執骸 桜夜は諂わない -神成町変身少女怪異譚-

ぎるちぃ

プロローグ:そのヒロインは笑わない

 まず始めに、その願いが無謀だなどということは、当然理解していたという前提を置くとして。

 憧れ、道を志し、生きて、そして現在。

 身長182cm、体重75kgの俺の首を締め上げていとも容易く持ち上げる環形動物のような触手と、ソレを背中に携えたコンプラなどガン無視のとんでもコスプレ衣装と言って差し支えない被服を身に纏った少女を、俺────天道てんどう 瞭一りょういちは為す術なく見下ろしていた。

「超ラッキー☆ ちょろっと食事ついでにザコオス引っ掛けたらもっと良いのが付いてくるんだもん。エビでタイってやつ?♡」

 恍惚とした表情を浮かべる、空色の長髪を携えたその少女。顔に見覚えはあるが、なにせ数が多いので『』なんてのは一々覚えていられない。

「な、ん……で……!!」

 純粋な疑問。記憶が正しければ、変身ヒロインというのはこの街に蔓延る怪異や怪人なんてのを倒す為の存在だったはずだ。それがなぜ、人に対して牙を剥くのか。

 庇って逃がした大石が気が気でない。アイツ、ちゃんと逃げられただろうか。

「なんでって……。……ああ、そういえばまだ自己紹介もしてなかったね?」

 クス、と嘲るように一度笑い、少女は己の胸元に手を当てて再び口を開いた。

「えーっと、なんだっけ……変身ヒロイン戦闘部門ランキング? の7位────ああ、7位のブラスト・シルフィーネ。そして、こちらが……♡」

 少女の背中から伸びる触手。先端におぞましい突起を携えたその触手を、ブラスト・シルフィーネと名乗ったその少女はまるで愛おしい誰かを愛撫するように舐めしゃぶる。

「わたしのご主人様……♡ わたしがエナジーを差し上げるとぉ……たぁ〜〜〜っぷりのご褒美をくれるの……♡♡♡」

 少女が妖艶に微笑むと同時、背中から更に数本の触手が鎌首をもたげ、次の瞬間、そのうちの一本が、少女が纏う有ると形容できるかどうかも怪しいミニ丈のスカートの中へと潜り込んだ。

「ぅあンッ♡ も、申し訳ありません♡♡ すぐ、にぃ……♡ おっ♡ この人間からエナジー吸い取りますからぁ……♡♡♡ だからそこはぁ……♡」

「────」

 自分で言うのもアレだが、俺は触手モノに類する性癖は持ち合わせていない。それ故、自らの秘部をこんな禍々しい存在に嬉々として差し出す少女の様子を見て、俺は素直に血の気が引いた。

 おかしい。変身ヒロイン界隈というのは、もっとキラキラしたもののはずだ。強いヒロインが悪の存在を討ち果たし、それを俺ら有象無象の観衆が褒め讃える。そういう世界のはず。

 なのに、いま目の前に広がる光景は、ランキング上位にその名を連ねるほどの力を持つ変身ヒロインが、異形の存在に屈服し、剰えその身体を自由にすることを許している現状。

「んんッ♡ っていうわけでぇ……ご主人様はお腹が空いてるの☆ アソコはご主人様専用だからダメだけどぉ……キミはイケメンだから、なら使わせてあ・げ・る……♡♡♡」

「や、やめろ……!!」

 冗談じゃない。身体に妙な生き物を飼ってる、とっくに人でなくなったモノと交わるだなんて御免だ。

 しかし、ただの一般人である俺には彼女に抵抗する術は無い。殆どの変身ヒロインは、その特性上、普通の人間より優れた肉体強度を有する。幾らウェイトで勝っていようが、彼女達には関係ない。

「(こんな、ところで……!)」

「さあ、たくさん気持ち良くしてあげるから────…………?」

 ────ふと、背後に人の気配。眼前のブラスト・シルフィーネ……だったものの視界には、ちょうど正面から相対するような形になるだろうか。

 たまたまか、或いは気配に気付いて迷い込んでしまったのか。路地の入り口にどうやら誰かがいるようで、これから俺のエナジーとやらを奪い取ろうとしていた少女の視線がそちらへと向く。

「なーんだ、女か。わたし、男にしか興味無いのよね。女のエナジーって不味いし。……まあ目撃者が居られても困るし、先にるか……♡」

「ダメ、だ……逃げろ……!!」

 振り向けない故に叫ぶが、無論、それよりも早く、ブラスト・シルフィーネの触手が高速で伸びる。

「(クソ、クソ……!!)」

 ────だが、しかし。

「……は?」

 ブラスト・シルフィーネの驚愕の声。それ以上、何も起こりはしない。

「(……なんだ……?)」

 止まる。────まるで今、この瞬間、この場所だけ、時間という概念が消え去ってしまったかのように。

「ねえ、ちょっと、離してよ。そんなに強く掴んだらご主人様が痛がるでしょ?」

 ブラスト・シルフィーネの口振りから察するに、どうやら背後の人物はあの悍ましい触手を掴んで止めているらしい。そこで俺は確信した。

 ​────ソレは、多分、ただのヒトではないということを。

「…………はァ、呆れた。余裕こいてる暇ないんじゃない?」

 透き通るような、しかし確かな激情を伴った声が聞こえた、その直後のことだった。

「ギィィィィィィィィィィ!!!!」

 暗がりに響く悍ましい悲鳴。直後、俺の首を絞めつけていた触手の拘束が外れる。

「げほッ! がはっ……! ……なにが……」

 困惑。しかし、疑問符はすぐに取り払われた。

 ────

「は!? え!? そんな……ご、ご主人様!? ────づァああああ!!」

 蒼く、煌々と燃え盛る触手。その炎は瞬く間に燃え広がり、触手を繰るブラスト・シルフィーネにも当然の如く燃え移った。

「ハ、よく燃えること燃えること。見るからにそうだとは思ったけど、やっぱり系か」

「…………」

 地面にへたり込む。

 轟く悲鳴。しかしそれとは裏腹に、周りは恐ろしいほど静かだ。まるでこの空間だけが切り取られ、閉ざされてしまったかのように。

「なんで!!!! ご、ごんな……ァあ! ああああああああぁぁぁ!!!!」

「訊かれてもね。選択に自身の意図が介在していたかはともかく、結果として、アンタは下らない害悪に成り下がった。自分でどうにかする術も無かったんでしょうし、まあ偶々通りがかった私がアンタの死神になったっていうそれだけの話でしょ。じゃあね、おやすみ。来世は良いことあるといいわね」

 そう淡白に告げると同時、ブラスト・シルフィーネを焼く蒼炎は一層その激しさを増して燃え盛り、時計の長針が一つ進む間もなく、彼女と彼女に取り憑いたナニカを丸ごと灰燼と化した。

 ────振り返る勇気が出ない。あんな悍ましい存在を一瞬にして火だるまにしたモノを、直視する勇気が。

「…………────あ」

 などと、自分で思考していて思い出した。

 変身ヒロインは一枚岩ではない。大概は表立って民間人を救って名声を得る道を選ぶが、誰が定めたのか、この街の中でしか存在できないというルールの中で生きる変身ヒロイン達の中にも、自分達の神秘的な力を秘匿する者が一定数存在する。であるなら人払いの類の力を行使している可能性と、そして必然、強力な力を持った変身ヒロインが助けてくれたと考えるのが道理だ。なにも恐れる必要などないではないか。

 失礼極まりない。その人物は俺を助けてくれたのだから、状況はどうあれ礼を言うのが筋だろう。

「あ、あの!」

 腰が抜けたままなので、目だけは合わせようと首を後ろへ向けると​────。

 ……そこには、既に誰もいなかった。

「…………なんなんだ…………」

 視線を戻すと、いつの間にか異形に寄生されたブラスト・シルフィーネの姿はそこにはなく、ただ焼け焦げた痕跡が地面に残っているだけだった。


 出逢いと、常識の転覆。

 こうして、変革の兆しは突如としてこの『神成かむなり町』に訪れたのだ。



◇◇◇◇



「────というわけで!! 不肖わたくしめ、この謎のブラック変身ヒロインを『イラ・カラミティア』と名付けた次第なのでありますヨッッッ!!」

 バンッ! と、教室全域に響き渡る盛大な台パンを、しかも自分の机ではなく他人の机で行なったその丸眼鏡と黒いおさげ髪の特徴的な女生徒の名は端花はしばな 璃々子りりこ。此処『私立  鳳錠ほうじょう学園』の1年B組に在籍する少女であり、いわゆるオタクである。因みにジャンルはそこそこ幅広く取り扱っているとのことだが、曰く、専門はヒロピン界隈らしい。無論、私にはよくわからない。

「……ああ、そ。因みにラテン語と英語の組み合わせになっててバカ丸出しだけど意味でもあるの?」

 そう言い、私────同じく私立鳳錠学園1年B組に属する執骸とむくろ 桜夜さくやは、冷ややかな視線で眼前のお猿さんを突き刺した。

「語彙的に一番ハマってるので無問題モーマンタイ! というか『憤怒の厄災者イラ・カラミティア』ですよ!? カッコよすぎる……大衆ウケ間違いなし……!!」

「頭大丈夫?」

「比較的!」

「病欠とりなさい。サヨウナラ」

「ひどい!!!!」

 一々声がデカくて真面目に殴って黙らせる選択肢も脳内を掠めたが、別段悪いヤツではないことを知っているので、取り敢えず流しておくことにした。……今のところは。

「……変身ヒロイン、ね」

 まるで著作物の主人公のような最後方窓際の席から窓の外を見遣る。

「そう言えば今朝も凄かったですナー! 見ましたかネ!? あの強そうな怪人を圧倒的な戦闘力により瞬殺……! やはりヒロインランキング戦闘力部門1位のシュヴァルツ・アイゼンは格が違いましたゾ!! 生で見れて感激!!」

「…………あっそ」

 家の方角が違うのだからお前の通学路で起こったことなど知るわけがなかろうが。

 その後に続く端花の垂れ流す変身ヒロインオタク知識を気にも留めず、私は日本人らしからぬその灰色の長髪を掻きあげながら、窓から見える景色の奥に明滅する、どこか誰かしらの魔法少女が放ったであろうマジカルパワーの光の残滓を見つめていた。


 端的に言って、この街は異常である。

 散々っぱら口にした『変身ヒロイン』という単語。お察しだとは思うが、日本・東京の地方都市である此処、私の住む『神成かむなり町』には、飽和という言葉を使って差し支えない量の、いわゆる変身ヒロインというやつが跋扈している。

 理由は当然ながら不明。言うなれば、きっと此処は「そういう世界観」なのだ。現に細かい追求の全てを排斥し否定するかのように、この街の境界には目に見えない結界らしい何かが張り巡らされ、この結界外、つまり街の外にはこの異常事態に関する情報は何一つ持ち出すことはできない。物的なものでない『記憶』すらも含めて。

 何かしらの偶発的なもの。偶然。奇跡的なイレギュラー。……そう断ずるには、あまりにもこの都合の良い閉鎖的な状態は出来過ぎだ。何者かに作為的に引き起こされた異常事態であることは疑いようもない。……などと考察したところで、私はこの街に来たばかりで、尚且つ聞いたところによれば、この異常事態はここ最近いきなり発生したような突発的なものではないとのこと。これらの問題を解決するよう尽力する理由も義理も私には有りはしない。

 ただ、今現在、この街の異常事態に強いて一つの苦言を呈するとするならば────

「……仕事、増やさないでほしいんだけどな……」

「む? なにか言いましたかネ?」

「べつに。……くっだんな……午後の授業ぜんぶ寝よ……」

 ひたすら眠い。

 そうして昼休みの終わりを告げるチャイムと共に、私は机に顔を伏せて意識を落とした。

 そしてそのまま熟睡ののち、放課後。

「それではわたくしは部活動があります故、先に失礼致しますナ!」

 席決めで隣の席になったのが運の尽きで、特に求めてもいない別れの挨拶を端花にクソデカボイスで投げつけられ、私は机に突っ伏したままわかりやすく不機嫌な調子でシッシと手の甲を払った。

 部活動などと大層なことを言っているが、端花が部室で部員とすることなど、変身ヒロインランキングとかいう舐め腐った名前のウェブサイトをワイワイガヤガヤしながら編集するだけだ。……と、私は言いたいところなのだが。

 変身ヒロインが大量に存在するというこの神成町の性質上、これが正式な部活動と認められているのに加え、このランキングがただの個人の集まりで作られたエンタメに留まらず、訳あって実質的に公式な格付けとなっているのが実状なのだが。

「……イラ・カラミティアね……。どこからそんな的確な表現を思い付いたんだか」

 一人呟き、待ち人が現れる様子がないことを悟って、私も他の生徒に続いて教室を後にした。


 過去の記憶が明滅する。

 ​────六月二日。全てが始まった日。

「…………はァ、サイアク…………」

 眼前に広がる光景に絶句する。

 以前も、が訪れるタイミングは最悪だった。

 執骸 桜夜、小学校入学。この際、入学祝いと称して父と母の二人と出掛けた日帰り旅行の帰路の途中、私達の乗る車は道路を左折した瞬間、信号無視で異常な速度で突っ込んできたトラックに追突された。私の確かな記憶はここまでで、次の瞬間、私は

 ここで唐突な話をするが、この後に語る恩人曰く、私はどうやら『転移体質』とかいうまっこと厄介で奇妙な特異体質の持ち主である。オタク界隈のコンテンツに於ける昨今の流行りらしい『転生』とはまた違ったもののようで、私の経験した前者は既存の生命がその魂と肉体の形を維持したまま別の世界へと飛ばされてしまうものなのだという。詳しい話は知ったことではないが、ともかく、そうして、私は齢たったの6歳にして剣と魔法が蔓延る異世界『レグルス大陸』に飛ばされてしまったのだ。

 ただ、本題はそこではない。

 結論から言えば、私はその後、レグルスにて今の私の人格形成に多大な影響を及ぼしたとある人物と出逢い、そして数年の時を過ごしたある日、その恩人の唐突な失踪を知ると同時に再び強制的な世界転移をさせられ、現在私が住まう神成町という異常を擁した、私の知らない日本の地へと辿り着いたのだ。

「…………なにがなんだか…………」

 数刻前、唐突に目の前に広がった、些かばかり先進した日本の街並みというあまりに非現実的な────否、本来はそれこそが現実であるという突然提示された事実を受け容れられず、私は暗がりから引っ張り出された眩い光源から逃げる害虫のようにして、すっかり日が落ち街頭の光だけが明滅する、広さとは裏腹にベンチ以外何も無い質素な公園のベンチに腰掛けていた。そして隣には、いつの間にか知らないハゲオヤジが一匹。

「なに?」

「ご、五万でどうかな……!!」

「死ぬか消えるかの二択ならどっち派?」

「すみません帰りますおやすみなさいィ!!!!」

 たかが15のガキにビビりすぎではないかと思ったが、今この瞬間の私は知らない事実であると同時に既に説明した通り、この世界に於ける私ほどの年齢の女には、平凡な変態オヤジ一人程度など難なく蹴散らせるようなが紛れ込んでいることが少なからずある。殺すぞ、と言われれば「殺せる力がある」と認識されるのは必然だった。

「アホくさ。そんなにビビり散らかすなら最初から一人でマス掻いてれば良いのに。散らかすのはハゲだけにしとけバーカ」

 逃げ遂せる中年太りした情けない背中を見送りながらそう呟く。

 そうして暫く、私は星が点々と輝く漆黒の空を仰いでいた。

「…………また一人になっちゃった」

 パーカーのひもを指先で弄び、今やもう戻ることの無い平穏な日々へと思いを馳せる。

 脳裏に明滅するのは、大きく、紅い背中。

 不遜で、素っ気なくて、ぶっきらぼう。だけど、どこまでも広がる地平線のような優しさを持った男の残酷なまでに鮮明な面影を思い出していた。

「…………?」

 ────ふと、声が聴こえたような気がして、私は導かれるように公園を出、すぐ隣の閑静な住宅街に足を踏み入れる。

「(なんだろ、変な気配。こんな時間に路地裏とか嫌な予感しかしないけど)」

 そうして音と気配のする路地を覗き込む。そこには────。

「さあ、たくさん気持ち良くしてあげるから────…………?」

 …………ナニのプレイの最中なのか定かではないが、とんでもない露出のコスチュームを身に纏って気色悪い触手を携えた女と、そしてその触手に首を絞めあげられている男が一人。状況が意味不明すぎる。

「(うっわ最悪。痴女て……)」

 露骨に表情を歪めて二人を見つめる。お盛んなのは結構だが、外でというのは節操が無さすぎるのではなかろうか。

「(……?)」

 ────ズクン。

 魂魄が騒ぐ。この感覚は────そうだ。奥底で、獣が獲物を見つけたそれと同じ。

「……ああ、そういう……」

 ボソリと呟く。しかし無論、此方が思考している時間など相手にとっては関係ないわけで。

「なーんだ、女か。わたし、男にしか興味無いのよね。女のエナジーって不味いし」

 いや知らねーよ。なんだよエナジーって。ドラマの撮影か? にしては他に人の気配も感じないし、そもそもこの殺気は本物だ。面倒だが、どうやら相手をしなくてはならないらしい。

「まあ目撃者が居られても困るし、先に殺るか……☆」

「ダメ、だ……逃げろ……!!」

 拘束されて身動き一つできないくせにいっちょまえに叫ぶ気概だけはあるらしいその男の声にフスと鼻で笑い、直後、此方を殺す気で放たれた触手を────私はとりあえず手で掴んだ。

「……は?」

 何やら驚いた様子の痴女。今の攻撃に余程自信でもあったのだろうか。まあ確かに音速程度は超えていたので普通の人間では直撃かギリギリで躱すので手一杯だろうが、私にとってはそういうわけでもない。『アイツ』の剣戟に比べれば、バレーボールのトスとか、まあそれくらいの球を受け止めるようなものだ。

「ねえ、ちょっと、離してよ。そんなに強く掴んだらご主人様が痛がるでしょ?」

 今の状況を理解できていないらしく、触手を切り離すでもなくただ苛ついた様子でその女は言った。浅はかすぎて反吐が出そうだ。

 見切っていたのに敢えて避けなかった理由は単純な話で、あまりにも迂闊に身体の一部を飛ばしてくるものだから、此方もついうっかり迂闊にふん捕まえてしまったという話。握手を求められたので応じたような感覚というのが近いか。

 ともかく、私にしてみれば、眼前の女の行動は信じられないほど短絡的なものであり、それ故に私は重い気鬱を伴った溜息を吐き出す。

「…………はァ、呆れた。余裕こいてる暇ないんじゃない?」

 そうして、私は────に、ひどく鬱屈とした哀愁を感じながら『力』を行使した。

「ギィィィィィィィィィィ!!!!」

 暗がりに響き渡る、耳障りな不協和音。もう少し静かに死ねないものかなどと思考したが、どうやらそれは難しいらしい。触手が引っ付いている本体の方────ああ、いや、厳密には触手が本体か。人型をしたオマケの方にも、瞬く間にが引火し、耳障りな苦痛の叫びを上げる。

 そこで私は確信した。確かに殺すつもりで『力』を放ったのは事実だが、あまりに燃え広がる速度が早すぎる。そこまで思考したところで私は自分の『力』の特性を思い出し、結論付けた。

「ハ、よく燃えること燃えること。ってことは系か」

 ────無論、燃え盛る異形は答えない。ただ己の身体が焼け落ちる苦痛に悲鳴をあげるばかりだ。

「なんで!!!! ご、ごんな……ァあ! ああああああああぁぁぁ!!!!」

 そんなことは私も知らない。何があり、何を思って眼前の女がこんなことになったのかなんぞ私にわかるわけはないし、わからないのだから理解もできない。

「訊かれてもね。選択に自身の意図が介在していたかはともかく、結果として、アンタは下らない害悪に成り下がった。自分でどうにかする術も無かったんでしょうし、まあ偶々通りがかった私がアンタの死神になったっていうそれだけの話でしょ。じゃあね、おやすみ。来世は良いことあるといいわね」

 そうして私は、女が灰と散って逝くその姿をひらひらと軽く手を振って見送った。

 火葬が終わり、数秒。こちらに背中を向けたままへたりこんだままの眼下の男に視線を遣るが、特に口も体も動く気配はない。

「(助けてやってお礼も無しか。いいご身分ですこと。……はァ、くだんな。適当にぶらつくか)」

 これ以上なにかが起きることはないだろうと判断し、私は呆然と尻餅をついたままの名も知らぬ誰かさんを放って路地裏を後にした。

 とは言え、適当にと表現した通り、行く宛てなどない。

 この時点での私には、自身の今後の扱いをどうにかするすべを全く思考することができなかった。

 言うまでもなく、この世界に何の準備もなくぶっ飛ばされてきた私には戸籍その他諸々の個人情報など存在しないため、信頼できるツテや金銭といったものを確保する方法が無い。定住地など以ての外。

 訳あって飲み食いや睡眠を必要とせず、雨風を凌ぐことすら必須事項ではない身体であるのは不幸中の幸いといったところだが、当人の素性などは兎も角としてよわい15の子供が何日も何週間も外でぶらぶらとしているのは問題しかない。公的機関に目をつけられれば、それこそ戸籍の無い私にとっては面倒極まりないというものだ。……加えて、この街は夜間フラつくにはあまりにも危険すぎるということが先程の出来事から見て明らかであるわけで。

 正規の手順による金銭の受給は不可。であるならば、とれる手段は限られる。

「……援交ウりしかないか」

 ふう、と、嘆息を一つ。

 結局のところ、人間、或いは人生なんてものは、最初から最後まで恵まれているかそうでないかということ、そしてそれに気付いているのかそうでないかということでしかないのだ。……などと高尚に語ってはみたが、こんな事は当然、誰でも理解している話だ。

‌ ‌幸いと言うべきか。自分でいうのもなんだが、私の肉体的な発育は同年代の同性と比較して明らかに下品な方向性で富んでいる。そもそも戸籍も無いし、相手に大したリスクを負わせることもないだろう。今にして先程追っ払ったハゲオヤジの存在が恋しくなってきてしまった。

 異世界に飛ばされる、なんていう経緯いきさつを経たところで、何も変わりはしない。今の私のように。


「感傷に浸っているところにね、ええ、ちょっと悪いんだけども」


「…………あン?」

 十字路。道なりに直進しようとした瞬間、右耳に入り込む女の声。気配は感じなかったのだが……。

 視線を遣ると、そこには街灯に照らされた不自然に彩度の高い────具体的にはピンク色の長髪を携えた、白衣の女が一人。

 女の、琥珀、或いは黄金と称すべきかもしれないその宝石のような双眸が、此方のコンプレックスの一つである獣のように細く鋭い瞳孔を真っ直ぐ見つめていた。

「ああ、警戒しないでね〜。全然これっぽっちも怪しい者じゃないから」

「へえ、私がケータイ持ってないと知っての狼藉かと思ったのに。公衆電話の場所を訊いても?‌ ‌あと10円ちょーだい」

「ありゃ、かける番号は110番って話かしら。いやいや、本当に敵対の意思は此方にはないのよ。寧ろ逆かも?」

「敵対意思と不審者か否かは別問題なんだけど」

 どうやらその女────後に藤郷とうごう とおると名乗るその女は、本当に此方に敵対するつもりはないようだった。

 実際、今の私は知っている。この女は、この時、私に『頼み事』をしに来たのだ。

「ね、取引しない?」

 取引を持ちかける立場とは思えない、余裕綽々という言葉を形状化したような妖艶な笑みで、女はそう言った。

「血の盟約とかならお断りだけど」

「もう、厨二病拗らせちゃって。……でも、間違いでもないかもね。浴びるのはあなたの血じゃないけど」

「へえ。それで?」

「個人情報と衣食住、それと学生としての身分の提供を約束するわ。────代わりに、あなたには

 女の言葉に、私は小さく眉を顰めた。

「……悪趣味。静観してたワケ?」

 先述したように、多大な力があるにも関わらず、どうやら彼女は先程の惨状を静観していたらしい。その言動だけを抜き出すなら、眼前の女には人としての良識が無いということになる。……まあ、偉そうに言っている私とて、他人に良識がどうだのと高尚な弁を垂れることができるような人間ではないのだが。

「だってあなたがいるなら余計でしょう? わたしはあなたが彼を助けるってわかっていたし。それにわたし、諸事情あって目の届く範囲は広いのだけど、手を出せる範囲はとんでもなく狭くてね。どうしても他力本願になってしまうのよ。それにあなた、憎まれ口を叩くのは結構だけど、お人好しってバレてるわよ。さっきのブラスト・シルフィーネを躊躇無く消し炭にしたのも、その眼にはどう足掻いても手遅れな状態だってわかっていたからでしょう?」

「知った口を……。……まあ良いわ。それで、その口振りからするに、。何で私?」

 すると、その女は何をバカなことをとでも言うように苦笑した。

「そこをトボけられちゃうとこっちも困ってしまうんだけどね……。ちょっと特別な力を持ってる程度のことはこの街では普通なの。そんなコに任せられるようなことならわたし一人で片付けられるし、あなたもそれくらいはわかるでしょう?」

「そりゃそうね。とすると、アンタから見た私はその『ちょっと特別な力を持ってる』のカテゴリからは外されてるわけ?」

 問う言葉に他意は無い。自分の持つ力が強いだとか弱いだとか、そういう話は気にしたことがなかったからだ。

 とは言え、全くの無自覚というわけでも、誰にも指摘されなかったわけでもない。

 私は、この日本の一都市に来る前の世界────レグルスと呼ばれるその魔大陸にて、かくかくしかじかあって妙なカルト教団に捕まってしまい、『神性偽誕オラクルインストール』だとかいうエグめの人体実験の実験動物にされた結果、信者兼研究者どもの言うところの高位存在とやらを身体にぶち込まれたらしい。奴らは高位存在だとのたまっていたし、恩人である男からも「ソレは人が扱うには凶悪すぎる」みたいなことを言われていたので、まあ生半可な力ではない程度の認識だった。

 すると、私の言を聞いたピンク頭の女は、どうやら此方の言葉がナチュラルに発されたものであると納得したらしく、ふむ、なんて小さく呟いてから再び口を開いた。

「わたしの眼はちょっと特別製でね。異常を宿したコがどんな力を持ってるか判別できる代物なの。……どんな経緯かは知らないけど、あなたのソレ、降霊術のゲテモノ版ってところね。なかなか見ないレベルのヤバいのに憑かれてるわよ」

「へぇ、そうなんだ。因みにどれくらい?」

「名前で調べたらサジェストと検索欄の一番上に出てくるくらい」

「……はァ……?」

 比喩表現、ということではない。この時も現在もそうだが、これについては疑問でしかなかった。

‌ ‌それも当然、この憑き物は異世界の代物であり、神成町という異常があるとは言え通常の歴史を送ってきたであろう世界のインターネット検索でソレが特定できるというのは普通に考えれば異常事態だ。向こうではなぜか日本語が通用したし、節々に聞き覚えのある単語が存在していたりもしたが、よもや私が想像していた以上に、あのレグルスという大陸は深々とした闇を持っていたらしい。……そんなものと向き合っていたあの男は、一体なにを思って私なんかに手を差し伸べたのだろうか。

「……いいわよ、別に」

「?」

‌「契約。しても構わないって言ってるの。この怪物の名前を教えてくれるならね」

「へえ。……こう言ってはなんだけど、ちょっと断られるかもとも思ってたの。あなた、さすがにもの」

‌ ‌そう、この女には見えている。私に宿る怪物が『想いの集積装置』であるが故の、背に負った十字架の数が。

「ハ。わからない?‌ ‌。……重さを知るからこそ、ソレはきっと────私がやらなきゃいけないんだ」

‌ ‌そうして、私、執骸 桜夜は理解し、そして覚悟した。

‌ ‌己がこの世界に呼ばれた意味と​────己がすべき贖罪を。



「…………まあ、手間は省けたけど」

 時は戻り、現在。時刻は19時半ちょうどといったところ。辺りは既に街灯の光だけが周囲を照らす役目を担う程度には暗く、人が住んでいるはずの住宅街には欠片も人の気配が感じられない。

 そんな閑散とした空気の中、私は、車一台が通れる程度の通路でその歩みを止めた。

 眼前には、一般人が関わってはいけないことが瞭然といって差し支えない、なんともわかりやすく不細工な造形の球状肉塊の怪物が一匹。ちょうどそこそこの大きさの重機が家屋を取り壊す時に使う鉄球ほどの大きさだろう。その肉塊の中央にはこれまたわかりやすい捕食器官と思しきデカい口が一つあり、眼球はパッと見では見当たらない。隠されているのか、そもそも無いのか。言うまでもなく知らないし興味もない。

「さて、善良なる市民である私はこうしてピンチに直面してるわけなんだけど……」

 すると、案の定と言っていいのかはわからないが。

「あぶない!!」

 声と同時に何処かから放たれた桃色のエネルギー弾。ソレは一瞬にして私の眼前に鎮座していた肉塊状の怪物を蒸発させた。

「……」

「間一髪だったね! ケガは無い?」

 さっきまでそこに肉塊がいた場所、即ち私の目の前に飛来したのは、優美な銀髪と純白のドレス、そして如何にもそうですという雰囲気のステッキを握った、所謂いわゆるところの魔法少女であった。

「別に。特に何もしてこなかったし」

「そっか! 良かった〜。家はこっち側? 送ってあげる!」

「いいわよ、悪いし」

「遠慮しないで! 女の子一人じゃ危ないだろうし。ね? さっきみたいなのがまた出てきたら大変だよ」

「…………じゃあよろしく」

 私の返事に気を良くしたらしく、ふわふわと浮遊したままその魔法少女は私の背を追うようにしてついてくる。

「名前は? なんていうの?」

「執骸 桜夜。執る死骸で桜の夜」

「とむくろ? 珍しい苗字だね!」

「……まあ」

 それもそうだ。この苗字はレグルスあっちに存在していたものなのだし、こっち側で珍しいのは当然である。

「わたしは月天聖装セイクリッド・シルヴィア! 見た通り魔法少女やってるの! よろしくね!」

 勘違いしないで欲しいのだが、私とていつでも罵詈雑言を吐き散らすバケモノというわけではなく、主な活動時間が夜である関係で昼間はとにかく眠くて機嫌が悪いというそれだけの話だ。……まあ、この眠いという感覚も、所詮は人間として残っている部分が勝手に催す反射のようなものでしかなく、もはやこの身体にまともな睡眠など必要ないというのが実情なのだが。

 なのでもちろん、私は好意で差し出されたその右手を、特に何を思うでもなく握り返した。

「……あれ……?」

「なに、ひんやりしててまるで死体みたいだなとか思った? 残念だけど一応生きてるのよね」

「あ、ううん、なんでもないの! ていうかもうなによ、一応とか言っちゃってさ〜。わたしは誰かを死なせないために魔法少女やってるの! あなたが死んじゃったら悲しいわ」

「……逢ったばかりの赤の他人でも?」

「もちろん!」

 私の手を握って何を思ったのかなど興味もないが、セイクリッド・シルヴィアと名乗ったソレは特に気にせずヘラヘラと笑っていた。

 ああ、それにしても随分と親切なことだ。そこら辺に溢れ返ってる有象無象の変身ヒロインとは訳が違う。大量の変身ヒロインがいるということは同時にそれらが活躍する舞台が存在するということであり、即ちこの街に発生する悪虐の数は常人が考えている比ではない。妖魔や怪異に襲われた直後にまた襲われる、なんていうことは日常茶飯事なのだが、大抵の変身ヒロインなんていうのは承認欲求か自己顕示欲の塊、或いはただの義務感で存在している。要は一回助けて満足してしまうのだ。

 しかし、彼女はそういった魔法少女とはある程度違う。人助けという自己満足であることに他の変身ヒロインと大きな違いこそ無いのだろうが、根底にある善性部分が明らかに人として大きい。なので人助けの後のアフターケアも欠かさないのだ。『ランク上げ』に関しては非効率この上ないのだろうが、そういうのは気にしないタイプらしい。

 それ故に、なんとも悲しく、虚しい話だ。本当に、本当に────。

「…………良い魔法少女だったんでしょうね」

「? ……あらら……」

 短い言葉を交わす、そんな極めて短い時間の間に、私は振り返りざまに振り抜いた右手で

「クスクス、確かにおかしいなぁとは思ったんだよね〜。他の変身ヒロイン達と同じ魔力を感じないならただの一般人かなーって思ってたのに、『成長』がすぐ始まらないんだもん。バレちゃってたのも意外かも」

 声の発生源はもぎ取った頭部の口元ではない。頭部を失って尚、そこに悠然と佇んでいるセイクリッド・シルヴィアの肉体、その喉の部分。見れば、くびの切断面から数本の細い触手らしきものが伸びていた。

「ハ、呆れた。意識を操るとかじゃなく、とっくに肉体から魂なんて抜け落ちてて、声は発声器官に寄生してむりくり動かしてたに過ぎず、首から上は擬態に必要なだけってわけ。あーあ、一番無駄なところぶっこ抜いちゃったな」

 などと言ってみたものの、まあ、実際には頭は狙って引きちぎったのだが。真相も理由も、相手に告げる道理は無いだろう。

 そして、妖魔の口……に相当する部分から、当然の質疑が一つ。

「ねえ、いつから?」

 これも答える義理はないが、此方については答えない義理もないので、一先ず答えてやることにした。

「最初から。アンタ、食事は物理的じゃないタイプでしょ? あの肉塊は、必要なもの掠め取った後の元人間の死骸の塊を、それっぽく練り合わせてそれを動かしてただけのなんちゃってモンスター。ピンポンピンポーン、大正解」

「うっわムカつく〜! その通りだけど、確信と断定して自分で正解の音出すとかさ〜。良い性格してるよキミ。よくわかったね?」

「意味ないもの、擬態なんて。……ちょっとだけヒトより『イヤなモノ』が視えるせいでね」

 納得したように、セイクリッド・シルヴィアの肉体に寄生したソレはフスと笑った。

「始めから目的はわたしだったわけだ。どうするの? 殺す? さっきの感じからして知らないんだろうけど、このセイクリッド・シルヴィアちゃん、つい何日か前まで……ああいや、正確には今もか。戦闘部門ランキング4位の実力派なんだよね。今からそれと闘うことになるわけだけど?」

 嘲るような声音。なるほど、口ぶりからして寄生した肉体が持つ能力を直接使えるタイプらしい。憶測だけど。仮に違ったとて、大した問題にもなるまい。瑣末事というやつだ。

「またランキングそれか。もういいわよ、戦闘部門だとかなんだとかそういうの。そんなの興味も無いし、意味も無い」

「クスクス、魔力も無いくせに余裕綽々なんだね。まあそんな軽口も許してあげるよ。

 名も知らぬ妖魔がそう言うのと同時、肉と骨の裂ける音。音源は私の右手であり、手のひらの皮を裂いて幾本もの触手が表出してのたうち回り、そして触手はそこから腕の中の肉を食い荒らしながら徐々に上へ上へと侵食してきた。

「驚いた? わたしね、自分の肉体を切り離して『種』にして生物に植え付けて苗床にできちゃうの。侵食されれば忽ちわたし専用の肉人形の出来上がりってわけ!」

「握手の時でしょ。知ってた、違和感あったし」

「なーんだ、驚きもしないんだ。どう? 自分の死を前にする気分」

 恐らくソレに顔が付いていたなら、心底ムカつくニヤケ面を浮かべてその言葉を発しているに違いない。そんな声音の喋り方だ。

 とうの私の方はと言えば、特に訊かれても答える義理のない質問を無視して、本当になんとなく、触手の脈動する自身の右腕を見下ろした。

「……一つ訊きたいんだけど」

「およ、こっちの質問は無視なんだ。まあいいや、遺言ってことで答えてあげるよ」

「誰かを死なせない為に魔法少女やってる云々ってセリフ。アレ、アンタが考えたの?」

「む、変なこと訊くんだね〜? 違うよ、アレはわたしがこのコを苗床に変えちゃう前に一般人に擬態してたわたしと話してた時のセリフ! ほら、このコ、有名人みたいだし。セリフとか性格とかも模倣しないと。いやーそれにしても傑作だったよ! 子供に擬態してたんだけどさ、怖いから手を握ってって言ったらなーんも疑わずに満面の笑みで優しくギュってしちゃって、一緒にお家に帰ろうとか言っちゃってさ。表側に限ったとしても五本の指に入る戦闘力を持った変身ヒロインが闘うことすらできずにこんなワルーい怪物に負けちゃったんだよ? 爆笑必至だったよね〜! 死ぬ間際の顔とか堪らなかったもん」

「…………そう」

 言わなかったので承知してもらっているとは思うが、この質問それ一つだけに関しては、少なくとも私にとっては『どうでもいいこと』ではなかったわけで。

 さて、わざわざ口にしたその質問に納得のいく答えが返ってきた。ならば、もうこれ以上、交わす言葉に意味も価値も有りはしない。余分はもう必要ないだろう。……否、たったいま、必要なくなった。

「────安心した」

「うん? 安心? これから死ぬのに?」

「ええ、安心。ただ個人の主観でそうかもしれないと妄想していただけの善意が、ちゃんと本物だったんだってわかったから」

 妖魔が、その存在しない首を傾げる。

 当然だ、わかるはずもあるまい。人の善意を自分にとって都合よく付け入るもの程度にしか考えず、善意の表層だけを見て理解したようなつもりになって、悟ったような口で人の善意を嘲る、お前みたいな程度の低い怪物には。

「ああ、本当、良かった。私の妄想なんかじゃない。……セイクリッド・シルヴィアは、疑うことを知らないほどに純粋で、何人なんぴとにも勝る正義感の持ち主で、ランキングなんてものに目もくれず、怖がる子供の手を二つ返事で優しく握ってあげられるような────」

「────待って、ちょっと。あなた、変身ヒロインじゃないはずだよね? この街のヒロインが例外なく持ってるはずの魔力を一切感じないんだから。なのに、その、は、なに────」


 言った通り、もう、お前と交わす言葉など無い。要らない。必要ない。

 漆黒のハイレグレオタード。毛先に真紅のグラデーションを伴いながら、すっかり白く変色した一つ結いのポニーテールヘアと、そして、素顔を隠す黒いバイザーマスクを携えて。

 もうすっかり、触手など微塵も残らず焼失したその右手には、消し炭になったセイクリッド・シルヴィアの頭部ではなく、全てを切り裂く黒鉄の大太刀やいばを握り締める。

 ああ、そうだ。セイクリッド・シルヴィアは、優しく、気高い────


「────ホンモノの、正義の変身ヒロインだったんだから……!!!!」


「ッッッッ!!!!」

 反射による後ろへの回避。どうやら擬態などという姑息な真似をするだけあって、咄嗟の臆病さ加減は目を見張るものがあるようだ。

 だが、遅い。

 私が振り抜いた、蒼炎を伴った渾身の逆袈裟斬り。妖魔の回避動作に勝る速度による斬撃が相手の胸部を掠め、そこに右手の凶刃に付与した蒼炎が燃え移った。

「チィッ!!」

 舌打ち、と表現していいかは謎だが、似たような音を出しながら妖魔は首の断面から伸びる自らの触手で蒼炎の燃え移ったセイクリッド・シルヴィアの豊満な胸部を切り落とし、全焼するリスクを身を呈して回避した。

「ハ。自切。ウケる」

「自切は爬虫類だけがやる行為じゃないって知らないのかな〜? カニだってミミズだってやるし。……とか、そういう話は別によくてさ……」

 何やら先程とは違って余裕の無さそうな声音だ。……まあ、当然と言えば当然だろう。

「何それ、変身ヒロインの真似事? 見るからに闇堕ちした変身ヒロインの格好じゃん! イカしたバイザーなんか付けちゃってさァ!!」

 重ねて言うが、もう無駄な会話をする気は無い。既にこの世に居ないセイクリッド・シルヴィアに私がしてあげられることなど、眼前の妖魔をさっさと殺して肉体を葬ってあげる、ただそれ一つだけなのだから。

 踏み出す。致命の一太刀を浴びせる為に。

「クスクス! 迂闊!!」

 切り落とし、地面に落ちた胸部。ちょうど足下のソレから、細い触手が標的の肉体を貫くべく高速で伸びてくる。どうやらまだ完全には焼けていなかったようだ。

 ────そんなことをしたところで、無駄も甚だしいというのに。

「な────」

 絶句する声。目が何処に付いているのかは知らないが、きっとその視界には、伸ばした触手が私に近付いた途端、先端から燃え尽きていく故に決して届くことのない様子が映っているのだろう。

 鮮明かは怪しい記憶だが、ピンク頭曰く、この街に生じる妖魔や怪異は人間の負の感情などといったマイナスエネルギーを媒介にして生まれるのだという。

 反して、私の発する炎。私に取り憑いている上位存在の性質に由来し、物理的には鋼鉄すら容易に焼失させるものではあるが、その最大の特徴として────この炎はどうやら、人間の負のエネルギーを強制的に燃焼させ焼失させる特攻効果を持つ異能なのだとか。

 ならば必然的に、その炎が発する熱は、私をあらゆる妖魔の攻撃から守る最強の盾として機能することになる。

「く、くそ!!!!」

 振るわれたステッキから生じるエネルギー。最初に肉塊を焼いたエネルギー弾を放つつもりなのだろう。なるほど、それなら確かに、場合によるとはいえあくまで元の肉体が持つ力である以上、私にダメージを与えられる可能性は多少なりあるのだろう。

 ……もうこれ以上、尊厳の冒涜を赦すつもりなどないが。

「────秘剣、『裂散華さざんか』」

 私の技ではない。物は言いようとはいえ、所詮は見様見真似。猿真似以下のゴリ押しに過ぎない。

 それでも、再現されたソレは、腐っても『窮極の殺人剣』と称された技。たかが肉体を借りるしかできないカスに、その光速すら超越する斬撃を回避するなど不可能だ。

 蒼黒の軌跡が迸る。喉にあるのだろう生命維持の核である妖魔の本体部分と、抵抗する為に必要なセイクリッド・シルヴィアの肉体の全てが一瞬にして細切れになり、刻まれた全てが蒼黒の灼熱に包まれる。自切はもう意味を成さないだろう。

「ああああああああぁぁぁ!!!! こ、こんな…………こんな変身ヒロインもどきにィ!!!! ────…………ああ、そうだ…………おまえ…………知ってるぞ…………さいきん、ギャスヴァーをころした…………全身真っ黒の、変身ヒロイン…………それにブラスト・シルフィーネに寄生したホグゥにぃを殺した、蒼い炎ッ…………!!!!」

 消え去って行く。今は亡き、セイクリッド・シルヴィアの肉体と共に。

「ゆる、さんぞ……………………!!!! ぜったいに…………おまえは!! 『あのお方』が!!!!」

「くどい。消えろ」

 蒼炎を瞬間的に膨張させた爆風。それによって、消えかけの妖魔は今度こそ完全に焼失した。

 妖魔が消滅したためか、辺りにほんのりとした薄暗い影を落としていた人払いの結界らしきものが消え去り、辺りにポツポツと人の気配が現れはじめる。そもそも普段の活動時間が深夜帯という人目につかない時間であるのに反し、今回はまだゴールデンタイムの真っ最中である。この格好を大量の人目に晒すのは色々とめんどくさい。

「…………にしてもアイツ、最期にちゃっかり悪役っぽい役割だけ綺麗にこなしちゃってまあ。クソ真面目甚だしいことで。『あのお方』とか言ってやんの」

 黒幕なのかどうなのか、果たして。勧善懲悪シミュレーションに興味などないので、大悪党との対峙など裏方の私としては特に知りたくもなかった情報なのだが。そういうのはキラキラした真っ当な変身ヒロインがやればいい。私の知ったことではない。

 用事が済んだので変身を解く。変身とは言っても、先述した上位存在とやらが勝手にこの形に変質しているだけであって、どうしろとか指定は別にしていない。この街由来の変身ヒロインを生み出している諸悪の根げ…………マジカル不思議パワーとは特に関係もないので、まあ、あの妖魔が言った『変身ヒロインもどき』というのはその通りなのである。文句を言われたところで私にどうしろと言うのか。あんな小っ恥ずかしい格好をどうにかする手段があるならこっちが寧ろご教授願いたいくらいだ。

「…………はあ、後味最悪。勤労に感謝感激って感じ」

 適当に独り言を呟きながら、私は大人しく自身の住居のある反対方向の道へと歩き出した。この為にわざわざここまで帰宅中の女子高生を装ってテクテク歩いてきたのが今更になってバカらしく思えてきたが……まあ、出来る事があったのだし、全く無駄と唾棄することもないだろう。

「……ああ、そうだ」

 変身の際にどうやって消えてどうやってまた現れたのかも既に全く追求する気の起きない、自身が纏っているパーカー。そのポケットからミルク味の飴玉を一つ取り出し、近場のやや形が歪んだ電柱の傷へはめ込む。セイクリッド・シルヴィアの力の気配が残っているので、恐らく彼女が死に際の抵抗で放った攻撃にでも当たったのだろう。墓標と言うには寂しいが────まあ、仕方あるまい。

「…………」

 口から零れかけた言葉を飲み込む。

 無責任であり、偽善だ。そんな言葉を口にしたところで、それはどう足掻いても最期まで誇り高く生きた彼女の意思を無視した自己満足に成り下がる。

 ただ、捧げ、祈る。ズルい奴が笑う、そんな世界の中で、その最期がどれだけ酷悪さに塗り潰されようとも。私が記憶しているだけで、彼女の多大なる優しさが齎した故のその死は、決して間違った選択の上に成り立つものではなかったことの証明になるのだから。

「────月天聖装、セイクリッド・シルヴィア」


 誇り高き、愛と正義の使者の名前。

 それを、私は生涯、きっと忘れはしないだろう。




プロローグ:完

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