第64話 連邦の洗礼

「あれが神樹か……」


 俺は遠方にみえる一本の木を見て、つい言葉をもらす。

 見た目にはただの木のように見えるが、それを囲うように多くの建物が並んでいるのが見えた。


 しかし、その建物は小さいように感じる。


 街はまるでミニチュアのような小ささで、人の往来などもはやここからでは目視できない。


 つまり、木がクソデカいのだ。


「遠近感が狂うな。外壁が低く見える」

『あれは実際に低いのだ。神樹の影響で街には魔獣が近づかない。だから他の国とは違い、大規模な外壁を必要としないのだ』

 

 俺の拡声器を通した声に、ジェスティーヌが応じる。


 王国も帝国も、基本的に大規模な街はドールと同じか、それ以上の高さの外壁に囲まれている都市が多い。

 戦争のときの防御のためでもあるが、平時は魔獣被害を抑えるための役割を持っていた。

 魔獣は魔石を使った魔導具などの魔力に引き寄せられるため、多くの人が住む街ほど襲われやすい。


 連邦はその役割を神樹が引き受けてくれるのだから都合のいい話だ。


「便利すぎだろ神樹! ……というか詳しいな。ジェスティーヌ」

『お嬢様のお母様がこの国出身なのですよ。ハワード様』


 聞こえたのはジェスティーヌとは別の声――リナさんだった。

 学校での決闘のときは知らなかったが、なんと【オルゴリオ】の従者はリナさんなのだ。


 メイド業も出来てドールにまで乗れるなんてどんだけ器用なのだろうと思う。


『ああ、色々と話をしてくれたものだ』

 

 ジェスティーヌの声色にはどこか優しい響きがある。

 友好国とはいえ距離がある上、公爵家となれば政略結婚だろう。


 だが、ジェスティーヌの祖父母の家があることには違いない。


 なんの伝手もない国に来るのが少しばかり心細かった俺は、ジェスティーヌに言う。

 

「じゃあこの国にも来たことあるのか? 着いたら案内してくれよ」

『いいや、来るのは初めてだ。できれば来たくはなかったのだがな』

「なんでだよ」

『着けばわかる』


 そう言って、ジェスティーヌの【オルゴリオ】は【ペルラネラ】に道を譲った。

 前へ行けと暗に言われている。

 

 確かに俺は騎士で、しかも王国の軍人の位を持っているので先頭を行くのは間違いではない。

 けれど、ジェスティーヌの仕草にはどこか遠慮するような雰囲気を感じて、俺は首を捻りながらも【ペルラネラ】の歩みを進めるのだった。



 ◇   ◇   ◇



『そこのドール! 止まれ! 検問を実施する!』


 俺たちがゴーレム用と思しき大きく開かれた道から街に入ろうとすると、立っていたゴーレムに制止される。

 まぁ、検問なんて珍しくもない。それも連邦の首都なのだから当たり前だろう。

 

 俺はそう思いつつ、胸にしっかりと階級章が付いていることをチェックしてからハッチを開けた。

 すると、むわっとした熱気が騎乗席の中に入ってきて、俺は首元を扇ぐ。


 あっつい。下にいる軍人はよく詰襟の軍服を着て涼しい顔でいられるな。


 その蒸し暑さはどこか日本の夏を感じさせた。

 俺はそんな懐かしさを思い浮かべながら、セレスと共に【ペルラネラ】の手に乗って地面に降りる。


 すると、近寄ってきた軍人が鋭い眼光で俺を見定めるように見て、言葉を発した。


「ハワード千輝星長殿とお見受けする」

「ああ、グレン・ハワードだ。後ろについてきているのも留学目的の生徒と使用人たちで間違いない。で、こっちが……」


 俺はセレスに場所を譲る。


「セレスティア・ヴァン・アルトレイドと申しま――」

「女の名など聞いていないっ! 控えろ!」


 恭しく挨拶をしようとしたセレスに、軍人は突然怒鳴りだした。


 その豹変ぶりに俺はぽかんと口を開け、セレスは小さく首を捻る。


「一丁前に剣など帯びよって! これだから他国の女は……!」

「おい、セレスは俺の妻になる女で、従者だぞ? いきなり怒鳴ることはないだろ!」


 俺がつっかかると、軍人は被った帽子の位置を直しながらこちらを向いた。


「千輝星長殿。わかっていませんな。連邦では女は男の後ろを歩くもの。安易に場を譲るなど男として見下げられますぞ」


 険のある声で言われて、俺は戸惑う。


 リリーナから確かに女性の地位が低いとは聞いていたが、まさかこれほどとは。

 

 この国は圧倒的なまでに男尊女卑だ。

 ジェスティーヌが来たくはなかったと言っていたのも、道を譲った理由も納得がいく。


「兵器まで女の形をしているとは、まったくもって女々しいことだ」


 どうやらこの軍人はドールの形すら気に入らないらしい。

 俺はペルのことを馬鹿にされたように感じて、苛々しながらも話を進めた。


「で? 通っていいのか? 積み荷が女の形をしてるか調べるか?」

「危険物がないかは調べさせてもらいましょう。少々お時間を頂きます」


 そう言うと、軍人はキビキビした歩き方で部下を連れて馬車の方に歩いていく。


 残された俺はセレスを見た。この隠しボスは戦闘狂だとしても一応はお嬢様だ。

 こんな風に大の男に怒鳴られることなどそうないだろう。


 すると――。


「ふわ……。早く終わらないでしょうか? 外に出ているのは暑くて仕方がないですわ」


 ――呑気にあくびをかみ殺していた。


 よかった。ビビってない。というかたぶん、あの軍人のことなど最初から道端の石ころくらいにしか見えていないのだろう。

 じゃなかったら今頃あの軍人の首はスパっとやられていたかもしれない。


 興味がないからこそ、敵意もない。そんな感じだ。


 俺はといえば軍人よりもこの文化の違いにビビっている。

 連邦と比べれば王国と帝国なんか同じ国に見えるくらいの違いだ。


 俺はセレスに騎乗席の中で待っているように伝えて、腕組みして検問が終わるのを待つのだった。



 ◇   ◇   ◇



「お待ちしておりました。ハワード様。いや、千輝星長様とお呼びした方がよろしいですか?」

「どっちでも。それより暑いんだ。早く中に入れてくれ」


 俺たちは指定された場所にドールとゴーレムを駐騎させて、王国の大使館を訪ねていた。

 こっちで寝泊まりする場所などはリリーナが大使館に用意させている。


 そして、唯一、この国で王国の権力が保たれる場に入った途端、汗だくのリースが声を荒げた。

 

「なにこの国!? ゴーレムから出たら『また女か!』とか言われたんだけど!」


 それを聞いて、役人が苦笑いする。


「さっそく洗礼を受けた、という感じですね。仕方ないのです。ここは連邦ですから」

「俺もびっくりした。そんなに男が偉いのか? この国は」

「軍の人間はそういった考えが多いですね。特にこの首都では、女性はお淑やか……といえば良く聞こえますが、喋らず、前に出ず、男に献身的であれという風土が強くあります」

「前時代的! 女にだって人権はあるのよ!」

「わかった。わかったから黙っててくれ。話が進まない」


 ぷんぷんと怒るリースを押しやって、俺は役人と話を続けた。


「それで、俺たちはどこに寝泊まりすればいいんだ?」

「大きめの屋敷を一つ借り入れました。そこに皆さんで共同生活して頂く形になります」

「そうか。案内してくれ」

「その前にハワード様。気をつけて頂きたいことが」


 ん? と思って見ると、役人の目はセレスに向いている。


「どうか問題を起こすことだけはおやめください。ここでは私たちの力も小さなものです」

「あー……」


 俺は言われて、そういえば王国で一騎、ドールをぶっ壊したんだったと思い至った。

 あのときは人聞きの良い英雄譚なる情報操作で事なきを得たが、本来なら国際問題に発展しかねない話だ。

 その元凶を【凶兆の紅い瞳】であるセレスであると役人は思っているのだろう。


 けれど理由はルーシーという主人公を助けるためで、別に問題を起こしたくて起こしたわけじゃない。

 まぁ、実際に決闘に参加すると言い出したのはセレス自身で間違いはないんだけど。


「……善処する!」

「頼みます。それから、女性の使用人たちにはくれぐれも華美な装飾などをつけないように注意してください。貴族の方々でも、そういった衣装を着る際には男性と一緒の方が良いでしょう」

「女性が着飾るのも嫌うのか? この国は」

「というよりかは、独り立ちしている女性を嫌う、といった方が正しいかもしれません」

「なるほどな。男より目立つ女が嫌いなわけだ」


 俺の言葉に、役人は重く頷く。


 この分だと女性が一人で買い物に出かけるのも難癖をつけられそうだ。

 使用人たちの大半は女性なので、外に出かける際には気をつけさせなければいけない。

 

 俺は文化の違いにため息をつきながら、わーわーと騒ぐリースと、街に入ってからは一言も発さないジェスティーヌを見るのだった。


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