第3話 ※胸糞注意

 みそのが入店してからという物、なごみ庵はいつも満席の状態で、私が入り込む余地はなくなっていった。

 隼人は忙しい毎日に加えて、みそのの家庭内の事情にも関わり出して、会える時間は激減。

 隼人の休みに合わせて取っていた有給も底を尽き、週に一度セックスするだけの関係になっていた。


 それでも、私は幸せだった。


 結婚を視野に入れ、時間を作って両親にも挨拶してくれたし、彼の両親にも紹介してくれていたから、きっと幸せな未来が来るのだと信じて疑わなかった。



 街路樹があおあおとした若葉を茂らせた頃だ。

 お腹に赤ちゃんが宿った事を知った。

 青空をそよぐ鯉のぼりを見上げて、未来の新しい家族に思いを馳せた。

 いつ、どんなタイミングで彼に知らせようか。

 どんな顔で喜んでくれるのか。

 そんな事を考えては、陽性を示した検査薬を眺めながら、胸を膨らませていた。


 そんな、ある夜の事だった。


『17歳なんですけどぉ、妊娠しちゃって』

 

 この頃、暇つぶしで見ていたネットの生配信。

 ロケット仮面という男性配信者が、視聴者から悩みを聞いて、アドバイスしたり、場合によっては晒しにより復讐を肩代わりしたりといった、なんとも刺激的なチャンネル。

 コメントを書き込んだり、投げ銭したりはしない。

 ただ、なんとなく暇つぶし程度に眺めていただけの動画だ。


 今日も生配信で連絡してきた視聴者に話を聞いていた。


『ええ? 17歳? 学校は?』


『いちよー、行ってます。通信なんですけど』


 いちよーという言い方がやけに引っかかる。

 確かみそのも一応をいちよーという言い方をしていた。

 通信というのも、彼女と一致する。

 もしかして、みその?

 そんな疑念が浮いては沈む。


 声はプライバシーに配慮して、モザイクがかけられているから、確定はできない。

 画面には相談者のアイコンとコメント欄が表示されている。

 

『高校は通信ね。それで、親には相談したの?』


『親には相談できない』


『どうして?』


『厳しいからぁ、きっと怒られる』


『そりゃあ怒られるだろうけど、じゃあどうするの? 相手の男性には? 言った?』


『はい、いちよー』


『相手はなんて?』


『まだ何も……、あの、相手には彼女みたいな人がいるんですよぉ』


『え? 彼女みたいな人って……恋人でしょ? 恋人がいるの? その男の人は年は? 何歳?』


『たぶん……29歳、とか』


『29歳? で、避妊はしなかったの? 生でやっちゃったの?』


『はい』


『何回ぐらいやったの?』


『うーんと、数えてないです』


『数えきれないぐらいやったの?』


『あははぁ~。はい、ほぼ毎日。その人バイト先の店長なんですよ。それでバイトが終わった後、毎日、あははっ』


『あははじゃないよ。どこでやってたの? ホテル?』


『ホテルの時もあるけど、お店の個室とか、車の中とか』


『その人とはどういう関係なの? 付き合ってるの?』


『はい、付き合ってます。お店ではお客さんとかに、私の事彼女って言ってて』


『お店のお客さんには、君の事を彼女だって紹介してるわけね?』


『はい。スタッフとかにも、今付き合ってる彼女の事は何も言ってなくて、私の事を彼女って紹介しててぇ』


『え? スタッフにも、君の事を彼女って言ってるの?』


『はい。私も、友達に彼氏って言ってます。けど、なかなか彼女と別れようとしなくて……』


『それさぁ、二股って事でしょ。彼女さんは知らないんじゃないの? 知ってるのかな?』


『知らないと思います』


『君さぁ、遊ばれてるんだと思うよ。彼女さんが本命でしょ』


『……そうですかね?』


『そうだよ。だって、別れようとしないんでしょ』


『別れてって言ってみます』


『君は、その彼と結婚したいの?』


『結婚は、まだよくわからないです』


『子供はどうするの?』


『子供は、産みたいです。おろしてもいいけど、彼とは別れたくありません』


『向こうが、君に別れてくれって言ってきたらどうするの?』


『別れたくない。彼女と別れさせます』


 そう言った後、相談者の高笑いが、甲高く響き渡った。


『胸糞』

『胸糞』

『胸糞』

『胸糞』

『遊ばれてるだけ』

『目を覚ませ!』

『胸糞』

『天罰が下る』

『胸糞』

『胸糞』

『彼女がかわいそう』

『胸糞』

『胸糞』

『男がクズすぎる』

 すごいスピードで流れていくコメント欄を見ていたら、急に吐き気をもよおした。

 スマホは手から滑り落ち、床に叩きつけられた。

 心臓は口から這い出すのではないかというほどじわじわと脈打ち、凍り付いた体とは裏腹に変な汗が染み出してくる。


 間違いない。この子、みそのだ!

 そして、相手の男は、隼人だ。


 床に落ちたスマホを拾い上げる気力もなく、そのままベッドに倒れ込んだ。


 悲しいとか、悔しいなんて感情以前に、私の脳内を支配していたのは「どうしよう」という不安だった。


 手を伸ばせばすぐそこにあったはずの幸せは、音を立てて砕け散って行った。


『彼女とは別れないと思うけどなぁ』


 床に転がったスマホから流れる配信者の声だけが、私に一筋の光を落とした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る