第4話 王国暦270年5月8日 荒野での出会い
「今回は南部の討伐だ。サルラ近辺にゴブリンの群れが出て領民を脅かしている。それを討伐せよ」
「はい」
夏のある日、セシルはサン・メアリ伯爵に呼ばれて命令を授かった。
サルラはフォンテーヌ王国の南部に位置する丘陵地帯だ。
ヴァレンヌ男爵の治める領地であり、本来は彼が討伐の責任を負う。
その討伐の任がセシルに回ってくるということは、困難な討伐を体よく押し付けたと言う事に他ならない。
ヴァレンヌ男爵は王妃に近しい血族だ。
命令はいつも突然やってくる。心の準備をする暇もない。
とはいえ、別れを告げたいただ一人の相手である母には会うことは出来ないから意味は無いのかもしれないが。
いつも通り慌ただしくセシルと、直属の兵士達が招集され戦地に向かう。
行軍するときに感じるのは憂鬱さだ。馬から兵士たちを見下ろしながらセシルは思う。
セシルに与えられた兵士は200人ほど……この中の誰が生き残る事が出来るんだろう。
「あんたのせいで俺は死ぬ」
「俺みたいなはみ出し者に死に場所を与えてくれて感謝します……あなたのために戦えてよかった」
戦場で見た顔をセシルは思い出す。
感謝の言葉と恨みの言葉。でもどちらも死の色がまといついていることには変わりはない
それにそれが恨み言であっても何か言ってくれるほうがまだ救われる。
どちらも言えずに死んでしまった者がほとんどだ。
戦場での思い出は、自分を守って死んでしまった兵士たちの数えきれないほどの声。
自分の魔法に焼かれて死んだ敵の兵士や魔獣の血の匂い、焼け焦げた肉の匂い。
死地に向かう兵たちの行軍の重い足取り。
夥しい犠牲を代償にした空しい勝利。数えきれない犠牲と引き換えに傷一つ負わなかったいたたまれなさ。
犠牲者の躯を戦場においていかなくてはいけないやりきれなさ。
重苦しい帰途の空気。
そして、戻っても誰も喜んでくれることのないやるせなさ。それだけだ。
彼らの多くは土地を失って食い詰めた元農民、継ぐ領地がない騎士の次男三男、それに軽微な罪で収監された囚人たちだ
……逃げるところなんてない。自分と同じように。
きっと脱走して盗賊や傭兵になった方がいいと思うものもいるはずだが、それでも彼らは自分に従ってくれる。
だからこそ死なせたくない……でも自分に何ができるんだろう。
◆
サルラに着いたセシルたちはサルラの執政官、50歳くらいのひょろりと痩せた男、ピエールの案内でゴブリンが集結しているという森の近くに布陣した。
緑のなだらかの丘の向こうに鬱蒼とした森が見える。森からはすでにゴブリンの群れの姿が垣間見えている。
相当の数の群れ。そして、執政官の話によればゴブリンの
王や魔法使いに率いられた群れは数が多く、統率がとれた手強い相手だ。
「戻りました」
斥候が戻ってセシルの前で跪く。
「どうですか?」
「相当の数です……恐らく500は下らないかと」
斥候が諦めたような口調で言う。その言葉を聞いた兵士たちが絶望したように項垂れた。
今までも過酷な戦いは多かった。だが今回のは一番圧倒的な戦力差だろう
「おいおい……いくらなんでもこれは無理だろ」
「死ぬな、俺たち」
「姫様、一応お聞きしますが、後詰は援護にきてくれないんですか?」
ガーランドがセシルに尋ねる。セシルが言葉に詰まった。
「ええ……」
後詰としてついているヴァレンヌ男爵の兵500人は最前線から一刻ほどかかる僅かに後ろの村に陣を張っている。
馬で飛ばせばここまで駆けつけるのにそう時間はかからない。
しかしヴァレンヌ男爵の仕事は援軍というよりセシルの監視だ。
それに、自分の旗下の兵士を失いたくないだろう。援護は期待できない。
セシルをまだ死なせたくないカトレイユ王妃の意向もあるし、ゴブリンの群れをそのままにはできない。
だから、援護がまったくないということはないだろう……兵たちが殆ど倒れた時にならば。
そのことを誰もが分かっていた。
そしてすぐに駆け付けられる場所に味方がいるのに援護を受けられないというのは、戦うものにとっては心を抉られる。
つまるところ、自分たちは捨て駒であり、其の命は銀貨一枚程度の価値しかないといわれているようなものだから。
「そうですか」
あるガーランドが感情を感じさせない口調で言う
「ゴブリンでさえ後詰の援護を受けられるのに」
その目がそう語っていた。
◆
重い足取りでセシルとその兵たちがゴブリンと相対した。
距離はまだかなり離れている。数は500と聞いていたが、実際に視界に入るとその数に圧倒される。
「姫、どうなさいますか?」
ガーランドがセシルに聞くが……これだけ彼我の戦力差が圧倒的では取れる戦術は多くはない。
いつも通りまずは魔法で切り崩す。しかし相手はロードが率いる群れだ。それで止まるのか。
考えているところで不意に兵士たちの誰何の声が聞こえた。
「お前、何者だ?」
「此処で何をしている」
「どうしましたか?」
セシルが兵士たちに声を掛ける。兵士たちが一礼して道を開けるように一歩下がる。
割れた人垣の向こうには一人の男が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます