第4話

 それから3日ほどベッドから起き上がる事が出来なくなった。

 幸いゴールデンウィークに突入し、会社は休みだったが、同僚たちと予定していたバーベキューはキャンセルした。


 妊娠から来る不調なのか、精神的なダメージなのかは判断が付かない。

 スマホの充電はいつの間にか切れていて、備蓄していた食料も切れ、水分だけで辛うじて生きていた。


 そんな時、マンションのインターフォンが来客を知らせた。

 ベッドから頭を持ち上げると、モニターが見える。

 若い男性のように見えた。


 もしかしたら、隼人かも。

 そんな期待が気付け薬になり、慌ててベッドを降り、モニターを確認すると。

 そこに映っていたのは、2つ下の弟、康介だった。

 康介は私のアパートから徒歩で10分ほどの実家に住んでいる。

 一人暮らしの気楽さより、コスパを採用したしっかり者の弟である。


「今開ける」

 そう告げて、玄関ドアを開いた。


「どうしたの? 電話、全然繋がらないからお母さんが様子見て来いって」

 康介は、靴を脱ぎながら部屋を見回した。


 キッチンに散乱するカップ麺の残骸。

 脱ぎっぱなしの服。

 乱れたベッド。

 昼間だというのに、閉じたままのカーテン。


「らしくないね。具合でも悪いの?」


「うん。ちょっと」


「なに、風邪?」

 そう言いながら、散乱しているゴミを拾い集める。


「ううん。もう大丈夫。少し気分よくなって来た所だから、自分でするからいいわよ。座って」


 今にも、大掃除が始まりそうな勢いの康介を、ソファに座らせた。


「お茶も何もないけど」

 そう言うと


「何か買って来ようか? 飯は? 食った?」


「ううん」


「じゃあ、買って来るよ。近くにうどん屋ができただろ。あそこのうどん、テイクアウトできるんだよ。美味しかったよ。買って来てやるよ」


「いいよ。後で自分で行くから」


 康介は心配そうに眉根を寄せた。


「何かあっただろ? 顔色、相当悪いよ」


「うーん、康介。ロケット仮面って配信者知ってる?」


「ああ、知ってる」


「見てる?」


「たまにね。あれってヤラセだろ」


「そうなの?」


「そうだよ。相談者とか殆ど仕込みらしいよ」


「本当?」


「うん。全部が全部じゃないと思うけどね」


「なぁんだ、ヤラセか」


 心の底から安堵と共に、お腹がぐるるるーと鳴いた。


「なに? ロケット仮面がどうしたの?」


「ふふ、康介。ご飯食べ行かない? そのうどん屋行こうよ。お腹空いて死にそうだわ。付き合ってよ」


「ああ、いいよ」


 ささっと口紅だけ引き、服を着替え、髪を後ろで一つに結わいた。


 徒歩で5分ほどのうどん屋は、午後3時という中途半端な時間帯にも拘わらず、割と混んでいた。

 辛うじてカウンターに空席を見つけて、康介と並んで座る。

 康介は冷やしたぬきを。

 私は冷やしたぬきにキムチをトッピングした。


 赤く唐辛子が絡んだもっちりとした麺をすすると、目を見開くほどに美味しかった。空腹というスパイスは素晴らしい。


 加えて、元気を取り戻した私は、馬鹿みたいにあっさり信じてしまったロケット仮面のネタ話を始めた。


「それがさぁ、私てっきり隼人の店のバイトの子だと思っちゃって、馬鹿でしょう?」


「隼人さんがそんな事するわけないだろう。結婚を前提にお付き合いしてますって父さんにも挨拶したんだろ?」


「うん!」


「そんな人が女子高生妊娠させたなんてさぁ、俺ら家族まで全員裏切る事になるんだよ。そんな事するわけないじゃん」


「そうだよね」


 お腹が満たされると、人は前向きになる。

 もしかしたら……と払拭しきれない疑念にカバーをかけるように、私は隼人の裏切りから目を反らそうとしていたのかも知れない。


 康介と別れて家に戻り、充電が切れたままになっていたスマホを充電器に繋げた。


 次々に通知を知らせる電子音。


 画面には、隼人からの着信が何件も入っていた。


 隼人もまた、連絡が取れずに心配していたに違いない。


 そんなめでたい考えで、通知をタップした。


 数回のコールの後

「もしもし」

 少し眠そうな隼人の声。


「隼人? ごめん。体調崩してて、電話、出られなかった」


「そう。もう大丈夫?」


「うん! さっき康介来てくれて、ご飯食べてきたら、元気になった。あのね」

 隼人に話さなきゃいけない事があるの

 と、いいかけて


「和佳子ちゃん。話したい事があるんだ」


 隼人に先を越されてしまった。


「うん。何? どうしたの?」


「今夜、会えないかな。大事な話なんだ」


「いいけど。お店は?」


「ゴールデンウィークで休み取ってる」


「そうなの? 知らなかった」


「ごめん。言ってなかった」


 終始、隼人の声は沈んでいて、大事な話の内容を暗示しているようだった。



 シャワーを浴び、しっかりとメイクをして、髪をアイロンで巻いた。

 隼人がどんな話をしてこようが、今日こそは妊娠した事を伝えよう。


 そう思っていた。


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