6
労働歌なんだか讃美歌なんだかわからないがなり声を上げ続けていた合唱隊に、まばらな拍手が起きる。ぼくは舞台袖からそいつらを見送った。脱獄はしないが、ビルに見返りを約束され、講堂の制圧を手伝うメンバーだった。
ハリーが、シルクハットを神経質にいじっている。今日は朝からあまり喋っていない。珍しいことだった。緊張しているのかもしれない。
それでもひとたび舞台に登れば、ハリーは本物の奇術師みたいに見えた。
コインやハンカチを消失させ、刀を飲み込み、炎を消す。たぶん本当に消している。
種も仕掛けもない魔法を、演技で種や仕掛けのある奇術に見せているだけだ。それでも、大した役者ぶりだった。
感心しているうちに「脱出ショー」の準備がはじまった。
ハリーに促されるまま、宇宙船を載せた台車を載せて舞台に出る。看守たちはみな見たこともないような笑顔になっていた。それだけハリーの「奇術」に夢中なのだろう。
やつがお定まりの口上を述べながら紙を切って剣の切れ味を見せているうちに、ぼくは宇宙船を地面に置き、扉を開ける。ハリーのエスコートで中に入ってしまうとぼくは手持ち無沙汰になり、硝子窓からハリーを見やる。
奇術師ハリーは外から三重に閂を閉め、扉をがちゃがちゃ言わせて絶対に内側から出られないことを示す。
そろそろ出るか、と思った瞬間、ハリーは不意に満面の笑顔でこちらを振り返り、「ごめんね」と言って寄越した。
ごめんね?
表情とはあまりにちぐはぐなハリーの言葉について考えていたが、その間にもハリーは台から一本目の刀を持ち上げる。逃げなければ、と思ったところで足元に異変を感じた。
ステージの下に繋がっているはずの函の底が固着していた。
それでやっと、ぼくはハリーの言葉の意味を理解した。
「おい! どういうことだ、ハリー!」
壁を叩いたが、びくともしなかった。ビルたちはよほど頑丈に作ったらしい。それでも、ハリーにだけは伝わったようだった。本当に嬉しそうな顔をしてこんなことを言ってきた。
「大丈夫だよ」
何がどう大丈夫なんだよ。呆然としているうちに、ハリーは剣を振りかぶる。ぼくは思わず目をつぶる。
あんたは、ぼくを殺すのか? 消失させるんじゃなくて。もしかして、ずっとそうしたかったのか? そう思ったら泣きたいような気持ちになった。
出しぬけに、予期したよりもずっと鈍い衝撃を腹に感じた。
こわごわ目を開けると、腹の上で刀がひん曲がっているのが見えた。
混乱しながら触れてみれば、その理由がわかった。見覚えのある素材だった――形状記憶合金だ。それを薄く延ばして作った刀らしい。先端を丸く潰してあるから、ぼくの身体に当たって曲がったのだ。そういえば、紙を切ったときには横の刃を使っていなかったか?
二本目、三本目の刀が差し込まれ、やがて全て引き抜かれる。ほどなくして、ハリーが外から閂を開けて、ぼくを引っ張りだす。
今日いちばんの喝采に講堂が揺れ、ハリーが一礼する。
「何であんな細工したんだよ」
ロケットを舞台袖へ運ぶハリーの肩を、うしろから掴んだ。ハリーはそのまま台車を押し続け。ぼくはおもわずつま先立ちになる。
「だって、あのまま抜けて行ったらきみはそのまま脱獄に加担しただろ」
舞台の下を通って講堂から出られなかった今、後ろを通って出られる状況ではない。舞台上ではタップダンスがはじまろうとしている。巻き返せるだろうか。
ハリーは不意に振り返り、ぼくの腕をねじりあげて後ろを向かせた。
脱出の算段を考えていて、油断していた。もがいて逃れようとしても、ハリーの膂力にはかなわない。そのまま強い力で羽交い締めにされ、ぼくたちはふたたび宇宙船の中に入った。
「逃げられないよ。監視人がいるからね」
「何だよ、それ」
「おれの監視をしてるんだ。脱獄なんて見逃すはずがない。おれを使ってきみを釣ろうとしたのが運の尽きだ」
まるで全員捕まることがわかっているような口ぶりだった。
「監視されてるって、ずっと気付いてたのか?」
「奇術をやる度にうろうろされたら、いやでも気が付くだろ」
心当たりがひとつあった。スマイリー、とぼくが呟くと、ハリーは小さく頷いた。
「もう外に漏れてるはずさ。朝、声を掛けられたからね」
「あいつらには……」
「手遅れだし、看守は一網打尽にしたがってる。それをおれが邪魔する理由はないよ。……でも、きみが行かなくてよかった。途中で殺されたかもしれないんだから」
扉の隙間から、かすかに外の音が聞こえてくる。陽気な音楽がはじまる。明らかに揃っていないことがわかるタップの振動。窓は狭く、舞台袖に掛けられた黒い繻子のカーテンが見えるばかりだ。
「なあ、ハリー。奇術って、何なんだ。あんた、ステージの上じゃ立派に奇術師だったじゃないか。じゃああの、泥棒なんだか何なんだかわからないいつものやつは、何なんだよ」
アドレナリンが切れるのを感じた。ひどく疲れてしまい、ハリーに促されるままに身体を預けた。あいつはいたわるようなやさしい顔をしてこっちを覗き込んで、ざらついた手のひらでぼくの額から髪をかきあげた。
「きみはいい人だ、ロビン。だから、見せてあげるよ」
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