十五 憶測 壱

 ◆◇◆◇◆


 資料には、先帝の死はの服用による突発的な心停止と書かれていた。当時、舜は十四歳で即位後すぐに政務に取り組んでいる。何も知らぬ子供ではなかったはずだ。


「都合の悪い死はな、隠匿される。病という都合の良い言葉でな」


 隋徳の言葉は、皇宮で生きた者の重みと禍々しさがあった。

 流麗は考えを巡らせるように、口の中で思ったままの言葉を反芻する。


「病、衰弱死、薬、毒……」


 その時、流麗の脳裏に舜の言葉が浮かぶ。


『余を幼き頃より守っていてくれた者』


 流麗はこの言葉を、単純に丹州との繋がりと位置付けていた。だが、医官として幼き頃よりも側にいたのだとしたら。

 当時の舜の立場は、朱貴嬪きひんの子であり、第二皇子。十分に、第一皇子の脅威になり得る人物であり、皇后が敵意を向けるには十分だったのでは無いだろうか。


『その殆どが趙皇后による毒殺とも考えられている』


 舜の中では皇后の非道な姿がはっきりとあったのでは無いだろうか。御子達の死が懐疑的ながらも、皇后が関わっているなどという言葉は確信的な何かがなければ、当時の皇后が全ての御子を毒殺していたなどと安易に語らないのではないだろうか。死人に口なしとは言え、それ相応の恨みが舜の中にもあるのだとすれば尚更に。

 

 流麗の目が一つ所へと移動する。今も存命でありながら、心に闇を抱えたお方。同時に、流麗はぽそりと言葉を溢す。

  

「皇后陛下の毒殺という話はどこから出たと思いますか?」  


 思いつきのような口振だったのにも関わらず、隋徳に顔は強張り押し黙る。答えたくない――いや、答えられないのか。だが、それこそが答えなのだろう。だが、何を思ったか。固く引き結んだ口が言葉を選ぶようにゆっくりと動き始める。


「陛下が、そなたを此処へ寄越した事には意味があるだろう。私を同行させた事にもな。陛下の考えこそ読めないが、何か決意をされたのだろう」


 隋徳は再びゆっくりと立ち上がる。長く座っているからか、その腰を支えるように腰に手を回しながらも、一つの書棚からまた資料を一つ手に取った。

 深く、深くため息を吐いて、流麗へと差し出したそれ。


「これは?」

「当時の第一皇子の診療記録と、剋帝陛下の診療記録だ。これに、真実が記されている」


 その上に、隋徳は儒帝の記録を上に載せ、更にその上に、もう一人。


 流麗の視線は、自然と新たに現れた名前へと落ちる。


 ――しょう第一皇子


 

 ◇◆◇◆◇



 その日、流麗は再び耀光宮へと戻った。そちらに部屋が用意されたというのもあったが、皇帝陛下が帰ってくる場所でもある。その日も顔を合わせるようにと言われたのもあった。舜は、公務が長引けば食事は執務室で食す事が殆どで、しかも二日に一回は妃嬪達と顔を合わせる為に後宮で夕餉を共にする。その為、耀光宮は無駄に広い寝るだけにある家、とも言えた。


 しかし、流麗が現れた事により、その流れが狂ってしまったのも事実である。

 どうにも舜から『夕餉は耀光宮で』、と伝達があったらしく部屋で休んでいた流麗に食事の時間はしばらく後だと女官の一人が伝えにきた。

 その女官の顔も、困惑が透けて見える。

 二日連続、耀光宮で食事をするという事にではなく、皇帝の家に泊まらせている客人でもない女と食事をする為に皇帝陛下がお帰りになる。それが、どうにも気に掛かっているようだった。


 ――あまり良しとしない状況ですよねぇ


 流麗自身も、妃嬪達を敵に回すと知っていながらも、耀光宮に留まっている。まあ、皇帝に命じられた時点で断る事はできない。そもそも、断るつもりもないのだが。

  

 流麗からしてみれば、誰にどう思われようとも知ったことでもないので、気にも留めていない。噂で何を言われようが、後宮が敵に回ろうが、国中を駆け巡っている流麗には関係がないからだ。

 今も、暇。ぐらいにしか考えておらず。面を適当に寝台の上に放りだし、更には身体が沈む程の綿の入った寝台に図太くも気持ち良さげに仰向けに寝転ぶ。上等な心地に包まれて、瞼が落ちてしまいそうだがなんとか怠惰な欲を振り払い、閲覧した資料の精査をするべく頭の中で思考を巡らせていた。


 大凡の道筋は出来た。

 御子の死、女官や妃嬪の死、皇后の死、圭第一皇子の死、儒帝陛下の死、そして最後の一人、剋帝の子――尚第一皇子の死。

 そして、舜――剋帝陛下の診療記録。

 これらの死の繋がりを紐解いた先にあるものこそが、舜の禍根となって心に巣食っていると言っても良いだろう。

 だが、まだ一つ。

 記録だけでは読み解けない要因を前にして、流麗は未だ思索が必要だった。

 流麗は古い記憶を呼び起こし、先帝陛下が崩御した直後の巷の話題を思い出す。


 ――確か、陛下は即位後、一度後宮を解体した筈……


 先帝時代、後宮の内情は皇后や妃嬪、侍女や女官も合わせて二千人にものぼると言われていた。それを、即位後の舜は何ひとつ残さなかった。多くの女官や下女が解雇され、行き場のない女が道観や寺院へ出家して尼僧であぶれた時代でもあったのだ。

 皇帝の考えとはいえ、これには賛否があった。突如とした解雇で、食うに困る時代に放り出された女達を受け入れるにも、道観や寺院とて限度がある。当時は、皇宮のやりようが横暴とも言われたが、だからといって無為無策のままにしていたわけではなく、下女達には金子が与えられていたし、税も大幅に軽くなった。

 厳しい時代は確かにあった。しかし、結果としてその政策は成功したからこそ、今の皇都は華やかな様相に包まれている。

 

 後宮解体後、剋帝陛下は十五歳で現皇后を妻として迎えている。しかし、数年後には後宮は新設され舜は側妃を迎えた。

 そこに、舜の意思があったのか。


 流麗は、一度瞼を閉じる。が、ふと小さな気配を感じて、閉じた瞼がゆっくりと上がり上体を起こす。流麗の胸の上には、尾長おながにも似た白い鳥が一羽がじいっと流麗を見つめて、何かを待っているように流麗と目があっても目を見開いたまま身動ぎのひとつもない。

 羽音はなかったはずだ、どこから入ったのか、などといった事など考える事もなく流麗は至極当然といった様子で、白い鳥を指に乗せて眼前へと持ってくと、途端に閉じていた嘴が動き始めるが、その嘴から出た声は、小鳥のそれでは無かった。


『一度現状を把握したい。急を要する命令が無ければ皇帝陛下の状況を知らせに一度戻れ』


 小鳥の姿に似つかわしくない低い男の声。険しい顔をした隋徳よりも更に辛辣さを増した声音が、流麗の顔をこれでもかと歪ませる。しかし、小鳥は言う事を告げて、煙のように消えていった。


「面倒臭い……」


 心底辟易とした言葉を虚無に向かって言い放ち、更には今自分がいる場所も忘れて「はあああぁ」、と。止め処ない大息が否応なしに漏れ出る。そのまま寝台の上でじたばたと暴れるか、転げ回ってしまいそうなまでに、一瞬で鬱憤が溜まったかのように顔色はずんと重くなっていた。

 

 だが、それも部屋の前に気配が近づくまでだった。

 人――女官らしき気配に、すっと身体を起こして扉の方へと耳澄ます。


「陛下がお戻りになりました」

「……すぐにお伺いします」


 寝台からするりと降りると、重暗くなっていた顔色は一段と晴れやかに変わり、髪を手櫛で整える。

 鬱憤が溜まっていた姿が消えた流麗は、身嗜みの如く面を着けると、部屋を後にした。

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