5 女弟子が水着に着替えたら

 水は空のように青く、波は雲のように白い。


 また、太陽が黄色く輝けば、それを受けて水面も黄色く輝く。


 まるで空を地面に写し取ったかのような光景だが、吹く風は潮を含んでいて、独特のにおいと肌触りがした。


 この日、俺たちは街から遠く離れた海に来ていた。マリンによると有名な観光地だそうだが、それも頷ける景色だった。


 ただ夏本番というにはまだ早いせいだろう。客の数はまばらだった。俺は砂浜に悠々と絨毯を広げると、日傘まで立ててしまう。


 ほどなくして、一足遅れでマリンが更衣室から出てきた。


「師匠ー」


 水着に着替えたマリンは、本当に着替えたのかと思うような格好をしていた。


 下はまだショートパンツ程度の丈だが、上は手首あたりまで隠れてしまっている。これは擦り傷や日焼けを防ぐために着るという……確かラッシュガードとか言っただろうか。


「ビキニじゃないのか」


「そんなこと期待してたんですか」


「いや、俺はてっきりビキニアーマーの参考にするために来たと思ってたんだが」


「違いますよ」


 ビキニを見せるだけなら、工房で着ればいいじゃないですか。そう言わんばかりに、マリンは食い気味に否定してきた。


「じゃあ、なんだよ? 気分転換ってことか?」


「……まぁ、そんなところです」


 同じ物事について考え続けていると、頭が凝り固まってしまうからだろうか。どれだけ考えてもアイディアを思いつかなかったのに、全然別のことを始めた途端に閃く、というのは実際よくあることだった。


「さぁ、行きましょう」


「おい、引っ張るなよ」


 マリンが無理矢理腕を引いてくるので、俺は転びそうになりながら海へ向かうことになったのだった。


 足先が海水に触れる。やはりまだ夏には早かったようで、水温は高いとは言えなかった。本格的に海に入る前に、すくい取った水をかけてゆっくりと体をならすことにする。


 その最中、不意に激しい水飛沫が俺の顔を濡らした。横からマリンが水をかけてきたのだ。


 仕返しに俺は隙を見て同じことをする。すると、マリンはさらにやり返してきた。それにまた俺が仕返しをして……最終的には完全に水のかけ合いになっていた。


 手が小さい分、すくえる水の量も少ないと気づいたのだろう。マリンは浅瀬から沖の方へと逃げ出す。俺もそのあとを追って泳ぎ始める。だから、今度は追いかけっこになった。


 ただ水泳に関しては、マリンの方がずっと得意なようだった。まず泳ぐ速さが違って、全然近づくことができない。それにようやく近づいても、マリンが海中に潜って姿を消すせいで、すぐに見失ってしまう。


 おかげで、やっと追いついた時にはもうへとへとになっていた。


「ちょっと休もうぜ」


「そうですね」


 俺たちは浜辺に上がると、敷いた絨毯に座り込む。もっとも、あれでも手加減してくれていたらしく、マリンは涼しい顔をしていたが。


 休憩する間、とりたてて目立った会話はなかった。空を駆ける海鳥、寄せては返す波、水遊びする子供たち…… 二人ともただぼんやりと、海辺の風景を見るともなしに見ていたのだ。


「ビキニか……」


 他の観光客の水着を目にして、俺は思わずそう呟く。頭をよぎっていたのは、もちろんビキニアーマーのことである。


「何かいいアイディアが浮かびましたか?」


「いやダメだな」


 俺は力なく首を振った。


「悪いな。せっかく連れてきてもらったのに」


 どの海がおすすめなのか、どういう経路が早いのかなど、今日のためにマリンはいろいろ調べてくれたようである。できれば、その気持ちに応えてやりたかったのだが……


 しかし、どういうわけか、マリンの方が申し訳なさそうな顔をするのだった。


「……もういいんじゃないでしょうか」


「何?」


「リアクティブ・ビキニアーマーで十分だと思いますよ」


 今までずっと俺の自己批判に同意していたのに、突然意見を翻してくる。


 いや、何の目的で海に来たのか尋ねた時に、マリンは言いよどんでいた。もしかしたら、最初からこの話を切り出すつもりだったのかもしれない。


「もともと出場は私が強引に決めたことですからね。師匠が悩むことないですよ」


「そりゃあ、そうだが……」


 実用性のあるビキニアーマーの実現が難しいことは予想がついた。だから、俺はもともと今回の品評会には乗り気ではなかった。


 けれど、マリンが出場を決めたのは、そうするだけの理由があったからだった。


「工房はどうなる? あれで優勝できると思うか?」


「エンスさんは自信があるみたいでしたから難しいかもしれません」


「だったら――」


「もし負けた時は、別の金策を考えますよ。有名な冒険者や貴族から仕事を取ってくるとか」


 工房が買収されるほどではないにしても、これまでにも金に困ったことは何度もあった。営業をかける相手にあてがあるのなら、マリンはすでに飛びついていたのではないだろうか。虚勢を張っているとしか思えない。


 それとも、今までとは違うをかけるつもりなのだろうか。まさかビキニも着たがらないマリンが、そんな真似をするとは思えないが……


 突っ込んだ質問をされたら困ると考えたのかもしれない。マリンはすぐに話題を変えてきた。


「……飲み物を買ってきます」


「俺も行くよ」


「いいですよ。師匠は休んでてください」


 俺が立ち上がるのを待たずに、マリンは売店へと歩き出してしまう。


 だから、一人残された俺は、海を眺めながら、改めて品評会のことについて考え始めるのだった。


 マリンが諦めようと言い出すくらいである。俺はよほど憔悴しているように見えたのだろう。実際、今も頭をひねってみたが、ビキニアーマーのアイディアはこれっぽっちも浮かんでこなかった。


 かといって、他に金を稼ぐ方法も思いつかなかった。手っ取り早いのは売れそうな新作を開発することだろう。だが、人気商品を作るのだって、ビキニアーマーを作るのに負けず劣らず難しいに違いない。


「まだ高くする?」


「うん、もっともっと」


 ふと子供たちの話し合う声が耳に入ってくる。どうやら砂の城を作っているらしい。


 しかし、正直なところ出来はよくなかった。あれでは城というよりも山である。


 もっとも、下手なりに楽しんで作っているのだ。批判するのは無粋だし、助言するのだって野暮だろう。大人の俺はそんなことはしない。


「わー」


「すごーい」


 子供たちから今度は歓声が上がる。批判や助言はよくないが、何もしないでいることもできなかった。そこで俺は手本を見せようと考えて、城壁付きドニック様式の城を作ったのである。


 狙い通り、俺の城に触発されたようだ。「ちょっとバランス悪いかな」「ここはもっと低くしよう」と、子供たちは楽しそうに改修を始めるのだった。


「本当にすごいですね」


 戻ってくるなり、マリンも賛嘆していた。


「よくこんな細かい作り込みを……」


「まあな」


「1Gにもならないっていうのに」


「うるさいな」


 工房存続の危機なのである。砂遊びをしている暇があるなら、金策の方法を考えるべきだろう。そんなことは分かっている。


 分かっているが、それでも作らずにはいられなかったのだ。


「いろいろしんどいこともあるけどな、俺はやっぱり物を作るのが好きなんだよ」


 だから、優勝を諦める気はなかった。


 実用性のあるビキニアーマーという難題を絶対に解決してみせるつもりだった。


「……どうせそう言うだろうと思ってましたよ」


 溜息をつきながら、マリンはラッシュガードを脱ぎ始める。


 俺がビキニアーマー作りを続けることを本当に予想していたらしい。参考にできるようにと、下にビキニを着ていたのだ。


 ビキニアーマーは胸と股しか守れていないとよく言うが、実際にはそこすらろくに守れていないケースも少なくない。デザインによっては、胸や股の一部もさらけ出してしまっているからである。


 マリンのビキニもそんな露出の多いデザインだった。しかも、肉づきがいいせいで、ますます露出が増えてしまっている。このまま鎧にしたら、とても戦闘では役に立たないだろう。


「あんまりジロジロ見ないでもらえませんか」


「そのために着てきたんじゃねえのかよ」


「そうですけど、限度があるというか……」


 今になってビキニ姿が恥ずかしくなってきたらしい。マリンはまたラッシュガードに手を伸ばす。


 だが、まだ何のアイディアも閃いていなかった。俺は水着を取り上げて、肌を隠そうとするのを阻止する。


 すると、マリンは今度、その場から逃げ出すのだった。


「あ、おい、待てよ」


「ダメです。もう終わりです」


「待てったら」


「終わりですってば」


 そう言い合って、俺もマリンもお互いに譲ろうとしない。だから、追いかけっこになった。


 いくら工房のためでもビキニ姿は見られたくない、というマリンの気持ちは分かる。分からないのは他の観光客の反応で、何故か俺たちのことを微笑ましげな目で見てきたのだ。一部では、「ああいうの本当にやる人いるんだ」という声まで上がっていた。


 水泳での追いかけっこでは負けたが、それは技術や慣れの問題だった。ただ走るだけなら、身体能力の高い俺に分があった。徐々にマリンの背中が――ビキニで丸出しになった背中が近づいてくる。


 しかし、追いつく前に俺は足を止めていた。それどころか、砂浜にしゃがみ込んでいた。


「……師匠?」


 異変に気づいて、マリンがゆっくりとこちらに近づいてくる。怪我でもしたのかと心配する一方、自分を捕まえるための罠ではないかと疑っているらしい。


 だが、実態はそのどちらでもなかった。


「これだ!」


 俺は今度こそ完璧なアイディアを閃いていたのである。

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