第12話

 カウンターの向こうで隼人は、黙々と包丁を動かしている。

 まるで、罰を受けてるみたいな顔で。


 この席は、厨房で作業している隼人に、一番声がよく聞こえる場所。

 いつも、隼人が私をここに座らせていたのは、仕事しながらコミュニケーションを取るためだった。


 普通の声で話していても、私の言葉は全て隼人に届くのだ。


 そんな被害者みたいな顔するのやめて。

 こんな所で泣きたくなんかないのに、涙が込み上げそうでギシっと奥歯を噛みしめた。


「大将! すいません、おあいそお願いします」

 私の隣で、大和がそう言った。

 出された料理は殆ど手つかずだ。


 隼人は、軽く会釈をしてこちらにやって来た。


「たくさん残しちゃって申し訳ないんですけど」


「いえ、気にしないでください」

 頬を引きつらせながら、会計票を大和に渡した。


 会計を済ませ、外に出ると、堪えていた涙が蛇口をひねったみたいにぼろっと両頬を伝った。


「和佳子! ごめんね。もしかして元カレだった?」

 その言葉に更に涙は加速する。


「そっかー、それで好きな食べ物があれだったのか」


 大和は自分を責めるように頭をくしゃくしゃっと掻きむしった。


 気にしないで。あなたは何も悪くない。

 せっかくの心遣いを台無しにしてしまってごめんなさい。

 そう言いたくても、嗚咽で言葉が上手く出て来ない。


「飲み直そう。まだ全然足りてないでしょ」


「ごめ、ごめん、なさい」


 途切れ途切れに言葉を絞り出す。

 大和に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「いやいや。僕の方こそごめん」


 一人で立っている事が困難で、嗚咽しながら大和の胸にすがるように額を当てた。

 彼は黙って、私を優しく抱きしめてくれた。


「彼とはちゃんと話したの?」


 私は首を横に振って答える。


「そっか。何があったのか、僕にはよく分からないけど落ち着いたら話してくれる?」


「うん……」


 店から数メートル離れた道路わきで、一頻りないて落ち着くまで、彼はずっと私を包み込むようにして、背中をさすってくれていた。


 思う存分泣いたら、なんだかすっきりした気持ちになり

「はぁ、ごめんなさい。涙がいきなり零れちゃって。行きましょうか」

 という言葉が、スムーズに出た。


「もう大丈夫?」


「うん」


「じゃあ、行こうか」


 幸い平日で、大和のおすすめのお店は予約なしでも、なんとか入れた。


 カウンターの向こうには大きな鉄板が設置されていて、炎が立ち上っている。

 店一杯に肉を焼く香ばしい匂いが充満していた。


「匂いだけで美味しそう」


「目の前で焼いてくれるんだ。ステーキ屋さんなんだけど、ここのハンバーグがまた絶品なんだよ。本来ならステーキにする肉を挽いてハンバーグにしてるからね」


「へぇ、そうなんだ」


 カウンター席に案内されて、隣同士に腰掛けた。

 他の席は満席。

 ギリギリ滑り込みセーフだった。


 目の前で、分厚いステーキが手際よく焼かれている。


「ビールがいい? シャンパンにする?」


「ビールがいいな」


「ステーキにする? それともハンバーグ?」


「わかんないから、任せる」


「オッケー!」


 大和は店員に向かってスマートに手を上げた。


「お伺い致します」

 黒いユニフォームを着た男性が丁寧に腰を45度に折った。


「ビール二つと、松坂牛ステーキと、松坂牛ハンバーグの鉄板焼のコースをお願いします」


「かしこまりました」



 お酒を飲み、拘りの和牛を味わいながら、私は隼人との一部始終を大和に話した。

 一時は、元気を取り戻して、職場復帰を果たした矢先の事で、私自身もあんな感情になってしまったのは予想外の事だった。

 もう隼人の事で、泣いたりするのはイヤなのに――。


「それはきっと、まだ君の気持ちにけじめがついていないからだと思うよ」


「けじめ?」


「僕は恋愛経験少ないから、偉そうな事は言えないけど、君を苦しめてるのは、彼の裏切りだけじゃなくて、彼との幸せだった思い出なんじゃないかな」


 引っ込んでいた涙がまたじわりと膨らむ。


「リベンジしに行こう!」

 大和は店員に手を上げた。


「お伺い致します」


「会計をお願いします」

 そう言って、クレジットカードを差し出した。


「かしこまりました」



 会計が終わり、大和は私の手を掴んだ。


「行こう」


「どこに?」


「彼の所。そろそろ閉店するでしょ」


 時刻は、もう数分で24時。


「ちょっと、待って」


 戸惑う私の手を、彼はグイグイ引いて、来た道を歩き出す。

 店の前にたどり着くと、ちょうど看板の電気が消えた。


 ガラっと引き戸が開いて、隼人が出て来た。

 暖簾を下ろす所だ。


 私達の姿に気付き、固まった。


「和佳子ちゃん」


「先ほどはどうも」

 大和が隼人に頭を下げた。


「あ、どうも」

 隼人は戸惑いながらも、大和に頭を下げる。


「今日、何も知らずに、僕が彼女をここに連れて来てしまったんです。そういう経緯で、つい今しがた、彼女からあなたとの事を聞きました」


「そうですか」


「あなたは知らないかも知れませんが、彼女はあなたに裏切られた事で心も体も傷つきました。それはご存知ですか?」


「まぁ、はい。子供をおろした事は……知ってます」


「言いたい事はないですか? 彼女に」


 隼人は、また被害者みたいな顔でしゅんと下を向いた。


「彼女、死のうとして薬のんで、手首切って、うちの病院に運ばれてきたんですよ」


「え? それは……知りませんでした」


「彼女にとって、あなたの存在はそれほど大切でかけがえのない物だったんです」


「けど、俺にどうしろと」


「どうしようもないのは、わかります。それぞれ事情もおありでしょう。彼女だけが傷ついたままで、あなた達は幸せになる。それも人生でしょう」


 大和は言いながら興奮してきた様子で、声を震わせている。


「それはいいんですよ。彼女の事はこれから僕がこれまで以上に幸せにするんで」


「え?」


 私は思わず声を漏らしてしまった。


「なので、今、ここでけじめ付けませんか?」


 隼人は、ゆっくりとアスファルトの上に崩れ落ちるように、膝を折って座り込んだ。


 おもむろに両手を突いて

「和佳子ちゃん、本当にもうしわけなかった。全部俺が悪い。俺のせいで傷つけてしまって、本当にごめんなさい」


 声を震わせながら、額を地面に擦りつけた。


「どうか、幸せに……」


 引っ込んでいた涙はとっくに決壊を超えてあふれ出していた。


「……いいの。その言葉が聞けて、よかった。あなたも、お幸せに」


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