第3話 王国暦268年9月25日 牢獄での再会
「面会の時間は砂時計が落ちるまでです」
「分かっています」
セシルの言葉を聞いて門衛が分厚い木の扉を開けた。
豪華な丁度品で飾られた部屋には分厚いカーテン越しに白い冬の昼の光が差し込んできている。
中央には大きめの机があって、そこには母マルグリッドが座っていた。
セシルの姿を見た彼女が疲れた白い顔に安心したような笑みを浮かべる。
一緒に入ってきた門衛が血のように赤く色を付けられた砂の入った砂時計を置いて一礼して出ていく。
ドアが閉まるのと同時に二人が抱きしめ合った。
「お久しぶりです、お母様」
「無事で嬉しいわ、セシル」
二人が会うのは4か月ぶりだ。
セシルの南部の海賊討伐の遠征がようやく終わり、その戦功を認められて面会が許された。
「血の匂いがするわ……セシル」
「返り血でしょう。戦装束のままですから」
セシルは応えるが、実際はそうではない。
魔法は本来、時間をかけた儀式や詠唱により魔力を収束して威力を発揮する。
だから魔法使いには多くの護衛が付きその魔法の詠唱のための時間を稼ぐ。
魔法使いはどれだけ頑張っても呪文の詠唱の間があるのだ。
しかし戦場でそんな悠長なことをしている時間はない。
だが魔法に発動のために必要な儀式や詠唱を省くには代償が必要だ。術者の命と言う代償が。
そんな風に魔法を使い続けることは術者の体に大きな負担をかける。
関節を曲がらない方向に無理に曲げるようなものだ。
しかしそこまでしても魔法の発動までには時間がかかる。
彼女の率いる部隊は戦うたびに多くの犠牲を出す。その損耗率の高さゆえに彼女についた仇名は
強力な魔法で敵をなぎ払い殲滅する、そして味方にも死をもたらす者。
「王族としての務めを果たしています。何もご心配なく」
「そう……」
望まない数知れない兵士たちの死が彼女の心を殺してしまった。
かつては美しさをたたえられたその表情も今は悲恋の舞の仮面のようになっていた。
金色のフワフワした柔らかい髪も肩のあたりで短く切られている。
戦場では長い髪は邪魔になるだけだし手入れもままならない。
マルグリッドが戦場の魔導士然となったセシルを見て、何かを言いかけて口を閉ざした。
その先を言っても何の意味もないし、何も変わりはしない。何か言う代わりに娘を抱きしめる手に力を込めた。
母はすっかり痩せてしまった。
もともとは女性らしい柔らかく暖かい体だったが、会うたびに細く強張った風になっていく。
あの館から、王都近くのルサント城の塔に移されてもう6年になる。
殆ど外に出してもらうこともなく部屋の中に居続けているはずだ。
この部屋は立派に飾られているように見えたが、寝台の寝具は夏のままの薄いもので、壁にも薄いタペストリーが張られているだけだ。
マルグリッドの手が震えているのがセシルには分かった。
もともとマルグリッドは体が丈夫な方ではない。衰えるのも無理はない。
後ろでドアがノックされた。
机の上の砂時計を見ると、赤い砂の最後の一塊が落ちる所だった。命のようにも見える赤い砂が落ちて、ほぼ同時にドアが開けられる。
「時間です」
「では母上……また手柄を立ててお顔を見に伺います」
二人の手が伸びたが、あの日と同じように触れることはなかった。
音を立ててドアが閉められた。
◆
あの別れの日から6年たってセシルは15歳になっていた。
今はサン・メアリ伯爵旗下の魔法使いとして、兵を率いて戦っている。
イストヴェインとの戦いで負ったヴォイド三世の負傷と病は長引き、6年の年を経た今も万全とはいいがたい。
激務の国政の務めを果たしきることは出来ず、離宮にこもりがちだ。
そして、その間にカトレイユ王妃とその側近である宰相ロンフェンが政務を牛耳ってしまっていた。
王の状況、そしてカトレイユ王妃の実子エリーザベトの存在。
セシルが王妃になるのでは、などという一時期の話を今は覚えている者はいないだろう。
◆
セシルが城のエントランスホールに降りると、兵士たちを従えたサン・メアリ伯爵がいた。
横にはセシルの副官であるガーランドもいる。
ガーランドは年は40歳。がっしりした体格の大剣使いであり、サン・メアリ伯爵の旗下の下級騎士だ。
かつてはそれなりに良い家柄であったが、今はセシルの副官でありお目付け役でもある。
サン・メアリ伯爵がセシルを一瞥して、こっちに来るなと言わんばかりに目を逸らした。
その意図は勿論セシルにも分かったが、あえて構わずセシルがサン・メアリ伯爵に歩み寄る。
「……なんだ?」
「どうか、お願いします。サン・メアリ伯爵様。母上……マルグリッド様のお部屋に暖炉を置いてください。あのままでは凍えてしまいます」
まだ冬までは間があるとはいえ、石壁の城の部屋は底冷えする。
あのままでは前線で戦う兵士達のように寒さが体を蝕んでしまう。
マルグリッドは決して体が丈夫ではない。
あのまま冬になれば、下手をすれば部屋の中で凍え死にしかねない。
サン・メアリ伯爵が迷惑そうな顔でセシルを見た。
マルグリッドを王の側妾として差し出したのはサン・メアリ伯爵だ。
当初は思惑通り王の寵愛を受け、マルグリッドがセシルを産んだ。
しかし、王妃カトレイユに娘エリザベートが生まれ、その後ヴォイド三世が負傷して国政の一線から退いて状況は一変した。
王の寵愛を受けたマルグリッドと彼女の間に生まれたセシルは、カトレイユ王妃に疎まれ今やサン・メアリ伯爵にとって二人は厄物になってしまっていた。
それは身に染みて分かっている。
かつてもう一人の父上と思って慕ったサン・メアリ伯爵にとって今自分がどんな存在なのか。
しかし彼しか頼れるものもいない。
他の貴族は自分の話を聞いてなどくれもしないだろう。
「お願い足します。叔父様」
絨毯を敷かれた廊下に膝まづいた。
冷たい石の硬さが絨毯越しに膝に伝わる。重たい沈黙が広間に降りた。
「……善処する」
長い間の後、絞り出すように言ってサン・メアリ伯爵がその場を立ち去って行った。
すこしセシルの気が緩む。
サン・メアリ伯爵は最低限のことはしてくれている。今回も大丈夫だろう。
あの時、母を見捨てたサン・メアリ伯爵を恨んだこともあった。
だが、今となっては致し方ないのだと分かる。
あの時、マルグリッドを庇えばサン・メアリ伯爵家はどうなっていたか。
彼にも守るべき家名や家臣、家族がいる。そのために王妃に遜りつくさねばならなかった。
城の外に出た。待っていたガーランドが礼儀正しく一礼する。
セシルは母の部屋を見上げた。分厚い白いカーテンの向こうに母の影が見えた気がした。
自分を、そして母を生きながらえさせることが王妃の望みであることは分かっている。
死の苦しみ、離別の苦しみは一瞬だ。
生き続けることは苦しみが明日も明後日も同じように続くことに他ならない。
すっかり弱弱しくなってしまった母のことを思う。
自分が死んだら母はどうなるか……それは火を見るより明らかだ。
辛いけど……死ぬわけにはいかない。
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