一言タイムガス 2/3
定年退職した野村という男は、ベンチ飲み友達の
他愛ない話で盛り上がったり、廊下を走って教師に注意を受けたり…。
(間違いなく自分の学生時代だ。懐かしい、教師が竹刀を持つなんて…。今となってはフィクションだな…)
苦笑して少し息が漏れる。
(は、
中学生となった野村は周りを見渡し、健太郎を探した。階段の踊り場にいる坊主頭で鋭い目つきの男。親友であった健太郎の姿がそこにあった。懐かしさであふれだしそうな涙を必死に抑えて、野村は健太郎のもとへ走った。目の前に着くと健太郎は野村のことを思いっきり睨んだ。当時の二人なら、にらみ合って終わりだっただろう。しかし、今は違う。野村は残った息を思い切り吐きだしながら。
「ごめん健太郎!!俺、お前が羨ましかった!!!」
そう叫んで頭を下げた。
スゥゥゥと呼吸すると、視界は暗転。回復すると、そこはにぎやかな飲み屋だった。ざわつく周囲の客。酒とタバコのにおい、さっきまで味わっていた青春の匂いとは真逆だ。
「おい、
野村の正面には誰か座っている。スキンヘッドの初老男性。鋭い目つきの周りにはたくさんの笑いシワが刻まれている。野村はこの人を知らないが、不思議と誰なのか理解した。
「け、健太郎?健太郎じゃないか!?」
机を叩きながら、興奮気味にそう言う。健太郎は野村に呆れたというような目線を送る。
「何言ってんだ忠正。そうに決まってんだろ。今日はお前の退職祝いで行きつけのおでん屋に来たんじゃないか。ったく、本当に飲みすぎだな。帰るぞ、今日は俺がおごってやる。」
そういって健太郎はお会計を済ませに行った。
(健太郎が…生きている!?)
戸惑いながらも椅子から立ち上がると、自分の体に違和感を覚える。公園で飲んでいた元の自分より、明らかにお腹が出ている。顔を触ると、こちらにもブヨブヨとした肉がついていた。
忠正は店を出る健太郎を追いかけて問い詰めた。
「な、なぁ健太郎!おまえ、中学の頃にさ、飛行機の事故に合わなかったか…?」
野村の言葉に健太郎は固まる。
「…は、はぁ!?何言ってんだ。そんなんに出くわしたら死んじまうじゃねぇか!……いや、待てよ。そういやあったな。中3の夏だ。親父が予約してた飛行機が事故ったって…。」
「そう!それ!!」
「でも、あれはキャンセルしただろ?『サーフィンに行くのは忠正がボード買ってからにしよう』ってなってさ。その日は代わりに、俺と親父とお前の三人で釣りに行ったじゃねぇか。」
「あ、そ、そうか?そう…だったな。」
「まぁー、そういう意味じゃ忠正は、俺の命の恩人になんのか?あの日、踊り場でお前が頭下げてなきゃ仲直りなんて絶対出来なかっただろうし、そしたら俺はあの飛行機に乗ってったかもしれねぇ。…はっ、考えすぎか!」
ありもしない妄想を笑い飛ばして、健太郎はタクシーを呼んだ。
「今日はもう飲むなよ!いくら独身だからって、ちったぁ健康に気を付けねぇとな!」
健太郎はそう言って忠正のお腹を軽く叩いた。少しの衝撃が、腹の肉をぶよんと揺らす。
「ヘビースモーカーでバツ3の健太郎に言われたくねぇなぁ。お前を見てると結婚なんてしたくなくなるよ。」
自分の口からするすると流れ出た言葉に、野村は違和感を覚える。
(あれ…?なんで、健太郎がタバコ吸ってることもバツ3なことも知ってるんだ…?)
野村はタクシーに乗り、さっきまでいたはずの公園に戻ることにした。
(頼む、まだ居てくれ
野村の思い通り、
「おや、野村さん。今日は定年退職日で、ご友人に祝ってもらうのでは?」
「は、
「それが『一言タイムガス』の力ですよ。過去に一言伝える、わずかな変化でも、遠い未来には大きな影響を及ぼす可能性があります。体型や経験なんかは特に。」
野村はその言葉を聞き、
「
土下座をする野村に
「野村さん、顔を上げてください。僕は
「ほ、本当かね!」
野村は財布から取り出した500円を間に渡した。野村はガス缶を受け取り、想い人の顔を頭に浮かべる。
「僕が一言伝えたいのは幼馴染の
懐かしむような表情をする野村。
「想いが伝えられればそれで十分だ。告白するのは高校の卒業式…。よし、イメージはバッチリだ。行くぞ!!」
野村はガスを思い切り吸い込む。頭痛と共に視界が暗転する。そして目覚めると、野村はその手に、卒業証書を持っていた。周りには泣いたり笑ったり、様々な感情をあらわにする同級生がごった返している。
(やった!戻れたんだ。早く美枝さんを探さないと!)
野村は周りを見渡すが、全員同じ格好、同じような髪形をしているので個人の判別がつきにくい。そこに一人の男が大声を上げた。
「忠正!!何やってんだよ!美枝ちゃんは一番デケー桜の木の下だ!!早く行け!!」
(健太郎!?)
金髪で眉毛がなくなっているが、その目つきと声は間違いなく親友の健太郎そのものだった。
(そうか!歴史が変わって僕と同じ高校に…!ありがとう!)
声に出せない思いを秘めて、野村は学校で一番大きな桜の木の下に向かう。そこには誰より輝いている女性がいた。すらりと伸びる手足、はっきりした目鼻立ち、黒く美しい長髪。
(間違いない、美枝さんだ!でもっ、もう息が!)
最期の力を振り絞り、美枝に向かって走る野村。体が呼吸を求めて息が漏れる。
「う、ぷはっ!す、好きだーー!!」
かろうじて残った空気で想いをぶちまける。到底きれいな告白とは言えない。暗転する意識の中、野村は考える。
(こりゃダサい…。でも、ケジメがつけられたな。はは、大学で彼女の一人でも作ってくれればいいけど…。)
意識が戻ると、野村はソファに座っていた。目の前のテーブルにはいくつものアルバムが広げられている。
「なんだここ…。僕の家じゃない…?」
そこは野村の住むアパートではなかった、広々とした空間、きれいな壁、床。階段があることから一軒家であることがわかる。
「
後ろから聞こえてくる女性の声。振り返るとそこにいたのは紛れもなく美枝さんだった。髪を切り、年をとってもわかる。人生でただ一度、恋焦がれた人がそこにいた。
「美枝…さん。」
美枝はテーブルの上にお茶を並べ、忠正の隣に座る。
「さ、アルバム整理の続きをしましょ?思い出話がたて込んじゃって、全然進まないんだから。あ、これ懐かしいわー、若いころ健太郎さんとサーフィンに行った写真じゃない?あれ…?健太郎さん、また彼女さん変わってるわ?この頃の健太郎さんっていっつも違う彼女さん連れていらしたから、お名前が覚えられないのよねー…。」
(海の写真…。僕と健太郎と美枝さん。そしてこの知らない女性は、健太郎の彼女か…。)
「あ、これも懐かしいわ!!」
そういって美枝が無邪気に手に取った一枚の写真。
「高校卒業の日、忠正さんが告白してくれたのよね。あの時は周りに友達がいっぱいいたからちょっと恥ずかしかったけど…、嬉しかったわ。私もずっと想ってましたから。」
卒業式の看板の前、野村と美枝が二人で映る写真。二人は卒業証書一枚分離れ、目を合わせることもできず、ぎこちない態勢で立っている。
(そうだ、健太郎が撮ってくれたんだ。こんなにたくさんの写真…。大学生と社会人ですれ違うこともあったけど、今日という日まで同じ時間を過ごしてきた。)
「そう…か。美枝さん、愛してるよ。」
「ちょ、ちょっと急にどうしたの忠正さん!」
野村は美枝を優しく抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます