タイタンへの反逆

桜川 なつき

本編

「世界崩壊危機から十年」

 そんな話が朝礼であった。十年前、世界は未曾有の蝗害に襲われ、世界中の国々が食糧危機に見舞われた。

 そんな危機を救ったのが、GMフード(ジェネティカリィ・モディファイド・フード、遺伝子組み換え作物)だ。蝗害以前からGMフードの開発は行われており、害虫に抵抗性のあるものも作られていた。しかし十年前、その毒素に抵抗性がある突然変異のイナゴが出現した。その災害に対して世界中の研究者が協力し、ひとつのみならず数百を超える多様な毒素を産生するGMフードの系統を作出した。すべてに抵抗性を持つ害虫が現れない限り有効であり、その変異体が現れる確率は極めて低いということだった。


「おい、チビ野郎。今日はこの仕事やっといてくれよ」

 二メートル以上ある大男たちが端末からファイルを投げつけて帰路についていく。オフィスに取り残された唯一小柄な男――田村は一人ため息をついた。チビ野郎というのは田村についたあだ名である。

 田村は立ち上がってマグカップにコーヒー風粉末を入れると監視モニタの前に座った。モニタに表示される映像はどれも植物のものだ。

 そのうち一つのトマトを映し出しているモニタが異常値を知らせていた。このトマト――タイタンと名付けられている――はこのGMフードの先駆けとなったものだ。例の蝗害より前、世界で初めて「完全栄養食」として認められた。世界中で特許取得後、発展途上国から先進国まで皆こぞってこれを生産するようになった。人間が必要な栄養をこれ一つで十二分に補うことができ、味も悪くない。干ばつ耐性もあれば害虫耐性もある。文句なしの完全作物だ。このタイタンのおかげで世界の食糧・栄養事情は急速に解決し、人類の大幅な大型化をもたらした。ここ二十年ほどで世界各国の平均身長は大きく伸びたという。

 しかし一方で田村にとっては忌々しいものであった。田村はアレルギーにより、そのトマトを口にすることができない。害虫耐性に関する数百のタンパク質のうち、どれかにアレルギーがあるらしい。現在ほぼすべてのGMフードにそれらは組み込まれているため、アレルギーを持つ人々は食べることができなかった。田村は人類巨大化の時代に逆らうように小さいままだ。それでついたあだ名がチビ野郎。

「あれ、いたの、田村くん」

 突然の声にびっくりして手に持ったコーヒーの液面が揺れる。振り返ると監視室の入り口に望月が立っていた。彼女は白衣に身を包み、長い黒髪を静かに下ろしていた。

「なんです、皆帰りましたよ」

 視線をモニタに戻しながら田村はぶっきらぼうに答えた。望月は田村の同期にあたるが、人望も容貌も身長も平均以上、所内の男の間でも度々話に上がるくらいの美人だった。それでいて田村を差別したりせず、むしろ好意的に接してくれる。ただ、それが田村に対する所内のいじめのさらなる燃料にもなっているように感じていた。そのこともあり、田村はできるだけ彼女を避けていた。

「おやおや、異常値出てるじゃん。見に行かないの?」

 すぐ横で長い髪が揺れる。

「これから行くところですよ。これを飲んだら」

「ふーん、おいしいの、それ」

 彼女は田村の持つマグカップに入った人工合成されたコーヒー風飲料を指す。コーヒーにもアレルゲンが含まれる可能性があることから、田村は完全に人工的に合成されたコーヒー風のインスタント飲料を飲むようにしていた。

「まぁ、おいしいですけど……」

 彼女はふーんと返事をしてすっと背を起こすと、先に行ってるねと言って部屋から出て行った。所内での評判も高い彼女はこうして皆が帰った後も度々残業していることがある。きっとGMフードが好きなのだろう。美容やアンチエイジングにも効果的な品種も開発が始まったところだ。

 残りのコーヒー風飲料を飲み干す。溶け残ったコーヒーの粉を水道ですすぎ、田村は部屋を出てグリーンハウスへと向かった。

 グリーンハウスは別棟にある。グリーンハウスというが、ガラス張りなどではなく世界各地の天候を反映した試験施設という感じだ。タイタンの異常があった区画へ行くと既に望月が事態の対処に当たっていた。自動水やり機の元栓が閉まっていたようだ。どうやら誰かが戻し忘れたらしい。彼女は区画用の白衣に身を包み赤く熟れたトマトを眺めていた。

「田村くんは食べられないんだよね」

「……知っての通りです」

「じゃあ何を普段食べてるの?」

 望月は他意のない眼差しを向けてきた。

「アレルギー持ちの人のための非遺伝子組み換え食物を買ってますよ。あとは人工栄養食。GMフードは基本全部ダメですからね、最近のやつは」

「最近のやつは、ねえ」

 彼女は意味ありげに頷く。十年前までは田村もGMフードを口にすることはできた。十年前の蝗害により世界的な食糧難に陥ったあと、貧困国の救済においてGMフードが有益だと判断されるようになった。これまで遺伝子組み替え体に慎重な姿勢を貫いてきた国連までもがGMフードの栽培を励行し、それ以降世界の食糧事情は大きく変わった。

 しかし一方で田村が抱えているようなGMアレルギーの問題も深刻化してきていた。従来よりも強い害虫耐性を持つ新しい組み替え体は非常に多様なアレルゲンを産生するため、世界人口の5%がアレルギーを持っているという。その少数派の人間は世界で主流となってしまったGMフードを口にすることができないため、「ナチュラルフード」と呼ばれるような非組み替え体作物を買うか、完全に人工合成された食料を食べるほかない。人工食料は高価な上に多くは美味しいとは言える段階にはまだない。ナチュラルフードは生産者も少なくなったことから高価で流通もごく僅かである。

 アレルギーを持つ人々はそのような理由から経済的に困窮していることが多い。政府からの補助金はあるが、十分とは言えないものだ。その上、GMフードを食べる人との体格差から差別の対象となっていることが少なくなかった。実際、GMフードしか作っていない貧困国ではアレルギーをもつ人間は死んでいくしかない。

「田村くんはGMフードを恨んでる?」

「……いや、こうして僕はGMフードに食べさせてもらってるので。GMフードは食べれなくとも、恨んではないです」

 田村は大学で遺伝学を専攻していたこともあり、国立研究所への就職を選んだ。

 ふうん、と望月はタイタンの様子を眺めながら言った。この試験区画は日本のどこかと天候がリンクしている。日が傾きかけたように天井や壁が徐々に赤く染まっていく。

「そうだ、これからご飯行かない? おいしいナチュラルフードの店知ってるよ」

 田村は驚いて、顔を上げる。トマトのように赤く照らされた彼女の頬を見つめていると、たまにはいいかと思って提案に乗ることにした。


 望月に連れてこられた店はまだ知らない店だった。研究所から駅までの間に商店街があり、その商店街の端っこの細い路地を入った先にその店はあった。

「怪しい店だと思った?」

 店の前で望月が振り返って言う。田村は顔に出てたのかと思って慌てて首を横に振った。望月が木製の古びた扉を開けると、カランカランと静かにベルが鳴った。

 田村と望月以外にも客は何人かおり、店はそこそこ繁盛している様子だった。望月の言うとおり、ここにはGMフードは一切置かれておらず、どれも珍しい非遺伝子組み換え体ばかりであった。

「ここ、私の行きつけなの」

 望月は運ばれてきたトマトのサラダをつつきながら言う。

「あなたは、その……ナチュラルフードのほうが好きなんですか?」

「あーうん……というか、私も実はアレルギーなんだよ」

 彼女は何でもないようにそう言ってトマトを頬張った。

「おととしまではね、普通に食べれていたんだけど。ある日急に発作が起きるようになって……診断はGMアレルギー。田村くんと同じく害虫耐性タンパクに対するアレルギーよ。身長も以前より小さくなっちゃった」

「そうだったんですか……」

 田村は突然の告白になんて言ったらいいのかわからなかった。

「あえて普段から言うようなことでもないし、なんだかアレルギー患者自体が今煙たがられる世の中だからね」

 田村は運ばれてきたスープに浮いているキャベツを口に運んだ。最近はずっと人工食料ばかり摂取していたから、本物の野菜を口にするのは久しぶりだ。

 GMフードを食べられない人間に対する偏見の目は年を追うごとに加速している。少数派であることに加え、前回の食糧危機の時に苦い思いをした連中が政治的に強力にGMフードを推進しているからだ。十年以上前、GMフード自体に世間からの偏見があったことはもう誰も覚えていないらしい。

「それでね、今日は田村くんに嬉しい情報を持ってきたんだ」

「え、なんですかいきなり……」

「何だと思う?」

「さぁ……さっぱりです」

 彼女は不敵な笑みを浮かべると鞄からバイアルを取り出した。何やら小さな茶色い点が見える。

「これは……ショウジョウバエですか?」

 田村はスプーンを置いてバイアルを覗き込む。中ではショウジョウバエが飛び回っていた。

「私が最近開発したショウジョウバエ。こやつらの腸内には例のアレルギーの原因となる遺伝子を壊すための改良型アグロバクテリウムが含まれているの。そしてこのハエの幼虫はGMフードに対して正の走性、つまり好んで寄りつくようにゲノム編集がされてるの。まぁ、葉っぱとかについてる酵母とか食べるから食害は起こさないんだけどね」

 突然の告白に田村は閉口した。彼女はGMフードを滅ぼそうとしているのか? 望月はバイアルを爪で弾きながら話を続ける。

「これで私達を苦しめるアレルゲンを産生する遺伝子を破壊するのさ」

 田村は少し考えた後、口を開いた。

「いやしかし……望月さん、それは不可能ですよ。現在のGMフードは多様な害虫耐性遺伝子を組み込んでいます。一遺伝子座を潰したところでそんな簡単にアレルゲンが取り除けるとでも?」

「そのくらいわかってるよ。確かに何百という遺伝子が組み込まれてる。組み替えによって自然に抜けてしまっても突然機能が失われないように複数の染色体にわたって設計されているからそれを消し去るのは容易ではないわ」

「じゃあどうやって……」

「この計画で一番まずいのは何だと思う?」

 彼女が声のトーンを落として田村にささやきかける。田村は身を引いて考える。

「……わからないです」

「……前回の災害の時と同じく、すぐにそうした事態に対抗する新しい系統が確立してしまう、ということよ」

「……なるほど……つまり、ばれないレベルにこっそりと進めるということですか」

「そういうこと」

 彼女はようやくショウジョウバエが入ったバイアルを鞄にしまうとサラダの続きを食べ始めた。田村も冷めかけたスープをすする。

「今回の計画は数年単位で実施されるものよ。徐々に我々人類が加えた遺伝子を潰していくの。しかも抜け落ちたかどうかをわかりにくくするためにほんの一部だけ手を加えて遺伝子を偽遺伝子化させるの」

 偽遺伝子化、つまりはタンパク質をコードする部分の一部、おそらくほんの数塩基だけを挿入することによって正しい転写物を作れなくさせるのだろう。そうすれば簡易検査くらいはすり抜けることができる。

「元々植物にあった遺伝子も壊してしまわないですか?」

「大丈夫。人工的に組み込まれた配列が登録されたデータベースあるじゃない? あれに登録されている配列に対してのみ有効だから」

 望月は店員を呼んでトマトリゾットを注文した。田村もライスとカボチャの煮付けを注文した。食べ終えた皿が運ばれていき、ふたりとも手持ち無沙汰になる。しばらくの沈黙の末、望月が呟くように話し始めた。

「私ね、トマトが、あのトマトが好きだったのよ」

「タイタンが?」

「うん。小学生の頃は背が小さいのがコンプレックスだった。だけどあれのおかげでみんな以上に大きくなれた。だからもう一度、食べられるようになりたい」

 田村もタイタンを食べることができた時期は今よりも背が高かった。しかし食べられなくなるとその身長を維持することは難しいらしく、徐々に縮んでいった。

 確かにGMフードを食べられるようになって差別や偏見から解放されたい、そんな思いを抱かなかったわけではない。だがそれを既存の技術を壊してまで手に入れようとまでは思わなかった。ましてや過去の食糧危機から救ってくれた技術を。

 実際には食害の原因となる害虫の数は減る一方で、今ではそこまで過剰な防衛策を講じ続ける必要はあるのかという声もある。だから害虫耐性に関する遺伝子を減らしたところですぐに大きな被害が出るわけではない、というのが望月の主張だった。

 さらに話を聞くと今日実際にタイタンの区画にショウジョウバエを放ったらしい。バレたらクビだろうが、田村は信頼して話していることだろうということで口外しないと決めていた。帰属する組織の正義とやらを振りかざす気もなければ、田村個人に対してあまり害となりうる話でもなかったからだ。

「田村くんも、食べられるようになるよ。絶対」

 きっと世界を、技術を変えていく人というのはこういう人なのだろう。最初にGMフードを作り出していった人たちもこんな希望を抱いていたのかもしれない。

 商店街を出て駅の前で別れる。彼女はこれから近隣の畑にハエを撒いていくらしい。田村はそれについて行くこともせず、ただ畑に向かう望月の背中を眺めていた。彼女について行って世の中を変える度胸は持ち合わせていなかった。


 あれからしばらくして望月は退職した。去る間際に「プロジェクトは進行中だよ。これからこの国を回って、みんなを、アレルギーから解放するんだ」と嬉しそうに語っていた。

 ただ、田村はそれから一年経っても相変わらずGMフードを口にしていない。進行中といってもどの程度遺伝子が抜けたのかわからない。どの段階で食べられるようになるのか、どうやって試したらいいものなのか。

「おいチビ野郎。この資料やっといてくれ」

 またいつものように終業時刻間際にやり残した仕事を投げられる。黙って受け取ったファイルに目を通すと定期的な栄養素診断の結果だった。これまでのデータに加えてグラフを起こす。

「……ん?」

 いくつかの項目の栄養素において値がわずかに減少している。

 過去の各栄養素を比較してみても、ここ数ヶ月で減少傾向にあるものもある。いや、厳密に言えば産地ごとに差があるようで、全体として見ると特別大きな変化はないが……。

「おいおい、まさか……!」

 田村は頭を抱えた。あのとき、あのレストランで望月が言っていた言葉を頭の中で反芻する。――確かデータベースにある遺伝子がどうとか言っていたような……。

 鞄から端末を呼び出して望月にコールする。三回コールが鳴ってそれから望月です、と声があった。

「お久しぶりです」

「ああ、田村くん? 久しぶりだね。どう? 仕事は順調?」

 飄々とした口調で彼女の声が聞こえる。

「順調といいますか、望月さん、あなた一体何をしてくれたんですか」

「何って。知っての通り世界からアレルゲンを一掃してるのよ」

「望月さん、タイタン食べてまた大きくなりたいんじゃなかったんですか?」

「……そうだけど?」

 それがどうしたといわんばかりの様子だ。意図的な破壊を目論んだわけではなさそうだ。

「その大事な栄養素、減っていますよ。あなた、まさかデータベースにある遺伝子全部消し去るつもりじゃないですよね」

 しばらくの沈黙の後、端末を通じて向こう側でバタバタしている様子が聞こえてきた。田村はため息をついてコーヒー風飲料をすする。これ、どうするつもりなんだ。彼女は愚かだった。データベースには昆虫毒素だけでなく、彼女が望んでいた体の成長を促進する栄養素の情報も含まれていた。今、彼女はショウジョウバエを通じて栄養素も昆虫毒素も全部一掃しようとしているのだ。

「望月さん、聞いてますか? あなた、これでもし前回のような食糧危機を引き起こせばたちまち牢屋にぶち込まれますよ」

「わかってるって!」

 彼女の声が遠い。田村はもどかしくなって立ち上がって監視モニタの前に座った。どれも正常値だ。しかし、それはグリーンハウスのモニタ値であって、植物の遺伝情報を指し示すものではない。

 今こうしている間にもショウジョウバエは繁殖し、生息域を広げ、その腸内に潜む微生物によって遺伝子が「編集」されていく。

「田村くん? まだつながってる?」

「ええ」

「今自動送出装置を止めたところ……やばいことになっちゃったよ……」

「とりあえず今からそっちへ行きます。どこです?」

「駅の裏側だよ。引っ越してないから」

 田村は端末の接続を切ると先程のグラフを閉じて急いで研究所を出た。


 望月の自宅は一戸建てで、二階部分がラボのように改造されていた。大量のショウジョウバエや微生物の培養装置などがそろっており、もはや研究室と言っても差し支えないような設備だった。

「まず――ショウジョウバエを殺す方法を考える必要があります」

「はい……」

 久々に再会した望月はすっかり青ざめて縮こまっていた。世界を揺るがすような大きな失態を引き起こしたことに自覚はあるようだ。あのときの自信気はどこにもなかった。

「うちの研究所の職員であなたがハエを放った全域に殺虫剤を空中散布します。それから残ったやつを根絶やしにするために新たな毒性を持つ酵母を散布する必要があると思いますが……」

 ショウジョウバエはGMフードを食べるわけではない。その植物の表面などに存在する酵母を主食としており、GMフードの毒素で死ぬことはない。そこで毒素を分泌する遺伝子組み換え酵母を散布してやれば、それを主食とするハエの数は減らせるはずだ。

「でもそれって、つまり、私がやったことを公にするということですよね……」

 すっかりしおらしくなった彼女はそうぼやく。

「当たり前です。このままだと今度は人為的な災害を引き起こすことになるんですよ」

「うぅ……わかったよ……」

 望月は観念したようにうなだれた。


 その後の組織の動きは非常に迅速なものだった。望月は身柄を拘束され、取り調べののち、すぐに該当地域の殺虫が始まった。田村が提案した組み替え酵母についてもすぐに開発が決定し、次の収穫時期までに十分な量が確保できた。

「では、やっておきますので」

「よろしくお願いします」

 ドローン作業員に組み替え酵母が入った容器を渡して田村は畑から少し離れたところで見守る。遺伝子組み換え体の散布に関しては今でも作業員による操作が法律で定められている。しばらくしてドローンが音を立てて空中散布を始めた。全国の畑にこの組み換え酵母は散布されることになっている。この数週間、非常に慌ただしい日々を送っていたが、これでこの件は一段落だろう。

 先日、望月の不起訴が確定した。関係各所同士で相当な揉め事に発展したが、結局は厳重注意ということになった。この国では組織に対して遺伝子組み換え体の取り扱いの規制はしているが、個人のこうした行為についての法整備はまだされていなかった。おそらくこれが遺伝子組み換え体に関する個人が起こした最初の事件だろう。しかし今回GMフードの脆弱性が明らかになったように、今後も同じようなことを起こすやつが出てきかねない。

 結局、望月のタイタンを食べたいという欲望は叶わなかった。しかし今回の事件がきっかけでGMアレルギーが大きくクローズアップされ、世間に認知されるに至った。

「まぁ、今回は大事に至らなくてよかったですよ。うちの系統はあの区画のタイタンしかダメージを受けていませんでしたから」

 釈放後、望月は研究所を訪れて謝罪した。その後田村と一緒にまた路地裏のナチュラルフードレストランに来ていた。

「私が馬鹿だった……データベースのほとんどは害虫耐性や抗病原体に関するものだったからチェックを怠っていた」

 あのときと同じく彼女はトマトを食べていた。

「ネットでも最初は私すごく叩かれていたんだよ。『人類の救世主を破壊するテロリスト』ってね。だけど私がGMアレルギーだってどこからか知られて、次第に同情する声が大きくなってきて、なんか脱GM運動みたいなのも始まってるみたい。結局そうなると、私が食べたかったタイタンはどんどん遠ざかっていっちゃうんだけどね……」

 しおらしい彼女は以前にも増して背が縮んだように見える。田村は適当に相づちを打ってスープを口に運んだ。

「僕はもういっそ、口にするものは全部人工食料にしてしまえばいいと思ってますよ」

「味気ないじゃん。まだあのコーヒー飲んでるの?」

「ええ、よく再現されてると思いますよ。メーカーの努力もありますしね」

「ふーん」

「実は僕もあの一件で責任を取らされましてね。辞めるんです」

「え? なにそれ聞いてない」

 望月が大きく目を見開く。望月と事前に接触していたことから田村も責任の一端があると見なされ退職が決まっていた。

「まあもともと居心地のいい場所ではなかったですから。これからは人工食料の会社で研究をやる予定です」

「……本当にごめんなさい」

「いいですよ、もう」

 彼女は視線を机に落としてオレンジジュースをストローで吸う。田村もコーヒーを口に運んだ。

「……人工合成した食料かあ。いずれGMフードに取って代わられるのかな。こういうナチュラルフードみたいにさ」

「生産効率が今はネックですからね。結構高価です。それさえどうにかなれば、いずれ置き換わるでしょうね。ただそれを推し進めるにはやっぱり何か大きな契機が必要なんだと思います。GMフードがそうだったように」

「契機ねえ」

 望月はジョロロ……とストローの音を立ててオレンジジュースを飲み干す。そのとき、望月の端末からニュースの通知が届く音がした。望月はそれを眺めて含みのある笑みを浮かべた。

「人工食料の時代はすぐそこかもね」

田村に向けられた端末の画面にはニュースの見出しがデカデカと映っていた。


『散布された組み替え酵母 強力なアレルゲンを確認』


<終>

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