魔術の説明
客間に移動し、茶と茶菓子を出したところでじいちゃんは頭を下げた。
「百瀬作太郎です」
「百瀬学です。よろしくお願いします」
俺も遅れて頭を下げた。才木も頭を下げて挨拶し、丁重に両手で名刺を渡した。
それから俺たちの対面に座る。背筋を伸ばして、まるでスタジオに居るようだ。
「封印書の解読ができたと聞きました」
見とれていた。じいちゃんの言葉にはっとして自分も背筋を伸ばす。
才木は当然のように返事を返す。
「はい。恐らく本が科学的に本物であることを確認した後に報告する予定だったと考えるべきでしょう。ごくたまにすり替えられることもあります」
「こんな田舎まで来ますか」
「解読できたとなれば、億単位の金額が入ってきますから」
緊張で口内がからっから。茶に口を付けるといつもより香り高さが鼻を突いた。お客さん用の高い茶葉だ。でも飲んでものどが渇いて仕方ない。じいちゃんと才木の会話が理解できない。
「それで、学君を同席させてよろしいのですか」
吹いた。映画から突然話題を振られたような心地だった。じいちゃんは頷いた。
「私に何かあった時のために」
「なるほど。では魔術についての知識はどれほどで」
茶椀を置いた。魔術と名のついたものの知識を思い返す。
「……全く知りません」
文字としては知っている。けど示す先が違うとは察した。
才木は不満もいわずじいちゃんと向き直った。
「まず大まかな説明をしてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
「わかりました」
鞄から指揮棒のような杖を取り出し、説明を始めた。
「まず魔術について。これは学問の一分野と認識してください」
「学問?」
「例えば、『集』」
才木の手元の飲み終えた茶に杖を振る。すると、湯気が濃くなった。勝手に口が開いた。
「温度を上げた?」
「いいえ。お茶椀の周りに粒子を集めただけです。温度は上げていません」
「ではこれは」
「液体がある程度の熱を持ち、かつ表面に一定以上の粒子の密度があれば水滴が粒子に集まって湯気が出ます。これは煙の多い焼肉屋で湯気が出やすい原因ですね」
塾講師のように杖を反対側の手に置いた。
「これをどうやって集めたのかといいますと。魔力です」
やっと落ち着いた。非現実的だが、やっと自分の知る魔術の話になったからだ。
「魔力というのは、ある人のもつ固有の特性のことを言います」
「特性?」
「例えば、静電気がたまりやすい人が居るとします。その人は当然だが唾液や熱など自分の一部が放出されている。魔力というのは自然と放出するエネルギーのことで、集中力や動きによって魔力を操作します」
杖を撫でた。
「この杖自体に不思議な力もありません。どこに向けるか、何をするか、座標、ベクトルを定めるために指揮のように表現するための道具です」
なんとなく理解した。フォルテとピアノでは差があり、速度記号では『幅広くゆるやかに』、『気楽でゆるやかに』など緩やかにも種類がある。言葉の違いやそぶりの大きさで魔術を決めているのだろう。
「当然ですが人によって特徴は異なります。電気が強い人も居れば、筋力が強い人も居る、千差万別ですから魔力も千差万別です。魔術が科学と異なるのはこの魔力に準ずることになります」
「ええと?」突然レベル上がったな。
「普遍が科学であれば、特殊が魔術となります。一定の条件下で事象を確実に再現できるというのが科学であれば、ある人が一定の条件下で超自然的な事象を再現できるというのが魔術です」
「……例えば?」
「今やった魔術の理論や仕組みを理解して、同じような状況になったとしても君は再現できないかもしれないという事。逆に僕ができなくても君ならできる魔術もある。例えれば生体電気が強い人は静電気を発生させるなど電気関係の魔術は可能ですが、逆に鉄や金属関連の魔術だと魔力の電気が邪魔をして勝手に磁石になったり、他の要素が強すぎて求めていた結果にはならないことです」
pHを思い出した。酸性が強いほどアルカリ性は遠い、逆もまた然り。でも酸性がアルカリ性とすべて同じ性質を持つわけではない。シャンプーは酸性で肌を傷つけずに皮脂を落とし、石鹸は弱アルカリ性で洗浄力を求める。できること、向いていることは違う。
皮膚も中性じゃない。魔力だって同じということだ。
「超限定的な条件下で再現可能な科学現象みたいなものですか」
「その認識で大丈夫」
学は肩を下した。精神的な事象というよりも、起きていることは自然現象だ。
「そして魔術の問題ってのも個人によるものですね」
わかりますか?
「情報の機密性ですか?」
「そうです。魔術について深く研究するということは、当然ですが個人情報の塊になります。生体情報から食べたものまで、現代では当然の情報も非常に希少なものでした。また研究を発表するということは自分の手の内を開くということで、誰にでも可能な魔法以外は皆無でした」
机に三冊の本を並べる。その横にノートの山を置いた。ノートの拍子には三つの印のスタンプが押されている。黒い四角の中に花、木、氷の結晶の白抜きした模様が並ぶ。
「魔術書というのはある魔術の発動方法の情報を集めた書類のことを言います。そのうち封印書というのは、封印魔術の施された魔術書のことで主に個人の研究結果やメモの書かれた書類を暗号化や物理的に封じたものです」
やっと納得いった。
「父が解読したというのはこのことですか」
「おそらく。書庫にある分では、この三冊が封印書となっております。『アレイスタークロウリーの手稿』、『安倍晴明(仮)の日記』、『ファウスト博士の魔術辞典』となっております」
じいちゃんが持ってきておいたノートと三冊の年代の違う本を並べる。
「かっこ仮?」
「18世紀の本であるとX線鑑定ではわかりましたが、封印魔術が不明のため、表紙の『安倍晴明』以外何もわからない本です」
「この封印書を一冊でも解くと億の大金が手に入るのは本当ですか」祖父が水を差す。
「はい。ダヴィンチのレスター手稿が約30億円で落札されました。現在は白紙の本です、これだけでも五十万は軽くする本ではありますが、解読した場合」
「このノートは?」
「これも封印書です」
直がノートを開くと、中は真っ白だった。筆記痕もない。ただノートの端が丸くなっている。使った痕跡はあるようだ。
「見ての通り白紙です。ですが、既定の手続きを取ればここに文字が浮かび上がります」
「そういうものなんですか」
「何度も見返すノートですから、可能な限り簡単な手続きで強固な封印になっているはずです。連絡では『解読できた』とだけでどの本かはわかりません。何かご存じですか」
才木が俺とじいちゃんの様子をうかがう。俺は首を振った。
「なんも知りません」
「仕事の話はしなかったので」
覚えている限りの父の姿は、無口でテレビの画面を見ている背中だ。
「では、このノートの印について思い当たる節はありますか?」
「正しいかはわかりませんが、市に関するものじゃないですかね」
じいちゃんが引き出しから市の健康診断の書類を出した。右端の市章を指さす。
「松本の市章がこれです。これの要素の一つに雪の結晶があります」
次のしるしを順々に指す。
「これはつつじ、市の花です、これは松、市の木です」
じいちゃんは下のノートを上げ、底まで拍子を視覚確認する。
「順番はバラバラですが、全部これですね」
ノートの拍子には順番関係なくこの三つのスタンプが押されていた。
「郷愁でしょうか」
「……さあ」
じいちゃんは遠い目をした。わからなかったという寂しい目だ。
「学君も思い当たる節はありますか」
額に手を当てた。はっきりとは思い出せないが、何か引っかかるものがある。
「わかりませんが、昔この並びを見たことがあるような気がします」
「そうですか。作太郎さんは」
「…………ないな」
ひねり出したような口だった。
「では学君は僕ともう一度屋敷に戻りましょう。関連する物品を見てもらいます」
話に区切りがついたところで直が立ち上がる。俺は挙手した。
「学君?」
「もし解読できなかったと俺たちが主張した場合、どうなりますか」
才木は視線を空に向け、学と視線を合わせた。
「仮に今回の調査に参加せず、研究機関がこのノートの封印を解き、かつ内容に従って本を解読できた場合は虚偽の主張とみなされる可能性があります。脱税などそれなりの罰があると考えられます」
ぎょっとした。脱税という言葉が胸に大きくのしかかる。そうなったら高校受験どころじゃない。
「今回調査して仮に解読できなかったとしても、事情が事情なので情状酌量の余地はあります。ただ、故人の尊厳のためにも最大限の努力はすべきでしょう」
仮にノートの封印を解けなかった場合、父はただの嘘つきになる可能性がある。名誉棄損である。封印が解けて解読できていない場合でも嘘つきになる可能性があるが、どの程度嘘つきだったのか、どこまで解けていたのかがわかる。
突然ビール暗号を思い出した。1820年代にトーマス・ジェファーソン・ビールという男が残した暗号。解読できれば60億円よりも高い財宝の在処が書かれている。三枚あるが解読されたのは二枚目だけ。そして様々な人々が手を上げたがほどんどが狂言だった。
解けたということは誰でもできる、証明は五百年に一人でも多い。だからこそ手を上げたのは本当であって欲しかった。
父に複雑な思いを抱いがあっても、死者の尊厳は守りたいという人並みの情はある。
「もし解読できた場合でも相続税などの手続きについては協力させていただきます。どちらでも……いえ、後で説明します」
「よろしくお願いいたします」
儀礼的に頭を下げた。才木は珍しく年齢相応に興味の方が先に来たのか、既に研究室の方を向いていた。
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