第二章

出発の日、東京の国際空港に佑太を見送りに来た陽菜の瞳は、悲しみと希望が交錯していた。空港ロビーに差し込む朝日に照らされ、兄妹の影が長く伸びている。


「お兄ちゃん、火星で頑張ってね。絶対に成功させて、新しい世界を作るんだよ」


陽菜は涙を堪えながら、佑太の手を握りしめた。幼いころから、たった二人で支え合ってきた兄妹。別れの日が来るとは、まだ実感がわかない。


「陽菜、君の分まで頑張ってくるよ。地球のことは任せたよ」


佑太は妹の頭を優しく撫でると、隣に立つ同僚の女性、ミシェル・デュポンに目をやった。


「ミシェル、妹のことよろしく頼む」


「任せてください。陽菜ちゃんとはきっと仲良くやっていけると思います」


ミシェルはあたたかな笑顔で答え、陽菜の肩に手を添えた。環境再生プロジェクトを率いるミシェルは、佑太にとって公私にわたる頼もしいパートナーだ。


「じゃあ、行ってくる」


佑太はミシェルと陽菜に向けて敬礼のポーズを取ると、出発ゲートに向かって歩き出した。


広い空港の窓から、離陸する宇宙船を見上げる陽菜。兄との思い出が、走馬灯のように駆け巡る。


空港を後にした陽菜は、両親の眠る墓地に向かった。白い百合の花を手向けると、心の中で語りかける。


「お父さん、お母さん、私とお兄ちゃんはちゃんと前を向いて生きています。どうか見守っていてください」


澄み渡る青空を見上げながら、陽菜は新たな決意を胸に刻んだ。



火星に降り立った佑太は、「トレーニング・シティ」と呼ばれる移住者訓練施設で新生活をスタートさせた。


施設は、火星の赤茶けた砂漠の中に、半ドーム状の屋根を連ねるように建てられている。内部は地球上の生活環境を再現しており、訓練生たちはここで火星の厳しい環境に適応するための訓練を受けるのだ。


訓練は過酷だった。重力の違いに適応するための筋力トレーニング、限られた資源を有効活用する方法の習得、火星の気象条件に対応した行動訓練など、移住者として必要な知識とスキルを徹底的に叩き込まれる。


「ハァ、ハァ…重力は地球の三分の一しかないってのに、こんなにきついとはな」


訓練後、仲間と休憩所で雑談する佑太。隣に座るアレクセイが冗談を飛ばす。


「おいおい佑太、火星に来る前は植物ばかり相手にしてたから、体力が落ちてるんじゃないか?」


「うるさいな。俺だって負けてられないさ」


笑い合いながらも、互いに切磋琢磨し合う仲間たち。火星での過酷な環境を生き抜くためには、強い絆が必要不可欠だった。


休憩が終わると、佑太はいつものように植物工場に向かった。実験室の片隅で、火星の土壌でミニトマトを育てている。


「育て、育ってくれ。君たちが火星での自給自足の鍵を握ってるんだ」


苗に語りかけながら、水と栄養剤を与える。付随する観察日誌には、克明な観察記録とともに、時折妹への思いも綴られていた。


佑太は、火星でのテラフォーミングと植物栽培の研究に没頭した。


火星の環境を地球に近づけるためには、大気組成の改変や、水の確保、温暖化が必要だ。そのために、佑太らの研究チームは、ドームを建設し、その中で植物を育てることから始めた。


まず、火星の土壌を分析し、植物の生育に必要な養分を特定した。そして、土壌改良剤を開発し、植物が育ちやすい環境を整えていった。

また、火星の低圧環境に適応した植物の品種改良にも取り組んだ。


佑太は、遺伝子組み換え技術を駆使して、火星の環境でも成長できる植物を次々と開発した。

その中でも特に画期的だったのが、火星の二酸化炭素を効率的に吸収し、酸素を放出する「火星アカシア」だ。この植物は、火星の大気組成を変化させ、将来的なテラフォーミングに大きく貢献することが期待されている。


ドーム内では、最先端の水循環システムも導入された。限られた水資源を最大限に活用するため、植物の蒸散作用で発生した水蒸気を回収し、再利用する仕組みだ。こうした技術の積み重ねにより、火星での植物栽培は着実に進歩を遂げていった。


佑太は、実験データを分析しながら、火星テラフォーミングの未来を思い描いていた。

いつの日か、火星の地表が緑で覆われ、人類が自由に歩き回れる日が来ることを信じて。


「陽菜、君も地球で頑張ってるよな。いつか二人で、ここで育てた野菜を食べられる日が来るさ」


佑太は遠く地球の方角を見つめ、心の中で妹に語りかけるのだった。



「陽菜ちゃん、この企画書を社長に見せてくれない?画期的なアイデアだと思うの」


環境再生プロジェクトのオフィスで、ミシェルが陽菜に企画書を手渡した。都市の廃熱を再利用して植物工場を運営するという斬新な提案だ。


「すごい…これなら都市の環境負荷を減らしつつ、食料問題の解決にも繋がりますね!」


陽菜の目が輝く。早速二人で社長室に向かい、熱心にプレゼンテーションを行った。



「なるほど、確かに実現すれば環境に優しい画期的なシステムだ。よし、プロジェクトを進めるよう手配しよう」


提案を快諾した社長に、陽菜とミシェルは歓喜の声を上げた。


オフィスに戻った陽菜は、大学時代の恩師、田中教授からのメールに目を通していた。


「陽菜さん、君の論文が学会で高い評価を得たことを知っています。火星と地球の環境を比較するという発想は素晴らしい。今後も研究を続けて、ぜひ博士号を目指してください」


メールを読んだ陽菜の頬が緩む。兄の背中を追いかけて環境問題に取り組んできた自分の研究が、認められつつあるのだ。


「お兄ちゃん、負けないよ。私たちなりのやり方で、理想の未来を作っていくんだから」


窓の外に広がるビル群を見渡しながら、陽菜は心の中で呟いた。都心にも緑が増え、澄んだ空気が流れ始めている。


再生への道のりは遠いが、一歩ずつ前進しているのを実感していた。


その夜、陽菜は一通のメールを書いた。宛先は、火星の佑太だ。


「お兄ちゃん、こっちはプロジェクトが順調に進んでいるよ。先日は国連でスピーチをしてきたんだ。火星ではどう?お兄ちゃんの研究が実を結ぶ日を楽しみにしてるからね。体に気をつけて」


メールを送信すると、陽菜はベッドに倒れ込んだ。兄の健闘を願いながら、ゆっくりと夢の中へと落ちていくのだった。

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