執骸 桜夜は諂わない -神成町変身少女怪異譚-

ぎるちぃ

プロローグ そのヒロインは笑わない[前編]

 まず始めに、その願いが無謀だなどということは、当然理解していたという前提を置くとして。


 憧れ、道を志し、生きて、そして現在。

 身長182cm、体重75kgの俺の首を締め上げていとも容易く持ち上げる環形動物のような触手と、ソレを背中に携えたコンプラなどガン無視のとんでもコスプレ衣装と言って差し支えない被服を身に纏った少女を、俺────天道てんどう 瞭一りょういちは為す術なく見下ろしていた。


「超ラッキー☆ ちょろっと食事ついでにザコオス引っ掛けたらもっと良いのが付いてくるんだもん。エビでタイってやつ?♡」

 恍惚とした表情を浮かべる、空色の長髪を携えたその少女。顔に見覚えはあるが、なにせ数が多いので『』なんてのは一々覚えていられない。


 純粋な疑問。記憶が正しければ、変身ヒロインというのはこの街に蔓延る怪異や怪人なんてのを倒す為の存在だったはずだ。それがなぜ、人に対して牙を剥くのか。

 庇って逃がした大石が気が気でない。アイツ、ちゃんと逃げられただろうか。

「……ああ、そういえばまだ自己紹介もしてなかったね?」

 クス、と嘲るように一度笑い、少女は己の胸元に手を当てて再び口を開いた。


「えーっと、なんだっけ……変身ヒロイン戦闘部門ランキング? の7位────ああ、7位のブラスト・シルフィーネ。そして、こちらが……♡」

 少女の背中から伸びる触手。先端におぞましい突起を携えたその触手を、ブラスト・シルフィーネと名乗ったその少女はまるで愛おしい誰かを愛撫するように舐めしゃぶる。

「わたしのご主人様……♡ わたしがエナジーを差し上げるとぉ……たぁ〜〜〜っぷりのご褒美をくれるの……♡♡♡」


 少女が妖艶に微笑むと同時、背中から更に数本の触手が鎌首をもたげ、次の瞬間、そのうちの一本が、少女が纏う有ると形容できるかどうかも怪しいミニ丈のスカートの中へと潜り込んだ。

「ぅあンッ♡ も、申し訳ありません♡♡ すぐ、にぃ……♡ おっ♡ この人間からエナジー吸い取りますからぁ……♡♡♡ だからそこはぁ……♡」


「────」

 自分で言うのもアレだが、俺は触手モノに類する性癖は持ち合わせていない。それ故、自らの秘部をこんな禍々しい存在に嬉々として差し出す少女の様子を見て、俺は素直に血の気が引いた。

 おかしい。変身ヒロイン界隈というのは、もっとキラキラしたもののはずだ。強いヒロインが悪の存在を討ち果たし、それを俺ら有象無象の観衆が褒め讃える。そういう世界のはず。

 なのに、いま目の前に広がる光景は、ランキング上位にその名を連ねるほどの力を持つ変身ヒロインが、異形の存在に屈服し、剰えその身体を自由にすることを許している現状。


「んんッ♡ っていうわけでぇ……ご主人様はお腹が空いてるの☆ アソコはご主人様専用だからダメだけどぉ……キミはイケメンだから、なら使わせてあ・げ・る……♡♡♡」

 冗談じゃない。身体に妙な生き物を飼ってる、とっくに人でなくなったモノと交わるだなんて御免だ。


 しかし、ただの一般人である俺には彼女に抵抗する術は無い。殆どの変身ヒロインは、その特性上、普通の人間より優れた肉体強度を有する。幾らウェイトで勝っていようが、彼女達には関係ない。

「(こんな、ところで……ッ!)」

「さあ、たくさん気持ち良くしてあげるから────…………?」


 ────ふと、背後に人の気配。眼前のブラスト・シルフィーネ……だったものの視界には、ちょうど正面から相対するような形になるだろうか。

 たまたまか、或いは気配に気付いて迷い込んでしまったのか。路地の入り口にどうやら誰かがいるようで、これから俺のエナジーとやらを奪い取ろうとしていた少女の視線がそちらへと向く。


「なーんだ、女か。わたし、男にしか興味無いのよね。女のエナジーって不味いし。……まあ目撃者が居られても困るし、先にるか……♡」

「ダメ、だ……逃げろ……!!」

 振り向けない故に叫ぶが、無論、それよりも早く、ブラスト・シルフィーネの触手が高速で伸びる。


 ────だが、しかし。

「……は?」

 ブラスト・シルフィーネの驚愕の声。それ以上、何も起こりはしない。

「(……なんだ……?)」

 止まる。────まるで今、この瞬間、この場所だけ、時間という概念が消え去ってしまったかのように。


「ねえ、ちょっと、離してよ。そんなに強く掴んだらご主人様が痛がるでしょ?」

 ブラスト・シルフィーネの口振りから察するに、どうやら背後の人物はあの悍ましい触手を掴んで止めているらしい。そこで俺は確信した。

 ​────ソレは、多分、ただのヒトではないということを。


「…………はァ、呆れた。余裕こいてる暇ないんじゃない?」

 透き通るような、しかし確かな激情を伴った声が聞こえた、その直後のことだった。


「ギィィィィィィィィィィ!!!!」

 暗がりに響く悍ましい悲鳴。直後、俺の首を絞めつけていた触手の拘束が外れる。

「げほッ! がはっ……! ……なにが……」

 困惑。しかし、疑問符はすぐに取り払われた。


 ────

「は!? え!? そんな……ご、ご主人様!? ────づァああああ!!」

 蒼く、煌々と燃え盛る触手。その炎は瞬く間に燃え広がり、触手を繰るブラスト・シルフィーネにも当然の如く燃え移った。


「ハ、よく燃えること燃えること。見るからにそうだとは思ったけど、やっぱり系か」

「…………」

 地面にへたり込む。


 轟く悲鳴。しかしそれとは裏腹に、周りは恐ろしいほど静かだ。まるでこの空間だけが切り取られ、閉ざされてしまったかのように。

「なんで!!!! ご、ごんな……ァあ! ああああああああぁぁぁ!!!!」


「訊かれてもね。選択に自身の意図が介在していたかはともかく、結果として、アンタは下らない害悪に成り下がった。自分でどうにかする術も無かったんでしょうし、まあ偶々通りがかった私がアンタの死神になったっていうそれだけの話でしょ。じゃあね、おやすみ。来世は良いことあるといいわね」


 そう淡白に告げると同時、ブラスト・シルフィーネを焼く蒼炎は一層その激しさを増して燃え盛り、時計の長針が一つ進む間もなく、彼女と彼女に取り憑いたナニカを丸ごと灰燼と化した。

 ────振り返る勇気が出ない。あんな悍ましい存在を一瞬にして火だるまにしたモノを、直視する勇気が。


「…………────あ」

 などと、自分で思考していて思い出した。

 変身ヒロインは一枚岩ではない。大概は表立って民間人を救って名声を得る道を選ぶが、誰が定めたのか、この街の中でしか存在できないというルールの中で生きる変身ヒロイン達の中にも、自分達の神秘的な力を秘匿する者が一定数存在する。であるなら人払いの類の力を行使している可能性と、そして必然、強力な力を持った変身ヒロインが助けてくれたと考えるのが道理だ。なにも恐れる必要などないではないか。


 失礼極まりない。その人物は俺を助けてくれたのだから、状況はどうあれ礼を言うのが筋だろう。

「あ、あの!」

 腰が抜けたままなので、目だけは合わせようと首を後ろへ向けると​────。


 ……そこには、既に誰もいなかった。

「…………なんなんだ…………」

 視線を戻すと、いつの間にか異形に寄生されたブラスト・シルフィーネの姿はそこにはなく、ただ焼け焦げた痕跡が地面に残っているだけだった。


 出逢いと、常識の転覆。

 こうして、変革の兆しは突如としてこの『神成かむなり町』に訪れたのだ。




「────というわけで!! 不肖わたくしめ、この謎のブラック変身ヒロインを『イラ・カラミティア』と名付けた次第なのでありますヨッッッ!!」


 バンッ! と、教室全域に響き渡る盛大な台パンを、しかも自分の机ではなく他人の机で行なったその丸眼鏡と黒いおさげ髪の特徴的な女生徒の名は端花はしばな 璃々子りりこ。此処『私立  鳳錠ほうじょう学園』の1年B組に在籍する少女であり、いわゆるオタクである。

 因みにジャンルはそこそこ幅広く取り扱っているとのことだが、曰く、専門はヒロピン界隈らしい。無論、私にはよくわからない。


「……ああ、そ。因みにラテン語と英語の組み合わせになっててバカ丸出しだけど意味でもあるの?」

 そう言い、私────同じく私立鳳錠学園1年B組に属する執骸とむくろ 桜夜さくやは、冷ややかな視線で眼前のお猿さんを突き刺した。


「語彙的に一番ハマってるので無問題モーマンタイ! というか『憤怒の厄災者イラ・カラミティア』ですよ!? カッコよすぎる……大衆ウケ間違いなし……!!」

「頭大丈夫?」

「比較的!」

「病欠とりなさい。サヨウナラ」

「ひどい!!!!」


 一々声がデカくて真面目に殴って黙らせる選択肢も脳内を掠めたが、別段悪いヤツではないことを知っているので、取り敢えず流しておくことにした。……今のところは。

「……変身ヒロイン、ね」


 まるで著作物の主人公のような最後方窓際の席から窓の外を見遣る。

「そう言えば今朝も凄かったですナー! 見ましたかネ!? あの強そうな怪人を圧倒的な戦闘力により瞬殺……! やはりヒロインランキング戦闘力部門1位のシュヴァルツ・アイゼンは格が違いましたゾ!! 生で見れて感激!!」

「…………あっそ」


 家の方角が違うのだからお前の通学路で起こったことなど知るわけがなかろうが。

 その後に続く端花の垂れ流す変身ヒロインオタク知識を気にも留めず、私は日本人らしからぬその灰色の長髪を掻きあげながら、窓から見える景色の奥に明滅する、どこか誰かしらの魔法少女が放ったであろうマジカルパワーの光の残滓を見つめていた。


 端的に言って、この街は異常である。

 散々っぱら口にした『変身ヒロイン』という単語。お察しだとは思うが、日本・東京の地方都市である此処、私の住む『神成かむなり町』には、飽和という言葉を使って差し支えない量の、いわゆる変身ヒロインというやつが跋扈している。


 理由は当然ながら不明。言うなれば、きっと此処は「そういう世界観」なのだ。現に細かい追求の全てを排斥し否定するかのように、この街の境界には目に見えない結界らしい何かが張り巡らされ、この結界外、つまり街の外にはこの異常事態に関する情報は何一つ持ち出すことはできない。物的なものでない『記憶』すらも含めて。


 何かしらの偶発的なもの。偶然。奇跡的なイレギュラー。……そう断ずるには、あまりにもこの都合の良い閉鎖的な状態は出来過ぎだ。何者かに作為的に引き起こされた異常事態であることは疑いようもない。


 ……などと考察したところで、私はこの街に来たばかりで、尚且つ聞いたところによれば、この異常事態はここ最近いきなり発生したような突発的なものではないとのこと。これらの問題を解決するよう尽力する理由も義理も私には有りはしない。

 ただ、今現在、この街の異常事態に強いて一つの苦言を呈するとするならば────。


「……仕事、増やさないでほしいんだけどな……」

「む? なにか言いましたかネ?」

「べつに。……くっだんな……午後の授業ぜんぶ寝よ……」

 そうして昼休みの終わりを告げるチャイムと共に、私は机に顔を伏せて意識を落とした。


 そしてそのまま熟睡ののち、放課後。

「それではわたくしは部活動があります故、先に失礼致しますナ!」


 席決めで隣の席になったのが運の尽きで、特に求めてもいない別れの挨拶を端花にクソデカボイスで投げつけられ、私は机に突っ伏したままわかりやすく不機嫌な調子でシッシと手の甲を払った。


 部活動などと大層なことを言っているが、端花が部室で部員とすることなど、変身ヒロインランキングとかいう舐め腐った名前のウェブサイトをワイワイガヤガヤしながら編集するだけだ。……と、私は言いたいところなのだが。


 変身ヒロインが大量に存在するというこの神成町の性質上、これが正式な部活動と認められているのに加え、このランキングがただの個人の集まりで作られたエンタメに留まらず、訳あって実質的に公式な格付けとなっているのが実状なのだが。


「……イラ・カラミティアね……。どこからそんな的確な表現を思い付いたんだか」

 一人呟き、待ち人が現れる様子がないことを悟って、私も他の生徒に続いて教室を後にした。


 過去の記憶が明滅する。

 ​────六月二日。全てが始まった日。

「…………はァ、サイアク…………」


 眼前に広がる光景に絶句する。

 以前も、が訪れるタイミングは最悪だった。


 執骸 桜夜、小学校入学。この際、入学祝いと称して父と母の二人と出掛けた日帰り旅行の帰路の途中、私達の乗る車は道路を左折した瞬間、信号無視で異常な速度で突っ込んできたトラックに追突された。私の確かな記憶はここまでで、次の瞬間、私は


 ここで唐突な話をするが、この後に語る恩人曰く、私はどうやら『転移体質』とかいうまっこと厄介で奇妙な特異体質の持ち主である。オタク界隈のコンテンツに於ける昨今の流行りらしい『転生』とはまた違ったもののようで、私の経験した前者は既存の生命がその魂と肉体の形を維持したまま別の世界へと飛ばされてしまうものなのだという。


 詳しい話は知ったことではないが、ともかく、そうして、私は齢たったの6歳にして剣と魔法が蔓延る異世界『レグルス大陸』に飛ばされてしまったのだ。

 ただ、本題はそこではない。


 結論から言えば、私はその後、レグルスにて今の私の人格形成に多大な影響を及ぼしたとある人物と出逢い、そして数年の時を過ごしたある日、その恩人の唐突な失踪を知ると同時に再び強制的な世界転移をさせられ、現在私が住まう神成町という異常を擁した、私の知らない日本の地へと辿り着いたのだ。


「…………なにがなんだか…………」

 数刻前、唐突に目の前に広がった、些かばかり先進した日本の街並みというあまりに非現実的な────否、本来はそれこそが現実であるという突然提示された事実を受け容れられず、私は暗がりから引っ張り出された眩い光源から逃げる害虫のようにして、すっかり日が落ち街頭の光だけが明滅する、広さとは裏腹にベンチ以外何も無い質素な公園のベンチに腰掛けていた。そして隣には、いつの間にか知らないハゲオヤジが一匹。


「なに?」

「ご、五万でどうかな……!!」

「死ぬか消えるかの二択ならどっち派?」

「すみません帰りますおやすみなさいィ!!!!」


 たかが15のガキにビビりすぎではないかと思ったが、今この瞬間の私は知らない事実であると同時に既に説明した通り、この世界に於ける私ほどの年齢の女には、平凡な変態オヤジ一人程度など難なく蹴散らせるようなが紛れ込んでいることが少なからずある。殺すぞ、と言われれば「殺せる力がある」と認識されるのは必然だった。


「アホくさ。そんなにビビり散らかすなら最初から一人でマス掻いてれば良いのに。散らかすのはハゲだけにしとけバーカ」

 逃げ遂せる中年太りした情けない背中を見送りながらそう呟く。

 そうして暫く、私は星が点々と輝く漆黒の空を仰いでいた。


「…………また一人になっちゃった」

 パーカーのひもを指先で弄び、今やもう戻ることの無い平穏な日々へと思いを馳せる。

 脳裏に明滅するのは、大きく、紅い背中。

 不遜で、素っ気なくて、ぶっきらぼう。だけど、どこまでも広がる地平線のような優しさを持った男の残酷なまでに鮮明な面影を思い出していた。




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