や生徒になるべくバレないようにこっそりと、と小宵から言われているし――とは言えない香帆である。昨日、聖との会話を聞かれたであろう夏美達には一応口止めをしてはあったが、今のところ自分達新聞部が七不思議に関して調べようとしているというのは生徒達に広まっている話ではないらしい。
だからこそ、一体どこから聖に話が漏れたのか謎でしょうがないのだが。
「七不思議の一つ! “異次元へ繋がるエレベーター”! ほらうちの学校って普通のエレベーターないじゃん? バリアフリーだーやれユニバーサルデザインだーって言われてる昨今だけど、校舎ボロいせいで車椅子とか乗れそうなエレベーター無いんだよね。あるのは、荷物運び用の貨物エレベーターだけ。普通の生徒は使っちゃいけない使えない。動かすには確か……鍵がいるとかそんなんだったよね」
「ああ、うん。そうだった気がするけど」
自分達の教室、1年D組の隣は当然E組の教室であるが。もう反対側は、丁度階段に面しているのである。その階段の、真横にあるのが貨物エレベーターだ。重い機材や机やらを運ぶのに使ったりするもの、らしい。らしいというのは、実際にそれが使われているのを香帆がまだ見たことがないからなのであるが。
オレンジに塗られた扉の隣には、ずらりと並んだ1~4のボタン。そして操作盤にはガラスのカバーがつけられ、確か鍵がしっかりかけられていた気がする。生徒などが悪戯目的で使うのを防ぐ為なのだろう。
「……使えもしないエレベーターなのに、怪談があるってなんか変じゃない?」
苺が首をかしげると、ところがどっこい!と夏美がテンション高く叫ぶ。
「使えないはずなのに“呼ばれる”から問題なのよお!」
「使えないはずなのに、呼ばれる?」
「そうそ。あのエレベーターの前って階段横でしょ? 普通に歩いているとみんな通るところでしょ? でもって操作盤には鍵がついていて、行き先ボタンが誰も押せないようになってるわけ。ところが、その鍵……というか、ガラスのカバーごとなくなってる時があるんだって。鍵があいてるだけじゃなくて、カバーごと! しかもその時は決まって、あるはずのない地下一階への行き先ボタンが出現してるって話なのさー! 面白くない?」
なるほど、こういうかんじで七不思議というのは広まっていってしまうわけなのか。妙に納得してしまう香帆である。そりゃ、先生達がいくら頑張ったところで、七不思議そのものをなくすという事が出来ないのも頷ける話だ。
「地下一階へのボタンを偶然見てしまった者は、エレベーターに誘われるようになってしまう。一人になった時、無意識のうちに貨物エレベーターの元へ向かってしまい、あるはずのない地階のボタンを押して……エレベーターに乗って異次元へ向かってしまうんだってさ!そして、二度とそのまま戻ってくることはないんだってえ……!」
「それは怖い……」
「いや怖いのはわかったけどさ。実際行方不明になってる子がいるのに、ちょっと不謹慎がすぎるよ夏美」
「あ、それもそうか。ごめん」
あっさり謝る夏美。時々空気が読めずに暴走することもあるが、こうしてすぐ謝罪を口にできるのが彼女の良いところである。香帆の個人的な意見としては、一番救いようのない人間は“間違えたことに気づいても絶対に謝らない、己の弱さやミスを絶対認めない”タイプであると思っているからだ。まあ、何度も謝るけど一向に改善しないタイプも、それはそれで問題があるのだが。
「ていうか、七不思議はいくつかあるけど、どうして守彦君がいなくなったのがエレベーターの件だと思うの?」
香帆がそう尋ねると、そりゃね、と夏美は肩をすくめた。
「怪談で一番怖いのは、抵抗できない逃げられない逆らえない、って相場が決まってるもんだからさ。他の七不思議はまだ事前に避けたりできそうな奴が多いけど、このエレベーターの件は絶対防ぎようないでしょ? だってあのエレベーターの前通らないと行けない場所が多すぎるんだもん。しかも、一階にも二階にも三階にも四階にも扉があってボタンがあると来てる。そっちを見ないように見ないようにって気をつけてても、階段の方を向けば嫌でも視界に入りそうなかんじだし。……そもそも、ガチムチ柔道男子が逆らえもせずいなくなる理由ってそんくらいしかなさそうっていうかさ。普通に本人の携帯も圏外で繋がらないっていうし」
言われてみればその通りかもしれない。これがもし、か弱そうな女子か何かの失踪だったり、あるいは不良系男子であったりしたらきっと話は変わっていただろう。
――そういえば、入学初日からちらちら聞こえてはいたなあ。ここの学校の七不思議はちょっと特殊だ、みたいなこと。
最初は、ああこの学校も普通なのね、くらいの感想した持たなかったのである。七不思議でキャッキャするような学校はある意味健全と言えば健全だからだ。
が。学校から調査を差し止められること。謎のオカルト研究会と、部員の大怪我。そして実際に七不思議のせいではないかと噂されていなくなった生徒――ここまで揃ってしまうと、今更ながら“この学校の七不思議が特殊”と言われる理由が気になってしまうところである。
噂好きの夏美なら、そういうことも詳しかったりするのだろうか。それとなく彼女に水を向けてみると。
「ああ、それ水泳部の先輩から割と早い段階で聞いたなあ」
と、あっさり言ってのける夏美である。ちなみに、彼女は水泳部に所属している。小学校からずっとプール女子であったらしい。残念ながら、大会で凄い成績を出してきました!というよりも純粋に泳ぐことそのものが好きだからというだけらしいのだが。
「七不思議絡みじゃね?ってかんじで行方不明になる生徒。なんか毎年のように出ている模様」
「……マジで?」
「マジ」
それは、ひょっとしたらひょっとしなくてもヤバい案件なのではないだろうか。香帆は冷や汗を掻く。調べれば調べるほど、ヤバい臭いしかしてこないというのはどういうわけなのだろう。
「行方不明になって、結構帰ってきてないとか、なんか人格変わったみたいになって戻ってきちゃった生徒もいるんだって。私も美術部の先輩からそんな話聞いたことあるよー?」
相変わらず危機感ゼロのおっとり口調で言うのが苺である。
「そもそもこの学校って、校舎の向きからしてなんかおかしいねーって話してた。何がおかしいって、正面玄関の位置と向きなんだけど」
「どういうこと?」
「ほら、うちの学校って、校舎が実質三つに分かれてるじゃない? 真ん中の中央校舎があって、その両脇に北校舎と南校舎があるのね。中央校舎が引っ込んでる位置の、丁度カタカナのコの字になってるって言えばわかるかなあ。で、私達が今いるのがその中央校舎。噂のエレベーターがあるのも中央校舎で、私たちが使う玄関も中央校舎にあるでしょ」
「そうだけど……」
「北校舎南校舎ってるけど、この校舎正確には西や東を向いてるわけじゃないの。玄関が、丁度北東を向いてる形なんだよね……北東向きの玄関て本来忌避されるんだけど、その理由香帆ちゃん知ってる?」
あ、と香帆は思わず声を上げた。思わず携帯を取り出して調べてしまう。そして、気づいた。北東――鬼門がまさにそれではなかったか。しかも、引っ込んでいる中央玄関の向きが北東である、となると。
まるで校舎全体が、不吉なものを吸い込むような形で立っている、ということにならないだろうか。
――なんでそんな……? 建物を建てる時に、そういう風水的なものって気にするもんじゃないの? 最近の建物なら気にしない人もいるんだろうけど、鬼門の考えってそれこそ平安時代くらいからあるもんじゃなかった?
「鬼の通り道だっていうのよねー鬼門って。どうしてそんな校舎の建て方したんだか謎すぎ」
はー、と大きく息を吐く夏美。
「でもって形からして、一番悪いものが集まりそうなのも中央校舎で、そこにエレベーターもある、と。……気になんない? なんかありそうじゃない? 怖くない?」
香帆は、何も言えなくなっていた。まさか、校舎の建物自体が意図的な構造であったとは。しかし、生徒が通う学校である。何故、そんな悪いものが集まりそうな構造にしてしまったのだろう。実際それで、犠牲者が出ているかもしれないともなれば――一切笑える要素などないではないか。
――これ、もしかして本気で逃げていい案件じゃないかも。
面倒事に巻き込まれたいわけではないし、危険に望んで首を突っ込みたいタイプではないが。
もし学校全体の問題であるとしたならば、調べないで放置する方がかえって危ない可能性もあるのではないだろうか。
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