綿野啓太『「逆張り」の研究』(二◯二三年、筑摩書房)――「ちっちゃな頃から逆張りで15で批評と呼ばれたよ」(本文より)――

 書影をググってくれたらすぐ分かるだろうが、ペカーっと光っている。〈鏡〉である。

オイオイ今どきユーライア・ヒープの「対自核」かよと言いたくなる。

このアルバムはジャケットがペカーっと鏡になっているのだ。


 吉田隼人という人の歌集で『霊体の蝶』というのがある。

この本のカバーを剥がすとアラ不思議、ここにもユーライア・ヒープの「対自核」である。ペカーっと「対自核」である。


 まあそんなことばかり書いていても仕方がないからどんどん行く。

この本の七章「やっぱり東野圭吾が一番」と八章の「脳をつつけば世界はガラリと変わって見える」以外は大体政治の話が展開されている。

ちなみにらしい。


「逆張り」とは投資用語で「値が上がれば買い値が下がれば売る」スタイルを指す。「順張り」は「下がったら買い上がったら売る」スタイルである。

これを人生論に応用して「成功したければ逆張りをしろ」と言ったのが瀧本哲史やピーター・ティールである。

「レッドオーシャンに就職するな。ブルーオーシャンを探せ。起業しろ」という発想が受け入れられたのは二◯一二年前後に急速に大卒就職内定率が下がったという背景がある。


 こうした「成功したければ逆張りをしろ」的発想はそう間違っていない。

資本主義は基本的に「今まで無価値だと思われていた物にいきなり価値が見出された時、急激に儲かりまくる」システムとしてつくられているらしい。

危険を顧みないで未知の世界に飛び込む「逆張り」はある意味合理的なのだ。


「逆張り」の意味は更に変化する。

あえておかしなことを書きPVを稼ぐ「炎上商法」が流行したのだ。

おかしなことばかり言っているとだんだん大衆にスルーされるようになるのだが、

少数ながら同調するカモが出てくる。

そこでカモたちをオンラインサロンに登録させ持続的に金を巻き上げるのである。

「炎上商法」は形を変えつつ今でも大いに流行っている。

その「炎上商法」に不可欠な常識に逆らった言動を「逆張り」と呼びはじめたのである。


 つまり「逆張り」とは「投資用語」(第一段階)「ビジネス用語」(第二段階)そして一般的な「日常生活用語」(第三段階)へと変化してきたのである。


 私はあまり政治に関心がない質だからよくわからなかっただけなのだが、

あるものを見て不思議だと思ったことがある。

「リベラル」とか「反差別」とかあるいは「権力を監視する」などとプロフィールに掲げているTwitter(X)アカウントで「冷笑するな!」だとか「客観的に物を見られる(本書で言う「メタ視点」)というアピールをやめろ!」とか書いている人がいるのである。


 さすがに「客観的に物を見るな」だとか「私を冷静に観察するな」だとか言うのは情けない感じがするのだろう。

「客観的に物を見られるというアピールをやめろ」と書くのである。

しかしTwitterという独り言をボソボソボソボソ……と呟くコンテンツで「アピールするな」なんぞというのは無意味だ。

皆半ば「他人に見られていいねされたらいいな」と思いつつも半ば自己満足的に「つぶやくためにつぶやく」のがTwitterではないか。

DMやリプライならまだしもリツイートなんていうのは大抵相手のためのアピールではなく自己満足的な独り言に過ぎない。


 しかもこの場合はなんとリツイートでもリプライでもなく、普通のツイートに対して「アピール」だと言っているのである。

馬鹿じゃないのか~!? と思った。


「客観的に物を見られる」のはエラい。

自分がぷりぷり怒っている時に冷静にしている人間を見ると羨ましくなる。

そりゃそうである。

四六時中怒ったり泣いたりしているよりは平静でいる方が遥かに良いに決まっている。


 私は「リベラル」だとか「反差別」だとか書いている人が「冷笑」や「客観」(平静とか冷静とかでもいい)を嫌っているのが不思議でたまらなかった。

「冷笑しちゃ駄目なんてのはお前さんがたリベラルが嫌っている『軍隊』や『戦時下』みてえだなオイ」

と思ったものである。


 左翼や共産主義とリベラルは違うそうだから厳密には左翼のネタだが

「朕はたらふく食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね」なんていうのがある。

(実際には天皇になっちゃうと健康管理のために腹八分目にしなきゃいけないらしい。やれやれ。「朕もたらふく食いたいぞ」)


 近年はあまり見ないが「風刺画」は大統領や総理大臣といった権力者を馬鹿にして笑い飛ばすものばかりだ。

酷い話だがエラい人で鼻の具合やら顎の具合やらに特徴があると画家にとっておいしいネタになる。


 権力を愚弄するのは反体制派やら左翼やらリベラルやらの武器であって逆に右翼や体制派は「頼む! 人類よ笑わないでくれ!」と祈る側だと思っていた。


「軍隊」や「戦時下」をイメージしてもらえば分かるだろうが、軍隊が必死こいて戦っているときにダジャレを言うやつなんぞがいると気が抜けて士気が下がる。

人間というのは「俺は勝てる!」だとか「あいつらは悪で俺達は善だ!」とかいうような確信がないと中々全力を出せないように出来ている。

だから自分たちの強さや正しさを「相対化」をされたり少し離れたところから「冷笑」をされたりすると困るのである。


 そのあたりの謎はこの本を読めば解ける。


 リベラルは以前より運動を起こすことを重視し始めた。

大規模なデモや署名運動などがその結果である。

こうした政治運動は「傍観者」より被差別の「当事者」が重視され、

同時に「距離をおいて冷静になる(「冷笑する」)」より「寄り添って感情的になる(「泣いた」「震えた」など)」のが良しとされる。


 それに対して政治の話題で「冷笑系」などと言われるのは大抵ネトウヨ(ネット右翼)のことだと暗黙の了解が出来上がった。


 すなわち「冷笑逆張りネトウヨおじさん」と「号泣順張りリベラルお姉さん」(?)のバトルである。

「おじさん」的な「年をとった男」は差別の加害者にはなれても被害者にはなれないが、

「お姉さん」的な「若い女」は差別の被害者になりやすい存在である。

リベラルは「おじさん」より「お姉さん」を重視する。

結果的に「おじさん」を攻撃するケースも多い。

その場合は「おじさん」の加害性が理由になる。


 そこに付け入るのがネトウヨたちで、彼らは些細なミスをあげつらう「揚げ足取り」(高学歴や大学教員のリベラルを叩く際に特に強い)や本書で言う「ブーメランで草」(過去の発言をわざわざ引っ張り出して言論を矛盾させる)などを武器にリベラルを翻弄する。


また、「おじさんも差別されている」といった風に反差別というリベラルの理論を〈鏡〉のようにコピーして戦うこともある。

綿野によるとこの主張は「注意経済」と呼ばれる「人は多くのものを気にかけることができないから注意や同情を奪い合う」というインターネットなどの状況を実際の社会全体のリソースと混同しているのだという。

人は多くのものを気にかけることはできないが、国には普段注意されていない相手を含めて全員に福祉が行き渡るくらいの豊かさはあるのだ。


 面白いのは「逆張り」がネトウヨつまりネット「右翼」の基本スタイルになっている点だ。

右翼といえば体制派なのだから共産党などが政権を取らない限り「順張り」ではないかと言いたくなる。


 しかし「世界のリベラル化」が進んだ結果思想信条にかかわりなく大抵の人が「差別はいけない」と思うようになった。

だからネトウヨのように韓国人を差別するのは「逆張り」になったのである。

たしかに「じゃんじゃん差別しまくるぜ~」などと言うやつは逆張り以外の何者でもない。


 綿野は「笑い」を追放してしまったリベラルに「笑い」の再評価を呼びかける。

他人を冷笑するのはいけなくても「自嘲」することで自己の苦痛や悲しみを相対化しより軽やかに問題を提示したり検討したりできるのではないかと主張する。

今の「笑い」に対する世のイメージを考えるとかなり挑戦的な提案だが、

リベラルだって笑えないよりは笑えた方が良いに決まっている。


 さて、当然ながら「逆張り」が注目されるのは政治に関係する場だけではない。

「逆張りオタク」という人達が存在する。

彼らは流行の作品や人気の作品を嫌いマイナーな作品を愛好する。


 もっと熟成された「逆張りオタク」になると「あえて」流行の作品や人気の作品を称賛する。

「ジャンプが好き」という普通のオタクを倒すために

「ハルタとかアフタヌーンとかのほうが面白い」と言う「逆張りオタク」が登場し

さらにその逆張りオタクを退治するために「逆張りの逆張りオタク」が現れる。

彼は「ふーん。まだその段階なんだ。

俺は今のジャンプを評価してるけどね」

と言うのである。


 逆の逆、逆の逆の逆、本書に従って言えば

「メタ視点はメタ視点によって相対化される。

そのメタ視点もさらに別のメタ視点によって相対化される。

メタからメタメタへ、メタメタからメタメタメタへ、メタメタメタからメタメタメタメタへ」

である。

これが地獄のような「差異化ゲーム」だ。


 差異化ゲームの恐ろしい所は本質をどんどん逸れていく点である。

さっきの「一周回ってあえて今のジャンプを評価」している奴は多分本当は今のジャンプを好きではない。

さらに差異化ゲームを進行させていくと、


「なんだお前らまだ漫画なんか読んでるのか。

俺も昔はそうだった。必死に漫画を研究しそこから人生の秘鑰ひやくを見出そうとしたものだ。

しかしそんなのは無意味だったさ。

俺は気付いてしまったんだ。こそが人生の秘鑰だと。

そして俺は日々恋愛を研究し、達してしまったのさ――」


とかなんとか言って自分が愛好していたジャンルを丸ごと見下して脱オタ・リア充になる人間が出てくる。

こうなるともはや何がなんだかわからないのである。


 しかし状況は変化した。

「冷笑逆張りオタク」はマウントをとってくるヤベーやつだと認識され誰も相手にしなくなった。


 しかし綿野はオタク同士でのゲームは続いているとしている。

「メタ視点に立とうとする差異化ゲーム」から

「ベタ(東浩紀の用語らしい)視点に立とうとする同一化ゲーム」へとゲームシステムが変わったのだ。


 差異化できない要素として「身体的な感情(「泣いた」「震えた」など)」と「エビデンス」がある。

前者は「泣いた」とか「語彙力の喪失」とか言いながら単純な感情をただアピールする路線に向かった。

後者は「考察」と言いながらテクスト論的な広がりのある「批評」とは異なり、

制作者やパッケージ、プロモーションなどのあらゆる情報から作品の裏設定や今後の展開などを辿ろうとする試みに向かう。


 作者はここに政治の話を挟み、

「身体的な感情」「お気持ち表明」を武器とするリベラルと

「エビデンス」として「こういう論文がある」と言い張ったりその場しのぎに怪しいデータを振り回したりするネトウヨの双方から「批評」や「ポストモダン」の相対化差異化が蛇蝎のごとく嫌われるようになったと書いている。


 基本的にネットの話題はすぐに流れていくのだから「エビデンス」を追検証している暇はない。

だから「論文がある」とか言いながらその論文を明示しない場合や「データがある」と言いながら「どこが・どのようにして」取ったやら調べる必要があるデータを出す戦法は強い。

数日間かけて緻密に検証したところで無駄なのだから「お気持ち」と「怪しいデータ」の一向に決着がつかないバトルが繰り広げられる。


 話をオタクに戻すと、「同一化ゲーム」も「差異化ゲーム」と同様に勝ち負けがあるようだ。

いかに「ベタなことを言うか」「いかに共感するか、共感されるか」また「いかに社交的に振る舞ってフォロワーを増やすか」といった点で「同一化ゲーム」を楽しめる勝者とイマイチ乗り切れない敗者が別れる。


 そもそも「泣いた」だとか「感動した」だとか言いながら仲間内で共感し合って満足するようになると「差異化ゲーム」と同様に本質を離れていく。

もはや自分が何を愛好しているかさえどうでもよくなり、馴れ合い自体が目的化されるのだ。


 最後に本書第六章の「本当の意味で反社会的なひと」という節を紹介しておこう。

裏社会とされるヤクザやオレオレ詐欺師の集団には表社会以上に厳しい謎規則や謎ルールが多数存在する。

例えばオレオレ詐欺師の下っ端になるとタイムカードがあって決まった時間座ってお仕事をしなければならないそうだ。


 そうなるともはや「裏社会で必要とされる人」の像は「表社会で必要とされる人」とそう大きく変わらない。

真面目で嘘をつかず、人に優しく、早寝早起きを徹底し、決まった時間必ず働き、病気にならない……というような人物が裏社会でも尊敬されるのである。


 逆に「本当の意味で反社会的なひと」は裏社会でも馴染めない。

そうした人間に綿野は興味があると書いている。


 この記事を書いている私も最初は「小説家になろう」や「カクヨム」などの小説投稿サイトは「本当の意味で反社会的なひと」の楽園だと思って楽しみにしていたものである。

頭のおかしい人間がおかしな文章を書きあげて、グーっとランキングを駆け上がる。

けれども作者たちは皆頭がおかしいからすぐ自殺したり失踪したりしていなくなり、また新しい作者がおかしな文章を生産しランキングをグーっと駆け上がる……

というような余りにもアングラすぎるサイトを期待していたのだ。


 けれども現実の「なろう」や「カクヨム」はチョー健全である。

同じ時間に起き、毎日一定の字数を投稿し、読者からのコメントには優しく対応し、暇さえあれば仲間の作者たちの新作に目を通す……というような「社会的なひと」が成功するのだ。


 そうした「社会的なひと」は「小説投稿サイトという裏社会(?)でチマチマ文章を書く」などという作業をしなくても普通に働いた方が早いじゃないかと思う。

とはいえそんな頭のおかしい人間ばかりが小説投稿サイトに集まると刑事事件が起きて本当のアングラサイトになってしまうから、今くらいヌルくて丁度良いのかもしれない。


 でも私は「本当の意味で反社会的なひと」の側に立ちたいから、「なろう」や「カクヨム」に対して

「このヤロー覚えてろよ」というスタイルは終生やめる気はない。

覚えてろよ! カクヨム!

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