第七章 「揺れだす走査線」

五月の柔らかな日差しが映画部の教室に差し込み、古びたアルミ製の窓枠がかすかにきしんだ。その音は、これから始まる未知の冒険を予感させるかのようだった。渡橋川瀬は、その音に耳を傾けながら深呼吸した。

胸の中で期待と不安が渦を巻いている。


「mark5.10」の企画書と塚本の書いた第1稿の台本を広げる渡橋の手に、微かな震えが走った。紙の端が少し折れ曲がっているのが気になったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

彼の心は、これから説明しようとしている新しい撮影方法への期待と不安で満ちていた。

「えーと、『mark5.10』の内容についてもう少し詳しく説明します」

渡橋の声には緊張が滲んでいた。喉の奥がカラカラに乾いているのを感じながら、声を絞り出す。

部員たちの視線が一斉に彼に集中し、その重さに少し身を縮めそうになる。

「主人公の椿山翔真は写真に情熱を持つ高校2年生。自信がなくて悩みながらも、仲間とともに写真甲子園に挑戦していく...」


説明を続ける渡橋の言葉を、突然開いたドアの音が遮った。DECISIONUTSのメンバーたちが静かに入室してきた。

土井を先頭に、坂元、小林、北浦、宝持が続く。その存在感に、教室の空気が一瞬凍りついた。

濱本と田中の表情が強張る。過去の記憶が脳裏をよぎる。去年の対立、そして彼らの過ち。全てが鮮明によみがえった。

一方、塚本は困惑した表情で、渡橋とDECISIONUTSメンバーの間を視線で行ったり来たりしていた。

渡橋は説明を中断し、DECISIONUTSのメンバーたちに向かって軽く頭を下げた。「あ、ちょうどいいところに...」


土井が一歩前に出て、渡橋の言葉を遮った。「私から説明しよう」


威厳のある声が教室に響く。「我々DECISIONUTSは渡橋君の新しい作品をサポートする。去年の事は水に流そう。新しい挑戦に向けて、共に頑張ろう」

その言葉の裏に隠された複雑な感情を、渡橋は敏感に感じ取った。

坂元が「技術面でのサポートは任せてください」と業務的に言い、小林も「演出のアドバイスならお手伝いできます」と続いた。

北浦は「音楽面での協力も惜しみませんよ」と態とらしく付け加えた。

渡橋は複雑な思いを抱きながらも頷いた。

「ありがとうございます。皆さんの力を借りられて心強いです」


しかし、その言葉とは裏腹に、渡橋の心の中では不安が渦巻いていた。(本当に上手くいくのだろうか。自分たちの作品が変わってしまうのではないか)

土井は台本をめくりながら言った。「塚本君、この台本を君が書いたんだね。なかなか良い出来だ」


塚本の顔が明るくなった。「ありがとうございます!」


土井の目に何かが宿ったように見えた。

渡橋は、この機会を逃すまいと勇気を振り絞った。


「あの、撮影方法について新しい提案があります」


全員の視線が一斉に渡橋に向けられた。

教室の空気が一瞬で張り詰めた。


「ずっと考えていたんです。自分の求めるリアリティーを出せる方法を...今回はモキュメンタリー形式で撮影したいんです」


「モキュメンタリー?」土井の眉が上がった。


濱本が首を傾げて尋ねた。「モキュメンタリーって何?聞いたことないぞ」

田中も「初めて聞く言葉だな」と付け加えた。

渡橋は深呼吸をして説明を続けた。

「モキュメンタリーは、ドキュメンタリーを装ったフィクション作品のことで『モック(偽の)』と『ドキュメンタリー』を組み合わせた造語なんだ」

渡橋は、自分の声が少し震えているのを感じながら続けた。

「具体的には、台本は大まかな流れだけ決めて、セリフは即興で...演者には細かい指示を与えず、その場の状況に応じて自然に振る舞ってもらう感じで・・・」


教室の空気が変わった。

メンバーたちの表情に戸惑いと興味が混ざっている。

土井の表情が曇った。

「それは...難しいんじゃないか?」


渡橋は必死に言葉を紡ぐ。「確かに難しいかもしれません。でも、きっと面白いものができると思うんです。自分たちの素の反応や感情が作品に反映されて...より深いリアリティが生まれるんじゃないかと」


渡橋の目に決意の光が宿った。「この手法を使えば、写真甲子園に挑戦する高校生たちの姿を、より生々しく、より真実味を持って描けると思うんです」


土井は腕を組み、深く考え込んだ。教室に重い沈黙が落ちる。


そのとき、坂元が口を開いた。

「面白そうじゃないですか。新しい挑戦になりますよ」


小林も続いた。「確かに難しそうだけど、やってみる価値はあると思います。予想外の良いシーンが撮れる可能性もありますしね」


北浦は少し懐疑的な表情を浮かべながらも、「音楽面での工夫も必要になりそうですね。即興的な演技に合わせて、その場で音楽を作り出すことも考えられます」と言った。

宝持は黙ったまま、ただ頷いていた。

土井は深いため息をついた。「確かに面白そうだ。でも、それだけリスクも高い。本当にやる気があるのか?」


渡橋は真っ直ぐに土井の目を見つめた。「はい。自分の全てを懸けてやりたいんです。この方法なら、写真を通じて成長していく高校生たちの姿を、より真実味を持って描けると信じています」


その言葉に、土井の表情が和らいだ。「わかった。やってみよう」

渡橋の顔に安堵の表情が広がる。しかし同時に、新たな挑戦への不安も心の中で膨らんでいった。

土井は、そんな渡橋の表情を見逃さなかった。「ただし、ハードルは高いぞ。覚悟はいいか?」


渡橋は力強く頷いた。「はい。後悔はしたくないので」

その言葉に、教室の空気が一変した。緊張感は和らぎ、代わりに新たな決意と期待が満ちていった。

「それと、主演は僕がやります」渡橋の声が、静かだが力強く響いた。


全員の視線が、再び渡橋に集中した。土井の目が大きく見開かれる。

「渡橋君が?」土井の声には、驚きと懸念が混ざっていた。

渡橋は頷いた。「はい。モキュメンタリー形式で撮るなら、主演も監督も兼ねた方が良いと思うんです。自分の感覚を直接作品に反映させられますから」

土井は長い間黙っていた。その沈黙は、教室全体を包み込んでいた。やがて、土井はゆっくりと口を開いた。


「わかった。君の覚悟は伝わった」

その言葉に、渡橋の胸に温かいものが広がった。同時に、これから始まる未知の冒険への期待と不安が、彼の全身を駆け巡った。


渡橋が頷くと、土井は続けた。

「じゃあ、女子高生の出演者も必要だな。濱本、田中。お前たち、適任の子を探してこい」

濱本と田中は、突然の指示に戸惑いの表情を浮かべた。「え?俺たちが?」

土井は微笑みながら言った。「そうだ。お前たちのふしだらな人脈を生かしてな。これも大事な仕事だ。それと、運が良ければタダで北海道旅行ができるとでも言っておけ」

濱本達は首を傾げた。「北海道旅行ですか?」

渡橋は説明を始めた。「ああ、全国高等学校写真選手権大会、通称『写真甲子園』というのがあってな。6月17日が締め切りの初戦に、このモキュメンタリーで制作する組写真を実際に応募してみるつもりだ」


塚本の目が輝いた。「それは面白そうですね。具体的にはどういった...」

土井が説明を始めた「初戦では4枚から8枚までの組写真をテーマに沿って作り上げる。テーマは自由だ。勝ち抜けば、本戦は北海道の東川町で行われる。つまり、タダで北海道に行けるというわけだ」


渡橋は深く考え込んだ。モキュメンタリーを採用するという事は、これは単なる映画制作ではなく、実際の写真への大会への挑戦にもなる事のより現実味を帯びた目標ができたことで、彼の中で何かが変わった気がした。


「写真甲子園も目指します」渡橋の声に力強さが宿った。

土井は満足げに頷いた。


渡橋は一瞬、自分の役割の多さに圧倒されそうになった。

監督、主演、そして写真甲子園の作品作り。

それらを同時にこなすのは並大抵のことではない。

その時、坂元が前に出て来た。

「おい、渡橋。撮影データ、俺に渡せよ。メインの編集は俺が担当する」

渡橋は驚いた顔で坂元を見た。「坂元...本当か?」

坂元はにやりと笑った。

「ああ。去年の文化祭の時もそうだっただろ?お前が撮って、俺が編集する。あの時みたいにやろうぜ」

渡橋の表情が和らいだ。

確かに、これまでも二人でも何度も作品の編集作業には長い時間の共有してきた。

高校に入学して以来、映画部で一緒に汗を流してきた仲間だった。

「そうだったな...」渡橋は懐かしそうに笑った。

「でも、今回はモキュメンタリーだぞ。今までとは違うんじゃないか?」

坂元は自信ありげに答えた。

「大丈夫だって。実はな、俺、最近ドキュメンタリー作品にハマってるんだ。特にフレデリック・ワイズマンの作品とか12 時間以上もある宮崎駿監督の作品作りに迫るドキュメンタリーだって見たさ」

渡橋の目が輝いた。「マジか!それは凄いな。確かにお前なら...」

「任せとけって」坂元は親指を立てた。

「お前の描くイメージを、俺なりの解釈で表現してみせるよ。高1の頃から一緒にやってきただろ?今回も絶対成功させようぜ」

渡橋は深く頷いた。

「ああ、頼むよ。撮影データは随時全部渡す」

土井も満足げに頷いた。「それは良いアイデアだ。渡橋は撮影と演技に集中し、編集は坂元に任せる。きっといいものになるだろう」


その言葉に、渡橋は心強さを感じた。同級生で親友の坂元との二人三脚。監督、主演、写真家としての役割。それぞれが重なり合い、新たな可能性を生み出すかもしれない。そう思うと、これからの撮影が待ち遠しくなった。

「よし、じゃあ具体的な撮影計画を立てよう」渡橋の声に、新たな決意が感じられた。

「よし、決まりだな。さあ、具体的な撮影計画を立てよう」

渡橋は、その言葉に少し不安を覚えた。(大丈夫だろうか...)


しかし、その不安を振り払うように、渡橋は決意を新たにした。モキュメンタリー形式での撮影。それは未知の領域への挑戦だ。

渡橋は窓の外を見た。夕暮れの空が、オレンジ色に染まり始めていた。その光景は、彼らの前に広がる未知の冒険を象徴しているようだった。

「よし、じゃあ具体的な撮影計画を立てよう」渡橋の声に、新たな決意が感じられた。


教室は突如として活気に満ちた。DECISIONUTSのメンバーたちが、それぞれの専門分野からアドバイスを投げかける。塚本は熱心にメモを取り、時折質問を投げかけている。濱本と田中も、渋々そうだが少しずつ積極的に意見を出し始めた。


その光景を見ながら、渡橋の胸に温かいものが広がった。これが、彼らの新しい一歩なのだ。


しかし同時に、渡橋の心の奥底では、かすかな不安も渦巻いていた。モキュメンタリー形式での撮影。果たして自分たちに本当にできるのだろうか。そして、土井先輩達との協力。本当に上手くいくのだろうか。


夜が更けていく中、映画部の教室は熱気に包まれていた。かつての確執を乗り越え、新たな物語を紡ぎ出そうとする彼らの姿は、まさに青春そのものだった。


渡橋は窓際に立ち、夜空を見上げた。窓ガラスに映る自分の顔が、どこか他人のように感じられた。その顔には、期待と不安、そして決意が入り混じっていた。

「大丈夫か?」

土井の声に、渡橋は我に返った。振り向くと、土井が心配そうな表情で彼を見つめていた。

「あ、はい...大丈夫です」

渡橋はそう答えたものの、自分の声が遠くから聞こえてくるような感覚に陥った。


土井は、じっと渡橋の目を見つめた。「モキュメンタリーは両刃の剣だ。現実と虚構が交錯する中で、思いもよらないことが起きるかもしれない。その覚悟はあるか?」

渡橋は黙ってうなずいた。しかし、その瞬間、彼の背筋を冷たいものが走り抜けた。


教室の空気が、突如として重くなる。メンバーたちの笑い声や議論の声が、どこか現実離れして聞こえ始めた。

まるで、彼らが既に虚構の世界に足を踏み入れてしまったかのように。


渡橋は深呼吸をして、再び仲間たちの輪の中に戻っていった。未知の冒険が、今まさに始まろうとしていた。しかし、その冒険が彼らをどこへ導くのか、誰にも分からない。


夜も更けゆく頃、議論は佳境に入っていた。渡橋は黒板の前に立ち、モキュメンタリー形式での撮影方法について詳しく説明していた。


「基本的な流れだけを決めて、あとは現場での即興を大切にします。例えば、主人公の翔真が写真部の仲間と議論するシーンでは、実際にカメラを回しながら、本当の議論をしてもらうんです」

渡橋の声には熱が籠もっていた。


塚本が手を挙げた。「でも、そうすると折角書いた脚本はどうなるんですか?」


渡橋は少し考えてから答えた。

「脚本は、大まかな道筋を示すものになるよ。大丈夫、俺はできる限り台本通りになるように立ち回るから、そのための主演でもあるし」


土井が腕を組んで言った。「つまり、渡橋君以外の役者たちには基本台本を渡さないということか」

「はい」渡橋は頷いた。

「そうする事によって、主人公の行動や状況の変化に対しての自然な反応を引き出せると思うんです」


教室の空気が、期待と不安で満ちていく。

これまで誰も経験したことのない撮影方法に、皆が戸惑いながらも、新たな可能性を感じ始めていた。


しかし、濱本と田中の表情はまだ曇ったままだった。「俺たち、演技とか・・・そもそもガチでは作りたくねえよ・・・」濱本が愚痴っぽそうに呟いた。


その言葉を渡橋は聞かなかったフリをしたが、心の片隅では不安が渦巻いていた。

(本当にこれでうまくいくのだろうか。自分は本当に主演と監督を両立できるのだろうか)

その時、土井が渡橋の肩に手を置いた。

「渡橋君なら、きっと大丈夫だ。1人でない事を忘れるな」

その言葉に、渡橋は勇気づけられた。

しかし同時に、土井の目の奥に潜む何かが、心に引っかかった。

それは期待なのか、それとも...

夜も更けて、メンバーたちが帰り支度を始める中、渡橋は一人、窓際に立っていた。夜空に浮かぶ三日月を見上げながら、これから始まる未知の冒険に思いを馳せる。


渡橋の心に、決意が固まっていった。

しかし、その決意の影に、かすかな不安の影が忍び寄っているのを、彼はまだ気づいていなかった。


教室の扉が閉まり、最後の足音が廊下に消えていく。


静寂が訪れた教室で、古びたビデオカメラのレンズだけが、まだ無言のまま光っていた。それは、これから始まる物語の証人となるかのように。


それは5月2日の出来事だった。


“写真甲子園初戦の締切まで後46日”

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Actually fiction 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

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