弱いものバッヂ 3/4

 弱峰が眠りにつく、その日より数か月。


「厳、そろそろ中間テストが終わった頃だろう。順位はどうだ。」


 時期は少し戻って梅雨。雨がしとしとと降る夕方。半年ぶりに帰ってきた父親との夕食での第一声はそれだった。


「中間では2位でした。」


 テーブルをはさみ、父と僕は正面に向かい合っている。父は僕の言葉を聞いて水を一口含み、小さなため息をつき、こう言った。


「入れる高校を…間違えたな。」


 胸が締め付けられる。食事が…水が…喉を通らない。手汗が噴き出て手に持ったスプーンが滑り落ちそうだ。


「お前程度がすぐに2位を取れる環境ならばその程度の高校ということだ。いいか厳、温い環境で上位を取って安心している人間に未来はない。上には上がいることを自覚し、それでも腐らない人間が更なる高みに上がれるのだ。」


 父が口癖のように言うこのセリフ。もはや暗唱できる気がする。母に目線を送る。母は台所に立ち、テーブルには決して座らない。それが父の決めた『家のルール』だからだ。


「大学選びはもっと慎重に行わせる。お前もよく言い聞かせておけ。私はもう寝る。明日からまたしばらく帰らない。」


 父は中途半端な食事をテーブルにそのまま放置して、二階にある書斎に行った。そうしてようやく母は着席し、食事をとり始める。


「お母さん、ごちそうさまでした。」


 自分の家庭が、普通とは違うと思い始めたのは小学校高学年の頃だった。周りの家では父親の許可がなくても座っていいし、父親の許しがなくても外で遊んでいいらしい。家に友達を呼ぶことも、泊まり込みもできるらしい。


 翌日、朝起きると父はもういなかった。すこしばかりの寂しさと大きな安堵感がやってくる。父はこれからまた数か月は帰ってこない。その思いでいっぱいのまま放課後になった。


「強田くん、テストも終わったことだし、たまにはカラオケでも行かない?それかファミレスでご飯食べようよ。」


 同じクラスの友人からの誘い。彼は成績優秀で生活態度も良好。父の好みそうな人だ。


「すまない。帰って予習をしなきゃいけないんだ。学年で2位だったから。」


「おお…。強田くんはさすがだね。学年2位でも満足しないんだ!悪かったね。今度ぜひ勉強会でもしよう。……それにしても、あの人には強田くんのことを見習ってほしいよね。」


「……誰のことだい?」


「誰って、弱峰くんだよ。強田くんと同じ中学なんて信じられないよ。遅刻・居眠り常習犯の問題児だ。彼がこのクラスにいることで、悪い影響がでないといいんだけど…。」


「……君、学年順位は?」


「ん?ああ、今回は36位だったよ。強田くんほどではないけど、上位10%に入れてよかったよ。」


「弱峰くんは7位だよ。ちなみに化学と日本史は遅刻している。じゃあ、また明日。」


(もっと優秀でなければ、『強く』なければならない。)


 自転車を走らせながら学校のことを考える。弱峰くんは学習態度の割に成績が良い。成績主義のわが校は、弱峰くんの多少の遅刻を許している。弱峰くんは確実に僕より『強い』人間だ。中間では僕の方が上だったが、『死に物狂いの2位』と『楽々の7位』では話が違う。同じ勉強時間ならば、彼の方が確実に良い成績を取れるだろう。地元では進学校に分類されるわが校に、僕は必死で入学して、彼は「家が近いから」と軽々入学した。


 実は家で必死に勉強しているのだろうか。遅刻しているのも、夜まで勉強したから寝坊しているのだろうか。


(違うよな。)


「おにーーさーーん!!待ってー!!」


 強田はキキッと自転車を止める。声をする方を見ると、そこには白いワンピース姿の少女が立っていた。強田は親戚の顔を思い浮かべたが、あのような少女に見覚えがなかった。


「すまない。僕は君に見覚えないが、何か用事だろうか。迷子か?」


「ううん!ちがうの!お兄さんにあげたいものがあるの。」


 少女は手に持っていた白い缶バッヂを強田に渡す。缶バッヂは非常に簡素なものだった。白い背景に黒いペンで凛々しい眉毛に自信満々の顔が書かれている。少女の手書きだろうか。


「これは…?」


「これはね『強いものバッヂ』だよ!これをつけると「強いもの」になれるんだよ!」


「強い…もの?」


「うん!強い人はすごいからみんなにたよられるし、むずかしいお願いもたくさんされるんだよ!」


 少女は舌足らずな口調で説明してくれる。


「すごくて、頼られる…か。そうなったら、自分よりもっとすごい人に認められるかな。」


「もちろんだよぉ!強いものはすごいんだもん!」


「そう…か。くれるというのなら、ありがたくもらうとするよ。そうだ、お代を払わないとな。」


「いらないよぉ。お兄さんの役に立てたら嬉しいな!」


 家に帰って、机に座り、帰り道に少女からもらった缶バッヂを見る。


「ふふ、お店屋さんのつもりだったんだろうか。明日つけてみようかな。いや、しかし制服に装飾品をつけるのは校則違反。んー……でも、せっかくのもらい物だ。こっそり肌着につければ問題ないだろうか。冬服なら学ランの下に着けられるんだがなぁ…。」


 あの少女を見たからか、自分の幼少期を思い出す。父は昔から厳しい人だった。小学生の頃から勉強漬けで、絶対合格のプレッシャーをかけられていた。中学受験当日は全日試験中に体調を崩し、どこも不合格で公立の学校に行くことになった。父は怒りを通り越して、しばらく口を聞いてくれなくなった。皮肉にも、父の干渉が減ったおかげか高校は地元でも有名な学校に進学できた。


「それでもお父様は満足してくれない。お父様の理想は…?」


 この自問自答は終わりがない。何度もやっているからわかる。こういうときはホットココアを飲んですぐ眠るのが大吉だ。


 翌日、自転車を漕いで学校へ向かう。肌着には、少女にもらったバッヂをつけている。


(なんだか少し悪いことをしているようでわくわくするな。弱峰くんも、こんな気持ちなのだろうか。そうだ、今日は久しぶりに弱峰くんに話しかけてみよう。勉強時間のことや、勉強法について聞きたいことがたくさんあるんだ。)


 駐輪場に自転車を止めると、一人の女子生徒から声を掛けられる。


「すみません…。自転車の調子が悪くて、鍵がかからないんです……。」


 校章の色からして三年生の先輩だ。この高校に入ってから、先輩に頼られるのは初めてだったので、少しとまどいながらも自転車の調子を見る。少し立て付けが悪くなっているらしい。力づくで直せたが、専門店での修理を勧めておいた。


「ありがとうございました!」


 先輩から感謝の言葉を受ける。


(頼られるってのは案外いいもんだな。相手は喜ぶし、俺も嬉しい。もしかしてこの「強いものバッヂ」のおかげ………なんてな。でも、俺は強いものだ!っていう気持ちは大事かも。)


 強田は背筋を伸ばし、胸を張って歩く。気持ちの問題か、肺に空気が入るからか、わからないが実に気分が良い。


「すみません!自転車の鍵落としちゃったんですけど、知りませんか!?」


 また声をかけられる。今度は同級生だが、顔に見覚えがない。他クラスの生徒のようだ。一緒に探し始める。登校中の他生徒に声をかけ、すのこをひっくり返させてらうと、そこから銀色の鍵が発見された。


「これです!ありがとうございます!!本当に助かりました!!」


「ああ、気をつけてね…。」


(なんだというのだ。今日は少しおかしい。朝から二件の頼み事をされただけではない。明らかに周りからの目線が違う。なんというか……注目、そう注目を浴びている。良い意味で注目されているのだ)


 教室に入ると、大勢のクラスメイトが寄ってきた。


「おはよう強田くん!なぁ今日の英語の予習はした?俺、わからないところがあってさ、君さえよければ教えて欲しいんだ。」


「ちょっと待ってくれ!強田に頼み事するのは俺が先だ!なぁ強田、今度の俺の地域の祭りで神輿をやるんだけどさ男手が足りないんだよ!助っ人として来てくれないか!?」


「ねぇ強田くん、私と一緒にピアノのレッスンを受けてくれない?今スランプ気味で…。強田くんならいいアドバイスをくれると思うの。」


 普段ならばよくて相談、雑談程度終わる話が、今日は彼らは全力の『お願い』『頼り』


 普段とは明らかに違う日常に、違和感は確信へと変わる。


 少女のバッヂは本物だ。これがあれば、俺は「強いもの」になれるんだ。

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