第2話 人形の正体

 走は周囲の目から逃れるために急ぎ足で歩き、自宅のアパートの前まで戻ってきた。その時思い出した。「そう言えばこの子、何か美味しいもの食べたいって言ってたな。会社休むことになりそうだし自分のお昼もないし」上着のふくらんだ右ポケットを見ながらそう思った走が部屋に入るのをやめて踵を返しコンビニに行こうとすると、女の子の人形がポケットから顔を出し不安そうな顔で「走…、私をさっきの場所に戻しに行くの?」と聞いてきた。走が「違うよ。さっき美味しいもの食べたいって言ってたよね。このまま部屋に入っても美味しいものどころか何もないからコンビニに買いに行くんだよ」と答えると女の子の人形が嬉しそうに「良かった。走に嫌われたんだと思った。私、人間と付き合うの初めてでどうしたらいいか分からなくて、ついあんな態度とっちゃった。ごめんね」と言った。急変した態度に驚きながらも、自宅アパートの前なので顔見知りに見られる恐れがあるため「もっと深く入ってて」と言い右手でポケットを広げると女の子の人形は笑顔でもぐっていった。ポケットの中から「イテッ」という声がしたが、小さい声だったので走は気付かなかった。しばらく歩くと走がよく利用するコンビニが見えた。コンビニに入り、とりあえずスイーツが並んでいるラックの前に立ったが、当然、走に女の子の人形が何を食べたいのかなど分かるはずがなく、かといって店の中でポケットから出して聞くわけにもいかず迷っていると、上着の右ポケット辺りで自分の腰を軽く叩くのを感じた。走がそのポケットを見ると、手が出ていて指を差していた。差している先の商品名を見て声に出し「プチエクレア」と言うと、ポケットの中で走の腰を横にこするのが分かった。「これは違うと言うことだろうな」と解釈した走がその右隣の商品名の「ホワイトエクレア」と言うと今度は上下にこするのが分かった。「これが食べたいんだ」と理解した走はホワイトエクレアと弁当、その他数点を籠に入れレジに進み、清算を済ませてコンビニを後にした。自宅のアパートの前に戻った走はそのまま外階段を上がり、二階の自室のドアに近付いて鍵を開けようとして気がついた。「あっ、鍵を入れてたポケットに女の子を入れてた。痛かったかな?」と上着の右ポケットを見ると、少しだけ鍵が顔を出しているのが見えた。走がポケットを広げると、女の子の人形が両手で鍵を持ち上げ、自分に渡そうとしているのが見えた。走と目が合った女の子の人形が「この鍵ジャマだったなー」と言った。だが顔は笑っていた。走が「ごめん、部屋の鍵を入れてたのを忘れてた」と言うと、女の子の人形が走に向かってメッという顔をした。だがその表情に怒っている様子は全くみられず、それどころか逆にめちゃくちゃ可愛いく見えた。そのせいで走はどきどきしながら女の子の人形からドアの鍵を受け取った。鍵を開けて部屋に入り、入ってすぐのキッチンのテーブルの上に、買ってきた物を入れてきたレジ袋を置いた。その時、女の子の人形がポケットからテーブルの上に飛び移り「テーブルの上に乗っちゃいけないのは分かってるけど、床だと話が遠いから失礼するね」と言い、そして背筋を伸ばし「自己紹介します。私の名前は萌です。それから私、妖怪じゃなくて、人間が言うところの…、自分からは言いにくいけど神なんだと思う。八百万の神ってやつ。私は空気の神。私にそんな認識はないけどね。と言っても理解出来ないよね。でもとにかく怖くないから安心して」と言った。「さっきの登場の仕方だと信じられないな」と走が言うと「人間の世界でもあるじゃない。好きな人につい、きつくあたってしまうのって」と萌が言った。予想もしない萌の言葉に走が「好きな人って、ひょっとして僕のことかな…」と聞くと、萌が「聞かないで、恥ずかしい」と言って両手で顔をおおった。女の子にモテた経験がない走は、相手がたとえ人間じゃなくても、「好き」と言われれば嬉しいのではっきりその言葉を聞きたかったが、「人間じゃなくても恥ずかしいんだ」と思うと、それ以上聞けなかった。が、「僕のこと好きみたいだ」と思うとつい嬉しくてニヤついていた。ニヤつきながら「萌ちゃん、今、空気の神って言ってたよね。神様なのに人間みたいに個人名があるの不思議なんだけど、どうして?」と聞くと萌が「名前で呼んでくれた。嬉しい、ありがとう。そうだよ。もともと名前なんかないよ。でも名前がないと走が私と会話しにくいと思って、街路樹の枝の上で走を待っている間に考えたんだ」と言った。「ひょっとしてもえって名前、萌黄色からきてるんじゃない?さっき見ていた若葉の色にそっくりだし。若葉に隠れて人に気付かれないようにして僕を待っててくれたってこと?」と走が聞くと、萌が「ずばり言わないでよ、萌だって恥ずかしいんだから」と言った。「ごめん」と走が言うと、萌が「ばか、さっき走のこと大好きって言ったんだから言わなくても分かるでしょ。声が小さくて聞こえなかったんならもう一度言うよ、今度は大きな声で。走!好きだよ、大好きなんだよ」と言った。「えっ僕のこと大好き?」と萌の言ったことが信じられないという顔で走が言うと、萌が突然「だから走にも私のこと大好きになってほしいから、走の好みの女の子のビジュアル、具体的に教えて?」と走に聞いてきた。走が「そんなこと聞いてどうするの?そう言えばさっき萌ちゃん、僕が映画の世界に染まりすぎみたいなこと言ってたけど、本当に液体金属みたいに姿形を変えられるってこと?」と言うと萌が「私、さっき空気の神だって言ったでしょ。だから液体金属じゃなくて広い意味での空気だよ。さっき、葉っぱと同じ色に同化して人間に見つからないようにしてたけど、この姿で空気の中に溶け込んでいたと思う?走に踏まれた後、人形の姿になったように、どんな色や形にでもなれるんだ。だから走の好みの女の子になるから教えて。映像があるといいな」と言った。走が「踏んだのは本当にごめん。しかしどんな色や形にでもなれるって凄いね。でもその大きさで…、例えばリアルなモデル体型になったら細くて目立たなくて何処にいるか分からなくて、また踏んじゃいそう」と言うと萌が「葉っぱに隠れるために小さくなってただけ、大きくなれるよ。ただ空気なんでほぼ重さがないから、風が吹くと飛ばされないようにするのが大変なんだけど。でもそれ以外は全て人間と同じ、飲んだり食べたり…あれしたり」と言った。走が萌の「あれしたり」を排泄のことだと思って流し、気付かないまま「空気が空気に翻弄されるんだ。ちょっと不思議」と言うと、萌が「確かに私は空気の神なんだけど、私が世界中の空気をコントロールしてる訳じゃないからね」と言った。短い会話の中でもなぜか萌に好意をいだいた走が「萌ちゃん、そんな時は僕につかまって。絶対君を離さないから」と言った。

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