第65話 和食が食べたい
「わぁ! おっきなお屋敷! 留学生にお屋敷一つってすごい贅沢じゃない? お兄!」
役人に案内された場所に馬車が到着して、さっそく降り立ったマリンがそんな風に言ってくる。
見れば、目の前には二階建ての西洋風の屋敷が建っていた。
俺は異国の地ではしゃいでいる妹を見るのは微笑ましいが、少しばかり心配なのは兄として過保護だろうか。
「そうだな。……他の使用人たちとは上手くやれそうか?」
「リナっちとはマブダチだって言ったでしょ! 他の使用人の人たちとも馬車の中でお話したよ!」
ここでは共同生活といった通り、使用人たちが連携して食事などを作ることになる。
個々の世話はともかく、最近まで田舎の一般人だったマリンがそういった場面で孤立しないかが気になっていた。
だが、この様子では大丈夫そうだ。
俺たち兄妹も随分遠くに来たもんだと呆れる他ない。
そこで、俺はふと両親のことを思い出して、それが口に出た。
「あー……マリン。あのな。親父とお袋のことなんだけど」
「なに? 荷物を下ろさなきゃいけないんだけど~!」
「ああ、手伝う! 二人は……空から俺たちのことを見守ってくれてるから、その、なんだ……」
自分でも何が言いたいのかよくわからなくなって、俺は荷物を持ちながら微妙な顔になる。
それを見て、マリンはきょとんとしたあとに――笑顔を作った。
「知ってる! そう思ってたから! だからお兄もシスコンは卒業してね!」
「うるせー!」
そうか。マリンは最初から親父とお袋についてはそう思ってたのか。割り切れていなかったのは俺の方だったのかもしれない。
ふっと笑って、俺が荷物をマリンから預かろうとすると。
「なりません。ハワード様」
「リナさん?」
横からリナさんに止められた。
その目は厳しいもので、俺は呆気にとられる。
「マリン。殿方に、そして主に荷物を持たせるなどさせてはいけないわ。これは私たち使用人の仕事よ」
「いや、リナさん、これは俺が言いだしたことで……」
「それでも、です。さぁ、マリン。自分の仕事をするのよ」
「う、うん……」
はっとしてみると、通行人の目線が俺たちに集まっていた。
異国からの訪問者ということで目立っているのもあるが、その視線は様々だ。
俺たち男を羨ましく見る目、使用人の女性を厳しく見る目、なにより、マリンが軽い口調で俺と話して、荷物を預けようとしたところをあり得ないという風に見る目が多かった。
こりゃ、なにもしなくてもひと悶着あるな……。
俺は若干の頭痛を感じて、額に手をやる。
「楽しそうな国ですわね。貴方様」
「頭痛が痛い!」
「あら、痛いに痛いが重なるなんて、とても痛いんですわね?」
そんな俺を笑うセレスは、言いつけ通りに俺の後ろにぴったりくっついていた。
「兄貴! 荷物の運び込みが終わったらメシ食いに行こうぜ!」
「エドガー。あまりはしゃぐと痛い目をみますよ。旅の疲れもあるでしょう」
そう言いつつ、リオネルも街を見て興奮している様子だ。
それとは対照的に、ジェスティーヌは顔を伏せて黙ったままだ。
俺はそんなジェスティーヌの隣にそれとなく立つと、顔を向けずに話しかける。
「喋らないな。それがこの国での所作か?」
すると、ジェスティーヌは同じく顔を上げずに、低く唸るように応じた。
「……母上は私が【オルゴリオ】に選ばれたとき、飛び跳ねるように喜んでくれた。これで自分が祖国で味わった苦労をさせずに済むとな。だが、この国では騎士であるからといって何も変わらん」
「厄介なお国柄だな」
「この国では女は男の所有物だ。貴公もそれを肝に銘じておけ」
言うと、ジェスティーヌは屋敷の中にリナと共に入っていった。
いつもは堂々と胸を張って歩くジェスティーヌが、今は顔を伏せて人目を避けるようにしている。
そんな様子を見て、俺はやはり若干の不安を感じながらも、部屋割りなどを決めるためにエドガーたちと屋敷に入るのだった。
◇ ◇ ◇
「やっぱ外国の街を見るのはいいですね。王国とは随分と雰囲気が違います」
周囲を見回して目を輝かせるリオネルが言う。
俺たちは使用人たちに荷物の整理を任せて、適当な店で昼食を取っていた。
リオネルが言う通り、連邦の街は王国とは随分と雰囲気が違う。
和洋折衷とでもいうのだろうか。大半は西洋風の建物だが、その合間に和風の建物が建っていた。
それは道を行く人々の服装も同じで、ドレスを着た女性が歩いていると思えば、着物のような服を着た女性がスーツ姿の男の後ろを歩いている光景が目に映る。
特に多いのは和風の服装に日傘を差して顔を隠す女性だ。日差しが強いというのもあるだろうが、顔を隠しているのはやはり女性の地位の低さを表しているのだろう。
ただ、その男尊女卑を抜きにしてみた光景を、俺はなんと形容すればいいのかうーん、と唸る。
そこで、ピンと来て俺は呟いた。
「大正ロマンか」
「なんですの? それは」
俺の呟きに反応したセレスが不思議そうにこちらを覗き込む。
「俺の……前世で流行った文化だよ。あの服装……着物っていうんだけどな。それが俺の国の昔の服装で、逆に王国で見るようなドレスが新しく取り入れられた新旧入れ混じった時代っていうのかな」
「まぁ、私にはあのキモノ? は新しく見えますが、逆なのですね」
「着てみたいか?」
「ええ、是非」
和服を着たセレス……きっと似合うだろう。
俺といればどう着飾っても文句は言われないだろうし、せっかく来たのだから楽しませてやりたい。
「だけど……」
と、俺はテーブルの上の食事を見る。
そこに乗っているのは和食――ではなく洋食の、しかも赤いものが多い。
赤いのは鼻をくすぐるスパイスのせいだろう。
なぜか食文化は熱帯地域のそれだった。
「辛っ……! 久しぶりに和食が食べられると思ったのになんでカレーなのよ……!」
食事を口に入れたリースが額に汗をかきながら文句を言う。
「マジでなんでだろうな。めちゃくちゃな文化に見える」
「ほんとよ! ――はっ……! ていうかないなら作ればいいじゃない! 今度、みんなに和食を振舞うわよ!」
「お前、料理できるのか……?」
「任せなさい! 完璧な和食を作ってやるわ!」
ぐっと腕捲りをしてガッツポースを取るリースに、俺は首を傾げざるを得ない。
こいつには色々とやられたりやったりしているが、毒とか盛られないだろうか?
そもそも和食に必要な調味料すら存在しているか怪しい。
「貴方様のいた世界の料理なら食べてみたいですわ」
「一応、このカレーってのもそうなんだけどな。ちょっと文化圏が違うけど」
今、食べているカレーは米ではなく、小麦粉を焼いたナン的な何かで食べているので、どちらかというとインドとかそこらへんのものに近い。
日本のカレーはもはや和食といっていい感じに独自の進化を遂げてたはずなので、親しみのある食事とは程遠かった。
と、考えているうちに、俺も和食が食べたくなってきた。
ああ、みそ汁、白米、刺身に煮つけ……。丼ものなんかもいいな。
「フェルディナン様! 明日は買い物に付き合ってもらうわよ!」
「フフ、いいぞ。好きなものを買ってやろう。何が欲しい?」
「食材一式!」
「リース、それは使用人の仕事だぞ……? いや、しかし……お前の手料理を食べられるならそれもありだな!」
はっはっは! と高笑いするフェルディナンと、やる気に満ち溢れたリースというバカップルを見つつ、俺も何か作れないかなと考える。
まぁいい。学校に編入するのは余裕を持って来週からだ。
明日はセレスと一緒に観光するのもありだろう。
マリンも連れて二人に和服を買って着させる。そして、そんな二人を連れて街を歩くのはさぞ心地よい気分かもしれない。
俺は食べるカレーの辛さのためか、止まらない汗を拭いつつ、そんなことを考えるのだった。
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