第22話 王国暦270年7月15日 エドガーの兄・上

 エドガーの顔に一瞬複雑な表情が浮かんで、少し安堵した顔になった。

 白馬にまたがった一人の男がこちらに近づいてくる。


 すこしゆったりと作られた軍装のような白い衣装は以前王宮で見た、エドガーの正装と似ていた。

 茶色のつばの広い革の帽子と茶色のマントには異国風の独特の刺繍が施されている。


 その男が深くかぶっていた帽子をとる。

 帽子の下からは女性を思わせる白い肌の美男子の顔が現れた。肩くらいで巻くように整えられた金色の髪は品のいい貴族風だ。

 彼が一礼する。


「会えてよかったよ。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」


「ああ……いつ都に?」

「昨日の夜にね。館をお尋ねしたら姫様と一緒にお出かけになったと聞いて追ってきたんだよ」


 その男が穏やかな口調で言って、セシルの方を見た。


「紹介してくれるかな?」

「ああ……兄上。こちらはセシル姫。今俺がお仕えしている。

姫様、この人は俺の兄だ」


 エドガーが言うとその男がもう一度礼儀正しく深く礼をした。


「馬上にて失礼いたします。姫様。お目にかかることができて光栄です。

私はマルセル・フォン・ヴィリエ。アウグスト・オレアス辺境伯の長男、エドガルドの兄にあたります。お見知りおきを」


 彼……マルセルが言う。言葉に東部訛りはまったくない、典雅ささえ感じさせる発声だ。

 典礼官でもここまで美しい言葉遣いはしないだろう。


「失礼、御手を頂けませんでしょうか、姫様」


 マルセルが言う。

 セシルが手を差し出すとマルセルが流れるような自然さでその手を取って、革の手袋を付けた手の甲に口づけをした。

 目上の淑女に対する、かなり古風な儀礼だ。  


「光栄です」


 マルセルが穏やかにほほ笑む。

 彼の話はセシルも聞いたことはある。

 アウグスト・オレアス辺境伯の3人の男子はそれぞれ優れた能力を有する有能の士であり、長男は兵站と内政に優れた手腕を発揮する文官であると聞いていた。

 柔らかく穏やかな口調の中に知性を感じさせる、そんな雰囲気だ。


 そしてもう一つの噂。

 アウグスト・オレアス辺境伯の3人の子は全員母親譲りの美男子ぞろいである、と。


 噂は間違いではなかった。茶色を基調とした地味な衣装ではあるが、その美しさは隠しようもない。

 エドガーとマルセルの二人は周り中の注目を集めていて、周りで主に女性がひそひそと何かを語り合っている。


 エドガーも美男子ではあり、確かに二人の顔立ちには共通点はある。

 ただ、マルセルの顔立ちは中性的だ。女官が男装をしていると言われても信じるかもしれない。

 知性を感じさせる整った顔立ちは、エドガーの男性的で狼のような強い美しさとはまた違う。

 

 背の高さはエドガーと殆ど同じだが、体つきは細い。

 さっき触れた指も鍛えた感じはなかった。

  

「マルセル様はどうしてこちらに?」


 セシルが尋ねる。

 アウグスト・オレアス東部辺境領は都からはかなり遠い。確か早馬でも5日ほどはかかるはずだ。

 

「ご存じかと思いますが、エドガルドは父に武者修行に出るようにと言われておりましてね。エドガルドならばよほどのことが無ければ不覚を取ることはないでしょうから心配はしていませんでしたが」


 そう言ってマルセルがエドガーの方に視線をやった。


「突然、軍装を整えるから金を出してくれと言う連絡が来ましてね。

どうやら仕官を果たしたようなので少し様子を見に来たのです。幸いにも東部も安定していますし」


 静かな口調でマルセルが言う。

 そう言う事だったのか。あれだけの装備を整えるためにはかなりの資金が必要だったことは想像に難くない。

 エドガーがどうなったのか心配するのは肉親や身内なら当然だろう。


「姫様。活躍はお聞きしております。

王族でありながら危険な前線にて戦い続けた貴方とその旗下の兵士たちの行いに心から敬意を表します。

我が弟が貴方にお仕えできること、兄の私にとっても名誉なことです」


 真摯な口調でマルセルが言う。


「エドガルドは聊か粗雑なところもありますが……兄のひいき目もありますが良き男であり武人としては頼れると思っております。我が弟の事、よろしくお願いします」


 完璧な仕草でマルセルが礼をした。

 むしろ助けられているのはこちらの方です、と言おうとしたセシルを制するように、マルセルが微笑んで帽子をかぶった。


「では。私も務めがありますので、手短で失礼ではありますが、ではこれにてお暇します」


 そう言ってマルセルが馬の手綱を引く。 

 セシルたちの揃いの遠駆けのための衣装を見て、それとなく気を使ってくれたのだろう。

 下馬して話し込むこともなく、すっと立ち去るところまでさりげない気配りが効いた振る舞いだ。


「なあ、兄上」


 エドガーが立ち去ろうとするマルセルに声を掛けた。


「なんだい?」

「ところで……あいつは?」

「今日も一緒に来ていたんだが館を出てすぐにはぐれてしまった。あいつのことだ、どこにいるのやら分からないな」


 マルセルが答えるとエドガーが露骨に嫌そうな顔をした。

 こういう表情も彼にしては珍しい。


「来てやがるのか……」

「そういう顔をしてやるな、エドガルド。私にとってはお前もフィリップも良き弟だよ」

「兄貴は人が良すぎるんだよ、まったく」


 エドガーが嫌そうな顔をしたままに言った。



 城門で門衛から通り一遍の誰何を受けて、そのまま外に出た。

 街道に沿ってしばらくは馬を走らせる。草原がしばらくして麦畑に変わった。風が心地よく流れた。

 春の太陽は適度に暖かく、風を切って走るひんやりした空気を和らげてくれる。


 暫く走ると街道を行き来していた人も減り、二人だけになった。

 エドガーが馬の脚を緩めてセシルに並びかける。


「正直言うとさ……アニキには合わせたくなかったんだよ。

見れば分かるだろうけど、まあなんていうか完璧な紳士だしな……俺と違って」


 朝から何を急いでいるのか分からなかったが、どうやら兄に会いたくなかったらしい。

 兄が来ていることは知っていたんだろう。


 エドガーは珍しく自信なさげだ。

 戦場ではゴブリンやリザードマンの大群を目にしてもまったく動じないエドガーだが、こんな顔もすることはあるらしい。


 しばらく馬を走らせてエドガーが小高い丘に登る道に入った。

 なだらかな丘を馬が駆け上る。坂を上りきったところで視界がパノラマのように広がった。

 思わずセシルの口からため息が漏れた。


「此処が俺のお気に入りなんだ」


 エドガーが言う。

 360度すべてに広々と緑の草原が広がっていて、草原を突っ切るように伸びた茶色の街道と所々に立つ石づくりの狼煙台や見張り塔が草原に幾何学模様を描いている。

 遠くには王都の城壁と尖塔が見えた。

 そんなに長く走った感覚はなかったが、それでも結構遠くまで来ていたらしい。

 

「どうだい?」


 ちょっと自慢気にエドガーが言う。 


「都の傍にこんなところがあるなんて初めて知ったわ」


 鳥の鳴き声と風の音、草の葉擦れ。遠くの方から人の声が聞こえた。旅人の声だろうか。

 世界に自分たち以外に誰もいないように感じて僅かに胸が高鳴った。

 隣に立っているエドガーの体温を感じる気がする。


「やあやあ、やっぱりここで待っているのが正解だったな」


 その時、静寂を破るように声が聞こえた。

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