第9話

「ん~美味しい」


 人工毛でバチバチに飾った目元を瞬かせながら、フルーツがたっぷり沈んだサングリアを堪能しているのは、大学時代の友人、真央。


「フルーツの量、すごいね」


 見たまま、なんのひねりもない感想を伝える。


「うん。量だけじゃなくて、味もサイコー……、って、やっと喋ったね」


 ふふっと笑いながら、細いフォークで突き刺したオレンジを私に向かってあーんと差し出した。


 遠慮なく口を開けて頬張った。


「うーん! 濃いね」


「でしょ!」


 ここ1年ほど、疎遠になっていた真央が急に飲みに行こうだなんて連絡を寄越したのは、きっと康介が彼女に私の事を話したからだろう。


 康介と真央は一時期付き合っていたけど、いつの間にか別れ、またくっつきを繰り返して、今はただの友達に落ち着いたらしい。


 大学時代、雰囲気が好きでよく通ったおしゃれなバー。

 社会人になった今でも、ここに来るとなんだか気持ちが上がる。

 二言、三言、言葉数が増え、自分の身なりにふと視線を落とした。


 桜が散りばめられたワンピース。

 ちょっと季節外れ? ダサかったかな。そんな事を考える余裕すらできた。


 隼人との事は、もちろんきれいさっぱり忘れ去ったわけではない。


 殺しに行こうと包丁を握ったあの日から、1週間。

 あの日を境に、気持ちは少し落ち着いていた。

 体を張って、私の殺意を受け止めてくれた康介の想いを無駄にしたくない。

 何よりも、家族が顔を突き合せれば、全員参加で隼人とみそのの悪口大会が始まるのだから。

 私が言いたい事を、両親や康介が口汚く罵ってくれるから、自然と胸につっかえていたどす黒い感情は浄化されつつあった。


 カウンターに着いた手に顎を乗せて、ジンライムに浮かぶライムスライスをつんつんと指で沈めて、一口呑み込むと、背後で乾いたドアベルが鳴った。


 どんな客が入って来たのか、振り返って確認するのは、いつも真央の役目。


「あ! ねぇ、和佳子。あの人!」

 真央が私の肩を叩く。


「え?」


 振り返り、思わず目を見開いてしまった。


 あの医者だ!

 救急病院で私を処置した、若い医者。


 どことなく見覚えがある若い男性と二人連れで入って来た。

 隣の男性も、あの病院の医者だったかな?

 ちょっと違う気もする。


 しかし、どうして真央があの医者を知ってるのだろうか?


「帝国大の」

「あああーーー!!!」


 真央の言葉でようやく記憶が蘇った。

 帝国大学の医学部だ!


「合コンした人達だ」


「そうそう。くそつまんなかったんだよね」


「あまりにもくそつまんなくて、記憶から消してた」


「あんた、酷い事言うね」


「やだ! こっちに来る!!」

 男二人、談笑しながらカウンターの方に歩いて来る。

 私の隣の席を一つ開けて右側に座った。


 不自然に首を45度に曲げて真央の方を向いた。


 なぜだろう? 


 体が緊張で硬直する。


「すいませーん」

 医者がマスターに手を上げた。

 静かに注文を聞きに来たマスターに向かって


「えっと……、これ、なんですか?」


 ちらっと振り向くと、私のグラスを指さしていた。


「ジンライムです」


「じゃあ、それ、ください」

「僕はエビスで」


 これは、私に気付いているのか、それともたまたま偶然か?


「あれ? え?」

 後頭部の辺りでそんな声が聞こえる。


「あれ? えっ? えー? 和佳子さん? だよね?」


 肩がびくんと跳ねた。


 そろそろと振り返り、あまり目を合わせないようにして頭を下げる。

「その節は」


「え? 知り合いだったの?」

 真央が不思議そうにそう訊いた。


「実は、病院で」


「元気になったみたいで、よかったですね」


「あー、はい。すいません、本当」


 なんで私、謝ってんだろう?


「因みに、聖甲大?」

「あ! はい」


 出身大学を言い当てられたと言う事は、あのくそつまらなかった合コンの事を覚えているという事だ。


「あー、やっぱり! 病院で診た時、そうじゃないかなってずっと思ってたんですよ」


「すいません。私、全然気づかなくて」


「いえ」


 医者は、真っ赤な顔をして声高らかに笑った。


「僕たち、当時は本当に女の子に免疫がなかったから、どうやって盛り上げればいいのか全然わからなくて、つまらなかったでしょ?」


「え? いや、そ、そんな事……」


 クソつまらな過ぎて記憶から消していたなんて、とても言えない。


 そう言えば、連れの方も、あの時合コンにいたメンバーだ。


 二人同じように、顔を赤くして恥ずかしそうに笑っている。


 きっと勉強ばっかりで、女の子と遊ぶ暇もなく大学生になり、医者になったのだろう。

 女の子に免疫がなく、シャイなのだ。


「よかったらテーブルで一緒に飲みません?」


 そう提案したのは真央だ。


「ちょ、ちょっと!」

 制止しようとする私を

「いいからいいから」

 と小声で押しのけた。


「いんですか? もちろん、喜んで」

 医者は赤い顔をほころばせて店内を見回した。


 一番奥の、四人掛けテーブルが空いている。


「あそこに行きましょうか」


 気を利かせた、若いボーイがさっとカウンターから出て来て、ドリンクを運ぶ。

 真央に押されるようにして、私も渋々テーブルに移動し、真央と並んでソファに座った。


 正面には医者。


 向こうは私の名前を覚えててくれたのに、私は彼の名前をちっとも思い出せない。

 あの時、確かにネームプレートを見たのに。


 医者と連れの飲み物が運ばれて

「じゃあ、改めて」

 医者がグラスを持った。


「乾杯」

「乾杯」

 とグラスをぶつけ合った。


「和佳子ちゃん、好きな食べ物はなに?」


「え? あ、ああ、えっと……地鶏のたたきです」


「地鶏のたたき?」

 医者は驚いた顔をする。


「え? 変ですか?」


「いや。珍しいなと思って」


「あと、ゆず塩辛とか、味噌軟骨とか」


「激シブだね。ってかのんべぇなんだね」


「お酒は大好きです」

「僕もお酒は大好きです」


 医者は何が好きなんだろう?


「先生は? 何が好きなんですか?」


「先生はやめてよ。仕事中じゃないんだし。僕、御堂。御堂大和」


「御堂さん。御堂さんは、何が好きですか?」


「僕はカレーとハンバーグ」


「小学生みたい!」

 くすっと笑いがこぼれた。


「オムライスとかスパゲッティとかも好きですよ」

 

 その答えに、私は久しぶりに大きな口を開けて笑っていた。

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