2. 「動機に関する内省」

――自殺。

 それは、この春の陽気さとは正反対の印象を、多くの人間に与えることだろう。そのような言葉は、僕の今いる空間からは無縁の所にあって然るべきであり、それはつまり、この僕自身からも縁遠いものであることが、自然というものなのだろう。人はそれをあまり意識しないかもしれないが、自分が存在する場所というのは、少なからずその人間の性質に影響を及ぼすものなのだ。


 けれど人の心というものは、というより、とりわけ僕の心というものは、時に捻くれていて、人々が幸せを感じているときに不幸を感じたり、或いは、他人の不幸には全然無関心で、自分のことばかりが気になってしまうような性分がある。

 それに、前々から自殺することは決まっていたのだ。ただ、それをいつ決行するかに関しては僕の心の内を占める重要事項の一つだった。


 そして、それはまさに今日と決まった。あらかじめ決めていたというわけではないにも関わらず、僕が今朝にその決断を下したとき、その決断は僕の心の中でほとんどなんの躊躇いもなく受け入れられた。きっと僕の心の内の無意識では、この決断に対する心構えがとっくに済まされていて、ほんの一押し、何かのきっかけさえあれば十分という段階にまで至っていたのであろうと、僕はこのことについて解釈した。

 そしてその一押しに触媒の機能を果たしたものは、今朝に開かれた大学院の卒業式だった。


 二十七歳になった僕には、理学博士などという仰々しい肩書きが付与されて、僕を含む博士課程の卒業生達は、同年代のほかの人達よりは少し遅い社会への巣立ちの時期を迎えることとなった。その肩書きは喜ばしいことであったし、誇らしいものであるような気さえした。けれど、結局のところこうした肩書きなどというものは、当人のことを何か保証しうるものではない。それは、僕自身が身をもって理解していたし、世界について僕が理解している数少ないことの一つだった。


 代表の卒業生が登壇にあがり、スピーチを拡散する最中、僕はまさに今日自殺をしようと思い至った。

 長い長い学生生活の終わり。思い返してみれば、救いようのないほどに、惰性で過ごした日々だった。ふと振り返れば、何も努力できず、何も積み上げずに過ごした日々が、干からびた死骸となって、果てしなくどこまでも続いていた。その死骸たちの眼差しは、まるで僕のことを恨めしそうに見つめているようでもあった。


 そしてそれはつまり、僕自身が自分のことをそう思っている、ということなのだろう。しかしまた一方で、僕はそんな死骸を見ても、ある種自分とは関係がないような、切り離された、どこか楽観的な気持ちをも抱いてもいた。

 代表の卒業生はこう語っていた。

「大学院で学んだことを今後社会で役立てていきたい」

 その言葉の真摯さが果たしてどの程度の物なのか推し量ることは出来ないが、あからさまな嘘という訳でもないだろう。


 一方で僕が大学院の博士課程にまで進学したのには、何か特別に高尚な理由があったからではなかった。ただ勉強や研究が自分にとっては苦痛ではなく、相対的に見れば、社会に出て労働をすることよりは遥かにマシな選択に思えたからに過ぎない。

 だから、登壇でスピーチをしていた卒業生、研究室の同期たち、社会人として活躍する友人たち、彼らの内の誰と比較をしても、自分が矮小無価値な存在であるということは疑いようもなかった。

 けれど、なにもそれが理由で自殺をしようとしているのではないのだ。僕は何度かその言葉を繰り返した。

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