弱いものバッヂ 1/4

 皆様にはこんな経験はないだろうか。目を覚まして時計を見ると、その短針は無慈悲にも「9」の数字を指していることが。


「遅刻だ…」


 長針が「1」を指していることだけが唯一の救いだろうか。


 高校生活が始まってはや数か月。このセリフを口にしたのは何度目だろうか。


「ああああ!!なんで俺はこうなんだ!」


 布団から起き上がる男子高校生。ぼさぼさの髪の毛、パジャマもどこかよれている。寝起きの顔にはよだれ跡、半目の彼は覚醒しているとは思えない。


「あーーーーーー。今から急げば二時間目には間に合うか?いや、急ぐのはめんどくさいな…。三時間目から行くか。そうなればもう少し寝れるな。よし!」


 頭の中でソロバンをはじく。朝のこの時間だけ計算能力が飛躍的に向上し、脳内スーパーコンピューターが答えを出した。その結果、彼は二度寝を始める。このような男の未来などたった一つ。


「あーー!!もう三時間目にも間に合わない時間だ!!急げー!!」


 二度寝の結果は最悪。捕らぬ狸の皮算用。結局急ぐ羽目になる。洗顔はスキップしてシャツに着替え、学ランに袖を通す。先日から秋模様、衣替えの時期であった。


「くそっ!着るものが多い!タイムロスだっ!」


 そんな数秒を惜しむならば早く起きればいいという声をかける家族はいない。彼は一人っ子であり、両親は共働きだ。


 冷蔵庫の中を確認すると、冷え切った朝食が用意されていた。お皿には一枚のメモ書き。


『遅刻したらお小遣いを減らします』


 母からの実質的な死刑宣告。メモ書きをはがし、朝食をレンチンする。この男はどれだけ遅刻しようと食事は欠かさない。


「うまうま。三大欲求を満たしてる瞬間だけが幸せですね。」


 男は一息ついて玄関を出る。自転車に乗り、ギア1でゆったり漕ぎ始める。彼の行動を事細かに記載していてはいつまで経っても物語が進まないだろう。

 彼の名前は弱峰よわみねさい。この地域ではかなり偏差値の高い高校に通うごく普通の男子高校生。


 自転車を漕ぐこと数十分。高校に到着する。教室に入ると、丁度三時間目と四時間目の間であった。遅れてくる弱峰をクラスメイトは見向きもしない。もはや日常と化した弱峰の遅刻に反応する者などいない。


「ハロー中内くん。弱峰さんの到着だぞ~」


 弱峰は自分の席に座り、後ろの席の男子に話しかける。クラスで浮き気味の弱峰と唯一普通に接してくれる男子。


「よぉ弱峰、これまた重役出勤だな。勉強は平気なのか?」


「ちんぷんかんぷ~ん」


「………お前、よくこの高校に受かったよな。テストもいつも下から数えたほうが早いだろ。」


 呆れた顔の中内がそう質問する。


「親の秘策だよ。最高ランク高校に受かったら最新ゲーム機、次のランクでゲームソフト、次のランクで好きな漫画5冊って具合で報酬を設けられたのさ。俺は当然最高ランクの高校に受かったってわけ。」


「にんじんぶら下げられないとがんばれないわけね。」


「ヒヒーン。というわけで、四時間目は寝る。俺は睡眠欲を満たすのに忙しい。」


 机に顔を伏せ、眠る態勢をとる弱峰。そこに弱峰が登校したという話を聞きつけた学級委員の影が迫る。


「弱峰くん!!君はまた遅刻して!わが高校の一員という意識はないのか!?遅刻している君の姿を地域の方も見てらっしゃるんだぞ!その意識はないのか!?」


 学ランを首元まできっちり締め、髪もきれいに整えている男。彼の名は強田ごうだつよし。目じりを上げ、強い怒りをあらわにしている。弱峰は強田の言葉を寝たふりでやり過ごそうとする。


「君は昔からそうだ!実力があるのにそれを発揮しない!もっと全力で頑張ろうと思わないのか!怠けるばかりでは心身ともに錆びてしまうぞ!そうだ!今度の文化祭の実行委員を僕と一緒に成し遂げよう!!」


 強田に無視は通用せず、熱い言葉を弱峰にぶつけ続ける。


「うわー!!やめてくれ!!俺は強田みたいに頑張りたくないんだよ!生きるので精一杯の弱者なんだー!」


 飛び起きた弱峰は教室から走り去り、駐輪場に向かった。


「待ちたまえ弱峰くん!!」


 追いかけてくる強田を振り切るために自転車に乗り、ギアを4に設定して爆走する。


 弱峰が強田をアレルギーかのように拒絶するのには理由がある。彼らは小学校からの同窓。強田も弱峰も幼いころから性格は変わらなかった。弱峰は強田の強引な勧誘により、行事にやたらと参加させられていた。


 学芸会の精霊役、応援団、旗づくり委員。弱峰が思い浮かべる人生の面倒くさいことには全て強田が関わっている。


(まーさか高校まで同じで、クラスも一緒になるとはなー。俺に役割を押し付けなければいい奴なんだけどなー。)


 弱峰がやってきたのは近場の河川敷。ここでゴロンと横になるのが弱峰の日常のルーティーンに刻まれている。もっとも、普段は放課後に行っているのだが、今日は三時間ほど先取りだ。


 芝生の上で風を感じながらゆったりと入眠の姿勢に入る。


「おにーっさん。」


(………今日の星座占いはきっと最下位だっただろう。眠ろうとしたら話しかけられる悪日だ。声の感じから小学生女子だな、無視無視。)


「あれれっ、もう寝ちゃってるのかな。うーん、お兄さんにぴったりのおもちゃがあったのになー。もってかえってもなー……。いいや、おいてこっ!」


 なにか胸のあたりに小さなものを置かれた気がするが、今は睡眠の方が重要な弱峰。川のせせらぎをBGMに入眠する。




「だ、大丈夫ですか!誰か、人を呼んでください!」


 川が赤く染まる夕方。あたりの騒がしさに目を覚ます弱峰。何か事件だろうかと体を起こす。


「お、起きた!起きました!大丈夫ですか、自宅の住所などは言えますか?」


「……………え、俺?」


 あたりを見渡すと、数十人の大人や子供が弱峰を囲んで心配のまなざしを向ける。その視線は全て弱峰に向かっていた。


「あ、あの……なにかありました?」


一人の中年女性が弱峰のカバンを開け、中から学生証を取り出した。


「あ、ちょ!何してんすか!」


「みなさん、このお方は弱峰さん!住所もわかりましたよ!さぁ、この恵まれない少年を運んであげましょう!せーのっ」


中年女性の号令で数名の男性が集まり、弱峰の体を持ち上げる。


『よいしょ!よいしょ!よいしょ!』


されるがままに担がれている弱峰。気づけば自宅の間についていた。


「さぁ弱峰くん!家についたぞ、もう安心していいからね。またいつでも助けてあげるからね!」


弱峰を担いでいた男たちにそういわれ、玄関扉の前で降ろされた。ぽかんとする弱峰。なにもせずに家に着いたことを幸運と捉えるか異常事態と捉えるか悩んでいた。


「あ、自転車。」

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