プロローグ そのヒロインは笑わない[中編]

「…………?」

 ────ふと、声が聴こえたような気がして、私は導かれるように公園を出、すぐ隣の閑静な住宅街に足を踏み入れる。


「(なんだろ、変な気配。こんな時間に路地裏とか嫌な予感しかしないけど)」

 そうして音と気配のする路地を覗き込む。そこには────。


「さあ、たくさん気持ち良くしてあげるから────…………?」


 …………ナニのプレイの最中なのか定かではないが、とんでもない露出のコスチュームを身に纏って気色悪い触手を携えた女と、そしてその触手に首を絞めあげられている男が一人。状況が意味不明すぎる。


「(うっわ最悪。痴女て……)」

 露骨に表情を歪めて二人を見つめる。お盛んなのは結構だが、外でというのは節操が無さすぎるのではなかろうか。


「(……?)」

 ────ズクン。

 魂魄が騒ぐ。この感覚は────そうだ。奥底で、獣が獲物を見つけたそれと同じ。

「……ああ、そういう……」

 ボソリと呟く。しかし無論、此方が思考している時間など相手にとっては関係ないわけで。


「なーんだ、女か。わたし、男にしか興味無いのよね。女のエナジーって不味いし」

 いや知らねーよ。なんだよエナジーって。ドラマの撮影か? にしては他に人の気配も感じないし、そもそもこの殺気は本物だ。面倒だが、どうやら相手をしなくてはならないらしい。


「まあ目撃者が居られても困るし、先に殺るか……☆」

「ダメ、だ……逃げろ……!!」

 拘束されて身動き一つできないくせにいっちょまえに叫ぶ気概だけはあるらしいその男の声にフスと鼻で笑い、直後、此方を殺す気で放たれた触手を────私はとりあえず手で掴んだ。


「……は?」

 何やら驚いた様子の痴女。今の攻撃に余程自信でもあったのだろうか。まあ確かに音速程度は超えていたので普通の人間では直撃かギリギリで躱すので手一杯だろうが、私にとってはそういうわけでもない。『アイツ』の剣戟に比べれば、バレーボールのトスとか、まあそれくらいの球を受け止めるようなものだ。


「ねえ、ちょっと、離してよ。そんなに強く掴んだらご主人様が痛がるでしょ?」

 今の状況を理解できていないらしく、触手を切り離すでもなくただ苛ついた様子でその女は言った。浅はかすぎて反吐が出そうだ。


 見切っていたのに敢えて避けなかった理由は単純な話で、あまりにも迂闊に身体の一部を飛ばしてくるものだから、此方もついうっかり迂闊にふん捕まえてしまったという話。握手を求められたので応じたような感覚というのが近いか。

 ともかく、私にしてみれば、眼前の女の行動は信じられないほど短絡的なものであり、それ故に私は重い気鬱を伴った溜息を吐き出す。


「…………はァ、呆れた。余裕こいてる暇ないんじゃない?」

 そうして、私は────に、ひどく鬱屈とした哀愁を感じながら『力』を行使した。


「ギィィィィィィィィィィ!!!!」

 暗がりに響き渡る、耳障りな不協和音。もう少し静かに死ねないものかなどと思考したが、どうやらそれは難しいらしい。触手が引っ付いている本体の方────ああ、いや、厳密には触手が本体か。人型をしたオマケの方にも、瞬く間にが引火し、耳障りな苦痛の叫びを上げる。


 そこで私は確信した。確かに殺すつもりで『力』を放ったのは事実だが、あまりに燃え広がる速度が早すぎる。そこまで思考したところで私は自分の『力』の特性を思い出し、結論付けた。

「ハ、よく燃えること燃えること。ってことは系か」


 ────無論、燃え盛る異形は答えない。ただ己の身体が焼け落ちる苦痛に悲鳴をあげるばかりだ。

「なんで!!!! ご、ごんな……ァあ! ああああああああぁぁぁ!!!!」

 そんなことは私も知らない。何があり、何を思って眼前の女がこんなことになったのかなんぞ私にわかるわけはないし、わからないのだから理解もできない。


「訊かれてもね。選択に自身の意図が介在していたかはともかく、結果として、アンタは下らない害悪に成り下がった。自分でどうにかする術も無かったんでしょうし、まあ偶々通りがかった私がアンタの死神になったっていうそれだけの話でしょ。じゃあね、おやすみ。来世は良いことあるといいわね」


 そうして私は、女が灰と散って逝くその姿をひらひらと軽く手を振って見送った。

 火葬が終わり、数秒。こちらに背中を向けたままへたりこんだままの眼下の男に視線を遣るが、特に口も体も動く気配はない。

「(助けてやってお礼も無しか。いいご身分ですこと。……はァ、くだんな。適当にぶらつくか)」


 これ以上なにかが起きることはないだろうと判断し、私は呆然と尻餅をついたままの名も知らぬ誰かさんを放って路地裏を後にした。


 とは言え、適当にと表現した通り、行く宛てなどない。

 この時点での私には、自身の今後の扱いをどうにかするすべを全く思考することができなかった。


 言うまでもなく、この世界に何の準備もなくぶっ飛ばされてきた私には戸籍その他諸々の個人情報など存在しないため、信頼できるツテや金銭といったものを確保する方法が無い。定住地など以ての外。


 訳あって飲み食いや睡眠を必要とせず、雨風を凌ぐことすら必須事項ではない身体であるのは不幸中の幸いといったところだが、当人の素性などは兎も角としてよわい15の子供が何日も何週間も外でぶらぶらとしているのは問題しかない。公的機関に目をつけられれば、それこそ戸籍の無い私にとっては面倒極まりないというものだ。

 ……加えて、この街は夜間フラつくにはあまりにも危険すぎるということが先程の出来事から見て明らかであるわけで。


 正規の手順による金銭の受給は不可。であるならば、とれる手段は限られる。

「……援交ウりしかないか」

 ふう、と、嘆息を一つ。


 結局のところ、人間、或いは人生なんてものは、最初から最後まで恵まれているかそうでないかということ、そしてそれに気付いているのかそうでないかということでしかないのだ。……などと高尚に語ってはみたが、こんな事は当然、誰でも理解している話だ。


‌ ‌幸いと言うべきか。自分でいうのもなんだが、私の肉体的な発育は同年代の同性と比較して明らかに下品な方向性で富んでいる。そもそも戸籍も無いし、相手に大したリスクを負わせることもないだろう。今にして先程追っ払ったハゲオヤジの存在が恋しくなってきてしまった。

 異世界に飛ばされる、なんていう経緯いきさつを経たところで、何も変わりはしない。今の私のように。


「感傷に浸っているところにね、ええ、ちょっと悪いんだけども」


「…………あン?」

 十字路。道なりに直進しようとした瞬間、右耳に入り込む女の声。気配は感じなかったのだが……。


 視線を遣ると、そこには街灯に照らされた不自然に彩度の高い────具体的にはピンク色の長髪を携えた、白衣の女が一人。

 女の、琥珀、或いは黄金と称すべきかもしれないその宝石のような双眸が、此方のコンプレックスの一つである獣のように細く鋭い瞳孔を真っ直ぐ見つめていた。


「ああ、警戒しないでね〜。全然これっぽっちも怪しい者じゃないから」

「へえ、私がケータイ持ってないと知っての狼藉かと思ったのに。公衆電話の場所を訊いても?‌ ‌あと10円ちょーだい」

「ありゃ、かける番号は110番って話かしら。いやいや、本当に敵対の意思は此方にはないのよ。寧ろ逆かも?」

「敵対意思と不審者か否かは別問題なんだけど」


 どうやらその女────後に藤郷とうごう とおると名乗るその女は、本当に此方に敵対するつもりはないようだった。

 実際、今の私は知っている。この女は、この時、私に『頼み事』をしに来たのだ。


「ね、取引しない?」

 取引を持ちかける立場とは思えない、余裕綽々という言葉を形状化したような妖艶な笑みで、女はそう言った。


「血の盟約とかならお断りだけど」

「もう、厨二病拗らせちゃって。……でも、間違いでもないかもね。浴びるのはあなたの血じゃないけど」

「へえ。それで?」

「個人情報と衣食住、それと学生としての身分の提供を約束するわ。────代わりに、あなたには


 女の言葉に、私は小さく眉を顰めた。

「……悪趣味。静観してたワケ?」

 先述したように、多大な力があるにも関わらず、どうやら彼女は先程の惨状を静観していたらしい。その言動だけを抜き出すなら、眼前の女には人としての良識が無いということになる。

 ……まあ、偉そうに言っている私とて、他人に良識がどうだのと高尚な弁を垂れることができるような人間ではないのだが。


「だってあなたがいるなら余計でしょう? わたしはあなたが彼を助けるってわかっていたし。それにわたし、諸事情あって目の届く範囲は広いのだけど、手を出せる範囲はとんでもなく狭くてね。どうしても他力本願になってしまうのよ。それにあなた、憎まれ口を叩くのは結構だけど、お人好しってバレてるわよ。さっきのブラスト・シルフィーネを躊躇無く消し炭にしたのも、その眼にはどう足掻いても手遅れな状態だってわかっていたからでしょう?」


「知った口を……。……まあ良いわ。それで、その口振りからするに、。何で私?」

 すると、その女は何をバカなことをとでも言うように苦笑した。


「そこをトボけられちゃうとこっちも困ってしまうんだけどね……。ちょっと特別な力を持ってる程度のことはこの街では普通なの。そんなコに任せられるようなことならわたし一人で片付けられるし、あなたもそれくらいはわかるでしょう?」

「そりゃそうね。とすると、アンタから見た私はその『ちょっと特別な力を持ってる』のカテゴリからは外されてるわけ?」


 問う言葉に他意は無い。自分の持つ力が強いだとか弱いだとか、そういう話は気にしたことがなかったからだ。

 とは言え、全くの無自覚というわけでも、誰にも指摘されなかったわけでもない。


 私は、この日本の一都市に来る前の世界────レグルスと呼ばれるその魔大陸にて、かくかくしかじかあって妙なカルト教団に捕まってしまい、『神性偽誕オラクルインストール』だとかいうエグめの人体実験の実験動物にされた結果、信者兼研究者どもの言うところの高位存在とやらを身体にぶち込まれたらしい。奴らは高位存在だとのたまっていたし、恩人である男からも「ソレは人が扱うには凶悪すぎる」みたいなことを言われていたので、まあ生半可な力ではない程度の認識だった。


 すると、私の言を聞いたピンク頭の女は、どうやら此方の言葉がナチュラルに発されたものであると納得したらしく、ふむ、なんて小さく呟いてから再び口を開いた。


「わたしの眼はちょっと特別製でね。異常を宿したコがどんな力を持ってるか判別できる代物なの。……どんな経緯かは知らないけど、あなたのソレ、降霊術のゲテモノ版ってところね。なかなか見ないレベルのヤバいのに憑かれてるわよ」

「へぇ、そうなんだ。因みにどれくらい?」

「名前で調べたらサジェストと検索欄の一番上に出てくるくらい」

「……はァ……?」


 比喩表現、ということではない。この時も現在もそうだが、これについては疑問でしかなかった。


‌ ‌それも当然、この憑き物は異世界の代物であり、神成町という異常があるとは言え通常の歴史を送ってきたであろう世界のインターネット検索でソレが特定できるというのは普通に考えれば異常事態だ。向こうではなぜか日本語が通用したし、節々に聞き覚えのある単語が存在していたりもしたが、よもや私が想像していた以上に、あのレグルスという大陸は深々とした闇を持っていたらしい。

 ……そんなものと向き合っていたあの男は、一体なにを思って私なんかに手を差し伸べたのだろうか。


「……いいわよ、別に」

「?」

‌「契約。しても構わないって言ってるの。この怪物の名前を教えてくれるならね」

「へえ。……こう言ってはなんだけど、ちょっと断られるかもとも思ってたの。あなた、さすがにもの」


‌ ‌そう、この女には見えている。私に宿る怪物が『想いの集積装置』であるが故の、背に負った十字架の数が。

「ハ。わからない?‌ ‌。……重さを知るからこそ、ソレはきっと────私がやらなきゃいけないんだ」


‌ ‌そうして、私、執骸 桜夜は理解し、そして覚悟した。

‌ ‌己がこの世界に呼ばれた意味と​────己がすべき贖罪を。






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