第17話 王国暦270年6月14日 戦勝の凱旋
むせ返るような血の匂いの中、いつも通り周囲を警戒していた兵士達が、警戒を緩めた。
もはや動くものはない……リザードマンの群れは全滅した。
「犠牲者は?」
「今回も一人もいません」
ガーランドが信じられないという口調で言う。
どれだけ強い兵が有利な地形に陣取ったとしても、完全に犠牲を無くすなんてことはほとんどできない。
流れ矢や投石を受けるだけで人は容易く死ぬ。
それに魔獣は人間より圧倒的に膂力が高くしぶとい。接近戦で斬り合いになれば犠牲は避けられない。
指揮官は常に犠牲を減らすべく戦うが、犠牲無しでの勝利などほぼあり得ないことだ。
二度の出撃で二度とも、というのは恐らく王国の歴史史上類が無いだろう。
「それは……良かったです」
だからセシルの兵団の兵士はあまり入れ替わらない。
そして、だからこそ兵士一人一人のことがある程度分かってくる。
誰にでも妻が、親が、子がいる。兵士一人の犠牲は数としては少ないのかもしれないが、その一人は誰かにとってかけがえのない一人だ。
「ところで姫様」
ガーランドと各部隊の指揮官の騎士たちが表情を引き締めて跪いた。
「姫様……これほどのお力をお持ちだったのですね」
「今まで我らが不甲斐ないばかりにご無理をおかけしていた」
「まことに申し訳ありません。お許しください」
ガーランドたちが口々に言う。
「いえ……そんな風に思う必要はないです」
今まで自分を守って倒れて行った無数の兵士を覚えている。
「どうだい?皆、無事か?」
そんな話をしているところでエドガーが大剣を片手に戻ってきた。
リザードマンの群れに単騎で突撃してきたはずなのに傷一つない。それどころか青い外套には血の汚れすら殆どない。
来た時そのままのようで違和感に囚われそうになるが。
遠く向こうに散乱している彼に斬られたリザードマンの骸が確かに戦いがあったことを物語っていた。
エドガーがガーランドを促すように視線をやった。
ガーランドが頷いて剣を高く掲げる。
「兵達よ!勝どきを上げよ!」
「セシル姫様万歳!」
「エドガー殿万歳!」
「勝利に!」
青空に兵士たちの声が響いて旗が振られた。
◆
行きと同じく二日間の行軍を経て王都に帰還したセシルの隊を待っていたのは沿道を埋め尽くす民衆たちだった。
戦に勝ったり討伐を済ませて都に戻った兵士たちを出迎えるのは一つのお祭りの様になっている。
賑やかで雑多な音楽。あちこちの屋台から上がる香ばしい何かが焼ける匂い。
この光景自体は珍しいというほどではない……しかし自分達の凱旋なんてものは初めてだ。
「これはいったい?」
思わずセシルの口から戸惑いの声が漏れる
「当然だろ。ゴブリンの群れの討伐にリザードマンの群れの討伐。どっちも楽な任務じゃない。しかもどっちも犠牲無しだからな」
セシルとともに戦列の戦闘で馬を歩ませるエドガーが答えた。
「そして、この軍装を揃えた理由の三つ目だ。
凱旋するときに姫様の兵がみすぼらしい格好は良くないだろ」
セシルが後ろを振り向く。
不揃いな装備での行軍ではなく、全員が青に染められた揃いの軍装を纏い装備を揃えた行軍は見栄えが全くちがった。
先頭を歩く兵士が旗を高く掲げる。戦乙女のモチーフを刺繍した長い布の旗が風にはためいた。
兵士たちの足取りも普段より誇らしげだ。
歓声を聞いて面映ゆそうな顔、嬉しそうに手を振る姿を見るとセシルも少し嬉しくなる。
周りの家から花吹雪が降ってきた。
「さあ、姫様、あなたは指揮官なんだから、民の声に答えないと」
エドガーが言うが。
「答えるって?」
「こうするのさ」
エドガーが馬を寄せてきてセシルの手を握った。そのまま二人で手を高く差し上げる
一際歓声が大きくなった。拍手の音と歓声がまるで雨が降ってくるように感じる。
「すごいね、女の人なのに勇敢なんだね」
「格好いいね」
「魔法使いなんだって」
「違うよ、御姫様なんだよ」
「王様の代わりに戦ってくれてるのかな?」
「すごいね。魔法なんて劇でしかみたことないよ」
「ねえ、あの横の騎士様は誰?誰か知ってる?」
沿道を走って追いかけてくる子供たちの声が聞こえた。
小さく手を振るとその子たちがうれしそうに手を振り返してくれる。
「言ったろ、勝てばすべてが変わるってね」
エドガーが言う。
そうなるといいとは思ったが、此処まで変わるとは思わなかった。
「そういえば、もう一つ。軍装を揃えた理由があるんだ」
「なんです?」
エドガーがセシルをまっすぐに見る。
「普段の清楚な緑のドレスもいいんだが、こっちも似合ってるよ。
その金の髪と青の衣装はよく合ってる。それに姫様は背が高いし手足もすらりとしている。野を駆ける鹿のようだ」
見つめられて思わず恥ずかしくなってセシルが顔逸らした
「まあ、要するに俺の主の凛々しい姿を見たかった……これは完全に俺の勝手だが、この位はいいだろ?」
◆
この凱旋の行軍を苦々しい思いで見ている者もいた。
王城のテラスからその様子を見ていたエリーザベトだ。
「なんてことなの。こんなはずじゃなかったのに」
遠く離れたテラスからでも沿道に詰めかけた民衆の姿は見える。
その歓声も聞こえてきた。きっとこのお祭り騒ぎは夜まで続くだろう。勿論、その話題の中心はセシルとエドガーだ。
リザードマンの討伐は正規軍でも難しい任務だ。
エリーザベトの計画ではセシルの軍は無様に敗れ去ってボロボロの泥まみれの状態で戻ってくるはずだった。
それがまさか一人の犠牲もなく凱旋するなんてことになるなんて。
しかもこの間あった田舎剣士はアウグスト・オレアスの白狼だという。彼のことは知っている。
ジェヴァーデンの戦いを描いた
「一体どういうことよ。なぜ姉さまとアウグスト・オレアスの白狼が一緒に居るのよ」
エリーザベトが憎々し気に言って手にしたグラスを床にたたきつけた。
ガラスの砕け散る甲高い音がして、傍についていたメイドが怯えたように身を竦めた。
ワインが床のカーペットに赤いしみを描く。
「妾の子の分際で。そんなことは許さない」
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