最終話
翌年6月。
「御堂大和さん、向井和佳子さん。あなたたちは自由な意志において、互いに結婚の誓いを立てる準備ができていますか?」
「「はい、できています」」
ここは森の中の小さな教会。
春夏秋冬、一通りの季節を共に過ごして、私達は今、神の前に誓いを立てる。
「御堂大和さん、あなたは向井和佳子さんを愛し、大切にし、病める時も健やかなる時も、貧しき時も富める時も、喜びの時も悲しみの時も、妻として尊重し、死が二人を分かつまで、彼女を愛し続けることを誓いますか?」
「はい、誓います」
大和の凛と透き通った、誠実そうな声が響いた。
「向井和佳子さん、あなたは御堂大和さんを愛し、大切にし――――愛し続けることを誓いますか?」
「はい、誓います」
「神の恵みと共に、二人の結婚が祝福されますように。アーメン」
この一年、大和に支えられ、病んでいた心は健康を取り戻し、過去に終止符を打つ事ができた。
何の迷いもなく、私は彼に着いていく事を決め、一生愛すると誓った。
幸せという目に見えない曖昧な物が今、形をなして、陽光と共に降り注ぐ。
大切な人たちに祝福されて、私達は家族になった。
◆◆◆
新居である3LDKの分譲マンションは二人では広すぎるが、将来子供が出来た時、引っ越さなくてもいいようにという大和の考えで購入した。
横浜駅からほど近い住まいは、利便性が高く賑やか。
医者と聞くと、華やかな暮らしを想像する人も多いと思うが、大和の年収は一般的な30代のサラリーマンの平均を少し上回る程度。
人並みに家計簿を付け、節約して、私の給料は貯蓄に回す。
そんな慎ましい暮らしを、私は気に入っている。
通勤には少し時間がかかるが、不便はない。
大和は深夜帯でも動きやすいようにと、自家用車を買ったが、殆どの時間を仕事に拘束され、家で過ごす時間は極限られている。
少し寂しいけれど、今こうしている瞬間にも、彼は誰かの命を救っているのだと思うと誇らしい気持ちになる。
一人の時間は、本を読んだり、家計を見直したり、映画を観たり、丁寧に家事をしたり、おかずの作り置きを作ったり、ネットでお買い物をしたり、ネットで動画を観たり……。
自分専用に買ったノートパソコンを広げて、ワインを飲みながら動画配信を見るのも、私の楽しみの一つだ。
結婚式から半年ほど経った年の瀬。
町はクリスマス一色。
明日のシフトは休み。
大和は、仕事で今夜も帰りは何時になるかわからない。
駅地下で買った、スペインのスパークリングロゼのハーフボトルを開け、私はダイニングに座った。
動画サイトにアクセスすると、アルゴリズムに従って、おすすめ動画が表示され、赤いマークが付いているサムネイルが目に付いた。
ロケット仮面の生配信。
そう言えば、ずっと見ていなかったっけ。
歯に衣着せぬ物言いで相談者をズバズバ切るのが、スカっとして面白いのよね。
体は自動的にマウスを操作して、赤いマークのサムネイルをクリックした。
『もしもし、どうしました?』
ちょうど相談者から電話がかかってきた所のようだ。
『えっとー、結婚してるんですけど、他の人の子供が出来てしまったんです』
『ええ? 結婚してるのに、他の人の子供を妊娠したの?』
『はい』
『いくつですか?』
『18歳です』
『18歳? いくつで結婚したの?』
『17歳』
『今現在、旦那さんとの間にお子さんは?』
『います』
『何歳ですか?』
『1才です』
ふと、隼人の事を思い出す。
そう言えば、去年の12月に赤ちゃんが生まれたと、同僚伝手で聞いた。
私の赤ちゃんも、もし生まれていたら今頃1才を迎えていたのか、と思うと胸が締め付けられた。
『旦那さんには、その事伝えた?』
『まだ』
『だろうね。なかなか言い出せないよね。修羅場だもんね。お腹の中の子供の父親に当たる人には? 伝えた?』
『はい。いちよー』
いちよーという言い方が、ひっかかった。
もしや?
『あなたはどうしたいの? その子供を産みたいの?』
『まだ、今、パニックでー、どうしたらいいのかわかりません』
『じゃあ、質問変えましょうか。旦那さんとそのお腹の子の父親と、どっちの事が好きなの? どっちを愛してるの?』
『……お腹の子の父親』
『じゃあ、離婚するしかないんじゃない?』
『けど、その人には、奥さんと子供がいてー』
『不倫? ダブル不倫って事?』
『はい』
『最低だね。なんでそんな事になっちゃったの?』
『パプリカっていうSNSで知り合ってー』
『パプリカって、出会い系だね』
『はい』
『そういう目的で会ったって事?』
『最初は、出会いって言うより、DMとかで話してて、仲良くなって、それで、会おうかって事になってー』
『それで、会ってやっちゃったのね?』
『はい』
『避妊はしなかったの?』
『その時は、しました。中出ししたのは一回だけでー』
『あのさ、ちょっと待って。その間、子供はどうしてたの?』
『一緒に連れて行って』
『不倫現場に子供連れて行ったの?』
『はい』
『バカじゃねーの? いくら何も分からない赤ちゃんだからって非常識にも程があるよ。心は痛まなかった?』
『いちよー、少しは』
ピンポーンとインターフォンが鳴ったと同時に、玄関の鍵が開錠された。
大和が帰って来たのだ。
慌ててブラウザバックした。
声にはモザイクがかかっているため、この相談者が誰なのかは分からない。
仕込みのヤラセだと、願うばかりだ。
「お帰りなさい」
玄関に出迎えると「ただいま」と私を抱きしめた。
消毒液の匂いが鼻先をこする。
「今日は早かったのね」
「うん。朝方また出勤だけどね」
靴を脱ぎながら白い箱を差し出した。
「何?」
「ケーキ」
「え?」
「今日は何の日でしょう?」
大和はニコニコと機嫌よくリビングへ向かう。
「えっとー、あ! プロポーズされた日だ」
「正解。一緒にお祝いしたくてしばし休憩をもらったんだ」
彼は、記念日が大好きだ。
初めて出会った記念日。告白記念日にプロポーズ記念日。二人の誕生日に……。
これからも増え続ける記念日が、私達に二人の時間をくれる。
もしもあの時、この命が救われる事がなかったら、味わう事のなかった幸せな時間を今過ごしている。
いち早く異変を察知して駆けつけてくれた家族に。
懸命に処置してくれた救命医の旦那様に。
心から感謝を込めて、幸せな未来の物語を紡いでいこう。
そっと、パソコンの電源を落とした。
完
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