第10話

 それぞれお酒が進み、もう何杯飲んだのかもわからない。

 土曜日と言う事もあり、深夜のバーは、顔を寄せ合って話さなければならないほど賑わっている。


 私が御堂さんと話が弾んでいた事に気を遣ったのか、真央はいつの間にか隣の席を彼に明け渡していた。


「ねぇ、和佳子ちゃん。本当に僕の事覚えてなかった?」


「本当に。全然覚えてなかったの。ごめんなさい」


 真っ赤な顔で、情けなく、目尻を下げる顔が可愛らしくて、つい笑ってしまう。

 つんつんしたくなる柔らかそうな頬。

 穢れを知らないであろう澄んだ瞳は随分若く見える。

 柔らかそうな天然のウェーブヘア。

 よく見たら、なかなかのイケメンだ。


「僕はねぇ、ちゃんと覚えてるよ」

 そう言って、スマホを取り出した。

 しばし操作した後、画面をこちらに見せて来た。


「え? うそ! なにこれ? どうして?」


 画面に表示されているのは、連絡先一覧。

 そこには、確かに私の名前と電話番号があった。


「LINEはね、教えてもらえなかった」


 そう言って、また情けない顔で自嘲した。


「あー、全然いいですよ。LINE、交換しましょうか」


「本当?」

「もちろん」


 QRコードを表示して、彼がそれを読み取り、友達登録完了。


「何か不安な事とか、辛い事があったら、いつでもメッセージ送ってよ」

 そう言って、お酒のせいで少し虚ろになった目で、私を見つめた。


「はい。あ、でも、忙しいでしょう? 救命のお医者さんなんだし」


「即返とかは無理かもしれないけど、必ず返信するよ。一営業日以内には、必ず! あ、そうだ」


 彼はそう言って、私の顔を見たまま黙り込んだ。


「え? なに?」


「明後日、僕たちの誕生日だよね」


「あー、そうだ。そう言えば、同じ……、5月20日」


 彼は私の2つ上。

 今度の誕生日で29才になるそうだ。


「ご飯でも行きませんか? ちょうど、休み取ってるんだ」


「いいですよ。どこに行きます?」


「僕が手配しておく」


「じゃあ、楽しみにしておきます」


 タメ口と敬語が入り混じる会話は、どこかぎこちなくて、新鮮だった。


 お店が騒々しくなればなるほど距離は近づき、肩先が触れては離れる。


 そんな距離感に、私はいつの間にかドキドキしていた。


 色褪せる初めての恋。

 死にたくなるほどの恋は、なんだか遠い昔の事だったのではないか、なんて思ってしまうほど、今、この瞬間がきらめいていた。


 ◆◆◆


 約束の月曜日。


 私は、今月初めて会社に出勤した。

 4月26日以来、24日ぶりの出勤だ。


 正直、まだ本調子というわけではない。

 ぼうっとしてると、わけもなく涙がこぼれたりする。

 そんな私を家族は決して放っておかなかった。


 お茶らけてバカな話をしかけてくる康介。


 私の大好物を食卓に並べる母。


 仕事帰りに、いつもお土産を買って帰る父。


 そんなこんなで、会社に行けるぐらいには元気を取り戻していた。


 有給はとっくに使い切り、ずっと体調不良を理由に欠勤していた会社。

 こんな私を見捨てず、待っててくれたばかりか、いつもと変わらず接してくれる同僚達に感謝した一日だった。


 体調を気遣ってか、上司は定時で上がらせてくれた。


 酷い経験をしたが、私はこんなにも周りに恵まれていたのだと、幸せを感じる事ができた一日だった。


 職場を後にして、御堂さんにLINEから電話をかけた。


『もしもし?』


「和佳子です。今終わって、マルイの前です」


「お疲れ様!」

 その声はすぐ真後ろで聞こえた。


 振り返ると、きっちりワックスで髪を整えた、彼が笑って立っていた。


「びっくりした」


「Aビルから出て来るの見えてた。行こうか」


「はい」


 これからどんなお店に連れて行かれるのか、私は知らない。


「近くですか?」


「うん。すぐそこにいい店見つけたんだ」


「楽しみ!」


「ぜーったい喜んでくれると思う。あ、これ」

 彼はそう言って、小さな箱を差し出した。


 白地に赤い小花が散りばめられたラッピング。


「え?」


「プレゼント。誕生日おめでとう」


 私は、恐縮した。


「ごめんなさい。私、何も準備してなくて」


「いいよいいよ。君が元気な顔を見せてくれただけで。それだけで最高のプレゼントだよ」


「えー。カッコよ過ぎー」

 そう言って、大きな声で笑いあった。


「あ、ここ!」

 数メートル歩いた先で、彼は看板を指さした。


「え……」


 なごみ庵と書かれた、見慣れた看板。


「色々検索してたらさー、この店、和佳子ちゃんが好きな物、全部あったんだよ」


 嬉しそうにそう言って、笑う彼に、私は何も言えなかった。


 私を苦しめた元カレが経営しているお店だ、なんて。


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