第11話
「どうかした? 大丈夫?」
なごみ庵の前で金縛りに遭っている私に、御堂さんが心配顔を向けた。
「あ、ううん。ハンバーグのお店がよかったなって」
「あー、ハンバーグの気分だったかー」
彼は額に手を当てて、天を仰いだ。
「じゃあ、今度はおいしいハンバーグのお店に連れて行く! めっちゃおすすめの店があるんだ」
そう言って、ガラガラっと引き戸をスライドした。
彼は何も知らないのだから仕方がない。
言っていない私が悪いのだ。
「いらっしゃーい」
隼人は手元に集中していて、私にはまだ気づかない。
「いらっしゃい……ませ」
ホールを担当しているみそのが、出迎えた。
私の顔を二度見して、頬を引きつらせる。
「二名で予約していた御堂です」
不穏な空気に、彼は全く気付かない様子で、顔をほころばせている。
「あー、二名様ですね。カウンターにどうぞ」
寄りに寄ってカウンター。
案内された席は、いつも私が座っていた席だ。
この場所から、隼人が作業している姿がよく見える。
「けっこう感じのいい店だね。食べログの評価も高かったんだ」
「そう」
みそのがおしぼりを手にしながら、隼人になにやら耳打ちしている。
多分、私の来店を知らせたのだろう。
「和佳子ちゃん、何飲む? 生でいい?」
「うん、生で」
「すいませーん、生二つ」
御堂さんは、ちらりとこちらに顔を向けた隼人を捉えて、そう声を張った。
「はい! 生二つー」
いつも通り、威勢よくオーダーをスタッフに伝える。
このまま、知らん顔を貫き通すつもりだろうか?
むしろそうして欲しいと願う。
「さっきのプレゼント、開けてみてよ」
御堂さんはまるで子供みたいにそう急かした。
「ああ、うん」
膝に置いたバッグから箱を取り出し、包装を丁寧に外すと、全女子の憧れとも言えるブランド名が見えた。
「え? これ、けっこう高かったんじゃ……」
「いいのいいの。独身の救命医なんてお金使う暇ないんだから」
「生ビールお待ちでーす」
みそのが、でたらめな接客でビールを持ってきた。
「ありがとう」
御堂さんは爽やかな笑顔をみそのに向けた。
「とりあえず、乾杯しよう」
「あ、はい」
彼はジョッキを持ち上げ、少しかしこまった顔を作った。
「僕たちの誕生日と、初デートに」
「え? これ、デートなんですか?」
「デートでしょ!」
「ふふ。そういう事に、しときます」
「じゃあ、乾杯」
ジョッキをぶつけ合って、ゴクゴクと冷えたビールを喉に流し込んだ。
「あーーー! ここのビール最高だね。ジョッキまでキンキンなのがいいね」
御堂さんは益々上機嫌になった。
澄んだ笑顔が憎たらしい。
メニューを眺めながら
「すいませーん。地鶏のたたきと、ゆず塩辛。それから……味噌軟骨をお願いします」
隼人は、一瞬戸惑いを見せたが、すぐにメニューを復唱してスタッフに伝えた。
私はしばしジョッキを置いて、箱を開けた。
「わぁ、素敵。ネックレス?」
細い上品なチェーンの先には、ブランドのロゴが象られたチャームに、小さな石が光っている。
ブランド物に大して興味があったわけではなかったが、一瞬で心を持っていかれるほど輝いていた。
「本当に、いいんですか? 私がもらって」
「何言ってるの。和佳子ちゃんのために買って来たんだ」
「ありがとう。大切にする」
箱に仕舞おうとすると
「ちょっと待って。貸して」
そう言って、チェーンの両端を指先でつまんだ。
「付けてるところ、見たいな」
私は隼人の視線が気になった。
どんな風に思うだろうか?
新しい彼氏だと思ってるかな?
そう思うと、ちょっといい気味だった。
付けやすいように髪を持ち上げると、御堂さんが首筋に両手を回す。
急接近した頬から、清潔感溢れるソープの香りが漂った。
彼の肩越しに、一瞬隼人と目が合ったがすぐに逸らした。
私は、逸らさない。彼をじーっと見つめた。
「出来た! あー、やっぱりよく似合ってる。かわいい。チェーンをゴールドにしてよかったな。シルバーとどっちにしようか迷ったんだ」
「なんだか、高級な女になった気がする」
少し酔いが回ると同時に、気が大きくなってきた。
彼は満足そうに微笑んで、ジョッキを口元で傾けた。
「アクセサリーなんて男性からもらったの初めてよ」
けっこう大きめの声でそう言った。
「本当? 君は素敵な恋愛をたくさんしてきたんだろうね」
しみじみとそんな事を言う。
「やだー。素敵な恋愛してきた女が、自殺未遂なんてしませんよ」
「あ……」
御堂さんが複雑そうに苦笑した。
しまった! と思ったが、引っ込める事なんてできない。
「バカでしょう? 今思うと、なんであんな男がよかったんだろうって笑えてきちゃう。命かけるほどの男かよって、自分で自分が本当イヤになっちゃう」
そういって高笑いを見せた。
「お! いいねぇ。過去を笑い飛ばせるようになったらもう大丈夫だね」
「お待たせしましたー。地鶏のたたきと、ゆず塩辛、味噌軟骨です」
みそのがテーブルに料理を並べた。
私は、みそのに見せつけるように、胸のネックレスを触りながら
「手触りまで特別な気がする。さすが帝国大出身のお医者様!」
と言った。
「和佳子ちゃん、今度映画でも」
「その呼び方やめてもらえませんか」
隼人と同じ呼び方で呼ばれるのは、イヤだった。
「え? あ、ごめん」
御堂さんは一瞬にして笑顔を消した。
「馴れ馴れしかったよね。ごめんね」
「ううん。違うの。和佳子って呼んでほしい」
「え? 呼び捨て……」
「前の彼氏がそう呼んでたから、なんかいやだなと思って。別に大切な思い出ってわけでもないけど、一ミリも思い出したくないんです」
「そっか。じゃあ、和佳子。僕の事も大和って呼んでくれる?」
「はい。大和」
「和佳子。食べよう」
顔を真っ赤に染めて、大和が箸を持ち上げた。
地鶏のたたきの皿の縁には、たっぷりのワサビ。
甘口の醤油にこれでもかというほど解いて、切り身に纏わせ口に入れた。
つーんとワサビが鼻の奥を弾く。
「おいしい?」
大和が訊いた。
「うーん。なんか……私が好きな地鶏の味じゃないかな。味噌軟骨もゆず塩辛も、全部私が好きな味じゃなくなってる」
「え? まだ、たたきしか食べてない……」
「この店、もう二度と来なくていいよ」
私は、カウンター越しに隼人を睨みつけてそう言った。
「わ、和佳子……?」
大和はようやく何かに気付いたのか、声のトーンが変わった。
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