にゃーは10時にやってくる

 にゃーは10時にやってくる。


 大雨や寒すぎる日などは来ないこともあるが、それでもほぼ毎日やってくる。

 

 彼は近所をなわばりにしている野良猫だった。

 もしかすると、どこかで飼われている外猫かもしれない。

 そう思わせるほどには、人にこなれていた。距離の取り方が、近すぎず遠すぎず、どうにもこうにも絶妙なのだ。


 カラスにでもつつかれたのか右目は無く、それでもふくふくとした体格と毛並みを持つ。それが艶々ではないことと、ふとした時の警戒心の強さと瞬発力に、「やはり野良猫なのだろう」と思いなおさせるような、そんな老いた茶トラだった。


「猫は付近で一等、暖かい場所を知っている」とはよく言われることだが、その例にもれず、にゃーは陽の当たる庭の軒下に置かれた椅子に座る。

 もとは父や祖母が庭に広げた小豆を踏んだり、さつまいもの泥を掃う時に座っていた椅子だった。


 しかし、いつのまにか椅子の上にはタオルやクッションが置かれ、「にゃーの椅子」へと成り代わっていた。


 『にゃー』という名前は母がつけた。というより、いつのまにか定着していた。

 父や弟にも候補があったようだが、結局それが呼ばれている気配はない。



 にゃーは毎日10時になると、庭にやってきて椅子に座った。


 ぺろぺろシーシーと毛づくろいし、陽の光を含めると、「にゃ」「にゃ」「にゃ」と小刻みに鳴きながら、洗濯物を干す母の後をついてまわるのだ。しっぽをピンと立たせて母の足に身体を擦りつけ、媚ではないが甘えるように「にゃっ」と声をあげる。

 運が良ければ、ニボシという飯にありつくことができる。

 そういう処は抜かりがない。


 そうしてしばらく戯れた後、ふらりとどこかへ去ってゆく。


 散歩中の母や祖母に、裏山の草むらでトカゲを獲っている姿や、神社の杜で寝そべっている姿を目撃されたりもしている。が、実態は定かでない。


 野良猫的には、なわばりの見回りをしている巡回しているはずだ。おそらく毎日、同じようなルートをとっているのだろう。しかしあたり前のことではあるが、裏山でも神社でも「居るときと居ないとき」があるものだから、それもわからない。





 ある冬の日のことだった。

 雪の多い土地ではないが、山が近く、空気は凍てる。件の10時を回っても、水鉢に張った氷は溶ける気配を見せない。


 珍しいことに、にゃーが「家の中に入れろ」と訴えてきた。洗濯物を干し終わった母が家の中に戻ろうとすると、そのままついて来てドアの隙間にその身をすべり込ませたのだ。


「にゃー。入ってきたらあかん」


 母がそう言うと、にゃーは名残惜しそうに「にゃっ」と鳴く。そしてその場は身を引いた。

 しかし、ドアを閉めた後もしばらくの間、にゃーはその場に居座っていたようだ。

 透かしガラスの向こうに、オレンジがかった茶色が見える。



 寒い日だったからかもしれない。

 家の中に入り、家族として迎えて欲しかったのかもしれない。


 しかし、それを知るすべはない。

 なぜなら彼は猫であって、自由で在る権利があるからだ。

 

 それでも毎日10時になると、にゃーは庭へとやってくる。

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