第六章「決意の瞬間」

大阪環状線の車内。夕暮れ時の柔らかな光が、窓ガラスを通して車内に差し込んでいた。渡橋川瀬は、揺れる車両の中で、自分の家に向かう途中だった。しかし、彼の心は激しく揺れ動いていた。


(このまま帰っていいのだろうか...)


渡橋の手には、自分が高校生活と共に長い時間を過ごしてきた「mark5」関連の構想を書いたノートがあった。その重みが、彼の決断を迫っているようだった。


車窓の外を流れる景色を見つめながら、渡橋は思い返す。部室での塚本の真剣な表情。濱本と田中のいい加減な態度。そして、映画部の危機的状況。


(ダメ元でも土井先輩に頼むべきだろうか...)


渡橋の心の中で、迷いと決意が交錯する。環状線の車内アナウンスが、次の駅名を告げる。それは、土井の家がある駅だった。


渡橋は深呼吸をし、立ち上がった。この瞬間、彼の中で何かが変わった。迷いは消え、強い決意に変わっていた。


「行くしかない」


彼は呟くと、ドアに向かって歩き出した。

電車が駅に滑り込む。ドアが開く。渡橋は、迷うことなくホームに降り立った。


土井家に向かう道すがら、渡橋は自分の言葉を整理していた。どうすれば土井を説得できるか。どうすれば映画部を救えるか。


そして、土井家の豪奢な門構えの前に立つ。

渡橋は再び深呼吸をし、チャイムを押した。


ドアが開き、土井の姿が現れる。


「どうした?こんな時間に」土井の声には、わずかな戸惑いが混じっていた。


渡橋は部屋に入り、決意を固めて切り出した。「先輩、映画部のことで相談があって...」


土井の表情が一瞬硬くなる。彼は窓際に戻り、庭の手入れの行き届いた松を見つめながら答えた。


「さすがにそれは出来ないな」


渡橋は、その言葉に一瞬たじろぐも、諦めきれない思いで食い下がる。「そこを何とか出来ませんかね?」


土井は、ゆっくりと振り返り、渡橋をまっすぐ見つめた。「ダメだ、こっちはこっち。あっちはあっちだ。第一、あの2人のせいでこうなったんだし、あの場所に希望はない。みんなもそう言うだろう。あんな部に肩入れするのも、いい加減辞めろ」


渡橋は、必死に言葉を絞り出す。「しかし、このままでは映画部が...」彼の声には、かすかな震えが混じっていた。


土井は、深いため息をついた。「私はもう過去の人間だ。渡橋君には悪いが、私は自分の好きだったものが跡形もなく消えるのを見たくない。とりあえず今日はもう帰れ。また明後日な」


渡橋は、何か言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。仕方なく部屋を出る彼の背中には、土井の複雑な視線が注がれていた。


次の日、映画部の部室。夕方の柔らかな光が窓から差し込み、埃っぽい空気を金色に染めていた。


塚本がパソコンに向かい、キーボードを叩く音が静かに響いていた。彼は「mark5」の企画書を元に、脚本を書き上げようとしていた。

時折、渡橋に目線を向け、確認を取りながら作業を進めていく。


「先輩、出来ましたよ」塚本の声に、渡橋は我に返った。

「お、おぅ。初めてなのに凄いな」渡橋は驚きと共に、かすかな希望を感じた。


渡橋は台本を手に取り、目を通し始める。そこには、高校の写真部を舞台にした青春ドラマが描かれていた。

廃部の危機、部員たちの葛藤、そして成長の物語。渡橋は、その展開に自分自身の姿を重ね合わせずにはいられなかった。


しかし、その瞬間、濱本の声が彼の思考を遮った。

「けど、これ面白いのか?難しすぎるぞ」

田中も退屈そうに言う。「それ以前に凄いめんどくせぇ事するなぁ...」

濱本は、からかうように付け加えた。「絶対、渡橋先輩がスクールアイドルになる方が...」


渡橋は、その言葉に胸の奥で何かが締め付けられるのを感じた。同時に、濱本のいい加減さに呆れを覚える。(また、こいつは...)渡橋は内心で溜息をつく。彼の目には、濱本への失望と諦めが浮かんでいた。


しかし、塚本の真剣な表情を見て、彼は決意を新たにする。若い後輩の熱意が、渡橋の心に火を灯したのだ。


しかし、塚本の真剣な表情を見て、彼は決意を新たにする。若い後輩の熱意が、渡橋の心に火を灯したのだ。


渡橋は、塚本に向き直り、小さく咳払いをした。「塚本、この企画、すごくいいよ。」


塚本の目が輝いた。「本当ですか、先輩?」


渡橋は頷き、少し考え込むような表情を浮かべた。「ただ、このプロジェクト名...『mark5』じゃちょっと物足りないかな。」


「どういうことですか?」塚本は首を傾げた。


渡橋は、机に置かれたパソコンの画面を見つめながら言った。「俺の企画を君が脚本化して、新しい形になったわけだろ?それを表現したいんだ。」


塚本は考え込んだ後、突然顔を上げた。「じゃあ、『mark5.10』はどうでしょうか?元の企画から一歩進んだという意味で。」


渡橋の顔がパッと明るくなった。「それだ!その名前、いいね。」


二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。その瞬間、部室の空気が少し変わったように感じられた。新しい挑戦への期待が、二人の間に満ちていた。


「よし、これから『mark5.10』として進めていこう。」渡橋の声には、新たな決意が感じられた。


塚本は力強く頷いた。「はい、頑張ります!」


その夜、渡橋は自室で「mark5.10」の脚本を読み返していた。塚本の熱意が込められたその物語に、彼は自分たちの姿を重ね合わせていた。


(やはり、もう一度チャンスを...)


翌日、渡橋はコンビニに立ち寄った後、再び土井の家に向かった。彼の手には、ホッチキスで止められた台本があった。


土井家の前で立ち止まった渡橋は、その豪華な門構えに一瞬たじろぐ。しかし、深く息を吐き出すと、決意を固めるように、台本をポストに滑り込ませた。


その日の夜、土井は驚きの表情でその台本を読んでいた。最後のページに「1-3 塚本」という署名を見て、彼の目が大きく見開かれる。

迷った末、彼は渡橋に電話をかけた。


数日後、DECISIONUTSの会議が土井の部屋で行われていた。和風の調度品が並ぶ広々とした部屋に、メンバーたちが集まっている。坂元が進捗状況を報告し、メンバーたちがうなずいている中、渡橋は落ち着かない様子だった。


突然、渡橋が口を開いた。「すいません!」


土井が驚いて尋ねる。「どうした?」


渡橋は、決意を固めたように話し始めた。「現在、映画部の方で写真部が題材の短編映画を制作しているのですが...それの制作に現在の映画部の状況ではとても...」彼の声には、懇願と同時に強い決意が感じられた。


北浦が遮る。「まて、手伝えというのか」


坂元も反対の声を上げる。「いやいや、そもそもあいつらの態度にカチッと来て決別したというのに...」


宝持は時間的な問題を指摘する。「せっかくここまで来て、流石に時間がない」


土井は、深く考え込んだ表情で言った。「みんなの言うことも分かるが...渡橋君の言うこともすごく分かる」彼の目には、かつての映画部での日々が蘇っているかのような輝きがあった。


渡橋は、必死の思いで頭を下げた。「なんとかなりませんか...よろしくお願いします」彼の背中には、映画部の未来がかかっているという重圧が感じられた。


土井は、長い沈黙の後、決断を下した。「こっちは完成寸前だ。そもそも渡橋君は無償でうちを手伝ってくれている立場だ。恩を返すチャンスじゃないか」


渡橋の顔が明るくなる。「ありがとうございます!」その声には、心からの喜びが溢れていた。


しかし、土井はすぐに付け加えた。「ただ、条件もある」


「はい?」渡橋の表情に、一瞬の緊張が走る。


「監督は渡橋君、我々は口出しをしない。あくまで支援の立場だということを忘れずに」土井の目には、渡橋への信頼と期待が宿っていた。


渡橋は、感謝の気持ちを込めて答えた。「ありがとうございます!」


DECISIONUTSのメンバーたちは、渋々ながらもその条件を受け入れた。彼らの表情には、複雑な感情が浮かんでいたが、同時に新しい挑戦への期待も感じられた。


会議が終わり、渡橋は夜の街を歩きながら、これからの展開に思いを巡らせていた。「mark5.10」という新しいプロジェクト名が、彼の心に希望の光を灯していた。


彼は、塚本が懸命に脚本を書いている姿を思い出す。パソコンに向かい、真剣な表情で原稿を打ち込む塚本。時折、渡橋に確認の目線を向ける姿。その熱意が、渡橋自身の創作への情熱を呼び覚ましていた。


(これが、新しい物語の始まりなんだ)


渡橋は、空を見上げた。夜空に、一つの星が瞬いていた。それは、新たな希望の光のようにも見えた。


彼は深呼吸をして、歩みを進めた。これからの道のりは決して平坦ではないだろう。しかし、今の彼には、それに立ち向かう勇気があった。


渡橋の心の中で、新たな決意が芽生えていた。それは、「mark5.10」の主人公のように、自分自身と向き合い、前に進もうとする決意だった。


夜が更けていく中、渡橋の足取りは軽やかだった。それは、新しい物語の幕開けを告げる足音のようだった。大阪の街の喧騒が、彼の決意を後押しするかのように響いていた。


そして、夜が明けようとする頃。

早朝の大阪環状線。

まだ薄暗い空の下、静寂が支配する線路上で、一つのポイントがゆっくりと動き始めた。

金属が軋む音が、静かな空気を切り裂く。


その瞬間、運命の針が微かに揺れ動いたかのようだった。


線路は、新たな軌道へと向きを変える。

それは、誰も予想しなかった未知の目的地へと続いていくかのようだ。


朝靄の中、その新しい軌道は、まだ見えない未来へと伸びていった。

それは、彼らの青春と創造の軌跡が、予期せぬ方向へと歩み始める瞬間であり

新しい物語の幕開けの始まりの音だった。

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