一言タイムガス 3/3

 定年退職後、忠正は妻の美枝との何気ない日常を過ごしたり、健太郎と共に様々な娯楽に興じた。


 そんなある日の夜。いつも来ていた公園へとやってきた野村。


「おやおや、野村さん。もうここで一人、ビールをたしなむ必要はないのでは?」


 さびれた公園のベンチ。はざまは変わらずハイボールを片手に座っていた。


はざまくん。この世界で君とは……。いや、この話は野暮かな。君のおかげで今の幸せな生活が手に入っているんだから。ただ一つ、気がかりがあってね。」


「ほう、それはいったい?」


 カシュッ。野村ははざまの隣に座り、ビールを開けた。


「子供さ。僕と美枝さんの間には子供がいないんだ。」


 そう話しはじめ、ビールをクイと口に含んだ。


「そういう夫婦も世の中にはたくさんいますからねぇ。お仕事の関係や、そもそも子供を必要としない方もいます。」


「そうだね。でも、美枝さんは子供を欲しがっていた。子供がいない原因は僕にあるんだ。」


 はざまは静かにハイボールを飲んで聞いている。


「僕の家庭はとても裕福とは言えなくてね。親父とお袋はいつもお金のことで喧嘩していた。やれ「稼ぎが少ない」だの、やれ「節約がへたくそ」だの、お互いを罵り、責任をなすりつけあっていた。あれは僕がここのつの頃だったね。父に限界が訪れて、ついぞ母と僕に暴力をふるった。離婚はすぐに決まったよ。憎しみで膨れ上がった母の姿と、手を出したことによる罪悪感で小さくしぼんだ父の姿が、印象的だった。」


 野村は、ビールを一気に飲み干し、話を続けた。


「僕は家族を作るのが怖い。追い詰められれば父と同じように家族に手を出してしまうんじゃないかとね、考えてしまうんだ。だから…。」


「幼きあの日に戻り、両親に一言いいたいのですね。もちろん、お売りいたしますとも、私は人道屋じんどうやですから。料金さえ支払っていただければどんな方にも人生に役立つ道具を販売しております。一言タイムガスですと、一本500円ですが、いかがなさいますか?」


 淡々と語るはざま。普段、楽しく雑談する彼と、『人道屋』としての彼には明確な違いがあると野村は感じた。商売人としての仮面を被り、ただ道具と金の仲介を果たす。


 野村は500円を払い、一言タイムガスを受け取った。少年時代の記憶を掘り起こし、両親が喧嘩していたあの時へ帰る。


 野村はガスを思い切り吸い込んだ。



 入道雲が昇る、青と白がはっきりと境目を分けていた。厳しい日差しは連日墓石たちを温めている。

 ここはとある墓地。一人の老婆が墓参りをしにきていた。


「なかなか来られなくてごめんなさい。…あら、もうお花が。どなたかしら、お会いしたかったわ。ふふ…。」


 老婆は墓石の前で手を合わせた。ゆっくりとその人を思い出し、手下げの中からいくつかの駄菓子を取り出した。


「ごめんなさいね。あなたが小さい頃好きだった物しかわからなくて。大人と子供のはざまだったあの頃は、お互い恥ずかしくておしゃべりできなかったわねぇ。ふふ、懐かしいわ。」


 老婆は微笑みながら慈しむように墓石の掃除を始めた。



 終

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