第60話 困難に笑って
『親愛なる兄弟、そして友人の皆さん。こんにちは。私の名はクラリス・ブールナールといいます』
次の日、王宮の前で、【ベネフィゼーザ】の前へ立つクラリスが魔法で拡声された声で挨拶をする。
俺は【ペルラネラ】の騎乗席の中で、【オリフラム】と共にその脇に控えていた。
クラリスの聖母としての初めての演説だ。
演説台の前には水晶のような魔導具が置いてあり、大陸中にこの様子が放映されているらしい。
『まず初めに言いたいことは、私はただ、一人の人間です。皆さんと同じ、母と父の愛の元に生まれ、そして育てられた、星々に平等に愛される一人の人間に過ぎません。唯一違うのは、【聖母】という祝福が私に宿ったこと。しかし、この力は手を触れることのできるほど近くにいる人の気持ちを汲み取り、その心を穏やかなものにする程度の力です。世界を動かすほどの強いものでもなく、世界を変えるほどの大きなものではありません。
ですが、私はあえて皆さんに、世界にお話しています。それは私一人では成せないことが、皆さんに助けてほしいことがあるからです』
始めは震えていた声のクラリスだが、話すうちにその声は凛としたものとなってくる。
その姿は村でそそっかしくしていた彼女とはまるで別人のようだ。
『悲しいことに、人の歴史は戦いと共にありました。一千年前の神代の戦いの末、神々によって浄化されたこの世界は始まりから戦いであったとも言えます。そして、私自身、両親を戦火で亡くし、この心に戦いの傷跡を残しています』
「ねぇ、貴方様? ちょっと私、退屈になってきましたわ」
「頼むから我慢してぇ……?」
俺は拡声器がオフになってるのを何度も確認してからセレスに言った。
すると、セレスは前部座席から乗り上げてきて、俺の膝へと座ってくる。
『……現在、サントセテム大皇国と宗教国家ラハトの間で戦いが起きています。そして、その戦火はこの王国にまで及んでいます。
つい先日まで私は捕らわれの身ではありましたが、幸いにも友人たちの手で救われ、今ここに立つことができました。きっかけは皇国が仮初めの聖母を立て、ラハトに侵攻したことではありますが、問題はそこではありません。
戦いの火種は常に人の内にある。どんなに優しい人であっても、どんなに慈愛に満ちた人であっても、貧しさや痛みはその人を戦いに引き込みます。私自身にも、この身に宿るその火種を消すことはできません。
ですが、その火種に抗うことはできます。愛する人を思う気持ち、異なる考えを持つ人を許容する心、そして、隣人の平和を願う祈り。たったそれだけが、人にできる唯一のことです』
クラリスの演説を俺に甘えながら聞いているセレスが、その内容を鼻で笑った。
「うふふ、戦いを収めるためにできることが祈ることだけなんて、なんて人は無力なのでしょうね?」
「雰囲気をブチ壊すようなこと言わないでぇ……?」
俺は相変わらずなセレスに辟易しながらも、定期的に【ペルラネラ】に周囲をスキャンさせる。
今のところ特に怪しい人物とか仕掛けはない。
まぁ、そりゃあ国を挙げて警備をしているから当たり前なのだが、一応、リリーナからの依頼でクラリスの警護を任されているので仕事はするのだ。
『だから私は抗います。静かに祈りを捧げ、そして平和の巡礼者として、各地を訪れることを誓います。
この声を聞いている全ての人へ。そして、なおも戦いを望む人よ。あなた達の隣に愛する人はいますか? あなたを愛する人たちはいますか? 共に未来を望む人はいますか?
戦いの記憶は決して正義の記録ではありません。そこにあった苦しみや悲しみをなかったことにしてはいけません。その記憶こそ、全ての人の良き心を目覚めさせるものです。
今、戦場で戦っている人へ。戦いの矛を収め、思い出してください。戦いによって何がもたらされるのか、戦わないことでなにを救えるのかを』
クラリスの声に、観衆は手を合わせて頭を垂れている。
この演説の内容はクラリスが自分で考えたものだ。
多少は文官による監修も入っているだろうが、それでもクラリス自身の思いを言葉にしていることには違いない。
俺なんかには到底できないことだ。それを齢十四そこらで行っているのだから、クラリスも苦労していることだろう。
『平和とは、与えられるものではありません。神々によって賜るものではありません。
ただ、祈ってください。己の中の火種に抗うために、祈ってください。
平和の主は神々ではない。今、これを聞いている全てのあなたがたがそれと成りうるのです。一人一人は小さくとも、多くの人が祈ることで、それは平和への一条の光となるでしょう』
終わりに、クラリスは再び手を合わせて祈った。
『私の名前はクラリス・ブールナール。皆さんと共に祈る、ただ一人の人間です』
静かな一言と共に、場は喝采に包まれる。
いつまでも鳴り止まないそれに見送られながら、クラリスは衛兵に伴われて場をあとにした。
そんな光景をセレスは冷ややかに見つめながら、不満そうに言う。
「これで戦いは終わってしまうのでしょうか?」
「残念そうだな!? ……まぁ、けどそう簡単にはいかないだろ」
「ふふっ、私たちの出番があれば良いのですけれど」
俺の答えにセレスは嬉しそうにじゃれてきた。
一度起こってしまった戦争は、そう易々とは収められない。
何年もかけて少しずつ、クラリスは和平の道を探るしかないのだろう。
俺は演説の終わり、人々が散っていくさまを見ながら、ふぅと息を吐くのだった。
◇ ◇ ◇
「よう。お疲れさん」
「お疲れ! クラリス!」
「皆さん! はぁ……私、すごく緊張しました」
演説が終わった後、俺たちはドールを降りてクラリスと会う。
俺たちの顔を見たクラリスは風船がしぼむように体の力を抜いた。
「うう……ほんどうによがったよぉ……! 頑張ったねぇ!」
「る、ルーシー様? 泣いてるんですか?」
「こいつはすぐ泣くんだよ。気にするな」
相変わらず下唇を出して泣き出すルーシーに、俺が言ってやると笑いが起こる。
「リースさんも快方に向かっています。全て皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」
クラリスは深々と頭を下げてきた。
リース、と聞いて俺はふと気になって尋ねてみる。
「そういえばなんでアイツが【ベネフィゼーザ】を動かせたんだ? 腕輪もしてなかっただろ」
俺はクラリスの左腕に巻き付いた薄いピンク色の腕輪を見ながら言った。
「あの子――【ベネフィゼーザ】の心は私にもわかりません。ですが、リースさんの『生きたい』という強い気持ちに反応したのかもしれません。あの子は人を救うために作られたものであると、お母様も仰っていましたから……」
「そうか……」
全ての発端はリースが【ベネフィゼーザ】に乗れてしまったのが起因している。
だが、それも【ベネフィゼーザ】の善意――人を救うという意志によるものだとしたら、皮肉な話だ。
その結果が戦争を引き起こしてしまったのだから。
だが、まぁリースもこれで懲りただろう。
俺以外の転生者……なんでもありのこの世界ではまだどこかにいるのかもしれない。
けれど、何が来ても俺は大丈夫だとも思えた。
隠しボスに、主人公に、ヒロインに、聖母。そして――信用ならないエルフの女王と、【セプテントリオン】という組織。
俺は自分を取り巻くものの規模がだんだんデカくなってきていることに呆れながらも、不安は感じない。
今まで追っていた背中――両親という大きな壁を越えた。
これからは俺が背負う番と決めた。
そんな思考を察したのか、寄り添ってくれるセレスの熱を感じながら、俺はこれから来るかもしれない困難に向けてにやりと笑ってみせる。
「やぁやぁ、みんなお揃いだね」
と、そこにベールを被ったリリーナが歩いてきた。
相変わらず軽い口調だ。
「頑張ったねクラリス。おいで」
「はい。お義母様」
リリーナが手を広げると、クラリスが抱き着く。
背は同じくらいだが、その仕草からやっぱり母親と子供なのだと感じさせる光景だ。
そうしてひとしきりクラリスの頭を撫でると、リリーナの顔が俺の方に向いた。
あ、なんか嫌な予感がする……。
「二人とも、この国は気に入ってくれた? 学校にはもう慣れたかな?」
ニマァ……となんだかねっちょりした笑みを浮かべたリリーナに、俺とセレスは顔を見合わせる。
「そうですわね。お茶会の楽しみ方をやっとわかってきたところですわ」
「俺も……まぁ、やっと居心地がよくなってきたな」
そう答えると、リリーナは渋い顔の演技をした。
「いやぁ~、残念! 残念だなぁ~」
「なにがだよ……」
俺が怪訝そうに問うと、リリーナは人差し指を立てて、こう言った。
「ちょっとさ。連邦に行ってきてくれる? あ、これは拒否権はないから」
再び、俺とセレスは顔を見合わせて――。
「――はぁぁぁぁ!?」
さっき笑ってやった困難は、意外と近くにあったらしい。
俺は絶叫し、セレスは「あら」と楽しそうな笑みを浮かべるのだった。
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●作者からのお願い●
ここまでお読み頂きありがとうございます!
これにて第2章は完結となります。
現在、第3章執筆をしておりますが、多忙な状態のため少しお時間を頂ければと思います!
これを機に感想、レビュー等を頂ければ嬉しく思います!
引き続きお付き合いお願いいたします!
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