第23話 王国暦270年7月15日 エドガーの兄・下

 二人が声の方を振り向くと一人の男が二人に向かって歩み寄ってくるところだった。


「……なぜここに?」


 エドガーが硬い口調でつぶやく。今にも剣を抜きかねない気配だ。

 ここはかなり都から離れていて、たどり着くには馬が必須だ。だけど、馬の気配は全くなかった。

 誰かがいるなんて思いもしなかった。


「甘いな。この僕が漫然と馬に乗ってきてお前に気取られるような真似をすると思ったかい?馬は丘の向こうにつないであるよ」 


 軽い足取りで近づいてきた男が、エドガーの疑問を制するように言う。

 セシルにも察しがついた。彼もエドガーの兄だ。


 羽織った華やかな赤い外套が丘の緑と空の青に生えていた。長い裾が風にふわりとなびく。  

 正装としてはマルセルのものと似ているが、あちこちにアクセサリーを付けていて腰には細身の長剣を挿している。


「お前の性格上、僕と兄上がこれば逃げ出すのは分かっていた。都は広く人も多い。木を隠すには森の中、と言う言葉もある。だが不慣れな町の中には潜むまい」


 講談師のような抑揚をつけた口調でその男が続ける。

 エドガーは露骨に不機嫌そうな表情を浮かべていた。


「となると、恐らく馬を駆って逃げると見た。

で、遠駆けするならここだろうと思ったよ。都の周囲の地形を鑑みればお前の一番好きそうなのは此処だと思ったからね」


 してやったり、という感じでその男が言って言葉を切った。

 ということは、彼はエドガーの行動を読んでここに待ち伏せをしていたということになる。

 一言で言っても都の外は広大だ。此処に来るのを一点で読み切ったとしたら、ただ者ではない。


「しかし、少しは頭を働かせたらどうだ?僕と兄上が一日で都から帰るわけはないだろう。僕等の滞在中、ずっと逃げ回るつもりだったのかい?」

「うっせぇわ」


 その男がからかうように言って、エドガーが嫌そうに言い返す。

 男がエドガーを一瞥してセシルの方を向いて恭しく跪いた。セシルもあわてて馬から飛び降りる。

 エドガーの兄となれば辺境伯の子だ。こちらだけ馬上にいるままではいけない。


「申し遅れました、我が国の戦乙女ヴァルキュリエ、セシルさま。

僕はフィリップ・フォン・ヴィリエ。不肖の弟エドガーの兄となります」


 そう言ってフィリップが顔を上げる。

 顔だちはどちらかと言えばマルセルに近い、女性を思わせる美男子だ。

 後ろで緩く束ねられた長い金色の髪は女性顔負けの美しさ。目元を見る限り化粧もしていそうだ。


 黙って立っていれば間違いなく完璧な紳士で通るだろう。

 だが、華やかな衣装も相まって、生真面目な雰囲気をまとっていたマルセルとはかなり違う。


 完璧な発音はマルセルと同じだが、言い回しも目つきも悪戯っぽい。紳士と言うより浮名を流す貴族と言う感じだ。

 所作も衣装も若い貴族がやるような、衣装や喋り方を意図的に崩したものに似ている。

 このまま都の社交界にデビューさせても通じるだろう。


「しかしなんともお美しい。花のようなその頬、そして太陽を紡いだかのような御髪、凛々しい中にある麗しさ。確かに戦乙女と呼ぶにふさわしい。

如何でしょうか、僕もエドガルドとともに貴方の旗下にお加え願えませんか?僕はこれでも軍の指揮には聊か自信がありまして、きっとお役に立てます」


 次兄の噂も聞いたことがあった。

 優れた剣士であると同時に、戦術、戦略眼に優れた軍師でもある、と。


 エドガーを一躍英雄に押し上げたジェヴァーデンの戦い。

 その裏で行われた、キャンビレイの会戦で5倍の敵を地形と戦術を活かして完膚なきまでに打ち破った逸話は聞いたことがある。

 大損害を出したオークはしばらく戦力の再編が必要となり、東部は今のところ小康状態となっているはずだ。


「いや、むしろ……実は僕はまだ独り身でして。マルセル兄さんは結婚してますが。

今、妻を探しているところなのです。姫。如何でしょう、まだ姫も独り身でしたら、是非私を婿の候補にえらんではいただけませんか?」


 フィリップが礼儀正しくセシルの前に跪いて、手を差し出す。

 紳士が淑女に求婚する時の礼節の一つだ。この手を取れば求婚を受け入れたと言う事になる。


 差し出された手を見る。あまりに唐突な展開に頭がついて行かない。

 セシルが思わず助けを求めるようにエドガーの方を見た。


「いい加減にしろ、クソアニキ」


 エドガーが怒りをはらんだ口調で言うが……フィリップは意に介する様子も無くセシルから視線を外そうとしない。


「如何でしょうか、姫……」

「この人は俺のもんだ。手を出すなら容赦しねぇぞ」



「ほほう」


 エドガーの言葉に驚いたというように、フィリップが立ち上がって手を大きく広げる。


 この人は俺のものだ……あまりの直接的な表現にセシルの顔が熱くなる。

 エドガーも自分が思わず言った意味に気づいたらしい。何ともいえない表情でエドガーがセシルを見て二人の視線が絡み合う。

 色々な意味で張り詰めた空気が漂うが、それを意に介さぬようにフィリップが笑った。


「そう、それでいいのさ、エドガー」


 フィリップがエドガーを見た。


「若人よ、つまらぬ足踏みは時間の無駄だよ……人生は短い。

愛があるなら語り合うべきだ。きっと愛の言葉が多い方が世界は少し楽しくなる」


 フィリップが言う。

 さっきの一連のセリフはセシルに言ったというよりエドガーを煽っただけだったらしい。

 ただ、若人と言うほど彼も年嵩ではないだろうとは思うが。


「しかしだ、弟よ。姫様に最初に送るものが軍装というのは余りにも無粋だぞ。

淑女に送るのはドレスや花の方が相応しい。次は気を付けるんだ。必要なら僕が助言するよ」


 フィリップが子供を諭すような口調で言う。


「そして、姫様。もしエドガーがあなたのお眼鏡に適わぬようならぜひ僕を……と言いたいところですが、これ以上やるとエドガーが怖いのでこの辺にしておきますよ」


 殺気だった雰囲気を漂わせているエドガーを見ておどけたようにフィリップが言って、また深々と一礼した。


「では姫様。弟を改めて宜しくお願いいたします」


 改めて、の部分に妙な強調をしてフィリップが言う。

 そのまま赤い外套を翻してフィリップが丘を降りて行った。

 

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