三日坊主 1/4

「男の子なら我慢がまんしなさい。」


 蒸しあがる夏。コンクリートに反射した直射日光が幼児を熱中症にしたなんていうニュースが報道されるこの季節。男は母親の言葉を思い出しながら、営業先を回っていた。


(暑い…。大人でも厳しいよ。)


 男の名前は望月廻もちづきまわる。彼の仕事はいわゆるルート営業。すでに出来上がった関係の中で営業をしたり、小さな地域内で役割分担をして自社製品の営業をするため、自分のミスで今まで築いた関係が壊れたら会社の損害になる。


(でも新規開拓よりマシだ…よな?)


 うだるような暑さの中での営業。午後の営業はあと三件回れば終わる。


(さすがに一服いっぷくしよう。)


 まわるは自動販売機で飲み物を購入し、小さな公園のベンチに座り込む。飲み物は聞いたことのないブランドのスポーツドリンク。大手より安いが味はたいして変わらないため、いつも好んで飲んでいる。


(少し我慢すれば、お金も早くたまる。)


 営業を終えて会社に帰る。まわるは今日の目標契約数に届かなかった。


「おい望月もちづきぃ!!今日の契約これっぽっちかよぉ!!?もっと気合と根性だろぉ!!?誰に金もらって生活できてると思ってんだよ!?会社様だろぉ!?はい、ありがとう10連発ぅ!!」


「ありがとうございます!!ありがとうございます!!ありがとうございます!!」


「声ちっせぇよ!!嘘の感謝が見え見えだぞ、望月ぃ!!」


 大声で叫ばされるまわる。同僚からは白い目で見られる。同情か、軽蔑か。みんな心の中で「ああなりたくない」そう思ってるのかもしれない。


(でも、新卒で内定もらえたのはこの会社だけ。俺の市場価値なんてそんなもんなんだ。ここで頑張ればきっといいことある。今は我慢だ、我慢!)


 仕事を終え、最寄り駅に到着。スマホの時計は23時を示していた。


(今日も残業しちゃったな…。でも、終電までに帰られてよかった。)


「おにーさんっ。」


 帰り道、幼い少女の声が聞こえ、足を止める。視線を下に持っていくと、そこには白いワンピースを着た小学生くらいの女の子が立っていた。


「えっ、あっ。どうしたんだいこんな時間に!?おうちの人はどこかな?ま、迷子かな?」


 慣れない子供にたどたどしい口調になるまわる。少女はそんな様子、お構いなしだ。


「おにいさんはたくさん『我慢』してるんだね。えらいえらいだね。あたしもよく『おかしは我慢しなさい』っておこられちゃう。でも、我慢きらーい。我慢しても良いことなにもないんだもん。…もしも、我慢するだけで、良いことが起きたらさいこうじゃない?」


まわるの周りをぴょんぴょん飛び回りながら語る少女。


「君…何を?」


「はいっこれ!おにいさんにあげちゃいますっ!」


 少女から手渡されたのは手のひらサイズの人形。袈裟けさをまとい、丸刈まるがりで、目を閉じ、祈るように両手を合わせている。その姿はまるで…。


「この子の名前は『三日坊主みっかぼうず』だよっ!じゃあ、仲良くねーー!!」


 少女は人形を無理やりまわるのカバンに入れ、足早あしばやに去っていく。まわるはまるで幻覚でも見ているかのような気分であった。


(つ、疲れているんだ。きっとそうだ。)


 まわるは自宅に到着し、玄関扉を開ける。ガチャリと家の中に音が響く。


「ただいまー。」


 まわる帰ると、母親が出迎えてくれる。


「おかえりまわるちゃん。今日も遅かったわね。大丈夫なの?上司の方や同僚の方にいじめられてない?」


 母親は小さな子供に話しかけるような甘ったるい声でまわるに話しかける。


「大丈夫だよ、みんないい人。俺が仕事の効率悪いだけだから。」


「そう?それならいいんだけど…。いい?何かいやなことがあったらすぐに相談するのよ。そーだ、まわるちゃんじゃなくて先輩方の教育の質の問題もあるんじゃないかしらぁ?今度その辺を聞くために電話したほうが」


「やめてよ!俺は大丈夫だよ、母さん。……風呂、入ってくる。」


 まわるは風呂につかりながら考え事をしていた。


(母さんはいわゆる「過保護」の部類に入るのだろう。友達の話を聞いても、自分の母親のような行動はしないらしい。…でもこうやって毎日風呂も飯も用意してくれている。感謝しないと…。少しうざったいくらい我慢だ、我慢)


 風呂から上がると、母親は料理を温めなおし終わっており、机にはほかほかのおいしそうなご飯が並んでいた。まわるは自分の席に着き、食事を始める。母はお茶を飲みながら、まわるの会社の様子の話を聞いていた。


「そんな感じで、本当にいい人ばっかりなんだ。帰りが遅いのも、早く一人前になりたいからで…。なぁ母さん。話は変わるんだけどさ。」


「なぁに?まわるちゃん。」


「そろそろ一人暮らし始めたいなって。大学の頃もずっと実家暮らしだったし、門限があるのなんてウチくらいだよ。俺も自立の準備を…」


 まわるの話を終始笑顔で聞いていた母親の顔が急激にゆがむ。


「そんなこと…!許せるわけないでしょ!!まわるちゃんはまだ一人前になれてないんだから!!あなた、一人暮らししてバランスいいのご飯が食べられるの!?毎日ちゃんとお風呂に入れるの!?シャツをきれいにアイロンがけできるの!?できないでしょ!?まだできないのにそんなこと言わないで!!」


 先ほどまでの甘ったるい声は姿を消し、キーキーとつんざくような声でまわるを責める。


「わかった!!わかったよ母さん…。変なこと言ってごめん」


「……一人暮らしで自由に過ごしたいのはわかるわ。でも我慢しなさい。それがあなたのためになるんだから。」


 ヒステリックに怒る母親は、落ち着きを取り戻しお茶をすする。テレビの音と、まわるの食事の音だけが流れる空間。


(一言謝ればいつも通りの母さんに戻る。母さんはかわいそうな人だ…。母さんの言うことも全部正論だ。我慢、我慢すればいいんだ。)


 まわるは食事を終え、二階の自室に戻る。ベッドにスマホを投げ、ため息をつく。


「は~~、ああ言われたけどやっぱり一人暮らししたいなぁ。正直母さんと毎日一緒にいるのもしんどいし…。」


「母親から一人暮らしの許可を得たいならば、『間食』を三日間我慢せよ」


「え…?」


 まわるのカバンの中から無機質むきしつで野太い男の声がした。

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