第5話  突風そして…

 その時、萌のお腹がなった。その音を聞いて平常心に戻った走が「神様でもお腹なるんだね」と言うと萌が「やだ聞かれちゃった」と言いながら、少し恥ずかしそうにうつ向いた。走が「人間だってお腹が空けば皆んな鳴る、恥ずかしいことじゃないよ。でも風船みたいな体なのになぜなんだろう不思議だな?」と言った。すると萌が「人間が神をどんな存在だと思っているかにもよるだろうけど、私にしたらこういうの不思議でもなんでもないよ。物に大きさなんて無いから、人間の世界にはあるみたいだけど。だから実際こんなもんよ。何度も言うけど私に神の自覚はないけどね」と言った。その萌の言葉を走は素直に受け入れた。そして今や萌をかけがえのない存在として受け入れている走としては、萌のお腹を1秒でも早く満たしてあげたい気持ちから「近くにファミレスがあるから、今から食べに行こう」と提案した。すると萌がとびきりの笑顔で走にすり寄り、走の腕に自分の腕を絡ませてきた。そして「女の子って好きな人にこうするんでしょ」と言った。恋愛初心者の走は萌の輝く笑顔に完全に魅了され、男として萌を包み込む余裕を見せるどころか返す言葉すら見つけられずその状況の余韻に黙って浸っていた。萌にリードされながらドアに向かいアパートの部屋から出たとたん慌てて萌が走から離れた。萌の思わぬ行動に「えっ」と声が出た走が萌を見ると、萌が「くっついてるのを誰かに見られるとまずいんだよね」と言った。萌の行動の意味を理解した走が「そんなことないよ」と言ったが萌が「他人のふりしてないと走が面倒くさいことになるんじゃないの?」と続けた。走が「萌と僕はもう…」と言いかけた後、不安そうな顔になり「僕達、恋人同士でいいんだよね」と聞いた。すると萌が「恋人同士でいいの?嬉しい」と言って笑顔を見せた。その言葉で安心した走が「恋人同士はくっついてていいんだよ。むしろくっついてるほうが自然だから」と言うと萌が「走、大好き!」と言って、アパートの二階の外の廊下で走に正面から抱きついた。外で女の子とハグし合うことなど無かった走はどぎまぎしながら、それでも嬉しくて抱きしめ返した。すると萌が「後でしようね!パーフェクトな体にするから。今はお腹が空いてるから食べに行こう」と言った。エッチに恥じらいがないこと以外、両思いのカップルの人間の女の子そのものの萌を走はますます好きになった。走の腕に自分の腕をからめ、頭を走の肩に預けて嬉しそうに歩く萌に走も笑みを浮かべていた。会話の必要もなくただ嬉しさに包まれたまましばらく歩いた時だった。突然、突風が後ろから走と萌を襲った。絶対、萌を守ると約束していた走だったが、それまで無風で油断していたため不意を突かれ、萌の体を抱きしめようとしたが間に合わず、萌は空高く舞い上がり吹き飛ばされて行った。自覚がないと言っても神だからか、萌は少しも慌てず騒がず声も発せず飛ばされて行った。逆に走は大慌てで飛ばされて行く萌の後を追った。だが風船のような萌の体は風に乗り、圧倒的な早さで飛んで行き見失った。それでも走は萌が飛ばされた方向に向かって全力で走り続けた。一方、萌は飛ばされながら、必死に自分を追ってくる走の姿を愛おしく思いながら見ていた。しかし走の姿がどんどん遠くなり、やがて見えなくなるとさすがに「このまま流されて行くと何処まで行くか分からない。どうしよう、二度と大好きな走に逢えなくなるかもしれない」と焦り始めた。それは自分が変身してしまったことで、これまで持っていた空気の中に潜み、好きな時に好きな所に流れていく能力を失い、歩いて探す以外方法が無くなってしまったからだ。歩いて探すとなると風船状態の今の体では全くの無風状態が長時間続かないと走を探せない。めちゃくちゃ遠くまで流されると、現実的にもう二度と走と逢えないと言うことに気付いたからだった。どうやって地上に降りて、しかも風に流されないようにしようか考えていると、飛ばされて行く方向に高いビルが見え、そしてその屋上にフェンスを背にパラペットに立っている人間が見えた。「女の子だ。あんな危ない所で何をしてるんだろう」と萌が思ったその瞬間、その女の子が飛び降りた。神である萌は一瞬でその女の子の外見が自分と全く同じであることに気付いた。だが萌は、走が自分の外見の参考にした女の子だと気付くことなく「あの子、私の体作りの参考になる」と思い、人間社会の流れを勝手に変えるべきでないと思いながらも、走との生活を始める上で自分そっくりの女の子の体がどうなっているか見たいと思い、女の子の体が損壊しないよう助けることにした。都合の良いことにちょうど女の子の方に向かって流されていたので「ラッキー」と思った萌だったがすぐに、自分が女の子が落下するラインに着く前に女の子が通過してしまうタイミングなことに気付いた。「体の形を変えて少しは流される速度を遅くすることは出来るかもしれないが、風より早く流れていくことは出来ない。どうしよう」と思ったその時、突然風の流れが加速しだした。それと共に微妙な左右方向のズレを補正しながら風速を更に増したことで萌は落ちてくる女の子をぴったり真下で受け止めることに成功した。「風の中で何か声が聞こえたような…、何かの神が助けてくれた?」そんな気がした萌だったが、女の子の体への興味が勝りそれはすぐに忘れ、顔と抱きしめている体の感じから「この子ちょうどいい、ぴったりだ」と思っていると、女の子がびっくりした顔で萌を見ていた。「どうして?どうして私が私を抱きしめてるの?」自分そっくりの萌を見たのだから女の子がそう思うのも無理なかった。萌にもびっくりした女の子の気持ちが分かったがそれに答えてる暇はなかった。「地面に叩きつけられる時、自分が下なら女の子の体を守れる、そして今の自分の体ならこの程度の落下速度でダメージを受けることはないだろう」そう思う萌の目論見を許さぬように、落下速度が上がり風圧が強くなるにつれ、姿勢が不安定になり女の子の体が下になりそうになった。それを萌は自分の体の形を変えることで受ける風圧をコントロールして落下姿勢を維持し、そのまま自分が下の状態でコンクリートの地面に衝突することが出来た。衝突したその瞬間、風船のような体のせいで萌の体が大きくバウンドした。そしてその時同時に、ちょうどそこに落ちていたガラス瓶をまきあげてしまった。三度バウンドして地面に落ち着いた時、萌の体から変な音が出ていた。大きくまきあげたガラス瓶がコンクリートの地面に勢い良く叩きつけられて割れ、その上に萌の体が被さるように落ちて萌の背中に穴が開けたからだった。女の子の体を守るため体を頑丈にせず風船のような体のまま地面に衝突したのでショックを吸収し女の子の体を守れたのだが、落ちた所にビンがあって巻上げたのが不運だった。痛みを感じ無くてもしぼむ体に最後を悟った萌であったが、このまま自分が消えると女の子が割れたビンの上に落ちてしまうと気付き最後の力で女の子を立たせた。そして女の子の目をじっと見つめながら青い光を発すると同時に雲散霧消してしまった。萌は飛び降りた女の子の体を何のダメージも与えず守り抜くことが出来た。一方、何がおこったのか分かるはずがない女の子がただぼう然と立ち尽くしていると、全力で走り続け息も絶え絶えの走がやって来た。「見つけた!」走は前方に見える女の子を萌だと思い、手を振りながら苦しい息の中「萌ちゃーん、大丈夫ー?」と呼びかけた。萌からの返事がないままたどり着き、正面に立つとキョトンとした顔で自分を見ていた。「僕のこと忘れたの?」と走が聞くと、急に笑顔になった女の子が「走、今この子と交渉してた。オーケーが出たから大丈夫」と言った。言ってることが理解出来ない走が「どういうこと?」と聞くと女の子が「この子、女子高生らしいんだけど、さっきこのビルの屋上から飛び降りたのを私が助けたんだ。何で自殺しようとしたのか知らないけど、いらない体なら私に頂戴って言って体もらったから、これからは萌のもんだよ」と言った。「あの時の女の子ってことか」ピンときた走が「今までの萌はどこ?」と聞くと萌が「消えた、消滅した。体だけね」と答えた。あまりに衝撃的な言葉に「えっ!」と声を出し絶句した走に萌が笑顔で「あの萌の体は消滅してもう復活しない。でも大丈夫、この女の子の体もらったから。今、走の目の前にいる女の子は萌だから」と言った。不思議そうに萌の全身を見回している走に萌が「だからこの体で走とエッチ出来るよ。それも女子高生だよ」と言った。すると間髪入れず「私嫌です。私の体でエッチなんかしないでください」と萌と声は同じだが違うしゃべり方で萌が言い、そしてフリーズして動かなくなった。朝から信じられない事実を見続けてきた走は、フリーズくらいで驚かなくなっていたが、女の子の顔を見ながら「奇跡のような偶然て本当にあるんだな、あの女の子と萌が知り合って、今や女の子の体の中で言い争ってるなんて。ただあの子、僕がタイプじゃないみたい。ちょっとショックだな」と最後、少し傷付いていた。

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