第5話 王国暦270年5月8日 その傭兵の力
「アンタたちは国軍かい?」
まるで散歩でもしに来たような気楽な口調で言う男を全員が怪訝そうに見た。
伸びるに任せたような金色の髪と手入れをしていない無精ひげ。いかにも安宿を泊まり歩いてきたという風情だ。言葉には東部の訛りがある。
180センチを超える鍛えあげた体を、作りはきちんとしていたが着古した実用一点張りの辺境風の革鎧に包んでいる。
背中には大剣を担いでいた。
彼の姿はいかにも流れの傭兵か、魔獣を狩る冒険者か賞金稼ぎのようだった。
国内が乱れれば彼のようなものは増える。主君との盟約が切れて主を失ったりして放浪し次の戦場を求めたり、魔獣を狩って日銭を稼ぐ者たち。
そのうちの半分以上は盗賊や山賊に早変わりするのだが。
「何者ですか?」
「いや、ゴブリンの群れが現れたって聞いてね。賞金でも稼ごうかと思ったんだ」
「では立ち去りなさい」
あまりに気楽な口調だ。恐らくはぐれゴブリンか、小さな群れと思ってきたのだろう。
だが今からおきるのは戦いだ。
「貴方が指揮官かい?」
「ええ」
男がセシルに気易い口調で聞く。
「姫騎士とは珍しいな」
そう言って男が馬上のセシルを見上げた。
「なあ、あんた、俺を雇ってくれないか?折角だから」
男が言う。身分を弁えない気やすい口調にガーランドが一瞬不快気な表情を浮かべた。
仕官希望者なのだろうか。傭兵や騎士崩れにはよくある事だ。
ただ。
「どこの者か知りませんが、逃げた方がいいと思いますよ」
セシルが、その男に言う。
仕官希望と言われても、死ねば仕官も何もあったものではない。
言葉を交わしているところで、森からゴブリンの群れが現れた……大群だ。
奥には黒と赤の吹き流しのような旗が見える。ロードの旗だろう。
恐らく人間の兵士や傭兵からはぎ取っただろう斧槍や剣で武装している。
ゴブリンは人間より小柄だが筋力や俊敏さは人間以上だ。痛みにも強く侮りがたい敵。
ゴブリンの群れがこちらを見たのか、足並みを揃えてセシルたちの方に向かってきた。
男がゴブリンの群れを一瞥して小さく息を吐く。
「分かったでしょう。では行きなさい」
「いやいや、これは手柄の立て時でしょう。お役に立ちますよ。
それにどうせ戦うなら一人でやるよりも雇ってもらう方が実入りがいい。まあ雇ってくれないなら勝手に戦いますが」
男が言った。
命知らずの愚か者か、それとも自信過剰か。誰かが呆れたような口調で何かつぶやく。
「……好きにしなさい」
「光栄です、姫騎士殿。俺は……エドガー。雇い主のお名前を聞かせていただけますか?」
「セシル」
普通ならこの名を聞けば大抵のものは怯む。
女の身で戦場に立つ王の庶子セシルの名と、味方と敵の両方に死をもたらす
しかし全く知らないかのように彼が頷いた。
言葉の東部訛りからすると辺境の戦士なのかもしれない。
でも今はそれはどうでもいいことだ。まずは迫る来るゴブリンをどうにかしなくてはならない。
すでに先陣が丘のふもとに達しようとしている。
「まずは私の魔法で少しでも態勢を崩します」
そう言ってセシルが詠唱を始めた。
いつも通り盾を持った兵士たちがその周りを囲む。万が一の矢や投石機などの飛び道具に備えたものだ。
「forte pluie de feu cramoisi et arc brûlant!!」
30を数えるほどの詠唱が終わり、セシルの周りに赤い魔法陣が浮かんだ。
10本ほどの赤い炎の矢が空中に向けて舞い上がる。
魔法の矢がゴブリンの先陣に降り注いだ。火柱が上がって隊列が乱れる。
同時に体を引き裂かれるような痛みがいつも通りにセシルを襲った。短い詠唱の代償だ。
喉までこみ上げた血の塊と呻き声を辛うじて飲み込む。
ここで醜態を晒せばますます士気は下がる
ゴブリンの先陣を改めて見る。あちこちで炎が上がっている。
ある程度は減らせた。しかしまだまだ数は多い。
少し怯ませることは出来たらしく、ゴブリンの進撃が止まった。
魔法に恐れをなしてくれれば……セシルの淡い期待は直ぐに砕かれた。
太鼓か何かの音がして、ゴブリンたちが仲間の遺体を踏みつけてすぐに隊列を整える。ロードに率いられているからなのか、戦意が高い。
……戦うしかない。
「
ガーランド……歩兵は前進して防御陣形」
セシルが淡々と命令を下してガーランドが頭を下げる。
覚悟を決めたように兵士たちが顔を見合わせて言葉を交わし合った。
あの数の敵とぶつかりあえ、という命令であり、それは死ねと言っているに近い。
命令を下す立場にいるから仕方ないとはいえ、セシルの胸が痛んだ
「私はもう一度魔法を……」
「いや、待て待て。もう少し考えて戦おうや」
セシルの言葉を遮るようにそう言ったのはエドガーだった。
◆
「戦力差がある相手と防御態勢で正面衝突なんて勝ち目はないぜ」
さっきと同じ気軽な口調ではあるが、なぜか周りに耳を傾けさせる、不思議な強さの声でエドガーが言った。
「ではどうするのです?」
息の乱れを押し隠してセシルがエドガーに尋ねる。
正面衝突したくないのはやまやまだが、それが出来れば苦労しない
丘の上で高所を押さえてる今の状態なら防御陣形を敷くのが戦術のセオリーだ。
上ってくる敵を追い落とし、矢と魔法で戦力を削る。
「まずは俺が切り込んで奴らの体制を崩す」
エドガーが言う。誰もがその言葉の意味が分からず沈黙した
「弓を使える奴は全員俺の左右に援護をしてくれ。姫様はさっきみたいに魔法で支援を……ゆっくりでいい」
意味ありげにエドガーがセシルを見て言う。
その目が、今のアンタの状態は分かっていると語っていた。
エドガーの言葉を皆が反芻した。
彼が言っていることは彼が単独で突撃するということだ
「それは……考えているといえるのか?」
1人が露骨にバカにしたような口調で口を挟む
「まあアンタの懸念はわかるが、俺を信じてみないか?」
そう言ってエドガーが背中に背負った剣を抜く。
「それにさ、俺が突撃して死んでも別に誰も困りはしないだろ?じゃあいいだろ?」
「それは……そうだが」
「だが、俺は死ぬ気もないし、誰も死なせる気は無いぜ」
エドガーが身の丈ほどもある大剣を一振りした。
重たげな剣が風切り音を立てるがエドガーの姿勢にはわずかな乱れも無い。細身の体からは考えられないほどの膂力だ。
それぞれが武器の訓練を受けたからこそ分かる。唯の傭兵の太刀筋ではない
そして、実用一点張りの皮鎧と粗末な革の鞘、それに流れの傭兵のような見た目には不釣り合いなほどその大剣は磨き抜かれ、白い刀身には傷一つなかった。
誰かが称賛するようにため息を吐く。ひとかどの戦士ならその剣が業物であることくらいは直ぐに分かっただろう
どう見ても一介の傭兵の持ち物ではない。なぜ彼がそんなものをもっているか、それは誰にもわからなかった。
「それ……まさか盗品じゃないだろうな?」
「いや、親がくれたのさ」
誰もが思った疑問を一人が口にしたが、エドガーが笑って答える。
「どうしますか、姫様」
ガーランドがセシルを見て聞く。
武名を上げたい傭兵崩れが無謀なことをっているだけかもしれない。
「いいのですか?」
「ああ、勿論」
あまりに無謀な話だがエドガーの言葉には僅かな乱れも動揺もなかった。
それに言い合っているうちにもゴブリンは迫ってくる。迷っている暇はない。
「では、任せます……武運を」
言ってからセシルは思った。
武運をなんて……我ながらなんという偽善だろうか。あの群れに1人で斬り込めばどうなるか、考えるまでもないのに。
「感謝しますよ、姫様」
セシルの気持ちを知ってか知らずか、エドガーが小さく笑って大剣を担ぐように構えて進み出た。
丘の下からは隊列を整えたゴブリンの群れが昇ってくる。
足音と槍の石突きが地面を叩く音、鎧が鳴る音と錆びた鉄が擦れ合うような呻き声のようなゴブリン語が迫ってきた。
「本気なのか?……やめた方が……」
「じゃあ、援護よろしくな」
誰かの心配そうに止める言葉を振り切って、緑の草が生えた草原をエドガーが駆け下りた。
◆
単騎で駆け下りるエドガーを見てゴブリンたちが戸惑ったように足を止める。
無謀な愚か者を一刺しにしてやろうといわんばかりに立てた槍を横に構えた。
セシルたち全員が今から起こることを想像して息を詰める。
丘を半ばまで駆け下りたところでエドガーの体を白い光が包んだ。
馬で駆けるより速くその体が加速する。
「なんだ?」
誰かが怪訝そうな声を上げる。
ゴブリンたちの構えた槍の穂先を飛び越えるようにエドガーの体が宙に舞った。
5メートル近い跳躍。鎧をまとった人間にできるものではない。白い光が空中に軌跡を描いた。
エドガーがゴブリンの群れの真ん中に飛び込む。
白い大剣が一振りされると、ゴブリンの群れが雑草でも薙ぎ払うかのように裂けた。
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