エピローグ

 二か月後。三月終わりの山間の突き刺す寒さを残したままの、桜がやっとつぼみを付けるくらいの日光だけが柔らかな春に入っていた。

「重い」

 輪郭のしっかりした弱音を吐きながら歩いていた。午後二時、今春入学する高校からの帰路についていた。 一週間後の入学式の次の日から始まる授業の準備のための登校日だった。教科書と体操服の配布と必需品、選択授業の説明など一連のスタートキットの紹介などの説明を受けた帰りだ。

 結局志望校に受かった。元々A判定だったから余裕はあったけど、当日まで緊張が解けずにいた。試験の後も問題を間違える悪夢ばかり見る日々が続いて、合格発表で自分の番号があった日にやっと夢も見ない十時間睡眠できたくらいだった。

 通学路は家→自転車(時間が合えばバス)→電車→徒歩→学校という経路である。今は学校から駅に向かう途中だ。実家よりも栄えている松本中心地に目を輝かせる余裕もなく、ひたすら足を動かしていた。今日は早めに終わったから午後四時に消える下車駅→家近くの公民館前停留所へのバスにも乗れる。

 学は歩きながら今後の服装について考えていた。クラスメイトと初めての顔合わせとなった今日は和服で登校した。私服可の学校だからだ。が、思ったよりもビビられた。背が高いと呟かれていたから、そっちの方でビビられたのかもしれない。放課後に呼び出されて先生には和服は高価じゃないかと確認してきたものの、ジャンパーのような上着、下着や機能性下着以外は蔵に会った布をミシンで縫っていると説明すると言葉が突然ぎこちなくなった。じゃあいいかと返された。内申に影響があるだろうか心配になった。入学式は袴で行くとして、一か月くらいは洋服で様子見すべきだろうか。

 そんなことを胡乱げに歩いていると、ちょうど茶屋の目の前に止まった。じいちゃんの喜びを思い出した。

 合格を伝えるとじいちゃんは泣いた。近所に自慢するくらい嬉しさを爆発させて、お祝いに松本中心にある高い料理屋に連れてもらった。

 ただ進路については話題を出さない。今までは試験のストレスで口に出せないと理由付けできたものの、これからは向き合わないといけない。

 研究室と書庫の本についても祖父に任せた。売れたとは聞いた。相続税についてもマイナスになることもないらしい。それで終わりだ。けどたまに遠くを見つめている。じいちゃんは寂しがっている。

 決めた。やっと入学準備も落ち着いたのだから、合格のお礼に買っていこう。そしたら友だちを呼んで少しは寂しさが紛れるかもしれない。

 引きずるように店前まで歩く。一旦教科書の袋を地面に置いた。肩が羽のように軽い。

 店員さんに頼み、玉露を少量買う。受験期は筆記用具だけ買っていたから春休みに友達と遊んでも余裕は十分あった。

 店員が突然顔を上げた。どうしたんだろう、まあどうでもいいか。

 商品をいただき再び歩き出そうとしたところで、声がかかった。

「久しぶり」

 店員が悲鳴を上げて一瞬反応が出遅れた。自分に声を掛けられていると気づいたと同時に声の主を思い出した。

「才木さん」

 振り向くと黒い高級車が停まっていた。後部座席の窓から才木さんが顔を出す。大通りにわざわざ路駐してくれたようだ。

「何故ここに」

「こっちの高校に通うことになったんだ」

 才木さんが高校名を言う。びっくりした。

「同じ高校じゃないですか」

 合点が行った。あの騒ぎは才木さんによるものだ。じゃあ元アイドルが居るなら別に和服でも目立たないだろう。

「乗ってかない?道中寄ってくよ?」

「家どこですか」

「あの研究所」

「ああ、え?」

「乗ってく?」

 暗に車の中で説明するとほのめかされる。回らない頭では乗る以外の選択肢が思い浮かばなかった。

 レースのようなシートカバーの上に乗せて、遅れて自分も乗る。静かにドアを閉めると静かに振動もなく車は走り出した。

「昔の高級車に黒が多い理由は、光というのは神から与えられたものであるから色の分解は悪である。だからこそ黒以外の車を作る気はなかったからという事らしいよ。または汚れが目立たないとか富の象徴であるからなど諸説あり」

「そうなんですか」

 人生初高級車。学は想像以上の居心地の良さに眠気が襲い掛かっていた。

 だがほぼ初対面の人の車で寝るのは失礼だ。聞きたいことも色々とあるため、先に話題を振った。

「あの家を買ったのはあなたですか」

「ああ。ちょうど家が欲しかったんだ」

「いいんですか中古で」

 高級車を変えるなら家買うことだって造作ないだろう。ただ首を振った。

「急に今の家を出ていく必要ができてね。ちょうどよかった」

 中学生が?とは口に出さなかった。俺も在学中に祖父が亡くなった場合、出ていってもおかしくない。触れずに流す。

「一人暮らし?」

 東京では高校生の一人暮らしもあると知っていた。才木さんは首を横に振る。

「執事とお手伝いさんと同居。広いから。申し訳ないけど……ちょっとメーカー回収対象のヒーターがはめ込まれてたりして、ちょっと改修させてもらわないといけない」

「それは仕方ないですよ」

 想像の上の古さを行っていた。ただ確実に自分たちよりも館の世話をしてくれると分かったのは行幸だった。

 あの家は父が建てたものではなく元々どこかの偉い人の別荘だったという噂らしい。心霊現象や怪談があったから安かったとか。近所のジジババの井戸端情報を考えると、買い手が付く方が嬉しいくらいの家なのに買ってもらえたのは非常にありがたい。下手に放置されて事故物件になっても困る。

「あの封印書も買ったんですか?」

「うん。かなり興味深い封印書なんだ。家の魔術書を色々見直しているけど、分野が違うね」

「書庫の本は」

「ああ、おじいさんは売らなかったよ」

 固まった。父の生活品の処分は手伝ったが、本棚に関しては量が多すぎかつ専門的すぎて処分をするなら時間がかかるとじいちゃんが言っていた。だからあまり関わってない。

 知識量の立場ではじいちゃんも変わらない。じゃあ。

「事実は何よりも雄弁である」

 夢野久作『ドグラ・マグラ』の一文が呼び起こされる。物の方がずっと素直に語っていた。

「頑固な人だけど悪い人じゃないよ」

「……そうですね」

 だからこそ、才木さんに聞きたいことがあった。

「以前魔術界は血統主義が強いと言ってましたよね」

「……そうだったね」

 目を逸らす。あまり触れたくない話題のようだ。けどこっちも引けない。

「子どもに魔術の才能がない場合、親が離婚する事例はありますか」

 才木さんは窓を向いた。表情は見えない。今更聞くべきでなかったかと後悔した。

 赤信号で車が止まる。才木さんは話し始めた。

「基礎さえできれば使える無属性魔術と違い、属性魔法はごく一部の人間にしか表出しない。特に同じ親族であるほど出る可能性は高い」

「その判定は何歳まで」

「……基本は三歳」

 やっと納得した。母が出ていったのは俺が属性魔法を使えなかったからだ。

 三歳の時、母に杖を渡されてなんか色々したような覚えがある。やっていることの意味が分からなかったが、段々母親の機嫌が悪くなっていって怖かった。

 四歳の時、母は父と口論した。あなたとの結婚は失敗だったと叫び、父は母を叩いた。それからすぐに別れて、父は俺を連れて実家に戻った。

「必ずとは言えないんだけどな。後天的に表出する人もいっぱいいる。元々一般社会の人と結婚しても使えることだってある。だが信仰するやつも絶えない。僕や僕よりも少し上の人たちは皆嫌気がさしてる」

「ああ、よかったです」

「人も減ってるしな。もう選べる立場じゃないのに、縋りつかれてもな」

 言葉に棘がある。渦中に居ても、やはりプレッシャーが苦しいらしい。

 父の人間不信も、じいちゃんの苦しみも俺のせいなのだろうか。

 ただ一番困らせるのは恐らく俺の決断だろう。

 才木に尋ねた。

「俺が封印書を解く勉強をしたいというのは無謀ですか」

 静かに沈黙が流れた。

「まずおじいさんと話しなよ。ただ魔術界の人と付き合わないなら、とか条件付けられるんじゃない?」

「そうします」

 当然の言葉を返された。ただ否定はされない。できないわけじゃなさそうだ。

「驚かないんですね」

「封印を解いた時目を輝かせていたから。魔術について調べるとは思ってたよ」

 窓からこっちを向いた。口をへの字に変えた。

「今の話を聞いてもやめないんだ」

「技術と物に罪はありません。封印を解いて、本来あるべき意味と価値を取り戻したいと思っただけです」

 知識の広範囲性から、途中で別の専門にも足を延ばせそうという逃げもあるけど。

 でも残った二冊の封印書に何の意味も戻らないというのも、自分の人生が無意味だと否定されるようで嫌だった。

「一生かけても解決できないかもしれないよ」

「……それでも、一度は手を伸ばしてみたいです」

 数学のミレニアム問題という超難問がある。天才が一生かけても解けない難問が残っている。ただ謎というものは魅力的で、一生かけて解けなくても追い続ける人は多い。

 自分はそこまではいけないだろうけど、でも見てみたかった。

 才木さんの顔が止めたいと語っている。でも口は別だった。

「破滅しないように友だちと関わりなさい、とだけ」

「ありがとうございます」

 帰ったらおじいちゃんと話そう。本が蔵にあるなら、少しは話せるはずだ。

「もし家にあったら読んでもいいか聞いてみます」

「ありがたいんだけど、君は魔術のこと知らないんだろう。現代魔術について初歩くらいは教えるよ」

「いいの?家買ってもらったのに」

「家関係なくない?まあ、本を見せてくれるお礼だから」

 それに地元の知識もないから。多分こっちが本音だ。こんなど田舎には人脈がないだろうし。それでも知識をくれるのは嬉しい。

「これからよろしく」

 右手を伸ばしてきた。俺も右手を伸ばし、握手する。

「よろしくお願いします」

 強く握った。皮膚の細やかな感覚がきて、やはり別世界の人だと思った。

 それでもこれから向き合わないといけない。今いる人にも、いなくなった人にも。

 封印を解くという目標は今の自分に向いていた。今いない人ができなかったことを、明らかにしていくしかない。

「あれ」

 まずはじいちゃんと向き合おう。ゆったりとした社内の空気に呑まれて、完璧に意識を失った。

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もの語るは雄弁に @aoyama01

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