第29話 Saturday Night Clash

「そうだ、夏子、ちょっと寄り道していいかな?」

 冬馬はショッピングモールの中のある店の前で立ち止まった。その店は以前、夏子と一緒に入ったアクセサリーショップだった。


(あ……、これって、もしかして?)

 夏子は何となく察したようだった。ちょっと予想していなかった事で、夏子の胸は張り裂けそうだった。

「夏子、ちょっと来て」

 二人はショップの中に入る。冬馬が目指したのは、リングを扱っているコーナーだった。色々な種類のリングが並んでいる。その中で冬馬が一つのリングを選んだ。シンプルなリングで、ちょっとした模様が入っているだけのものだった。値段的にもかなり安いものだ。これは以前、夏子と一緒に来た時に、自分でも気に入っていたもの。


「やっぱりお揃いのものが欲しくてね。安いものしか買えないけれど、これでいいかな?」

「冬馬くんとお揃いなら、なんだって構わないよ。お揃いのリング……、嬉しい」

 夏子の目から涙が溢れそうだった。こんなにも自分の事を思ってくれるなんて……。

「いきなり渡して驚かせようとも思ったけど、サイズがわからなかったからね。丁度いいのを選んでみて」

 夏子は、にこやかな顔をして自分のサイズに合ったリングを選んでみる。冬馬とのお揃いのリング、やはり嬉しいものだ。

「これがピッタリだったかな」

 冬馬のものと夏子のもの、二つを持って会計を済ます。一応、保存用のケースも一緒に購入するが、すぐに身に着けたいと思い、めてみる。うん、なかなかいい感じだ。これなら職場に嵌めて行っても文句は言われないだろう。


「冬馬くん、ありがとう……わたし嬉しいよ……」

 店を出た夏子は、目に涙を浮かべている。別に婚約指輪のつもりではないけれど、二人で一緒のものを身につけたかった。一体感が欲しかったんだろうと、冬馬は思っている。

「ねぇ冬馬くん、ちょっと手を繋いでもいい?なんか、そうしたい気分なの♡」

 夏子の頼みに冬馬はそっと手を握った。夏子は顔を赤くしながら握り返してきたり、離したりを繰り返して遊んでいる。

(何気ない事だけど、本当に可愛いな、夏子は)

 と冬馬は、心の中で叫んでいる。確かに安い指輪だけれど、2人の指の指輪を見て幸せを感じているのもまた事実だった。


 ……………………


 今日の晩御飯は、九州の物産展で買ってきたものだった。まずは宮崎の肉巻おにぎり、そして長崎の角煮まん。これらは物産展があればよく購入している、冬馬のお気に入りの品だった。

「ここの肉巻おにぎり、老舗だけあって美味しいんだよなぁ」

 肉巻きおにぎりはB級グルメとして、よくイベントの屋台で売られていたりするが、老舗のものは、やはり格が違うというか丁寧な仕上がりで手が込んでいる。本当は出来立てのものを食べたいのだが、まぁこれは仕方ないか。

「初めて食べたけど、これ美味しいね」

 少々味が濃いのがどうかと思っていたが、夏子にも満足してもらえたようだ。うん、良かった良かった。


 角煮まんも、具の角煮が大きくて食べ応えがあった。具材が小さかったりするものが多い中で、購入したものは角煮の肉が大きかったのが良かった。勿論、味も文句なかったものだ。

 更に鹿児島のさつま揚げと辛子蓮根もおかずに食べてみる。食事のバランスとしては目茶苦茶かもしれないけれど、まぁたまにはこういうのもいいのではないか。

 他にも宮崎の冷や汁の素とかも購入しているが、これはまた別の機会に食べようと思っていた。九州の物産、久しぶりに堪能出来たと思う。


「ごちそうさま。冬馬くんって色々な名物知っているよね」

「ああ、こういうの調べるの好きだからなぁ。また別の地方の物産展あったら、一緒に行こうか」

「うん、楽しみにしている」

 好きな人と楽しく会話をして、一緒に美味しいものを食べる事が出来て、夏子は、とても上機嫌だった。



「さっき撮った写真、美里ちゃんにも送ってみよっと」

 昼間に偶然会った後輩の安藤さんとは、すっかり仲良しになったようだった。

(知らないうちに自分の事、夏子に言いそうで怖いなぁ)

 冬馬は戦々恐々としている間、夏子は安藤さんとのやり取りを続けていた。

「え、安藤さんって彼氏いるんだ?ちょっと意外。ふうん、まだ付き合い始めたばっかりかぁ」

「え、そうなの?全然知らなかったなぁ」

「まぁ、まだ付き合いたてらしいけどね。それで今度、よかったらダブルデートしようだってさ」

(やべっ……俺の事ペラペラ喋りそうだなぁ)

 冬馬は冷や汗を流していた。そんなやりとりをよそ目に夏子は楽しく過ごせているようで良かったと思うのだった。



「明日で一度家に帰るわけだけど……」

 安藤さんとのやり取りも終わり、夕食の後片づけを終えた夏子が口を開いた。

「我儘言って、何日も泊めてくれてありがとう。それだけじゃなくて、お父さんたちを説得する為について来てくれるし。冬馬くんには感謝の気持ちしかないよ。本当にありがとう」

「いや、そんな大した事はないから。夏子と一緒にいたいから泊めたわけだし。それにね、ずっと一緒にいたいと思っているからついていくんだ。これからの為にも、話を拗らせないでね」

「冬馬くん……」

 夏子は冬馬に抱きついて来る。そしてどちらからでもなくキスをする。でもこれ以上の事はしない。ここから先は結婚が決まってからだとの強い意志は、未だに冬馬の中にはある。頑固だの石頭だのと言われようとも、冬馬はその意思を貫くだろう。我ながら難儀な性格なんだなぁと。


「お風呂用意するから、先に入っていてね。わたしも時間が来るのを待っているから」

 夏子はそう言うが、実際は『背中を洗ってあげるから』と乱入する予告でもある。何日か続いたので、もう諦めている。どうしても裸の女性には慣れないというか、恥ずかしい。そしてこの後も、夏子は予告通りに乱入して冬馬の背中を洗って去っていくのだった。それ以上の事は、冬馬によって止められているからだけれど。


「少し早いけど、もう寝ましょう。全ては明日の為にね」

 いつも寝る時間よりも随分と早い時間だけれど、明日の事を考えるとなかなか寝れないだろう。少し早く横になるのも悪くはない、そう思って冬馬と夏子は二人並んで横になる。気恥ずかしさもあり、冬馬は隣の夏子を真面には見れないでいるのだが。

 取り留めもない話をしている間に、いつの間にか夏子は寝息を立てている。この状況でよく眠れるなと冬馬は感心している。当然、冬馬は暫く眠れそうもない。色々と余分な事を考えながら、土曜日の夜は更けていくのだった。



 ○○○○


 今回の話のタイトルは、敬愛するPANTAのアルバム『浚渫』に収録されている『Saturday Night Clash 夜霧に消えた青春』という曲から拝借しました。冬馬が夏子にお揃いのリングを買うシーンを書いている時に頭に浮かび、結構このシーンに合うんじゃないかって思い、タイトルにしてみたものです。このアルバム、派手さはなくてもいい曲が揃っているので、個人的には好きだったりします。spotifyとかでも聴く事は可能ですので、よろしかったら聴いてみてくださいね。


 https://www.youtube.com/watch?v=2nZK2L_f83I

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