一言タイムガス 1/3

「野村さん!今までお世話になりました!!43年間、お疲れ様でした!!」


 オフィスビルの一室。花束を持ち、大勢の人間に祝われている男。彼の名は野村忠正のむらただまさ。新卒から有名企業の下請け会社で働き続けてきて、今日定年退職を迎える。

 若い新人から中堅、課長、新部長まで誰もが野村の退職を惜しんでいる。


「野村さぁん!俺、野村さんに教えてもらったこと、ぜってー忘れません!野村さんは俺の永遠の目標っす!!」


「水島、お前はちょっと抜けてるところがあるが、素直で気のいいやつだ。いいか、上手くいかないときこそ踏ん張るんだぞ。」


「うっす!心に刻むっす!!」


 野村は社員一人一人と丁寧に会話し、そして会社を去った。エレベーターを降り、43年通ったオフィスを見上げる。


「43年…、長いようで短かったな。もう明日から行かないのか…。」


 野村は仕事人間であった。結婚、ギャンブル、タバコ、この時代の人間には珍しく何もしていない。唯一やっているのは酒だった。


 夜の公園。電車で帰ると、いつも丁度いい暗さになる。野村は仕事終わり、ここのベンチでビールを一缶飲むことを習慣にしていた。


「野村さん。今日もいらしてたんですね。」


 野村には数年前からベンチ仲間がいた。黒いスーツに黒縁くろぶち眼鏡、青ストライプのネクタイとストレートで清潔感のある髪。サラリーマン然としたまるで個性のない男だが、高級腕時計をつけているあたり、それなりに稼いでいるのだろう。そこはかとない上品な雰囲気がそれを感じさせる。


「やぁ、はざまくん。今日もお疲れ様。」


 仲間の名字ははざま。下の名前は知らない。はざまはいつもハイボールを片手にやってくる。ここで一杯飲みながら、仕事や私生活の話をするのが、野村の楽しみだった。時間にして30分程度。寂しい初老の独身男性の心を満たすには十分な時間だった。


「なんと、野村さんは今日でご退職なされたんですね。それはそれは、長い間お疲れさまでした。」


「43年、本当に長い時間だった。でも不思議なことに、青春時代の十数年の方が長く感じたよ。」


「若い頃の方が時間を長く感じる…。そんな研究結果があるそうですね。」


「そうなのかい?それならこれからの時間はもっと早くなるわけだ。はぁ…僕は結婚もしていないし、友人もいない。これからの人生どうしようか…。ははは、僕みたいな人間が今流行りの独居老人の孤独死をするんだろうね。」


 野村は笑いながらそう言ったが、目の奥は笑っていない。


「学生時代のご友人などに連絡してみてはいかがでしょうか?野村さんと同じような境遇の方もおられるでしょう。」


「いいや、僕は本当に友達が少ないんだ。高校生になるくらいからかな?友達を作らなくなってね。」


「そのお話は…伺っても?」


 はざまは、ハイボールを飲む手を止めて、どこか申し訳なさそうに尋ねる。


「ははは、老人の昔話なんて聞きたくないだろう…って、君にはもう何回もそういう話を聞かせてきたか。少し長くなるけど聞いてくれるかい?」


「もちろんですとも。」


「僕には中学生の頃、親友がいたんだ。名前は健太郎けんたろう。遊びが上手いやつでね、中学生なのに親父さんとサーフィンなんてやるような奴だった。ある日ね、健太郎にサーフボードを自慢されたんだ。」


 これから夏になろうという雨降りの時期。中学校近くの一軒家で二人の少年が話している。一人の少年はどこか不満そうで、もう一人の少年は目を輝かせていた。


『おい忠正!これ見てみろよ!誕生日に親父からもらったんだ、俺のボードなんだぜ!』


 健太郎は家の庭に置かれた大きな紡錘形ぼうすいけいの板を自慢する。


『へっ!それがなんだってんだ!どうせ波になんか乗れやしないくせに!道具だけ持って一人前かよ!』


『なんだと!!!』


「僕と健太郎は大喧嘩。正直ね、健太郎が羨ましかったんだ。僕の家には父親がいなくてね。親父からサーフボードもらってることも、親父とサーフィンできることも何もかもが羨ましかった。そのあと、学校で謝るチャンスは何度もあった…でも、若かったねぇ、僕の小さなプライドがそれを許さなかった。結局、最期まで仲直りできなかったよ。」


「喧嘩別れしたまま卒業してしまったのですね。」


「いいや、そうじゃない。健太郎は中学三年生の夏、家族と旅行に出かけていてね。その道中に乗った飛行機の事故で彼は亡くなったんだ。僕は一番の親友と仲直りしないまま別れた。それからは…なんだか人と関わることが億劫おっくうになってね。高校、大学とまともな人間関係を作らなかった。会社の人間は仕事と割り切って関われるんだけどね。」


 長い語りを終え、野村はビールで喉を潤す。


「そのようなことがあったのですか…。」


「いやぁ、暗い話を聞かせて申し訳ない。酒がまずくなる、もっと面白い話を…。」


「もし、健太郎さんに一言だけ、言葉を伝えられるとしたら……野村さんはどうしますか?」


 飲みなおそうとしたとき、はざまがそう問いかけた。


「……はざまくん?」


 いつもニコニコしているはざまの顔から笑みが消え、見たことのない真剣な表情へと変わる。


「私は人道屋じんどうやという会社に勤めておりまして、人のためになる道具を販売しております。こちら、人気商品の『一言タイムガス』です。」


 はざまがカバンから取り出して見せたのは一本の長いガス缶。ラベルには簡素に「一言タイムガス」と書かれている。


「戻りたい時間、言葉を伝えたい人をイメージしながら、こちらのガスを思いっきり吸って頂くと、その時間にタイムトラベルすることができるのです。しかし、その世界にいられるのはガスが体の中にある時間だけ。呼吸をすれば元の時代に戻ってしまいます。なので、実質的に一言しか伝えられません。どうでしょう?こちらの道具を使用して、健太郎さんに謝罪の言葉を伝えてみませんか?」


 突拍子もないことを真顔で言うはざま。しかし野村は彼がこのような冗談を言う男ではないことを知っていた。


はざまくん。その缶はいくらなんだい?」


「一本500円です。」


 野村は財布から取り出した500円をはざまに渡し、『一言タイムガス』を受け取る。


(怪しいものが入っていたって…、もう関係ないか。僕には何も残っていない。)


 健太郎と過ごした中学校の廊下を思い出し、野村はガスを思い切り吸い込んだ。すると、意識を失う。激しい頭痛と共に少しずつ自分を取り戻すと、まず感じたのは体の軽さだった。


(腰も膝も痛くない…!)


 そして次に気候。春先のまだ冷たい風はここにはなく、さわやかな風と熱気を感じる。ぼやけた五感がはっきりする。


「なぁ、今度レッド・リーの映画見に行こうぜ。」


「いや、それより超能力ショーだろ。今度、公民館に超能力者が来るらしいぜ。」


「なんだそれ、嘘くせー。」


 半袖の制服、友人の会話。野村は確信した。


(戻ってきた…!50年前に戻ってきたんだ…!!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る