ナイフ
あべせい
ナイフ
ホテルのバイキング・ホール。
「お客さま、もしもし、お客さま」
「何かしら?」
「それ、困るのですが……」
「これっ? これ、マイボトルよ」
「こちらは持ち込み禁止になっております」
「あら、そう? でも、このボトルには、わたしのお薬が入っているの。それでも、ダメなの。定期的に飲まないといけないお薬よ」
「お薬ですか? では、こちらで預からせていただきます。ご用がおありのときは、どうぞご遠慮なく、お申し付けください」
「そうなの。面倒よ。いいのね」
「はい。規則ですから」
婦人が、マイボトルをホテル従業員に手渡して行きかける。
すると、
「お客さま」
「まだ、何か、用なの」
「お持ちのバッグですが……」
「これは、貴重品よ。これまで取り上げるのッ」
「ハンドバックはよろしいのですが、もう片方の手にお持ちのバッグ。その大きなバッグの持ち込みは、これまで例がございません」
「どうして?」
「他のお客さまは、お部屋に置いてからお来しになられますが……」
「大事なものが入っているの。盗まれたら、困るでしょう」
「それでしたら、そちらもこちらで預からせていただきますが……」
「また、預かるの。預かるのが好きね。あなた、お名前は?」
「『ホテル恋が岬(こいがさき)』支配人補佐の蛇塚です」
「蛇塚さん? 怖そうなお名前……わかったわ。その代わり、預り証はいただけるわね」
「預り証ですか。通常は番号札をお渡ししておりますが、ご不審でしたら、お待ちください」
蛇塚、名刺を取り出し、ペンで走り書きして、差し出す。
「これで、いかがでしょうか」
「あなたのお名刺ね。支配人補佐、蛇塚林二郎、林二郎……余白に『手提げの布袋、赤、一点、確かにお預かりします』……まァ、いいでしょう」
「ありがとうございます。では、バッグを……」
蛇塚、婦人が、腕に通している赤いバッグに手をかける。
婦人が反射的に体を引いた拍子に、バッグの中身が床に散らばった。
「あなた、何をするの!」
「お客さま、これは……タッパですね。大小とりまぜて。空のタッパが6個。いったいどうしてこんなものを……」
「そうよ。バイキングで食べきれなかった食べ物を詰めて、お部屋でいただくつもり」
「お客さま、こちらのバイキングはこのホールで召しあがっていただくものです。お持ちかえりはご遠慮くださいッ」
「そんなに睨まなくても、いいでしょ。もうしたくても、できないのだから」
蛇塚、首をひねる。
「お客さま、失礼ですが、お部屋はどちらですか?」
「なにヨ、わたしは『JBの会』で来たのよ。ここにいるみなさんと同じ。そこにいる人に聞いてみなさい」
「ですから、お部屋をうかがっております」
「部屋の名前を言えばいいンでしょう。部屋は、エーッと、かえで……いえ、いちょうの間だったかしら」
「お客さま、当ホテルには、かえでの間もいちょうの間もございません」
「待って、思い出すから。そう、数字よ。3桁の数字だから、覚えきれなくて、すぐに忘れてしまう……」
「奥さま、当ホテルの部屋は、お花の名前をつけております」
「そうよ、花、フラワーよ。わたしはチューリップだった。違った?」
「いい加減にしてください。樹木の名前でも、花の名前でもありません」
「ずるい。あなた、お客をだましてどうするの」
「当ホテルは12階建てのため、部屋は4桁の数字で表示しています」
「そうよ。さっき、見てきたの。いま思い出すから……」
「お待ちください。警察を呼びます」
「待って。あなた、こんな立派なホテルに警察を呼ぶつもり。客商売でしょう。イメージに傷つかない?」
「仕方ありません。不正を見逃すわけにはまいりません」
「勝手にしたら。支配人補佐が聞いて呆れる。いつまでも補佐していたら」
「……」
「あなた、わたしのこと、本当にわからない?」
「はて……そのような厚化粧の女性に知り合いは……」
「厚化粧は変装のひとつ。8年前まで、ここで働いていたユナよ」
「ユナ!? 河桐ユナ! 黒縁のメガネをかけて、髪も長くなっている」
蛇塚、相手を穴が開くほど見つめて、
「ウソじゃないだろうな」
「あの頃は、まだ木造4階建ての小さな観光ホテル。名前だって、『旅館恋が岬』だったでしょう」
「おれは、あの頃、ボイラーマンだった」
「蛇塚なんていうから、すぐにわからなかったけれど、そのアゴの下の傷で思い出した。あの頃は『雨宮』って、いってたじゃない」
「結婚して、姓が変わったンだ」
「いい婿養子の口があったのね。わたしをさんざん泣かして、いいところを見つけたンだ」
「いま頃、こんなところでなにを言い出すンだ」
「だったら、警察に突き出しなさい。昔、あんたがわたしにしてくれたことを、洗いざらいぶちまけるから」
「落ちつけ。その空いたテーブルに座ろう。いま、コーヒーを持ってくる」
「わたし、お腹が空いているから。和食コーナーから、お寿司を適当に持ってきて。それから、フルーツも。果物ナイフはあるから、丸ごとよ」
「ナイフなんか、どうして持っているンだ」
ユナ、ハンドバックの中からナイフを取り出す。
「くすねた果物をあとでいただくためじゃない。当たり前でしょう」
「わかったよ」
ユナ、つぶやき、
「このナイフはほかにもいろいろ使い道があるの」
2人、テーブルで向き合い、女はうまそうに寿司を頬張っている。
「少しは味がよくなったみたい。8年前は、持ち帰り専門店から仕入れていたものね」
「職人がその場で握っているンだ。8年前と一緒にするな。いったい、ここに何しに来たンだ」
「夕食をいただきに来たンじゃない。8年前は退職金ももらえず、追い出されたンだから」
「団体客にまぎれこんで、バイキングを食べようなんて、ミミッチくないか」
「ミミッチい!? あんたが、そういうセリフが言える! 8年前、お客が落とした財布をネコババしたあんたを、かばったのはだれよ!」
「声が大きい」
「あんたとデキていたわたしは、一緒になるからという約束を真に受けて、わたしがやりましたと支配人に申し出たら、10年間務めた仲居を即座に解雇された。わたしは、待ったわ。汚い、狭いアパートで、あんたが来るのを。それまでは、3日おきに通ってきていたのに、その日以来、ぷっつり。どうしてよ!」
「しばらく、ほとぼりを冷まさないとヤバいからだ。おまえとデキているとバレてみろ。ほかのことまでいろいろほじくり返される……」
「そうね。あんた、お金にだらしなかった。お客さんの忘れ物や落とし物をネコババするだけじゃない。自動販売機の取り忘れた釣り銭をあさったり、お客さんから遠距離タクシーを頼まれると、親しい運転手を呼んでリベートを要求する……」
「あの日以来、おれは心を入れ替えたンだ。真人間になれた」
「わたしを捨てたおかげで?」
「……」
「わたし、あなたに電話したわ。そうしたら、わたしがクビになった翌日、母親を介護しなくちゃいけなくなったから、突然やめた、って。わたし、信じられないから、帽子とマスクとサングラスで顔を隠して、ここに来た。そうしたら、意地の悪い、行かず後家の、あー、なんだっけ、キカン子……」
「カナコだ」
「そ、カナコよ。あんた、よく覚えているわね」
「……」
「そのカナコが玄関で待ち構えていて、『あんた、ユナでしょう。そんなお化け屋敷みたいな格好していても、わかるわよ。林二郎さんなら、ここをやめて実家に帰った』って、言われたの」
「そうだろうな」
「わたし、あんたの実家が北海道としか聞いていなかったから、それ以上、どうすることもできなくて……」
「実はあのとき、従業員が足りないときや仕入れが間に合わないときに、恋が岬と融通しあっていた、観光旅館『愛が浜』に行ったンだ」
「愛が浜なら、ここから車で20分ほどじゃない。カナコまで、わたしをだましていたのね」
「カナコのことをあまり悪く言うな。あいつは、あれで、精一杯やっているンだ」
「あんた、まさかッ」
「その、まさかだ」
「カナコの実家は、大きなナシ畑やキウイ畑を持っていた。当時はカナコとしか呼んでいなかったけれど、そうか、苗字は蛇塚!」
「あんたより、7つも上じゃない」
「9つだ」
「それじゃ、いま52才。わたしより、18コも上よ」
「そういう計算になるか。老けているわけだ」
「あんた、養子先の畑を手伝わないで、どうしてここで働いているの」
「親爺さんの信用がないから、小遣いももらえない。だから、自分で稼いでいる」
「手癖が悪いのは、健在ってわけ」
「オレに復讐したいのか」
「わたしがここに来た本当の訳が知りたい?」
「あァ」
「わたしを捨てたもう一人の男に用があるのよ」
「おまえを捨てたのは、おれだけじゃないのか」
「この年で捨てられたのだから、あんたのときより傷は深い」
「だれだ、そいつは」
「『JBの会』の添乗員をしている鬼川……」
「あいつは、10年以上も前から、団体さんを寄越してくれている。うちにとっては、有り難い添乗員だ。昔からあいつと訳ありだったのか」
「コナをかけてきたのは、あっちよ。わたしがここを追い出されてから、南越後で仲居の仕事を探しているとき、偶然会ったの。3年前になるわ」
「あいつは仕事はできるが、女にだらしない。いまだって、お客さんの世話をしなきゃならないのに。どこかで、また仲居のシリを追いかけているだろ」
「東京に奥さんもこどもいたのよ。それなのにウソをついて。こっちに来たときはわたしのアパートに入り浸り。結婚していることがバレると、必ず離婚するからといって、わたしから5万、10万と小遣いをむしりとる。バカなわたしが悪いのだけれど、先月いままで貢いだお金を返してくれと300万円の明細書をつきつけてやった。そうしたら、警察でもどこでも訴えてみろ、と開き直る。わたしは、東京に行って奥さんに、返さないと訴えると脅かした。奥さん、何と言ったと思う? 『どうぞ、お願いします。わたしも、困っています。家には1円のお金も入れず、わたしはパートで働いてなんとか娘と2人食いつないでいます。あんな男は亭主でも夫でもありません。刑務所でしっかり償わせてください』って。わたしは同情して、10万円置いてきた」
「鬼の皮を被っているから鬼川だな。おれもあいつには、2万貸しているが、そんな悪党とは知らなかった。で、どうするつもりだ?」
「殺す……」
「殺す!?」
「殺したい……ほど、憎い。けれど、あんな男のために、刑務所に行くなんて真っ平」
「?……」
「仕事をできなくしてやる。社会的に抹殺してやりたい。人間としてダメの烙印を押してやりたい」
「どうするつもりだ」
「いろいろ考えている」
そこへ、女性従業員が駆けてくる。
「支配人補佐! タイヘンです!」
「どうした?」
「お客さまが……」
ユナを見て、蛇塚の耳にささやく。
「すぐに行くから、女将にはわたしが治めるからと言ってくれ」
「どうしたの?」
「鬼川がヤラれた」
「なに、ホント!」
「なんとか表沙汰にならないようにしなくちゃ。話はあとだ」
「待って、わたしも……」
蛇塚は駆け出す。
ユナも後を追った。
「1042」号室の中。
浴衣姿の男が大の字に横たわりながら、唸っている。
腹部に、小さな果物ナイフが突き刺さったまま。男のそばで、同じ浴衣姿の40前後の女性が、呆けたように座っている。
部屋に飛び込んだ蛇塚、ドア付近から中を伺っている仲居に、
「救急車は呼んだのか」
仲居、首を横に振る。
「それでいい。根隅(ねすみ)先生に電話をして、よく事情を話し、『これから患者を連れてまいります』と言うンだ。あの先生なら、なんとでもなる。それから、この時間なら、農場から風呂掃除に来ている夏季体験講座の学生がまだいるだろう。すぐに呼んで、この男を先生の所に運ばせるンだ。バイト代は弾ンでやると言え。早く、行け」
「ハイッ」
仲居は走り去る。
蛇塚は、倒れている男に、
「鬼川、声を出すな。この程度じゃ、死にたくても、死ねない。これから医者に連れていくが、一言もしゃべるンじゃないぞ。聞いているのか」
「わ、わかった。蛇塚、会社には、ケガをしたから、代わりの添乗員を寄越して欲しいと電話してくれないか」
「しかし、添乗員が、この時間から浴衣を着ているのは、まずい。ユナ、手伝ってくれ。ズボンを履かせてシャツを着せる」
ユナ、蛇塚と一緒に、鬼川から浴衣を脱がせ、ズボンとYシャツを着せる。
「この男、これで死なないの?」
「この程度のナイフじゃ、内臓さえ傷ついていなければ、2、3針縫ったら終わりだ」
「だれだ、その声は?」
鬼川、顔をあげる。
「ユナ! おまえ、ここで何している」
「あんたを殺しに来たの」
鬼川の腹部を思いッ切り、叩く」
「イテッ、テテテ……ウーム」
気を失う。
「やめろ! それ以上やると、血が出る」
蛇塚、鬼川を刺しベッドで呆然としている婦人に、
「お客さん、何があったンですか」
そこへ、若い男が仲居に案内され、担架を持って入ってくる。
「ご苦労さん。このお客さんが誤ってケガをしたから、根隅先生の医院まで運んで欲しい。仲居さんも一緒について行って。あとで電話をするから」
若者2人が鬼川を担架に乗せ、出ていく。
蛇塚、加害者の婦人に、
「お客さん、浴衣を着た添乗員と同じ部屋にいたというのは、よくないです。事情をお聞かせください」
「わたし、あのひとに誘われたンです。このツアー、お客が集まらないから、是非参加して欲しいって。そうしたら、新興宗教の親睦会でしょう」
「毎年、この時季に来られます」
「わたし、夫もこどももいるのに、同窓会だとウソをついて……、あのひとと2人っきりになれるのかと思っていたら、団体部屋……それだけじゃない、わたしが指示されたこの部屋に来る途中、見てしまった……」
「見た? 何を……」
婦人、ふとユナを見て、
「この人です! あのひと、この女性と廊下の陰で、キスをしていたンです……」
「ユナ、どういうことだ」
「いいじゃない。そのおかげで、こういう結果になったのだから」
「わけがわからない」
「わたし、耳にしたの。鬼川がこの方と密会するため、別に部屋を借りていること。だから、廊下で鬼川を捕まえて返金の催促をしながら、このひとが廊下を通りかかったとき、無理やり鬼川の首にすがりつき、キスをしたのよ。鬼川が性懲りもなく女性をもてあそんでいることは許せなかったけれど、あのときわたしに対して激しく抵抗したのは、もっと許せなかった」
「この事件はユナ、おまえの算段か」
すると、婦人、
「わたし、この部屋に入ってから、あのひとに詰め寄ったンです。いま廊下で会っていたひとは、だれなのか、と。そうしたら、『あんなのは知らない。気がヘンになっている女が、突然飛びついてきたンだ』と、ヘタな言い訳ばかりして。30分近く、わたしは納得のいく説明をして欲しいといったけれど、あのひとはわたしの体に手をかけ、自由にしようとしたから、わたし腹が立って、手に触れたナイフで……」
「あれは、ウエルカム・フルーツの皮をむくために各お部屋に置いてある、ホテルでいちばん小さな果物ナイフです」
と、蛇塚。
ユナは、
「わたし、考えが足りなかったわ」
「どうした。後悔しているのか」
「それを知っていれば……」
ユナ、バックを開けて、
「この大きなナイフと取り換えておくのだった」
(了)
ナイフ あべせい @abesei
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